スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

願わくば 花の下にて

2016年03月21日 | 雑感
『 願わくば  花の下にて  春死なん  その如月の望月のころ 』   西行法師

新聞で、北海道にも樹木葬の時代がやってきた、と某霊園の宣伝文句が掲載されていた。

葬儀のあり方が問われる時代になってからもう随分となる。

当ブログでも記した≪宇宙葬≫や≪樹木葬≫もなかなか粋だと常々思っていたが、この樹木葬の記事を
読んでいて、なにか妙な違和感を感じた。   

私の樹木葬のイメージは、砕いた骨を樹木の下に埋葬する。 そう そんな単純なイメージだったのだ。
樹木の栄養分となり、この世の悪行を少しでも洗い流してくれて、多少肩の荷が、とのうがった思い。


       

今年春から予約受付するという某霊園の樹木葬は、骨つぼのまま納骨するのだそうだ。(上図のイメージ) 

埋葬許可の問題なのか、これでは従来と大して変わらず、いつまで経っても念願の土には帰れない。
それに料金も意外と高く、有期限つきで68万~、管理料一括で115万円という。 

まぁ お釈迦さまも、死後について≪無記≫(知ったことではない)と言ったとか言わなかったとか。

余計なことを考えずに 名(迷)シルバー川柳でもいくつか紹介して 終わりと致します。

≪ アルバムに 遺影用との 付箋あり ≫

             ≪ 厚化粧 笑う亭主は 薄毛症 ≫

                    ≪ 残るのも 先に逝くのも いやと言う ≫

                           ≪ まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ ≫

                                    ≪ 万歩計 半分以上 探しもの ≫
      


オンディーヌ

2016年03月15日 | 雑感
ドイツの森でひとりの騎士(ハンス)が水の精・オンディーヌに恋をするが、愛しきれずに裏切ることとなる。

結局王女(ベルタ)を選んだ騎士は、結婚式の朝に自らを悔いつつ死んでゆく。


フランスの作家・ジロドゥ(1882~1994)の描いた、誰も幸せにならずという悲しい戯曲 『 オンディーヌ 』 。 

水の精・オンディーヌの無垢な美しさと、騎士・ハンスの人間の弱さと悲しさが際立った物語だ。

       
             水の精・オンディーヌ

オンディーヌが劇中で語っているように、気が変わったり、忘れたり、諦めたりするのは人間、
都合のいいように、真実に耐えられない時は嘘で通したりするのも人間だけだ。
 

訳者・二木麻里のあとがき(解説)が胸に突き刺さる。

 『 結局わたしたちは、ハンスのように生きるしかないのだろうか。自己をあざむき、自己から逃れ、
   もっとも深く愛した相手に、もっともむごい仕方で報いる、そのような生である。』


所詮 人間なんて そういうことなのかも知れませんね。 

いやいや スノーマン お前だけだ !  なんていう声も聞こえてきました。




難民の行方

2016年03月13日 | 雑感
欧州が難民問題に揺れている。  ドイツなどの受け入れへの考えに反旗を翻す国も後を絶たないようだ。 

ポーランドを主軸とした東欧諸国もしかり、ドイツ国内でもメルケル首相への反発が一段と増しているという。

ポーランドはカトリック教徒が殆どで、ドイツや旧ソ連の支配による辛苦や民族問題も経験しており、
確かにヨーロッパ諸国の中でドイツ軍と最も長く戦い、恐るべき犠牲を払った国ではある。

だからなのか、ドイツ憎しのDNAが影響しているのではあるまいが・・・。

ハンガリーもまたオスマン帝国に150年もの間征服さてきた歴史がある。 これもそのDNAの影響なのだろうか。

とにかく歴史・宗教・治安・雇用等々各国の思惑を挙げればきりがない。

   

また イスラムなのにサウジアラビアなどアラブ諸国は受け入れに消極的という。 サウジアラビア・カタール・クエートからの
裕福な寄付者がアルカイダやISと繋がっているのも含め、多くの過激派に資金を提供しているのが原因のようだ。

とにかく複雑で私の頭ではどうにも理解できない様相だが、他国の都合を問うても仕方がない。 

じゃ 日本はどうなんだ。 

2014年は難民申請が5000人あった一方で難民と認定されたのは僅か11人。
2015年はというと申請は7586人と増えたが、認定されたのははわずか27人というではないか。

(全国難民弁護団連絡会議によると2006年から2014年の間に、シリア人60人のうち難民認定は3人)

明らかな出稼ぎ目的や退去強制逃れのための難民申請など、難民と思えない理由が大部分占めている
とはいえ、世界各国からはその少なさに冷たい目(例外もあるが)が注がれているのも事実のようだ。

日本での難民受け入れ是か非か、ある統計によると拡大より現状維持の方が断トツ多いと聞く。

日本人得意の ≪おもてなし≫ とは、旅でお金を使ってくれる人だけに向けるものなの?



病牀(床)六尺の世界

2016年03月09日 | 雑感
『 病牀(床)六尺、これが我世界である。 しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。』

晩年、結核で療養余儀なくされた正岡子規の言葉だ。  (六尺 ≒ 1.8 メートルだそうな)
この六尺の世界から放つ 俳句や短歌、随筆・評論 は鬼気迫るものがある。 

随筆に「死後」と題する一篇があった。 死の前年、明治34年の2月に書かれた作品である。

『 人間は皆一度ずつ死ぬるのであるという事は、人間皆知って居るわけであるが・・』
 で始まる随筆である。

 土葬は窮屈だ。 土の塊が自分の顔に落ちてきて、いくら声を出しても聞こえるものでもない。
 余り感心した葬り方ではないという。

 火葬、これも料理屋の料理みたいで甚だ俗極まりなく、焼けてしまうと痛いことも痛いし、
 脇から見てもあんまりいい心持はしない。 白骨になってしまっては、自分が無くなる
 ような気がして、これも面白くないとくる。

 じゃ水葬は、これもあまり好きでない。 第一余は泳ぎを知らぬものであるから、その暁には
 ガブガブ水を飲みはしないかと、まずはそれが心配でならぬ。

 ならば、今度は姥捨山のようなところへ捨てるとはどうであろうか。
 やはりガシガシと狼に喰われるのは、いかにも痛そうで厭である。 狼が喰った後に烏が
 やってきてヘソをくちばしでつつく、などもしゃくに触る次第だ。


などと暗い影どころか、その言葉にはユーモアさえ感じる。  末尾はこう締めくくられていた。

『 冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで、時々は死を感ずるために不愉快な
  時間を送ることもある。 併し夏に比すると頭脳にしまりがあって、精神がさわやかな時が
  多いので夏程に煩悶しないようになった。』


勿論その内なる想いは知る由もない。

          
             親友の漱石と子規