『摩訶般若波羅蜜多心経』全文クリック
たった266文字のお経ですが、この『般若心経』の解釈をめぐっては何百ページにも及ぶ本になり、数えきれない人たちが数えきれない解釈をしているのですから、真に人間ってのは妙なものです。
色即是空 空即是色、、仏教経典でもあまりにも有名な言葉ですよね。
私流に簡単にいえば、”この世はあってないようなもの、、でもあるんだなあ確かに”、、、とでも勝手に解釈してしまうのですが、、、。
以前、柳澤桂子さんの著した『生きて死ぬ智慧(ちえ)』がベストセラーになったことがありました。
(1938年生まれ・生命科学者・歌人でもある)
般若心経の現代訳本ですが、宇宙の粒子まででてきて、”ああこんな訳し方もあるんだ”、、と感心したものです。
(柳澤桂子現代版訳)是非ここをクリックして読んでみて下さい すごい訳だと思います。
『般若心経』は紀元後すぐのころ大乗仏教が隆盛していた時期に書かれたものと言われますが、作者は不明なようです。
仏教のエキスが凝縮しているとよく言われますが、、、飲んでみなければ??です。
日本に仏教が入ってきたのは6世紀(飛鳥時代)。その後経典が沢山入り、全部で3000もの経典が日本に入ったと云われます。
こんなに沢山の経典しかも膨大な部数、、、読めると思います?
俺は何経、、いや私は何経、、って自分の都合のよい経典を振りかざし、宗派(派閥)を作り今度は互いに争う。勿論真剣に生きた末とは思うものの、なんとも哀しい歴史。
”仏法に五家ありということなかれ”、、、(宗派を作るな)と云った道元禅師。
続く諸々の人間って余程派閥を作り、争うのが好きなようです。
キリスト教もしかり。とにかく分派が多い多い! 驚く限りです。
聖書でさえ現在は一冊にまとめられてはおりますが、、、その聖書の出来る以前は、これまた膨大な預言書といいますか宗派といいますか部族(共同体)といいますか、、拡散されていたようです。
新約聖書でも現在4000以上の写本あるいは一部の写本があるという。
また、イエスの語録といわれるものも500を超え、その一割弱だけが研究者によって真正な語録としてみなされているにすぎない、、、という。 バートン・マック著『失われた福音書』より抜粋。
(例をあげれば、トマス福音書(トマスによるイエスの幼児物語)というのがあって、【ある子供に顔をピシャリと打たれると、6歳になるイエスはその子に向かって「最後までやってごらん」というと、その子はたちどころに死んでしまう】)
、、、などとてもイエスが口にしたとは考えられないものもあるという。
勿論、トマス福音書は現代の新約聖書には載っていない。
聖書(正経)が決定したのは、4世紀にはいってからですが、下記の3つの基準で成立したとのこと。
1 著者が使徒であること。 (マルコとルカは使徒ではないが、別格として正経に編入された)
2 教会における使用頻度
3 健全な教理の基準に合致しているかどうか
との基準だそうです。
健全な教理とは一体なんでしょう。
パウロとペテロの権威で聖書が作られていったのでしょうか。
歴史は勝者によって作られる、、、。 これだけは確かなようです。
般若心経から、またまたこんなところ迄来てしまいました。
般若心経は《空》(くう)の世界と言われます。 《空》は《無》でもなく《そら》でもなし。
我々がよく観光で見る五重(輪)の塔は下から地・水・火・風・空との意。 ヒマラヤなどに、はためく旗もそれぞれ地=黄、水=青、火=赤、風=緑、空=白 と同じような意味があるといわれます。
地~構造・水~結合・火~変換・風~運動
空は、銀河宇宙の空間を意味するという。 《空》(くう)に通じるののでしょうか。
当時は、この世はなんでできているか真剣に考え、そして信じたのでしょう。
現代は元素は120超もあるのですが、、、。
柳澤桂子さん訳本にも書かれておりますが、我々人間みな粒子でできている、、だから実体はないのだと、、。
《空》(くう)も実体がない?
ドットコム証券じゃないけど、、、、ん~ わからない!
たった266文字のお経ですが、この『般若心経』の解釈をめぐっては何百ページにも及ぶ本になり、数えきれない人たちが数えきれない解釈をしているのですから、真に人間ってのは妙なものです。
色即是空 空即是色、、仏教経典でもあまりにも有名な言葉ですよね。
私流に簡単にいえば、”この世はあってないようなもの、、でもあるんだなあ確かに”、、、とでも勝手に解釈してしまうのですが、、、。
以前、柳澤桂子さんの著した『生きて死ぬ智慧(ちえ)』がベストセラーになったことがありました。
(1938年生まれ・生命科学者・歌人でもある)
般若心経の現代訳本ですが、宇宙の粒子まででてきて、”ああこんな訳し方もあるんだ”、、と感心したものです。
(柳澤桂子現代版訳)是非ここをクリックして読んでみて下さい すごい訳だと思います。
『般若心経』は紀元後すぐのころ大乗仏教が隆盛していた時期に書かれたものと言われますが、作者は不明なようです。
仏教のエキスが凝縮しているとよく言われますが、、、飲んでみなければ??です。
日本に仏教が入ってきたのは6世紀(飛鳥時代)。その後経典が沢山入り、全部で3000もの経典が日本に入ったと云われます。
こんなに沢山の経典しかも膨大な部数、、、読めると思います?
俺は何経、、いや私は何経、、って自分の都合のよい経典を振りかざし、宗派(派閥)を作り今度は互いに争う。勿論真剣に生きた末とは思うものの、なんとも哀しい歴史。
”仏法に五家ありということなかれ”、、、(宗派を作るな)と云った道元禅師。
続く諸々の人間って余程派閥を作り、争うのが好きなようです。
キリスト教もしかり。とにかく分派が多い多い! 驚く限りです。
聖書でさえ現在は一冊にまとめられてはおりますが、、、その聖書の出来る以前は、これまた膨大な預言書といいますか宗派といいますか部族(共同体)といいますか、、拡散されていたようです。
新約聖書でも現在4000以上の写本あるいは一部の写本があるという。
また、イエスの語録といわれるものも500を超え、その一割弱だけが研究者によって真正な語録としてみなされているにすぎない、、、という。 バートン・マック著『失われた福音書』より抜粋。
(例をあげれば、トマス福音書(トマスによるイエスの幼児物語)というのがあって、【ある子供に顔をピシャリと打たれると、6歳になるイエスはその子に向かって「最後までやってごらん」というと、その子はたちどころに死んでしまう】)
、、、などとてもイエスが口にしたとは考えられないものもあるという。
勿論、トマス福音書は現代の新約聖書には載っていない。
聖書(正経)が決定したのは、4世紀にはいってからですが、下記の3つの基準で成立したとのこと。
1 著者が使徒であること。 (マルコとルカは使徒ではないが、別格として正経に編入された)
2 教会における使用頻度
3 健全な教理の基準に合致しているかどうか
との基準だそうです。
健全な教理とは一体なんでしょう。
パウロとペテロの権威で聖書が作られていったのでしょうか。
歴史は勝者によって作られる、、、。 これだけは確かなようです。
般若心経から、またまたこんなところ迄来てしまいました。
般若心経は《空》(くう)の世界と言われます。 《空》は《無》でもなく《そら》でもなし。
我々がよく観光で見る五重(輪)の塔は下から地・水・火・風・空との意。 ヒマラヤなどに、はためく旗もそれぞれ地=黄、水=青、火=赤、風=緑、空=白 と同じような意味があるといわれます。
地~構造・水~結合・火~変換・風~運動
空は、銀河宇宙の空間を意味するという。 《空》(くう)に通じるののでしょうか。
当時は、この世はなんでできているか真剣に考え、そして信じたのでしょう。
現代は元素は120超もあるのですが、、、。
柳澤桂子さん訳本にも書かれておりますが、我々人間みな粒子でできている、、だから実体はないのだと、、。
《空》(くう)も実体がない?
ドットコム証券じゃないけど、、、、ん~ わからない!
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