スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

北海道が危ない!

2016年11月29日 | 雑感
北海道が危ない! と言われたら、
              北海道大好き人間としてはどうしても読まざるをえなくなる。


北海道の「アイヌ利権」を告発した書であった。  著者は砂澤 陣。 あの世界的彫刻家ビッキの息子だ。
帯に漫画家・小林よしのり氏が推薦とある。 小林氏といえば反共・反中国の急先鋒、いわゆる世に言う右だ。

右でも左でもどうでもいいのだが、この本以外に面白い。 今年9月に刊行された本だ。

北海道アイヌ協会による修学資金貸付制度・職業訓練事業・住宅購入資金・アイヌ文化振興事業などの
悪用・不正・不適切会計 ・・・ 過去の実態を赤裸々に告白。 

 『 彼らはアイヌ政策を利権化し、私たち国民の税金は彼らに不当に奪われているのである。
   私は、国民の方々が、自国民の歴史を同胞であるはずの人々に愚弄され、それをネタに
   強請され、お金を奪われていることに、なぜ無関心なのか、なぜ疑問や怒りを覚えない
   のか不思議でしょうがない 』
 ・・・ と一刀両断。

     

アイヌ利権のみならず道庁との癒着実態や北教組の闇、北海道の土地を買い漁る中国マネーにも話は及ぶ。

著者は自らをアイヌ系日本人と呼ぶが、アイヌ民族の間でも歴史認識もさることながら、その立ち位置にも
かなりの温度差があるさまを突き付けられた気がした。 


この著書に関するネットの意見も賛否両論だ。 ツイッターでこんな記述もある。

 『 利権は東京オリンピックだけじゃないのですね 』

 『 明らかな事実誤認については後日きちんと資料を添えて批判するつもりだ。
   この本の記述にどこまでの信憑性があるのか,はなはだ疑問である 』

 『 アイヌの実態をアイヌの血を引かぬ者が暴けば「差別だ!」と関係者から攻撃を受ける。
   アイヌの血を引く砂澤陣さんが勇気を持って書かれたアイヌのイメージを壊すこの本は、
   彼らにとって非常に都合の悪いことが書かれている 』
  等々。

著書では北海道新聞にも話が及んでおり、道内シェア4割を占めるこの新聞は真に正確・公正な
マスメディアなのか? 赤化してはいないか? 疑念を投げかける。 


ちょうど昨日、北海道新聞朝刊に「半世紀にわたって活動を続けてきた白老の民間博物館が2018年にも
閉館し、国立施設としてリニューアルされるが、アイヌ文化の継承に懸念。」 との記事が掲載されていた。

新聞ではさらっと2面にあったが、ここにおける利害もどうなってるの ・・・ そんな憶測も
この本を読んでいると考えざるをえなくなる。


嗚呼、なにごとも裏まで読んで生きていかねばならぬとは ・・・ 。  

≪ 父・砂澤ビッキ ≫ よ いまごろあの世でなに思う。
       


哲学とビーフン

2016年11月27日 | 雑感
最後の哲学者と言われた 木田 元 の晩年に書いた本に 『 ピアノを弾くニーチェ 』 というエッセイ集がある。

ニーチェやハイデッガーなど頭痛がするような章も勿論あるが、本人はこの本を雑文集と呼んでいるようで、
<そば通になりそこねた話> や <ビーフン健康法> という哲学者らしい? 章もあり実に面白い。


この哲学者は晩年胃がんを患い体重が20キロも落ち、体調維持にとこのビーフンに行きついたようだ。
ニーチェやハイデッガーなどは所詮雲をつかむ様なもの。 哲学といえど頭痛より健康が良いに決まっている。

よしっ!  私も自称哲学者のはしくれ、早速スーパーにビーフンとやらを買いに走った。 

         

美味だ。  消化も良く、火を通してものびることもなく、具を変えると飽きも来ない。

日本では古米が余っているにもかかわらず、なぜ国産のビーフンが無いのだろうか。
                            (買ってきたケンミンのビーフンもタイ産だった)
早速調べてみたが、よく解らない。 日本の米の粘り気が多く不向きなのか、それとも採算 ? ・・・。 

この哲学の根本的課題を誰か知っていたら教えていただきたい(笑)。 

ビーフンといえば東京在住の頃を思い出す。 新橋駅そばにある ≪ ビーフンの東(あずま)≫ という店の味。
<五目ビーフン> と <ちまき> が美味で、作家・池波正太郎が足しげく通ったという有名な店だ。

今朝の新聞を見ると、キューバ・カストロさんが他界したとのニュース。 
ネットには、死を悲しむ人々の声と喜ぶ人々の写真が載っていた。  なんとも不思議な世の中だ。

札幌は雪も降り、寒々とした今日この頃、哲学どころの季節ではなくなってきたようだ。

暫くは ≪ ビーフン食うて冬ごもり ≫ このビーフン料理で命を繋ぐことにする。


これぞ短編小説

2016年11月18日 | 雑感
先日、シドニィシェルダンのベストセラー小説 『ゲームの達人』 を読んでいた。 

(内容は・・スコットランドに生まれたジェミー・マクレガーは16歳の時、一攫千金を夢見て、ダイヤモンドラッシュに沸く
 南アフリカに単身旅立つ。そこでバンダミアという人物に会い、だまされて無一文となり、復讐を誓う・・・)

これほどに面白い小説も無い、と夢中で上巻を読んでいたが、復讐後ジェミーが他界する上巻の後半からは
どうもその後の展開について行けず、下巻を読むのを早々断念したほどです。
 

集中力に欠くせいもあるのだが、どうも私には長編は性に合わないようだ。

さて短編だが、黒虫俊平という人の書いた短編のひとつに 『 ね こ 』 というのがある。 

『 空の蒼く晴れた日、ねこはどこからかやって来て、庭の山茶花(さざんか)のしたで居眠りしている。
  洋画をかいている友人は、ペルシャでないか、と私に聞いた。 私は、すてねこだろう、と答えて置いた。 
  ねこは誰にもなつかなかった。
  ある日、私が朝食の鰯(いわし)を焼いていたら、庭のねこがものうげに泣いた。
  私も縁側へでて、にゃあ、と言った。  ねこは起きあがり、静かに私のほうへ歩いて来た。 
  私は鰯を一尾なげてやった。  ねこは逃げ腰をつかいながらもたべたのだ。 
  私の胸は浪うった。  わが恋は容(い)れられたり。
  ねこの白い毛を撫でたく思い、庭へおりた。 
  すると 脊中の毛にふれるや、ねこは私の小指の腹を骨までかりりと噛(か)み裂いた。』


ねこを人間に、いや いかなるものにおきかえることができるのだろうか。
たったこれだけの文章。  これぞ短編。  鋭い。  詩・短歌・俳句の如くだ。
  
黒虫俊平という名は、あの太宰治が太宰治であるまえのペンネームという。 

       

湯たんぽ

2016年11月16日 | 雑感
実家は七飯町・横津岳の麓にある。 

札幌でマンション住まいの私には実家の夜の寒さはどうにも耐えがたい。
木造で築年数のせいもあるのだが、厳冬期には暖房つけっぱなしや帽子をかぶって寝たこともあるくらいだ。

と言ってしまえば、酷い所に母一人住まわせている親不孝息子と思われるが、ん~ いえる。

今はまだ初冬だが訪ねた初日に雪が降った。
  
        
            ≪ 故郷や 湯たんぽ抱き 夢ん中 ≫ 
          
” ○○、湯たんぽ 入てあげる  ”   ” いや そんなのいらない! ”

そんな母とのやりとり。   いつの世も 幾つになっても、母の愛は強制なのである。 

沸騰させたお湯を入れ、それを切れ布で幾重にも包みしっかり結び、就寝前に寝床に入れておく。
これがまた実にいい。 足元から腿へと引き上げる様は心地よさを通り越す。 しかも朝方まで温かいとくる。

(カラーものや専用ケースもあるらしいが、この昔風ブリキものがいいのだ)

翌朝には ” 母さん 湯たんぽ 最高だわ! ”   こんな逆介護の日々、これからも続きますように。

ここで一句

2016年11月09日 | 雑感
最近、凄いなあと感じた詩歌 一編と短歌二首を紹介する。

  二 人 デ 居 タ レ ド マ ダ 淋 シ 、
  一 人 ニ ナ ツ タ ラ ナ ホ 淋 シ 、
  シ ン ジ ツ 二 人 ハ 遺 瀬 (ヤルセ)ナ シ 、
  ジ ン ジ ツ 一 人 ハ 堪 ヘ ガ タ シ 。


桜木紫乃 (釧路出身・直木賞作家) に 「氷の轍(わだち)」 という小説がある。
先日テレビドラマ化もされていたようだが、この北原白秋の詩 「白金ノ独楽」 ≪他ト我≫ が挿入されていた。


  あらそひたまへあらそひたまへとわが呟くいのちのきはも争ひたまえ 

前ブログで紹介した松川洋子が心酔し、師と仰いだという歌人・葛原妙子(1907~1985)。
大震災・太平洋戦争・そして終戦を短歌ひと筋に懸け抜けた凛とした姿には恐れ入る。


  泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて

東直子という現代女流歌人にもこんな歌があった。 鋭い歌ですね。 ≪ 詩集・愛を想う ≫ より

歌には構図とか破調や韻律なんてのがあるらしいが、 勿論私のレベルには到底解らない。
でも 命をふり絞って生み出す歌や詩は、やはりどこかが違う。                               
さてスノーマンここで一句。  いい句ができた! ・・・・・・・
≪ 紙とペン 探してる間に 句を忘れ ≫  ~ この川柳、盗作です(笑)。

巷では本日アメリカ大統領が決まるので大騒ぎ。 私はといえばまた母の用で明日から七飯町に向かう。