スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

ギリヤーク尼ヶ崎

2012年07月08日 | 雑感

情念の舞踏家・大道芸人・札幌で舞う~ギリヤーク尼ヶ崎さん!

10数年前、浜益での陶芸家・猪風来氏とのコラボで観せていただき感動して以来でした。
(今回は、札幌丸井今井前で観せていただきました)

すでに82歳ともなり、手も震えがきており、心臓にペースメーカーを入れているそうです。

命をかけての舞、、、感動を求めて200名程の観客がいたでしょうか!


東北の震災で亡くなった方へ届けと、津軽じょんがらの三味線に合わせて踊る情念の舞《念仏じょんがら》! 

大道芸人として、おひねり(カンパ)だけで各地を巡っている。
88歳まで頑張る!そう話しておりました。

世の中凄い人もいるものです。














読書三昧 (6)(ローマ人の物語)

2012年07月07日 | 雑感

塩野七生(しおのななみ)の『ローマ人の物語』

全15巻もので、最初からくじけそうになったがなんとか読み終えた。
第一巻[ローマは一日にして成らず]~第十五巻[ローマ世界の終焉]までのローマを中心にしたヨーロッパの歴史ものである。

序章[紀元前167年、衰退しつつあったギリシャから一千人の人質がローマに連れてこられた、、、]
で始まり、現在のヨーロッパの基・ローマ人の物語を塩野流に展開。


本の内容は、、、
クレタ島で始まったギリシャ文明~アテネ・スパルタを中心としたトロイ戦役時代~
カルタゴとの戦い~かの有名なユリウス・カエサルの時代(ガリアとの戦い)~パクス・ロマーナ(平和)~ネロほか悪名高き皇帝たち~ローマを脅かす蛮族の脅威~キリスト国教化~ローマ時代の終焉まで。

どのようにして現代におけるヨーロッパが形作られてきたのか、、その一端が見られる塩野渾身の書です。


注目すべき箇所があったので抜粋します。

1) ひとつは民主主義に関する記述。

2) それからインフラについての記述。

3) もう一つは、一神教に関する記述です。


1)の記述~塩野七生は民主主義についてこうも指摘。

第1巻[ローマは一日にして成らず]より

[それにつけても、現代のわれわれが疑いもせずに最善策と信じている二大政党主義は信じているほど最高の策であろうか。現代では最も長命な組織であるカトリック教会は典型的な[抱き込み方式]を踏襲してきた組織である。、、、ローマ紀元前1世紀までの3百年はこの方式が有効に機能しつづけた。]
(既成勢力が振興勢力を抱き込むのがローマでの常套手段になってゆく)

確かに現在の日本での民主主義においても、、、なんにも決められない民主主義と揶揄されており、一考に値するかも。



2)の記述~地球の東と西での大規模な土木事業についての一考。

第10巻[すべての道はローマに通ず]より

~紀元前三世紀同時期、東方では万里の長城。明の時代の長城まで加えると、その全長は5千キロに及ぶ。
かたや西方では、ローマ街道網(ローマ人が敷設した道の全長8万キロ・支線まで加えるとなんと15万キロに達した。

[自国の防衛という目的を、異民族との往来を断つことによって実現うるか、自国内の人々の往来を促進することによって実現するか] 
[万里の長城とローマ街道網。インフラがどう成されるかは、その民族のこれからの進む道まで決めてしまう] と記述。

インフラ(ハード)への考え方が、精神の分野(ソフト)への影響をも論じた塩野流論評に感心。



3)の記述~宗教における世界での絶え間なく続く争いに一考。

紀元前313年コンスタンテイヌス大帝が、王権神授説[ミラノ勅令]によりキリスト教を公認し、キリスト教優遇への道を切り開いたのであるが、その後継者とされたユリアヌスが逆に反キリスト政策によるギリシャ・ローマの再興を図った期間についての記述。

第14巻[キリストの勝利](ユリアヌスの生と死)より

~[彼の治世が19ヶ月ではなくて19年であったとしたら、その後のローマ帝国はどうなったであろう、、、宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代でもおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったかと思う]と記している。

もちろん、たらればの世界ではあるが、、、。 


キリスト教普及においての重要人物に、パウロやルターが登場するのが常識的ではあるが、彼ら以上にコンスタンテイヌス大帝の占める位置の重大さを再認識させられた。

11巻以降のローマ帝国衰退への記述あたりから、ローマとキリスト教との関わり等、宗教に関しヘタな宗教本を読むよりはこの『ローマ人の物語』を読む方が、的を得ていて頷けます。


いにしえ古代ローマには、多いときで三十万にものぼる神々が棲んでいたという。

多神教であったギリシャ・ローマはどこに消え去ったのか



ヨーロッパの歴史を調べているうちにケルト文化といった言葉に出会った。

ケルト人は紀元前3000年に起源を持ち、高度な文化を持っていたと言われる。

共同の言語・生産・戦闘組織力持ち。文字を持たず、伝承はすべて口伝で継承。魂の輪廻を信じ多神教。

戦闘組織力はないが、なぜか北海道アイヌ文化に似て非なるもの?

ケルトはギリシャ語(ラテン語でガリアという)。

本拠はオーストリアの中部で、ザルツブルクの南東湖畔で岩塩の鉱山を持ち交易。

(19世紀半ばに、オーストリアのハルシュタットやスイスのラ・テーヌで大量の遺跡が発見され、それまでギリシャ・ローマをもっぱらヨーロッパの源流とされてきた歴史感の修正がせまられたという)

ギリシャ文化の外にあったのでアルプスの向こう側にいる野蛮民族といわれた。
チェコ・ドイツ南部・スイス・フランス等の遺跡にもみられ、再三ローマとの戦いに明け暮れついには、(アイルランド・スコットランド・ウエールズ)に追いやられた民族である。

確かイギリス連合国は上記にイングランドを加えた4ヶ国。

イングランドはローマの影響が色濃くあり。 なるほどといった感じですね。

(アイルランド・スコットランド・ウエールズ)今も(特にアイルランド南部)ケルト語系ゲール語が民族語として話され英語では理解されにくいと言う。

あの松本清張氏もケルト文化に注目し現地に赴き調査した一人である。
その著書『松本清張のケルト紀行』NHK出版での記述、、。

[ローマ軍に蹴散らされたケルト人はヨーロッパのいたるところを漂泊して諸処に定着した。ヨーロッパの地名でケルト語に因縁のあるものは、どれだけあるかしれない]

[ヨーロッパはケルト人が作ったといってもよいと極言する学者すらある]

と記述しておりました。


ギリシャ・ローマ以前にヨーロッパには600もの民族が住んでいたと言われる

本当に大切なものは多くの民族や、ケルトのように時の権力により消されていく方が多い。

これが歴史なのかもしれません!


歴史って深すぎる、、、と実感!
でももう少し探っってみたいという気がします。



今日は7月7日 七夕の日です。 ここ札幌は8月7日かな。

”ろうそく出せ、出せ~よ!”子供達の声もだんだん聞こえなくなってきました。
(これは北海道だけの風習か!?)

歴史はこうして埋もれて消えてゆくものなのか(ちょっと違うか?)