スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

七福神という神々

2013年09月29日 | 雑感


10年近くも前になるが、単身で東京にいたとき、『七福神めぐり』をしたことがあった。

山手線の田端駅・東覚寺(福禄寿)から上野不忍池(弁才天)までを徒歩でめぐる(谷中七福神)と言われるコース。   (七福神めぐりでは最古のコースといわれている)

ゆっくりで2時間ほどで、由緒ありそうな「せんべいや」さん等もあり、下町・江戸情緒も残されている。
東京でも、特に神社仏閣のある下町はなかなか粋です、、、これからも残されてほしい街並みです。

                            (オリンピック招致で7年後はどうなることやら、、、)

東京七福神めぐりは、他に浅草・柴又・深川七福神などのコース他その数18あり。
全国には京都・大阪七福神など、なんと300ものコースあるという。

七福神めぐりの風習は江戸時代に始まったとのこと。(七福神信仰は鎌倉時代にさかのぼる)

恵比寿・大黒天・弁才天・毘沙門天・福禄寿・寿老人・布袋の七福神ですが、すべて渡来の神だそうです。


  恵比寿  ~ 漁労・労働・商売の神   (メソポタミア系)
  大黒天  ~ 五穀豊穣・財福・飲食の神 (インド系)
  弁才天  ~ 音楽・智慧・財福の神   (インド系)
  毘沙門天 ~ 仏法守護・北方守護の神  (インド系)
  福禄寿  ~ 幸運・長寿の神      (中国系)
  寿老人  ~ 長寿・健康の神      (中国系)
  布 袋  ~ 吉凶占い・福徳の神    (中国系)


そのモデルは中国の「竹林の七賢」、仁王教「七難即滅・七福即生」という一節からの由来という。

当ブログ「日本文化不思議考2」で、司馬 遷の『史記』の除福伝説や、秦氏一族(ユダヤ系の末裔)の日本文化への影響を記したことがありますが、日本の神道の形成や、七福神信仰にも大きく関わったようです。

除福一行が植民したと思われる地域には、北九州の宇佐八幡宮、紀伊の伊勢神宮、熊野神社、愛知の熱田神宮などユダヤ系と思われる神社が多いといわれる。

恵比寿さんだけは日本の神とばかり思い込んでいたのですが、どうも違っていたようです。

えびすは中国では異民族を現す言葉。 
えびす・戎・恵比寿・夷・胡・蛭子・胡・蛮など。 東夷、南蛮等差別的な意味も含まれているという。

日本でも同様、東北の蝦夷(えみし)や、そういえば北海道も蝦夷地(えぞち)と呼ばれておりました。

烏帽子(えぼうし)をかぶり、左わきに鯛を抱え、右手に釣り竿の姿。
七福神中一番人気で、主神として祭る神社が多いようです。


兵庫の西宮神社(もとは戎(えびす)神社と呼ばれていたようです)。「えべっさん」と呼ばれている大阪の今宮戎神社。
それにえびすの総本社である島根の美保神社なども蛭子命(ひるこのみこと)や事代主(ことしろぬし)等の異国からの来訪神・漂流神が祭られており、現代も人気の神社です。

エビス社は全国で小さな祠(ほこら)まで含めると5600もあるといわれる。

蛭子命(ひるこのみこと)はご存じイザナギ・イザナミの子であるが、蛭のように手足が萎えて生れたため、王統の後継者としてふさわしくないとして、赤子を無慈悲にも海に流した。
西宮の浦に流れ着き漁師に救われ、育てられ夷大明神として祭られたとのこと。

この蛭子伝説の日本の神話(古事記・日本書記)もあのモーゼ伝説に似てませんか。

イザナギ・イザナミの国生みとアダムとイブの創成記や、国生みでの十二神とイスラエルの十二氏族もしかりです。

ちなみに、えびす信仰の西宮戎神社がある西宮市の紋章は、イスラエルの紋章と同じ『六芒星(バアル神の紋)』を、、、これも偶然でしょうか。

日本は、インドからも数多くの影響を受けているようです。

インドサンスクリット言葉の発音を写した言葉 <インド起源の日本語> に、、、。
ばか(馬鹿)・荼毘(火葬)・旦那(主人)・かわら(瓦)・あばた(疱瘡の痕)・袈裟(法衣)・舎利(遺骨)などがあります。


中国や朝鮮から入ったのですが、その先もいっぱいあったのですね。

日本っていったいなんぞや!、、、というところですか。

弁才天はインドバラモン教では、主として学問・文芸・音楽の清楚な女神・サラスヴァティー。

江戸時代に入ってから弁才天が弁財天になるなど、現世利益の蓄財の神に変質してしまったようですが、、、。


どうも、メソポタミア系で漁労・労働の神・恵比寿さんが商売の神になったり、インド系で本来音楽・智慧の神であったはずの弁才天が財福の神になったり、、、中国経由で日本に入るとどうも変質極まりなくなってしまうようです。

時の支配者に都合のいいように作り上げられた神々。大黒天や毘沙門天・弁才天なども戦闘神・征服神・蓄財神などとして捻じ曲げられていったという。

七福神には入ってませんが、ご存じ『男はつらいよ』でおなじみの帝釈天(インドラ・東京柴又)がいる。
インドでは古来より梵天(インドラ)と共にバラモン・ヒンズーに於ける神々の王者ときく。


水天(ヴァルナ・東京日本橋)もインド・アーリア人がインドに侵入する以前に遡るほどの古い神である。

天国の寅さん、そろそろ七福神の組み換えでも考えてみてくれませんかねえ!



”恐れ多いことをしちゃあいけないよ!”  、、、との声が聞こえてくるようです。

”寅さん、どうしているのかなあ!? ”


読書三昧 (14)五木寛之著 『運命の足音』

2013年09月17日 | 雑感
先日、函館近郊・横津岳麓にある実家に立ち寄った。

すでに父が他界し、母ひとりで暮らしている。

居間のテーブルに無雑作に置かれていた文庫本を手に取り読んでみた。



五木寛之著 『運命の足音』というエッセイ本であったが、最初の章《五十七年目の夏に》のページを開いてすぐに衝撃が走った。

著者が当時12歳。1945年(昭和20年)・日本が第二次世界大戦に敗れた年である。

父の仕事(師範学校教師)の関係で、一家で朝鮮半島北部の平壌(現ピョンヤン)という街に住んでいたときの出来事。

57年目にして、胸に封印して語りえなかったことを始めて告白した、悲痛なこころの叫びであった。

当時、軍隊の占領、略奪や、暴行、レイプに一般の人たちはただ逃げまわるだけだったという。

父が風呂に入っていた時、突然ソ連兵たちが自動小銃を構え姿を現した。母は半年前から病気で寝ていた時のこと。

私が説明するより、抜粋して記したほうが、、、。《五十七年目の夏に》の章より(原文そのまま)。

少し長くなりますが、読んでいただきたく、ごめんなさい。

『ソ連兵に自動小銃を突きつけられて、裸の父親は両手をあげたまま壁際に立たされた。
彼は逃げようとする私を両腕で抱きかかえて、抵抗するんじゃない!と、かすれた声で叫んだ。悲鳴のような声だった。
ソ連兵の一人が、私をおしのけて裸の父親のペニスを銃口で突っついた。そして軽蔑したようになにかを言い、仲間と大笑いした。

それから一人が寝ている母親の布団をはぎ、死んだように目を閉じていたゆかたの襟もとをブーツの先でこじあけた。
彼は笑いながら母の薄い乳房を靴でぎゅっとふみつけた。
そのとき母が不意に激しく吐血しなかったなら、状況はさらに良くないことになっていただろう。
あのとき母の口からあふれでた血は、あれは一体、なんだったのだろうか。
病気による吐血だったのか。それとも口のなかを自分の歯で噛み切った血だったのか、まっ赤な血だった。

さすがにソ連兵たちも驚いたように、母の体から靴をおろした。
彼らもようやく病人だと気づいたようだった。
そして、二人がかりで母の寝ている敷布団の両端をもちあげると、奇声を発しながら運んでいき、縁側から庭へセメント袋を投げるように投げだした。

そのとき私はどうしていたのだろう。大声でなにか叫んだ記憶があるが、その言葉をおぼえていない。
「かあさん!」と叫んだようでもあり、また、「おとうさん!」と、叫んだような気もする。
自動小銃を突きつけられたまま、私と裸の父は身動きもせずにそれを見ていた。

やがてソ連兵が目ぼしいものをねこそぎ持ちさったあと、私と父親は母親を庭から居間に運んだ。
、、、母はひとことも言葉を発しなかった。
私と父親をうっすらと半眼でみつめただけだった。、、、。

事件のあった日から、母はなにも口にしなくなった。まったくものも言わず、父親がスプーンで粥をすすめても、無言で目をそらすだけだった。 やがて母は死んだ。
たらいに水を張り、父と二人で遺体を洗った。午後の日ざしをうけて、水中の母の体が屈折して見えた。こんなに小さな体だったのかと驚かされた。灰色の陰毛が藻のようにゆらいでいたのを、きのうのようにはっきりとおぼえている。

それから五十七年がすぎた。、、、、。
私と父親とは、母の死以降、ずっと共犯者としてうしろめたい思いを抱きながら生きてきた。
父が死ぬまで、彼とはたがいに目をみつめあうことが一度もなかったように思う。

父親はやがてアル中になった。、、そして五十五歳で腸結核で死んだ。
あれも父なりの母への責任のとりかただったかもしれない。』
   以上抜粋。

ときどき夢のなかで
その時なにも言ってくれなかった母が、かすかに微笑して 『いいのよ』 ってつぶやくのを聴くことがあるという。


人には、胸に封印して銀河の果てまでもっていかねばならない、ひとつやふたつ、あるのかも知れませんね。

五木氏は1932年福岡生れ。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。50歳で京都龍谷大学にて仏教史を学ぶ。
著書多数。 翻訳に有名な『かもめのジョナサン』も。作詞も手がけ『愛の水中花』『旅の終わりに』等もある。

『仏教談話』 (4)(唯識雑感)

2013年09月05日 | 雑感
前回≪不思議なこと≫へのblogに対するコメントに、、、”思い込まないで”、、、とありました。

そう、人間ここが大事なことなのかも知れませんので、少し掘り下げてみたいと思います。


前回のブログより
≪ひとつめ≫、、、生まれ変わる、、ことを信じているわけではありません。

≪ふたつめ≫、、、エゾリスの奇跡も偶然なのかもしれません。

≪みっつめ≫、、、小鳥すべてが死ぬすべを知っている、、と思いこんでいるわけでもありません。 

でも、自分の中に”そうあってほしい”と祈る気持ちは、まちがいなく、どこかに、、、。

今、blogで伝えようとしている事も、悲しいかな文章をもって、言葉をもって伝えようとしております。

ある心理学者が”言葉”についてこんなことを言っておりました。 岡本守也著『唯識で自分を変える』より抜粋。

≪人間は言葉を使って世界や自分をみるようになった為に、世界・自分が言葉どおりにあるような錯覚をもつようになった。特にモノに名前をつけると、とたんにそれ自体が独立してあるようにみえる≫ 、、、と。 


その通りかも知れません。

例えば、海。なぎのときもあれば荒い波もある、中に入れば別な世界もある、、それぞれみんな違う面があるのですが、海、、ひとことで括っている。
 
また、誰でも人間、多面性があるのですが、ある人のことを、、、誰誰さんはこんな人などと、ひと括り。 

その人にとっては、たまったものではありません。

世界も、それぞれの国も、宗教も、動植物も、虫や、道端にころがっている石さえもしかり、、、です。


私も、行ったことのない国でも、、ひどい国、どうしよもない国なんて平気で言ったりすることもあります。


大乗仏教に『唯識』(ゆいしき)という考え方があります。 開祖は世親(インド~興福寺)。

唯物論とは違う考え方で、2~4世紀インドの大乗仏教の一学派で興った仏教深層心理学みたいなものです。
(ちなみに三島由紀夫最後の作品『豊饒の海』はこの唯識論で書かれた小説と言われております ~ ぜひ一読を)

人間がものごとを何で認識するか、五感、五識(眼・耳・鼻・舌・身)ですよね。 そこに意識を加え、六識とも。

昔、山に登って修験者が≪六根清浄≫(ろっこんしょうじょ)といいながら歩く、、、あの六根のこと。


唯識論は、その六識の奥に、、マナ識(七識)、そして無意識の根本に阿頼耶(アーラヤ)識(八識)があると言います。

阿頼耶(アーラヤ)識は、唯物論でいえばDNAみたいなもの。

このマナ識がくせもので、言葉を通して形成された自我の意識。 世界や自分のことはよくわかっているとか、執着・こだわり・錯覚とか、、云々。

いわゆる全てにたいする、、その”思いこみ”、、これらが多くの煩悩を生み、日常にトラブルを起こすという。


このへんになると、ん~??なのですが、どうもその”思いこみ”のなかに私たちは日常どっぷり浸かっているようです。

【桃栗3年・柿8年】じゃありませんが、仏教では、【唯識3年・倶舎8年】 《倶舎~上座部(小乗)仏教8年学んではじめて唯識を学べる》 といわれるくらい難解な分野です。

このblogだけで言い表そうというのも、所詮無理な話なのですが、でも少しでも言葉で伝えようとするのも事実ですし、この言葉で少しでも解かろうとする人がいるかも知れないのも事実です。 

しかもほんの少しの言葉で、、、これが人間。

我々人間は、これら”思いこみ”だらけのなかで、物事を考え、そして生きている、ということなのかもしれませんね。


それでも、そのだらけの流れの渦のなかに、ほんの少しでもの真理 でも見つけられたら、、そう思います。

あらゆる情報を認識するのは、その8割以上は、(視覚から)、、だそうです。


なにを、どう見て、そしてどう思うか、せっかくこの世に生を受けたのだから、心して・貪欲に・しっかり、と観ていきたいものです。


不思議なこと

2013年09月01日 | 雑感
≪ひとつめ~生まれかわり≫

  数年前、私の父の法事の翌朝、弟と一緒に実家の近くの横津岳中腹まで散歩していた時のこと。

  "よく父さんがここを散歩していたんだよなあ!"、、、なんて言いながら。

  ふたりで歩いていると山道の脇の林に沿って、名も知らない小鳥が、私たちに寄り添うように

  ほんとうに暫くのあいだ、枝から枝へついてくるのです。

  最初は、、え~!?、、と思っていたのですが、それが暫くのあいだ続くのでした。

  もしかしたら、、、これって父では、、、なんて思いながら。

  そのあと弟に話すか話さないうちに、、、小鳥は飛び立ち去って行ったのですが、、、。

  実に不思議なひとときでした。

  いまでも、、あれは、、そうきっとそうです。



≪ふたつめ~エゾリスの奇跡≫

  先日、藻岩山の自然をレクチャーされる機会に恵まれました。
  その講師のはなしです。

  『藻岩山で”エゾリス”に遭遇した時のこと。

  
  一人で登山道を歩いていると偶然エゾリスが前方にいるのに気づきました。
  
  咄嗟に、”石になろう”と思いつき、腕を前に組みその場でしゃがんで静かにしておりました。
  
  すると、、、どうでしょう、、エゾリスが前から寄って来て私の肩に乗ったではありませんか。
  
  すぐに後方に降り去っていきましたが、、、なんといいますか、考えられない出来事でもあり

  感動で震えました。』    

  と云うのです。 
 
  藻岩山ではエゾリスに遭遇することはよくありますが、、、ん~、こんなことってあるのですねえ!

  


≪みっつめ~すずめの涙≫

  数年前、近くの公園でのできごとです。

  いつものこと公園を散歩していたら、小鳥(これは確かにすずめ)が木々にひっかかり動けないようでした。

  細かい釣り糸みたいなものに足をからめて瀕死の状態。

  すぐすずめは小枝から外せたのですが、足にその糸が食い込んで複雑に絡まり外せません。

  さてどうしよう、、と左手でそのすずめを抱え、近くのコンビニへ、なにか切るものないですか”と駆け込んだが
 
  ”ないですね”とそっけなく言われ、、仕方なく手で絡まった糸をほぐそう、、と奮闘しておりました。

  おろおろするばかりでしたが、すずめはもう虫の息。 

  するとどうでしょう、、私の掌で、すずめの体が一瞬ですが、ふっ!、と力強く膨(ふくれ)たのです。

  その瞬間すずめの命が途絶えました。

  ”えっ!、、と思いました。 一瞬最後の力を振り絞り自らの命の琴線を切った、、そんな感じでした。

  すずめは、、もうだめと死を悟ったのかもしれません。

  すずめが、自ら死を選んだ、、小鳥は死期を感じ、、死ぬすべを知っている、、いまでもそう信じております。

  目にはいっぱいの涙をためて、、そう、”すずめの涙”ってほんとうなんですよ。

  あの時の掌のあたたかさ、そしてあの涙、、、今でもはっきり覚えております。

  公園の片隅の、木々の根元にいまも眠っております。

  

不思議なことって、この世にたくさんありますよね。 人知の及ばぬことが、、、。

でも、なぜかそうあってほしい時に、なかなか起きないんですよねえ、、、。