スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

さて次は誰のを聴こう

2014年09月29日 | 雑感
ふた月ほど前、ある音楽番組でヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんが ”いいですねえ モーツアルト ”、、なんて 
散々モーツアルトを褒めたたえた挙げ句、終いには「 私はブラームスが好きだ 」なんて発言したものだから、


モーツアルトに心酔する私としては面白くなく、『 じゃブラームス 聴いてやろうじゃないか !』 って反発心が。

こうしてロシア音楽の次はブラームスに。 私のクラシックへの想い・レベルはだいたい こんなものなのです。
    
     

で、聴いてみるとなかなかいいんですね これが。 

交響曲は相変わらず私には手に負えないところがあるのですが、気に入ったのはやはりヴァイオリン曲。

弦楽六重奏曲第一番二楽章ヴァイオリン協奏曲ニ長調(五嶋みどり)など、ヴァイオリンってなんとなく物悲しく、
秋の夜長にはよく似合う。

さて 次は誰のを聴こうか と思っていた矢先、マーラーに関する一冊を手にとってみた。

桜井健二著『 マーラー 私の時代が来た 』 というマーラーの伝記本だ。

膨大重厚な交響曲を書いたボヘミア(今のチェコ)生れの作曲家(1860~1911)。

     

1年の間に父と母、そして妹を亡くしながら夢見るような音楽を作曲していた男。 

マーラーについてある作曲家がこんな風にいう。

『 もし人類が宇宙で他の惑星の生物と遭遇したとき、地球上の人間を説明するにはマーラーの音楽を
                  聴かせればいいだろう。 そこには人間の持つあらゆる情感が含まれている 』


バッハでもモーツアルトでもベートーベンないのか、、ん~ そう言われれば またまた 聴いてみるしかないのである。

ユダヤ人でもある。迫害の間の手も伸び、マーラーの亡くなった1911年には、その芸術的故郷でもあるウイーンでは
そこに住むユダヤ人は16万人に膨れ上がり、その多くはゲットー(ユダヤ人居住地区)に住んでいたという。

≪ マーラーの音楽はゲットーからの挑戦状ではなかったか ≫ と著者は記していた。

元妻のアルマもアメリカへ逃避行。 死後も反ユダヤ主義者らによる迫害・受難がマーラーの音楽にも及んだという。

マーラーはワーグナーに傾倒しブルックナーに師事していたというが
実はあのアドルフ・ヒットラーが愛好したのもワーグナーとブルックナーと言うではないか。
人間のなせる業とはマカ不思議。

マーラーの次はワーグナー、ブルックナーを、、、これで今年の正月まで なんとか生き延びられそうである(笑)。

マーラーには1番から十番までの交響曲(嘆きの歌を含めると11交響曲)があると聞く。

なかなかついていけない交響曲ではあるが、早速挑戦。 聴きはじめている。 


ユダヤの憂鬱

2014年09月21日 | 雑感
ミルトン・スタインバーグ著 『 ラビ・エリシャの遍歴 』 という本を読んでみた。

    

紀元前二世紀ローマ帝国支配下のパレスチナ・シリアを舞台とした、あるラビ(ユダヤ教教師・指導者)の生涯を描いた
大河歴史小説である。


歴史上の記録にも手を加えたフィクションではあるが、ラビ・エリシャは実在の人物のようだ。

主人公エリシャは、ギリシャ文化に心酔する父を持ち、幼児期は理性が万能主義のギリシャ的教育を受け、父の死後
には一転して熱心なユダヤ教徒の伯父から神を絶対視するユダヤ的教育を受けて成長する。

ユダヤ教でのラビとなるが、様々な不条理を経験するうち神の存在が信じられなくなる。
ユダヤ教からも破門され、ギリシャ哲学に真理を追い求めパレスチナを去り、失意の中でこの世を去る。

この小説1939年に書かれた時のヨーロッパは、ナチスによるユダヤ人弾圧が激しさを増してきた動乱の時代。
アメリカから反ユダヤのの理不尽と同胞への励ましを訴えた小説なのだろうか。

著者はこの本の中で、ユダヤ民族でありながらユダヤ教に反駁し続けた父アブヤにこんなことを言わしめている。

  「私は紅海の横断や、ヨシュアが太陽を止めた話や、その他もろもろの奇蹟は信じられない」
  「なぜ?」
  「道理のわかる人なら誰でもわかるとおり、自然に反する事象は決して起こらないというストア派の
   哲学者の説が正しいからだ」


信仰と理性のはざま、宗教であるか否か、の分かれ目を如実に表しているとも言える一節。

エリシャはその父の影響もあってかギリシャ的思考も学び、ラビでありながらもっと確かな真理があるに違いないと
ユダヤ教からしてみれば異端であるグノーシス派やキリスト教の観念の中にも真理を求め、貪欲に入り込もうとした。

それがあだとなり破門される。著者はユダヤ教の精神を逆説的に光り輝くものにしようとしたのかも知れない。

スタインバーグ(1903~1950)はユダヤ系アメリカ人。ユダヤ教研究者・思想家としてユダヤ民族を代表する一人。

実は最初に『ユダヤ教の考え方』という同著者の書かれた本を読み、『ラビ・エリシャの遍歴』を知りました。

      

その『 ユダヤ教の考え方 』の読後感を少し。

この本の中で、二つの宗教が分裂・乖離した理由が記されてあった。

それはパウロの時代。 ほとんどパウロゆえにキリスト教神学がますます理論的に込み入ったものになっていき、
溝を埋めることが不可能なものになったという。

○ 三位一体  ○ 原罪という概念  ○ ミサの奇蹟  ○ マリアや聖人への崇拝  ○ 教皇の不謬性教義
○ イエスを人間ではなく神が肉となった人間と解釈  ○ トーラーの戒めを破棄  ○ 復活といった概念  
○ 否定するものは永遠の地獄に堕ちるという究極の教え


などを主張しだして、ユダヤ教とは似ても似つかぬくらい離れていった、、、とある。

『人間の運命のどうしても変えられない悪。 戦って追い払うことも、何かの手段で治すこともできない
 悪について、ユダヤ教は勇気と誇りをもって耐えることを求めている』

ユダヤ人たちは、1000年以上にもわたって差別され、迫害され、偏見の眼にさらされ続けてきた民族だ。

ユダヤ人に対する迫害は、ナチスのみならずキリスト教が公認され、国教となる四世紀からすでに始まっており、
十字軍といえばイスラム教徒への迫害との見方が常識だが、十字軍兵士はエレサレムへ向かう道々、遠征の資金
・食料調達の為にとユダヤ人居住区を襲い、殺戮・略奪を繰り返してもいたという。

                                   浜林正夫・野口宏共著『パレスチナ問題』より

『ユダヤ教の考え方』の読後感は、ユダヤ教は私が想像していた以上に閉鎖的でも自民族中心主義でもなく、
合理性と寛容性をも持ち合わせた凄い考え方を秘めた宗教じゃないのかなあ、、なんて思ったりもした。


しかるに、現代でのパレスチナをめぐるイスラエルの対応はそのユダヤの精神に反してはいないのか。

悲しいかな いまだ血で血を洗う戦いが続いている現状である。


どんな世界にも右から左。 保守から革新。 極論に走るものがいる。 いわゆる過激派もしかりだ。。
(同著では伝統主義者と近代主義者との呼称で、ユダヤ教もその考え方にも随分と幅が広いとの印象を受けた)


地球上のほとんどの争いは、その原因は宗教だとか貧困だとか民族の違いにあると 人は言う。

実は私もそう思っている一人だ。 また確かにそう見える。 が、果たしてそうなのだろうか。 

根本は やはり我々人間 にあるのでは と この本を読んで そんな思いがした。
(パレスチナ問題にしても、紛争はせいぜい100年そこそこ。それ以前はユダヤ人とアラブ人は共存できていたようだ)

面白い話がある。  日本ではいま蚊(か)によるデング熱が騒がれている。 

地球上では、蚊が原因で年間72万人の人々がで命を落しており、断トツ一位だそうだ。
二位は人間によるものだそうで、年間47万人。
    やはり恐ろしいのは 人間。
                         (ちなみに三位は蛇(へび)でグンと減って5万人とのこと)
 

イスラエルに行ってみたいがそうもいかず。我が仲間・ハンドルネーム白頭人の下記ブログで旅をしてみることにする。 

歴史・宗教・文化・自然・農業・写真も満載。 得意の酒の話はさすがに我慢。 名(迷?)ブログです。

イスラエル紀行クリックしてみて下さい 

ユダヤ人・物理学者アインシュタインは 宗教についてユダヤ教について こう言っているという。

「 宗教は子供じみた迷信である 」「 ユダヤ教は他の宗教同様、極めて子供じみた迷信の権化だ 」、、、と。

いろんな宗教があるが、人間はその≪子供じみた迷信≫を何千年もの間 信じ続けることが出来るのだろうか。

はたして 皆さんは どう思われますか?

素浪人のひとりごと

2014年09月15日 | 雑感
本を読んだり、旅をしたり、人の話を聴いたり、、知識を吸収、、なんの為? っていつも思ったりする。

生きる ため?    ん~ そんなにすごいもんじゃないかもなあ。

じゃ 死ぬため?   そうかも知れない。 死ぬまでにこの世界をちょとだけ見届けてやろう、、、なんてね。

傲慢このうえないですよね。   結局、人生を楽しむため?  大抵はそうなのかも知れない。 

もうひとつある。 騙されないために いろんな知識を吸収する?  これにもなぜか納得できる気がする。

勝ち組が(自分たちの都合のいいように)この世の歴史を作ってきた事実は 間違いのないところ。

政治・宗教・民族・文化伝統までも、、、みなそう。  歴史は時の偽政者・権力者・マスコミに騙されっぱなしで成り立ってきたようだ。 (勿論国民一人ひとりにも責任はある)

先日ある本を読んでいたら、日本の伝統についてこんなことが記されていた。 

神社の参拝方法についてだ。 その仕方は普通、ニ礼二拍手一拝ですよね。
                  (伊勢の八開手や出雲・宇佐などの四拍手も例外としてあるようだが) 

これって実は、明治GHQの占領政策の中で、国家神道否定の為神社本庁が戦後に定めたもののようですよ。

一般宗教と同じへの格下げを意図し、体面を造る為の方便として「ニ礼二拍手一拝」採用されたというのである。

それまでは神社によって異なっていたとのこと。(神宮微古舘所蔵・参宮曼荼羅などはみな合掌の画のようだ)

ニ礼二拍手一拝が日本の伝統、、、なんて思い込みもはなはだしいということか。 

これからはバチッと≪ 一本締め ≫ に決めた!(笑) 

          

なんていうと ≪神を冒涜するとは!≫  本殿からそんな声が聞こえて来るようです。

ところで 2011年9月11日にブログを書きはじめて、早いもので丸3年になる。

三か月の入院生活をくぐり抜けた時期でした。 ただなんとなく始めたのですが、月日が経つのは本当に早い。

だらだらと、もう200本近くにもなるようですが、なかなか自分の思う通りには書けないものです。 

体裁をつけたり、自分に都合の悪いところは省いたり、これ以上やめとこうとか、勿論間違いもあるだろうし。

実は本心をもっと素直に、、、と思い半年前にもう一つブログを立ち上げてもみましたが、書いたり消したり
で、今は未だ一つも載っていない状態です。   遺言にでも使うしかないかな!? 

人間 本当の思いは、銀河のかなたに持っていくしかないのかも。

でもせめて 世間虚仮であっても この世に生きている間は 
           無駄な抵抗かも知れないが、騙されないように 人生を謳歌しましょう。



スコットランドの恩讐

2014年09月10日 | 雑感
イギリス連合からの独立が騒がれているスコットランド。  その歴史を探ってみた。

古代、スコットランドにはピクト人と呼ばれるケルト民族が住みついていたという。
(ピクト人~あのピクチャー・pictureの語源だそうだ。)

1~2世紀・全盛期のローマ帝国の絶大な力を持ってしてもスコットランドは征服出来なかった。

逆にそのケルト民族の力を恐れ、ローマ皇帝の名をとった≪ハドリアヌスの壁≫と呼ばれる城壁まで築いている。
(その前線であるアントニヌスの城壁迄がローマ帝国勢力の北限だった)

     

あの中国の万里の長城に次ぐ城壁だ。

≪ハドリアヌスの壁≫は当時全長118キロメートル。スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった
4世紀後半以後も、17世紀まで使用していたようで、共にユネスコ世界遺産として登録されている。

スコッランドという名は「スコット人の国」の意味で、6世紀頃に隣りのアイルランドからやってきたケルト人の一派だ。

どちらもケルト民族のピクト人とスコット人の融合・離散・が続き、スコット人が支配することとなる。

その後も民族同士の争い・王位をめぐる争い・親イングランド派と反イングランド派勢力の争い・フランスを交えた宗教
の争い、、、、近代に至るまで暗く陰惨な歴史を繰り返してきた。

血なまぐさい作品・シェイクスピアの『マクベス』に象徴するかのようだ。

1603年イングランド・エリザベス一世の死去に伴い、スコットランド国王であったジェームス六世がイングランド国王ジェームス一世
として迎えられたのが大きな転機となり、スコットランドにイングランドから行政官が派遣され支配・属国化が進む。

一人が二つの国の国王となったのだ。 同じ君主の連合国が成立したということになる。
戦争による併合時には起こりうることではあるが、当時は双方れっきとした独立国。


ましてやスコットランド・ジェームス国王の母(メアリー)は、イングランド・エリザベスの暗殺計画が発覚し処刑された人物。
それにしても王位継承とは不思議なものだ。

もとはと言えばスコットランドは人種的に見ればケルト人の国。アングロサクソンを中心とするイングランドとは一線を画する。
また経済的にもイングランドとの力の差は歴然とあるものの、そのせめぎ合いも存在する。

1707年。スコットランドは独立国としての姿を失った。 イングランドとスコットランドの議会を一つにまとめる
「議会合同法」が成立し、スコットランドには独自の議会が消滅したのだ。


そんな歴史を持つスコットランドだが、先日の新聞では、独立支持が50%を上回ったとの情勢に至っている。

さて本題。 それは スコッチウイスキーだ。 ん?

        

ウイスキーという言葉の語源は、ゲール語(ケルト人の言葉)のウイスゲベーハ(命の水)に由来するという。
これは紀元前アイルランドのケルト人が造っていたと言われ、今日のウイスキーの原型も12世紀のアイルランドとされる。
それがまもなくスコットランドに伝わったとのこと。   

スコットランドがウイスキーの最初に生んだ国ではないようだ。

そんなの知ってるわいと言われるがオチ。  うん蓄を語っても仕方ないか! 

独立の是非を問う住民投票が今月の18日に行われるという。

それにしても スコットランドは はたして独立に向かうのか、、、目が離せない。 



ケルト民族については、下の当ブログに記したことがあるのでクリックしてみて下さい。
   ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』


札幌の愛する山

2014年09月02日 | 雑感
     藻岩山に登ってきました。 とは言っても、、、恥ずかしながらロープウエイで。     
     もと山岳会のメンバーとしては、、、ん~ 沈黙。
                              
     北海道札幌市南区にある標高531mの山。
     約80種類の野鳥や、約450種類の植物など。勿論エゾリスやひぐまも生息。
                              
      
   
     昨年年間パスポートを手に入れたのですが、なかなか使えないもんですね。
     これで3度目。 1回1700円もするんです。 高くないですか?
     年間パスポートは2800円。 もとはとれた。(笑)

      

     ロープウエイの途中、まん中に小さく見えるのは、札幌ドームです。
     夜も結構遅くまで運行しているので、札幌市街の夜景も観られます。

      
   
     左上の小山は円山。この円山、もとはモイワ山と呼ばれていたそうですよ。
     いつのまにか今のモイワ山にその名をブンドラレタようです。(失礼)

      

     これ昨年の写真です。雨上がりで、円山に虹がかかっておりました。
     ちょっと写りがいまいちですかね。

      

     中間駅に降りたら(その先頂上までロープウエイで行けるが)すぐ遊歩道がある。
     15分程で山頂へ行けます。 罪滅ぼしにここから登山?をしました。

      

     NPO主催の自然観察会があり、たまたま写真下の植物の説明担当をする事となり。
     インターネットでにわか勉強しての講師役。(別グループ・昨年の写真より)   

      

     その植物とは、なんと≪トリカブト≫。 猛毒のあのトリカブトでした。
     モイワ山に結構あるんですよ。 なぜか特に奥さま方が真剣に聞き入っておりました。 
     その夫達に、なにも無ければよいが、、、私も一役かってしまった。
     セリ・ニリンソウ・ヨモギと極似。根・葉・茎の順で毒があり。根一つで50人の致死量だ。
              (今年の花はもうすでに終わっていた。探すなら来年かな。怖っ!)
     
      

     ≪かなへび≫、、爬虫類の動物の一種である。日本の固有種とのこと。
     北海道から九州までみられる。この遊歩道には脇の石段によく出没する。 
     馴染み深い存在のためかペロちゃんとの愛称もある。
     
      

     頂上すぐ脇の木々をよく見るとアイヌの祭事・祈りの場所なのか。
     この山はアイヌ語で「インカルシベ(いつも上って見張りをするところ)」と言うかつての「聖地」。
     アイヌとは<人のなかの人>という意味らしい。 

      

     山頂にある展望台に<スターホール>というのがある。
     藻岩(モイワ)山の成り立ちや自然・動植物・鳥類などを紹介している。
          
      

     3Dメガネで迫力ある映像が見られますよ。(無料・プラレタリウムは有料)
     映像が終了すると同時に前方の黒幕が開けられ、札幌市街地が一望できる。

      

     ロープウエイ登り口のすぐそばに静かな佇まいをした≪ろいず喫茶舘 旧小熊邸≫がある。
     昭和初期へタイムスリップできる歴史的建造物。 帰り一人でコーヒータイム。 お薦めです。


     ロープウエイなどに頼っちゃいられない!

     さあ 明日から 鍛えるぞ!  、、、、、いつも こうだ。