スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

年の暮

2013年12月31日 | 雑感
実家に行けばいまだに仏壇と神棚がある。 

最近はそんな家も少なくなってきたようですが、、、。

亡き父が、毎年神棚を飾り、仏壇と両方に明かりを灯し、手を合わせていたのが思い出されます。


外国には理解されないだろうごちゃまぜの日本に残る文化を、 学校で神仏習合と教わりました。

今はマンション住まい。 仏壇も神棚もなし。 これでいいのかなあ、、なんて思ったりしていますが。

習合のことを英語でシンクレティズム(syncretism)というのだそうです。

語源は『クレタ島の人』からきているらしい。


「すぐに混ざりたがるやつら」、、、いいニュアンスでは使われていないようです。

【クレタ島はエーゲ海、現在はギリシャに属しているが、アジア・アフリカ・ヨーロッパ・古代さまざまな民族によって、
 とったりとられたり。いがみ合う勢力とも時に手を握り合う、そんな歴史を繰り返してきた島とのこと】


現代は、あまりにも純粋・正義を追究するあまり、争いが絶えない世の中が続いている。

どっこい、これって、誇れる文化なのかも知れませんね。

さてクリスマスも終わり、もう年の暮。 

私も ”良い年でありますように”、、と初詣で手を合わせてくることと致します。



五輪の書

2013年12月31日 | 雑感
ご存じ・宮本武蔵は江戸初期の剣豪。

晩年に書いた『五輪の書』は 兵法であり、つまり人殺しの書でもある。

「五」は五大(5つの宇宙元素。五元素=地・水・火・風・空の五つ)の「五」。「輪」は「円」という。

いろんな逸話があり、特に晩年は謎でもある。


 武蔵の書にこのような言葉がある。

      常に視野を広くとって 出来事の真実を見極め
    
     緊張することなく また 少しもだらけず
    
     心が片寄らぬように 真ん中において
    
     しかもその心を 静かにゆるがせ
    
     そのゆるぎが 一瞬も止まらぬよう
    
     いつも流動自在に 心を保つこと


                              宮本武蔵著『五輪の書』水の巻より

どんな時でもこのように心を保っていたいものであるが、、、無理ですかね。

      伝宮本武蔵筆  枯木鳴鵙図
       


自力と他力

2013年12月31日 | 雑感
仏教に自力(本願)と他力(本願)という悟りに至る道があるという。

以前、これに関し石原慎太郎と五木寛之との面白い対談があった。

石原氏が、、、。

 ”宮本武蔵が戦いに挑む道すがら、小さな祠(ほこら)があった。戦いに勝つことを祈る為、
  手を合わせようとしたが、こんなことではいかん。神仏に頼ってはいけない、、そう思い
  手を合わせることをやめた という。これが自力というものでは”


すかさず五木氏が、、、。

 ”神仏に頼っていてはいけないといった声がどこからか聞こえた、、これこそが他力という
  ものではないだろうか”、、、と。


軍配はどちらにとは言えないが、自力と他力の真髄をついたエピソードと感心したことがあった。

ちなみに石原氏は著書『法華経を生きる』も出版しており、以外にも日々少しずつ法華経を唱える
法華経信者であり、五木氏は仏教に造詣が深く、親鸞や蓮如を心酔し、著書『他力』はベストセラーにも。

自力と他力について(PARTⅡ)

2013年12月31日 | 雑感
先日ちょっぴり当ブログで記した臨済宗中興の祖・白隠禅師のこと。

もう少し知ろうと思い、著書『遠羅天釜(おらてがま)』『薮柑子(やぶこうじ)』の二冊を読んでみました。

禅(自力本願)と念仏(他力本願)についてこんなふうに記されておりました。

念仏が迫害された歴史もあり、相互に相容れないものとの認識も薄められた気がします。


「参禅も念仏も すべてこれ道を明らめる助けとなり 路をゆく人の杖のようなものだ」

「公案(禅問答)が正しくて 称名(念仏)が正しくない といってはならぬ」

「参禅弁道は そのまま無念無想の念仏 であり これを真如三昧 という」


しかしこうもいう。

「禅は禅 念仏は念仏」 「念仏禅は邪道である」 

「禅者であって浄土を兼ねるものは 虎が翼を持っているようなものだ」
、、とも。

それだけ禅の修行は容易ではない、、、ということか。

白隠禅師が修業に明け暮れ禅病(ノイローゼ)にかかったというのも頷けますね。

白隠により、それまでばらばらだった臨済宗が修行体系の確立により まとまったとのこと。

禅宗史最大の革命とも言われている。

バロック時代・バッハとヘンデル

2013年12月25日 | 雑感
バッハ(1685-1750)とヘンデル(1685-1759)。

最近、「音楽の父・母」と呼ばれているこのふたりの音楽に聴き入っています。

      

バッハの知的で荘厳な音楽は誰しもが認めるところですが、ヘンデルの純朴な音楽もなんとも心地よい。

マタイ受難曲第1曲クリックしてみて下さい(世界に誇る・小澤征爾の指揮にて演奏)
 (バッハには他有名な『音楽の捧げもの』 『G線上のアリア』 『ゴルトベルク変奏曲』などがある)

王宮の花火の音楽クリックしてみて下さい(ハッブル望遠鏡から見た銀河宇宙を背景に)
 (ヘンデルには他有名な『水上の音楽』 『調子のよい鍛冶屋』 『メサイア』などがある)


ルネッサンス期の終了する1600年頃からバッハが亡くなる1750年頃までの時代をバロック時代と呼ぶ。

バロックとは、ポルトガル語で『いびつな真珠』(形式を破ったもの)との意味だそうです。

イタリア・ルネッサンス運動のギリシャ・ローマ回帰の形式美に対し、もっと自由な表現をとの方向に向った時代でもあった。

 (ルネッサンスは~神と教会の力が強くなって人間らしさが失われ、それをを取り戻そうとした運動)

そのルネッサンス運動の影響が、ドイツにおいて宗教改革として表れ、その後カトリックとプロテスタントのせめぎ合い、
三十年戦争(1618年~1648年)を経て、音楽もバロックという時代を迎えた。


【三十年戦争は、ボヘミアのプロテスタントの反乱を期に神聖ローマ帝国を舞台に民族戦争にまで発展した国際戦争。
 主戦場はドイツ(当時のドイツはオーストリア・ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー等の一部を含む神聖ローマ帝国領内)
 この戦乱で人口も三分の一になったという】


陽性で華やかなカトリック文化(ヴェルサイユ宮殿がその代表だ)に対し,ルター派プロテスタント文化はよく言えば質実剛健、実態は遊びのない糞真面目な文化ともいわれる。

バッハの質実剛健さも凄いが、ヘンデルのモーツアルトにも影響したと思われる”不思議な明るさ”に好感をもちます。

ヘンデルへの評価は、、。
 ○ハイドン    
          『我々全人類の偉大なる教師』
 ○ベートーベン  
          『ヘンデルこそは史上最大の作曲家なり』
 ○リスト    
          『その偉大なること世界の如し』      とまでに凄い評価をされている。
       
あのモーツアルトもヘンデルとバッハには心酔していたという。

しかし、19世紀の後半になると、ブラームスがバッハに強い興味を示してからヘンデルの評価は一挙に堕ちたと。

20世紀、ヘンデルの楽天的な明るさより、バッハの哲学的で難解な音楽を好む時代に大きく左右されたようです。

バッハとヘンデル・同じ年に生れたが(ヘンデルが2カ月先)この二人は不思議と一度も会っていない。 
バッハはドイツから一歩も出ず。一方ヘンデルはその人生の三分の二はイギリス(帰化)で過ごしていた。
(ちなみに晩年どちらも目を患い失明  同じ医者にかかったというのも因果なもの)


バロックの音楽は、その後の古典派音楽とは印象的にまったく違う音楽に聞こえました。  

歴史背景や宗教が、、音楽や芸術に与える影響の凄さを感じます。


プロテスタントへの信仰心が強い二人の音楽。 信仰心のない自分が、その音楽に感応するのも摩訶不思議。
それでいて、メリークリスマス!、、とは。 

『矛盾』あっての自分、、、いや皆さんもかな   乾杯!

メリークリスマス

2013年12月21日 | 雑感


北海道はもう雪降る季節になりました。

雪景色にぴったりなこの曲。
 もとはロシア民謡だそうです。

トロイカ

(新しいクリスマスソングはすぐブロックされるので、この曲をふたたび)

イメージとしてはリズミカルな明るい曲、、という感じなのですが、原詩は、恋人が金持ちに嫁ぎ、失意のもとそりに乗り雪原を走る悲哀にみちた内容だそうです。

哀調を帯びているように感じるのはそのためなのでしょうか。

♪  黒い瞳が待つよ あの森越せば 走れトロイカ こよいは たのしいうたげ ♪ 、、、。 

きっと結婚式の夜、愛する人を奪いにいく姿なのかもしれません。

 とにかく  ”メリークリスマス”!

(モーツアルトの『ホルン協奏曲第1番ニ長調第一楽章』クリックして下さいと冒頭がそっくりと、当ブログでも記したことも)



読書三昧 (16)姜尚中 著 『あなたは誰?私はここにいる』

2013年12月17日 | 雑感
不思議なタイトルに目がいき、手にとってみた。  絵画に関する本であった。 

カンサンジュン氏は、ご存じのように在日コリアンで、政治思想史が専門。 インテリとしてテレビなどでもお馴染み。2009年4月~2011年3月迄NHKの日曜美術館という番組で司会をしていたことでも知られる。

○ デューラー作(1478~1528)の「自画像」と「祈りの手」(版画) 

      

絵の中で、その自画像から ”私はここにいる。おまえはどこに立っているのか”、、と、問いかけられるような感じがして、身震いするような感動を覚えたという。

ルネッサンスからルターの宗教改革の16世紀初頭、ヨーロッパはバラ色に輝くイメージとは裏腹に陰鬱な時代でもあり、数々の戦乱や飢餓・疫病・殺戮の続く時代でもあった。

○ マネ作(1832~1883)の 「草上の昼食」と「オランピア」

      

19世紀半ば、ブルジョワ台頭、公序良俗と表裏が存在した時代。放蕩な性文化も盛んに、不道徳さをあえて愉しむような時代でもあった。
1863年にこの「草上の昼食」「オランピア」が発表されるとたちまち非難の的になったという。生々しさを突き付けられた人々の偽善を衝いた絵でもある。(女性はどちらの絵もマネのモデルさんで同一人物)

そういえば、この時代のオペラでも男女の、あれって思うほどの浮気話がたくさんありました。
ブルジョワ貴族のこのような放蕩文化の時代、、そして下記・ミレーの「晩鐘」のおける貧困。 これが同時代に存在したのですね。

そして、表と裏、光と影はいつの時代にも。

○ ミレー作(1814~1875)の「晩鐘」

   

赤く傾いた夕陽の中に暮れかたの鐘がなる。夫婦らしき男女が頭を垂れ祈っている。二人の足元には馬鈴薯が籠の中にわずかに取り込まれている。1859年の作。

一日労力を費やしてこれだけの収穫。 祈りは無力か。 でも祈るしか無いのが人間なのか。

○ ベラスケス作(1599~1660)の「女官たち」と「ドン・セバスチャン・デ・モーラ」

      

どちらも先天的な異常を持って生れた人を描いている。当時の王宮には、愛玩的存在としてこうした人々がかなりの数暮らしていたようです。

著者はこの絵から、こう呼びかけられている気がするという、、、。
”俺はこんな運命に生れてきたけれども、それを潔く受け入れてここにこうしている。おまえはどうなんだ”、、と。

○ クラムスコイ作(1837~1887)の「忘れえぬ人」  (右はアップ図)

      

貴婦人とも高級娼婦ともいわれる。 悲しさ・可憐さ・気高さ・慈しみにあふれた不思議な魅力。 ロシアのモナリザといわれるのもわかる気がする。


○ 伊藤若冲作(1716~1800)の「群鶏図」と「貝甲図」

      

人間中心の目線ではそうしてもどこかに中心をもった絵にまとまるが、この絵のどこにも中心がないという。

人間がすべての動植物より優位とする西洋哲学に抗ずる「草木国土悉皆成仏」思想の原点はここにありか。

○ ゴーギャン作(1848~1903)の「かぐわしき大地」  ○ クリムト作(1862~1918)の「ダナエ」

       

対称的な作品ですね。 
猥雑さの一切ない、無作為、野性的な「かぐわしき大地」とエロスとタナトスに満ち溢れた「ダナエ」。


私なんぞ美術や絵画には縁遠い人間。 絵を”観る”というよりは”見る”のほうでした。

有名な絵について、”ああ、いいなあ、上手いなあ”と関心はするのですが、それ以上の理解は出来はしませんでした。

ヨロッパ旅でルーブル美術館(パリ)でのモナリザやナショナルギャラリー(ロンドン)でルノアール・モネ等を見た時も、”ただ行った”そして”ただ見ただけ”でした。


この本を読んで、少しながらですが、こういう人間が、こんな考えで、こんな歴史背景の中で、こんな宗教的考えにまでに及んでおり、”絵画って凄いなあ” ”深いんだなあ” なんて感じております。

経済から観えてくるもの

2013年12月16日 | 雑感
『アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪をひく』という時代がありました。

今は、世界各国複雑に絡まっており、どこがくしゃみをしても風邪をひく、、、って感じです。
アベノミクスとかいうやつで、株高・円安傾向で日本も少し持ち直しているようではありますが、、。

伝説の投資家といわれているカイル・バスがこんなことを語っております。

あと2年で日本の国債が暴落する! 1ドル=250円になる!、、、と。
  
この人はリーマンショックでかなり儲けたといわれる投資家で、日本の国債がGDPの2倍以上に膨れ上がっていることを問題視。 すさまじいインフレがくる、、生活費以外をすべて外貨に換え、海外へ出せと主張。


日本株の日々の売買代金の内、約6割を海外勢が占めており、日本株の約3割(金額ベース)をこれも海外投資家が保有しているという。

いまやコンピューターを利用した超高速取引が幅をきかせる時代。空売りもこの一年間で、22~30%へと上昇。

日本も間違いなく狙われており、ヘッジファンド・海外投資家の餌食にならなければよいが、、。

アメリカの景気が雇用統計等から持ち直してきており、量的金融緩和の早期縮小観測による日米の金利差拡大の思惑から、ますます円安に向かうと予想、でもこんどは新興国の通貨や株式が売られ円や日本株に影響もあるという。

すでに、新興国の成長鈍化の懸念も台頭、お金が新興国から先進国へ投資の流れも目立っているとのこと。

それに加え、もしアメリカ株相場が下落すれば、投資リスク回避が強まり円高になるやもしれない。

あちこちから鎖が複雑に絡まっており、少しでも動くと血が吹き出る、、、そんな感じです。

アベノミクスも太平洋横断の、荒波にもまれているヨットみたいなもの。 

ドスンと、危機(クジラ)は突然前触れもなくやってくる。、、、そうならなければよいが。



もうひとつの懸念は中国経済。

今年7.5%の成長確実といわれているが、それ以上の成長なくしてこの国の人口を養っていくことは困難。

毎年10%超の成長が必要な国なのです。

中国の民間消費は4割弱。(日米は6~7割)投資などの固定資本が5割近くもある。

採算を度外視してまで需要を上回る生産を維持しなければ、稼働率は確保されない。

数年前バブルがあったどこかの国に似てませんか。

アメリカや中国は、、後進国いや資源国に戦略的に介入している現実。 犠牲になるのはいつも弱小国。


強引に入って来て都合悪ければさっとひいていく、、、残された弱小国はたまったものではない。

世界で、所得が一定水準以上の中間層は約18億人といわれ、2020年までに32億超になるとの予想もあるが、そんなにうまくいくのでしょうか。


人間にある ”欲”をも抑制できないのと同様、世界経済の ”欲”も抑制出来ないでいる。

 あの天国と地獄を著した源信「往生要集」の一節の如く。

  『 足ることを知らば、貧といえども 富と名づくべし。 財ありとも 欲多ければ、これを貧と名づく 』 

人間ひとりひとりも それぞれの国々も 古(いにしえ)の言葉を 、、、もうどうにもならないのだろうか。

  

白隠の健康法

2013年12月14日 | 雑感
『駿河には 過ぎたるものが 二つあり 富士の白嶺と 白隠禅師』 といわれる。

臨済宗中興の祖・江戸中期の禅僧白隠(1685~1768)。  

著書『夜船閉話』(やせんかんな)は有名。 達磨の絵でもしられ、1万点にも及ぶ書画を残す。


         

          

白隠が厳しい修業で悟ったと思いこみ、天狗になっていばりくさった若い頃。
その思いを、正受老人に木端微塵に打ち砕かれる。
その後命がけの修業をしたが、心身の病に倒れる。 禅病である。
いまでいうノイローゼか。 肺病も煩い、命を落とさんばかりに至る。
これを見事に克服したのが、白幽仙人に伝授された【内観の秘宝】という健康法。

(白隠の説く呼吸法は、天台智ぎ著『摩訶止観』とそれをコンパクトにまとめた『天台小止観』がもとという)

こんな方法だそうです。

  まず、床の上に天井をむいて静かに横たわる。 枕の高さ硬さは各自。
  目は軽く閉じ、両手両足をも適当に開き力をぬく。
  首・肩・背骨・腰・脚の筋肉なども力をすっかりぬいてしまう。
  蒲団にすべてを打ちまかせる。
  力を腰から下に入れ静かにかるく呼吸をし、多少気が落ち着き始めたら、こんどはやや深くゆっくり息をし、
  息をすいこんでしまってから、かすかに息を止め、静かに吐き出す。
  吐き出す要領は、吸い込んだ息を下腹(丹田~へその下)へ落とし入れる感じで、細くゆっくりと吐き出す。
  抱いている心の思いをすべて投げ放ち、精神を統一して深く心を内観する。
  これを30分ほど続ける。


腹式(丹田)呼吸法は、インドのヨガ・道教の気功・仏教の座禅 、、、等々とどこか源は同じかなとも感じます。

無理に呼吸法を型にはめようとせず、楽な呼吸を自分なりに、静かに続けてみたいものです。

精神は交感神経を仲立ちとして内臓に連なっているので、心身の安静・調和は慢性の長い療養(神経症や難病等)には効果があるのかも知れません。

あの良寛さんも実践していたようです。

形式仏教を排斥し、紫の衣(高い位)をも拒否し、生涯無位(黒衣)の僧としての白隠の生き方、、、世の中には凄い人もいるものですね。

  白隠の言葉に、ん~と頷ける言葉ありました。 著書『座禅和讃』の一節より。

   『 無念の念を  念として  歌うも  舞うも  法(のり)の声 』

                     (法(のり・ほう)とは、ありのままの世界・宇宙、、、と勝手に解釈)


酒と温泉と旅の会(山岳会から改名)仲間に帯状疱疹で辛い思いをしている人がおります。
医学も発達し、現代人はそこに頼るしかないのですが、古(いにしえ)の智慧にも学ぶことも一考。

早く完治して、美味しい酒が呑めるように。 また皆さんも健康で過ごされんことを祈ります。

         
      

懐かしの東京散歩 (パートⅠ)

2013年12月03日 | 雑感
数年前、東京に単身で住んでいた頃の撮りためた写真をながめておりました。

昔を懐かしんでいては、、、そろそろだめかな、とは思いつつ少しだけ載せてみました。


≪ さくらと花火 ≫

            

東京の桜、、いいですね。                       これは江戸川河川敷での花火です。
皇居千鳥ヶ淵や隅田川沿いなど東京のいたるところに      墨田川の花火なぞは人混みで大変でした。
咲き誇るソメイヨシノは見事でした。                  やはり花火は江戸の華。

桜の花にも花火にも、幽玄としかいいようのない美しさがありますね。

≪ 相撲稽古見学 ≫

           

時津風部屋の朝稽古を見学。凄い迫力でした。 部屋には双葉山の写真が。写真・稽古は豊ノ島と時天空。
親方のすぐとなりの特等席でした。    なにせ、タニマチで年間2億円ほどの寄付をしてましたので(笑)
 
親方が若いもんに ”ただあたればいいってもんじゃない! 次になにするか考えてあたらないと!”
、、、って指導してました。  ははあ、なるほど、、、って自分に言われてるような気がしたものです。


この部屋はその後暴力事件にて一躍有名に。  結構みんな真面目に稽古していたんですがねえ?

≪ 有名人の墓 ≫

           
                           (この時ばかりは敬意を表して写真は撮らず。インターネットから借用)

物好きにもほどが、、有名人の墓廻りまでしたことが。 

左写真は
南千住回向院・ねずみ小僧次郎吉の墓です。 法名「源達信士」とあり、台座に「子ツミ小僧」と彫ってある。
ここには吉田松陰や橋本左内のお墓もありました。  ここは、江戸の小塚原処刑場の跡地だったところ。

右写真は
豊島区駒込にある染井霊園敷地内・本妙寺にある遠山金四郎のお墓。
すぐそばには剣豪・千葉周作のお墓も。
染井霊園敷地には高村光太郎・智恵子や二葉亭四迷、芥川龍之介なども眠っていた。

遠山金四郎のお墓の前には、なぜかここにだけ浄財の箱が、、だれが置いたのか、鍵までかかっているではないか。
ん~!!  桜吹雪の金さんも草葉の陰で、、、。

あと、芭蕉を追って奥の細道の一部(千住から日光迄)を5日間かけて歩いたり、神楽坂界隈の雰囲気が好きで通ったり、とにかくじっとしておりませんでした。
そうそう映画も、、飯田橋駅近くに年間パスポート(1万円)で観ることができる映画館がありました。世界各国の洋画を中心に上映されていた、もう40年にもなる名画座です。パスポートを購入し、休日にはよく通ったものです。

≪名画座・ギンレイホール案内≫クリックしてみて下さい

俺はなにしてたんだろう。  いまでも不思議に思う東京での日々でした。



日本文化不思議考 3

2013年12月03日 | 雑感
世の中不思議満開。  もちろん自然界は断トツですが、人間界も凄い。

イスラム世界での女性は顔身体を覆い、”婚約する迄は恋人なぞとんでもない”などもしかり。

異文化・異言語・異民族・異宗教・異国・等々、、驚きの連続です。

私たちが当然と思っていることも、時の経過による変質か、いや捏造か、いやはやこれも沢山あるのです。

仏事に関することを少し。

年忌・お彼岸・仏壇・位牌などがありますが、、、。


七回忌、十三回忌、、驚くなかれ五十回忌までも。 年齢別《年忌法要早見表》などもあるそうですよ。
  
ご存じの通り、仏教はインド発祥。

インドでは四十九日まで。中国に入り百か日・一周忌・三周忌までしかなかったという。

七回忌以降はすべて日本に入ってから作られたとのこと。

そもそも釈迦の時代、「読経によって施しにあずかる」 ことを禁止していたようである。
 
ちなみに釈迦(仏陀)は死後のことについて、あるも無いも言わなかった(無記)そうです。

中世においては、習俗として受け入れられてきたが、やがて年忌は仏説とすることが困難となり、廃止すれば時の寺院経済に破綻をきたすことになる。
  
江戸時代この矛盾を覆うため、神道家・永野采女と僧 ・潮音道海が『先代旧事紀大成経』なる偽経までつくり、その立場を有利にと努めたという。

時の幕府により”世を惑わす”として禁書とされ、逮捕者が出るまでに至ったとのことですが、その後も静かに浸透していったようです。                

「年忌法要なるものが、釈尊の末弟の誤った、しかも架空の方便から生れた妄念の集録に過ぎない」                                    とまでいわれる人もいる。 藤井真水著『仏陀の再現』より

釈尊は書は生涯なにも残さなかったのだから、その後作られた経典は99%偽経と論ずる人も。

もっとも、仏教の偽経について五木寛行氏は著書『神の発見』の中でこう話しております、、、。

お経の成立過程を見ると、ときに偽経と真経の差ってあるんだろうかと思ったりもしますが」  、、、と。

お盆・盂蘭盆会・お彼岸なども中国製。 仏壇は天武天皇が家々に設置を勧め、平安時代の貴族が競って住まいを寺院化したものといわれます。
  
仏壇の設置を強制したのは江戸幕府とのこと。それまでは、一般的なものではなかったようです。

位牌は儒教の祠堂の影響が大で、禅宗の渡来により日本に渡ってきたものとのこと。

  
ところで、不思議なのは『戒名』、、これは生前、本来仏教者が精進すべく、導師より戒を受ける際にいただく法名なのですから故人が、生前知りもしない『戒名』を読みあげられても、、、。

「インドでも中国でも死者に戒名を与えるという習慣が成立しなかったのは、仏教が葬送儀礼と密接な関係を結ぶことがなかったからであろう」、、、という。 島田裕巳著『戒名』より


日本人はどうして、、、ん~不思議だ。 考えすぎですかねえ。

みなさんはどう思われますか。勿論形にするもしないもこころの問題で、とやかく言うことではないのですが。