スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

縄文のこころ

2013年08月27日 | 雑感
8月24日付北海道新聞に、文化審2015年のユネスコ世界文化遺産候補として『長崎教会群』が推薦され、『道・東北の「縄文」』は落選との記事があった。

見送り理由は、【準備状況不十分に加え、なぜ道・北東北に限定(道6遺跡含む18遺跡)なのか理由検討必要】とあり。

1997年・当時の堀辰雄知事が遺産構想を発表してから16年にもなるが、お粗末としかいいようがない。


まあ所詮は世界遺産なんぞ、我欲・商業優先主義の最たるもの。

縄文人は≪そんなことどうでもいいや≫、、と思っているに違いないが。



札幌丘珠にある公園(サトランド)で縄文遺跡見学会があるとのことで行ってみた、、、以外に大勢の見学者が。
北海道6遺跡には札幌地区は含まれていないが、説明員によると札幌市には500もの発掘遺跡場所があるという。


北海道には、独特の擦文文化、アイヌ文化があるが、それ以前の縄文晩期の遺跡とのこと。
ここは北海道では始めてヒエ属種子も出土されており、また低地での発掘も珍しく貴重な遺跡とのことであった。


自然と人間と対等と考える縄文文化は、他から押し付けられたものではなく、他の神々を支配したりもしない。

人間だけを永遠の存在ときめつけ、人間がすべての動植物より優位であるとの、、、西洋哲学でもない。

縄文の思想こそ、、、蘇ってほしいものである。



縄文土器や文化の価値を見いだし、その復活を世に知らしめたのは、、ご存じ芸術家・民族学者の岡本太郎。


(縄文の美・火焔土器)


(縄文の美・遮光器土偶)

ぎょぎょ!、、か、いや、じぇじぇじぇ!、、か。とにかく縄文人にはかないません。
(ちなみに縄文の土器は、四大文明発祥より古いとのようです)

岡本太郎が、日本美術史にこれらを蘇えさせた功績は凄いものです。

太郎作品の(太陽の塔)も(明日の神話)も同時代の作ですが、どうみても縄文の影響大。

爆発だ!、、で有名になり、変なおじさんみたいなイメージが強烈ですが、芸術のみならず民族学・文化伝統・等に関する博識には凄いものがあります。

著書に『今日の芸術』 『日本の伝統』 『自分の中に毒を持て』などがあり、一読すればそのイメージが変わるはずです。


(明日の神話)は、岡本太郎が製作した縦5.5メートル、横30メートルの 巨大壁画。
作品は10年前頃メキシコシティで発見され、弟子敏子さんらの努力で日本に帰したもの、当時確か東京渋谷駅を結ぶ 連絡通路に展示してあり、早速観に行き感動したものです。

明日の神話クリックして下さい

原爆の絵で、福島のメルトダウンを予見させるような作品です。
福島事故以来、壁画の右下空白部分に何者かに福島事故の絵が付け加えられた事件もあったようです。


福島の原発事故も覚めやらぬ今、海外にその原発を売りに出している日本を、、、。

縄文人や岡本太郎はなんと観ているのでしょうか。



モーツアルトの哀しみ

2013年08月24日 | 雑感
音楽の素養のない私がモーツアルトにのめり込むなぞ、不思議の極みではありますが、、、。

でもなぜか聴き続けております。

最初はアイネクライネナハトムジーク等の交響曲から入り、そのうちフルートやピアノソナタ曲、そしてヴァイオリン協奏曲曲等にその魅力を感じるようになっていきました。

聴き始めて数カ月たった頃、その生涯をつづったDVD『アマデウス』をTUTAYAでレンタル。

その最後のシーンが強烈に印象に残り、ますますモーツアルトへの興味が倍増してしまったのです。


葬送曲(リクレイム)が流れるなか、35歳で病死したモーツアルトが誰にも見送られず、麻袋に入れられ、共同墓地に投げ込まれるシーンでした。(当時は一般的とのこと)


明るく快活な曲が多いのですが、そのなかに哀切極まりない優しさ・悲しさをも感じる、、そんな作曲家だと感じます。

生涯6百数十曲。楽章で三千曲近くも作曲しており、生涯の三分の一は当時の馬車での生きるための(求職)欧州旅。

考えられない凄さです。

神童とか奇跡の音楽とか言ってしまえば簡単ですが、実際はどうだったのでしょうか。


きっと、苦しんで苦しんで、のたうちまわって、必死になって楽譜と向き合った、、、そんな人の様な気がします。


いいなあと思う曲を二つ。

○ ヴァイオリンとヴィオラって哀しい音がしますよね。

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364 第2楽章(クリックして下さい) 

モーツアルトの哀しみ、ここに極まりとでもいいますか、、名曲です。

ヴァイオリン五嶋みどり・ヴィオラ今井信子で聴ければ最高なのですが。


○ 「疾走する悲しみ」と呼ばれている曲です。

弦楽五重奏曲ト短調K516第一楽章(クリックして下さい)  

評論家・小林秀雄氏はこの曲(と言うよりモーツアルト)の本質を「かなし」という言葉で表現しています。

「かなし」とは「悲し」や「哀し」だけでなく「愛し」とも書くそうです。



モーツアルトは聴けば聴くほど深みにはまる。


アインシュタイン ”博士にとっては「死」とはなんですか”との問いに、、、

”私にとっての「死」とは、モーツアルトを聴けなくなることです”と答えたという。


『仏教談話』 (3)(般若心経雑感)

2013年08月10日 | 雑感
 『摩訶般若波羅蜜多心経』全文クリック

たった266文字のお経ですが、この『般若心経』の解釈をめぐっては何百ページにも及ぶ本になり、数えきれない人たちが数えきれない解釈をしているのですから、真に人間ってのは妙なものです。

色即是空 空即是色、、仏教経典でもあまりにも有名な言葉ですよね。

私流に簡単にいえば、”この世はあってないようなもの、、でもあるんだなあ確かに”、、、とでも勝手に解釈してしまうのですが、、、。


以前、柳澤桂子さんの著した『生きて死ぬ智慧(ちえ)』がベストセラーになったことがありました。
(1938年生まれ・生命科学者・歌人でもある)

般若心経の現代訳本ですが、宇宙の粒子まででてきて、”ああこんな訳し方もあるんだ”、、と感心したものです。

(柳澤桂子現代版訳)是非ここをクリックして読んでみて下さい すごい訳だと思います。

『般若心経』は紀元後すぐのころ大乗仏教が隆盛していた時期に書かれたものと言われますが、作者は不明なようです。

仏教のエキスが凝縮しているとよく言われますが、、、飲んでみなければ??です。

日本に仏教が入ってきたのは6世紀(飛鳥時代)。その後経典が沢山入り、全部で3000もの経典が日本に入ったと云われます。

こんなに沢山の経典しかも膨大な部数、、、読めると思います? 

俺は何経、、いや私は何経、、って自分の都合のよい経典を振りかざし、宗派(派閥)を作り今度は互いに争う。勿論真剣に生きた末とは思うものの、なんとも哀しい歴史。

”仏法に五家ありということなかれ”、、、(宗派を作るな)と云った道元禅師。

続く諸々の人間って余程派閥を作り、争うのが好きなようです。

キリスト教もしかり。とにかく分派が多い多い! 驚く限りです。

聖書でさえ現在は一冊にまとめられてはおりますが、、、その聖書の出来る以前は、これまた膨大な預言書といいますか宗派といいますか部族(共同体)といいますか、、拡散されていたようです。

新約聖書でも現在4000以上の写本あるいは一部の写本があるという。

また、イエスの語録といわれるものも500を超え、その一割弱だけが研究者によって真正な語録としてみなされているにすぎない、、、という。 
 バートン・マック著『失われた福音書』より抜粋。

(例をあげれば、トマス福音書(トマスによるイエスの幼児物語)というのがあって、【ある子供に顔をピシャリと打たれると、6歳になるイエスはその子に向かって「最後までやってごらん」というと、その子はたちどころに死んでしまう】)

、、、などとてもイエスが口にしたとは考えられないものもあるという。
   勿論、トマス福音書は現代の新約聖書には載っていない。

聖書(正経)が決定したのは、4世紀にはいってからですが、下記の3つの基準で成立したとのこと。

1 著者が使徒であること。 (マルコとルカは使徒ではないが、別格として正経に編入された)
2 教会における使用頻度
3 健全な教理の基準に合致しているかどうか


  との基準だそうです。 

健全な教理とは一体なんでしょう。

パウロとペテロの権威で聖書が作られていったのでしょうか。

歴史は勝者によって作られる、、、。 これだけは確かなようです。



般若心経から、またまたこんなところ迄来てしまいました。

般若心経は《空》(くう)の世界と言われます。  《空》は《無》でもなく《そら》でもなし。

我々がよく観光で見る五重(輪)の塔は下から地・水・火・風・空との意。 ヒマラヤなどに、はためく旗もそれぞれ地=黄、水=青、火=赤、風=緑、空=白 と同じような意味があるといわれます。

地~構造・水~結合・火~変換・風~運動
空は、銀河宇宙の空間を意味するという。 《空》(くう)に通じるののでしょうか。

当時は、この世はなんでできているか真剣に考え、そして信じたのでしょう。

現代は元素は120超もあるのですが、、、。


柳澤桂子さん訳本にも書かれておりますが、我々人間みな粒子でできている、、だから実体はないのだと、、。


《空》(くう)も実体がない?

ドットコム証券じゃないけど、、、、ん~  わからない!


科学界のインディ・ジョーンズ

2013年08月07日 | 雑感
好きなテレビ番組に、阿川佐和子さんのトーク番組『サワコの朝』がある。

結構私が今まで知らなかった人もゲストで出ている。 辺境生物学者・長沼 毅氏(1961年生)もその一人。


南極・深海・火山・砂漠地帯など(極限地域)で研究をし、そこに生きる生物の限界と可能性、多様性を調べているという。

科学界のインディ・ジョーンズと呼ばれている人物。

阿川さんの聞く力もあったが、その話が非常に面白く興味をそそる内容であった為、早速著書を読むこととした。

長沼 毅著 『生命には意味がある』という本。 結構難解ではあったが中身の濃い一冊。

この地球にこんな生き物もいるという。

○ DNAにあの猛毒のヒ素を持つ微生物(ヒ素菌)
○ 摂氏122℃でも生きていられる微生物
○ 人間の致死量の500倍もの放射線にも耐えうる微生物、、、等々もこの地球に生きているとのこと。

人間自前の細胞は約60兆。胃を含めた腸管に住むバクテリア(微生物)は300種・100兆もあるといわれる。

地球にある生物でも200万種超あるといわれ、我々はその率0.3%の6000種しか知らないという。

話は地球の温暖化にも及ぶ。

地球誕生は今から40億年前。 地球の歴史はほぼ「寒冷化の歴史」で、全地球凍結は少なくとも過去2回あったそうです。(23億年前と7億年前でいったんそうなると1~2億年も続くといわれる)

その間小刻みに寒暖を、氷河期は氷河が拡大する(氷期)10万年と縮小する(間氷期)1万年のサイクルを繰り返す。

最近の1万年はまさにその(間氷期)にあたり、たかだか5000年の人間文明の誕生・発展という《短い春》を手にしているにすぎないという。

著者は温暖化より寒冷化のほうが段違いに恐ろしいとのこと、、、。

”今は地球が暖かくなることを警戒しているが、やがて気温が下がり始めたら、それはもう氷期の始まり”

”いったん氷期に入ったら、ノンストップで大規模冷害の時代に突入する。その時わざわざ地球を冷やそうと言ってきた反温暖化主義者たちは、冷害を招いたことにどう責任を感じ、犠牲者たちにどう向き合うのだろう” 、、と指摘する。


また、先日同じジャンルの本に書かれてあったことですが、、、松井孝典著『地球システムの崩壊』より。
(松井氏は地球惑星物理学であり、NASA客員研究員の経歴をもち最近注目されている人物)


”人類がいくら二酸化炭素を放出しても地球は金星化しない。地球付近の二酸化炭素循環を通じ逆に減らすという負のフィードバック作用が働く”

”それより金星化するとすれば太陽光発電で地表に太陽光を流入させるか、核融合で第二の太陽を地表に持つかした時が危ない”
、、、と警告する。
 
ちなみに金星はほとんどが二酸化炭素。(太陽が近いため海が蒸発し二酸化炭素が残された地表温度が450度を超える、、、現在の金星は地球の未来の姿、、、と言われている)

なにをもって長い短いとするか、宇宙サイクルと人間界での中長期、その考え方で寒暖への対応も変わるとは思いますが、それにしても今まで思っていたこととの認識の違いには驚きました。


宇宙に漂っていた岩石群の集合体が地球。 てんびん座の方向20.5光年の距離にGL581という地球と似た惑星があるという。
海をもち生命の可能性ある惑星と聞く。 いやいやその可能性の少ないところでも生命はある、、、そんな気がします。


長沼・松井両氏の地球論は、当然宇宙論・宗教論迄に及んでいて、その宇宙サイクルでのものの見方に感心。

ふと、石原慎太郎氏が天才物理学者ホーキング氏の話を紹介していたことを思い出した。

全宇宙に地球のような文明をもつ生命体を有した星はいくつあるだろう、、、との質問に
ホーキング氏は、2ミリオンほどあるだろう、、、と答えたという。


石原慎太郎国会質問ここをクリックしてください
(ホーキング氏の話は最後の8分ほどに。そこだけでも。)


『生命には意味がある』のあとがきに、、、。

”あれこれ詮索するより、与えられた生をしっかり生きたい。与えられた生を使いきってこその使命”

”思いを新たに、また旅に出る。生命の意味を探す旅に”
、、、と記されていた。

科学界のインディ・ジョーンズの夢は、地球外生物の発見だそうです。