スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

青空の下で

2019年04月30日 | 雑感
今朝の札幌、雲ひとつない青空でした。 その青空の下、何もかもを忘れて 無心になれる瞬間。  

わが野球クラブ、今季の野外練習が始まった。 初野外でもあり30名ものメンバーが集った。

今日は4月30日 平成が終わる日でもある。  力いっぱい 本当に力の限り 白球を追いかけました。

守備練習時、初めて転倒をしてしまった。 若かりし時のように球を捕ろうとして故意にレシーブしたのではなく、
つまずいて そう 間違いなくつまずいて バランスをくずし 一回転してしまったのです。 

一生分の悔しさを この一瞬で味わった感じでした。 

4年ほど前 半月板損傷し手術した右ひざでもあり心配したが、幸いにもそれほどの影響はなく無事終えた。 

老いも 病も 令和に入りすぐにやってくると思われるどうにもならない運命さえも 覚悟 覚悟。

そう なにもかも全てを受け入れよう。  そんな思いで < 令 和 > を迎えることとした。

            


≪ 追 伸 ≫ 
西行の和歌に ≪ 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 ≫ とある。
今日は5月3日、午後から歩いた円山公園の桜、和歌の頃とは少し遅いが 凛と咲いておりました。



百 花 春

2019年04月16日 | 雑感
夜中眠れずに読んでいた立松和平の本に、
               道元「 正法眼蔵 」< 梅花 >の巻のこんな詩が紹介されていた。


   ≪ 百 花 春 ≫
      老梅樹は棘立ち枝乱れてはびこる
     今、一つ、二つと花開き
     清らかさを誇らず
     香りを誇らず
     春の姿を満面につくり
     春の息を草木にかけ
     禅僧の禿頭に春風を吹かせる
     突然変じ強風暴風となって荒れ騒ぎ
     また変じて大地を襲っては雪は漫々
     老梅樹のはたらきは限りがない
     寒さが身に泌みて息もとまる


無理でしょうけど、こんな変幻自在の老梅樹になってみたいものですね。

話は変わる。  
睡眠不足で不安だったが練習用ボールも預かっていたし休むわけにもいかない。

今日はクラブ野球の今季5回目の屋内練習日、屋内といえど下は土、前面にネットが張っている屋内グラウンドだ。
柔軟体操から始まり、ランニング・ダッシュ走・ティーバッティング・守備ノック・ハーフバッティングと2時間半、結構ハードな練習だ。

3年目にして初めてバッティング投手をかってでた。  結果は?  撃沈!  意気消沈! 
自分のイメージが高すぎるのか知らないが、情けなさと悔しさで涙が溢るる、そんな気持ちだ。

今年になって結構身体を痛めつけてきたつもりだったが、痛めつけ方がまだ足りないということなのだろう。

身の程を知りなさいと君は言う。    いやだ 身の程は知りたくないのである。


  



まもなく令和

2019年04月10日 | 雑感
歳のせいなのか、令和が真近というより自分が生きた昭和・平成が終わる感の方が強い。

世は令和・万葉集ブームに沸いている。  この二首が好きだ。

≪ 新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)≫  大伴家持
  末尾の一首。 新年を迎え、降る雪のようにあなたに良いことが重なりますようにと祈る。

≪ 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり ≫  大伴旅人
  新年号・令和の典拠とされる梅の一首は、この大伴旅人邸での宴で詠まれたとされる

当ブログに こんなのも書いていた。 読んでみて下さい。

   万葉の酒呑み  万葉の秘密  万葉の歌パートⅢ  

私ごと、今年で3年目に入る草野球クラブの今季練習(4月いっぱいは屋内)が始まった。
野球は今年で最後にしようと思っている。 とにかく自念を空にし怪我も覚悟で力いっぱいプレーしたい。

4年前のこと、楽器を習っていたが、急遽の入院で8ヶ月目で断念を余儀なくされたことがあった。
その習っていたのはオカリナという小さな楽器で、ようやく あの物悲しい童謡 『 雨がふる 』 を覚えた頃であった。
今度は独学で再挑戦、野球を終えたら曲づくり(オカリナ?・ギター?・DTM?)もしてみたいと思っている。      

        

2度の大病では かの神さまに祈って命を救っていただいた。 この世で1曲くらい捧げてもバチは当たるまい。

とにかく 令和で何があっても どんな苦しいことがあっても 凛としなきゃ と そう思う。


新元号 ≪ 令 和 ≫

2019年04月01日 | 雑感
昔、そう かなり昔だが、ある音響メーカーの研究施設に無響室というのがあって、体験する機会があった。

説明によると、部屋を外界から遮断され、音の反響を無視できるほど極小に設計されたもので、
部屋は真っ暗闇、手を叩いてみたがパチンと じゃなく ” ボスッ ” と そんな感じだったのを思い出す。


我々の日常で体験する静寂なる世界とは 外界からの寄せ集めの音が混じり合っての静寂。
この部屋に長くいると精神が不安定となり、中には数分いると ここから出たいと嘆願するという。

何にも反応がない、声も 音もしない、そんな真っ暗闇 暗黒の世界に 人は耐えられるだろうか。

いずれ、いや 近々 誰もが旅立つ銀河宇宙を思い 暗黒に耐えうる精神力をつけなければ。
死に立ち向かうとは 意外とそんなことなのかも知れない ・・・ なんて最近ふと思ったりする。 

話は変わるが、先ほど5月からの新元号が 『 令 和 』(れいわ)と決定、菅幹事長からの発表があった。
凛としていて なかなかいい。  しかも典拠が初めての国書 < 万葉集 > からとは驚いた。

暗黒の話をしている時ではないのだ。 

≪ 時に初春の月、気淑く風ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす ≫

       

これで昭和・平成・令和 三世を生きることとなる。 たとえ真っ暗闇でも 懸命に生きなければ、そうも思った。