スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

旅人よ

2014年08月31日 | 雑感
我が ≪見・酒乱(ミシュラン)温泉の会≫ 局長がまた海外への旅をするという。
9月6日~25日迄南アフリカのようだ。

白頭人ブログ・アフリカ(クリック)

ブログでは廻ろうとする南アフリカ6ヶ国が、エボラ出血熱での発症国といかに遠いかを強調していた。(笑)

もう100ヶ国超えているというのに、とどまるを知らない。

ほとんど日本におらず、たまに立ち寄る程度だ。 きっと日本にいると落ち着かないのであろう。

今回は、映画『 ホテル・ルワンダ 』の舞台となった『ホテル・ミルコランダ 』にも行く予定とのこと。 

この映画は、120万人が虐殺された(100日間に約80万も)とする民族紛争で、1200人の難民を救ったとする実話に基づいたホテルマン(ポール・ルセサバギナ)の物語。  東洋のシンドラーと言われる杉原千畝の話に匹敵する話だ。

町山智浩が語る・映画「ホテル・ルワンダ」(クリック)

興行の採算が合わないという理由で当初公開されず、映画評論家・町山智浩さんなどの呼びかけで、インターネットを中心にした公開嘆願の署名運動が行われ、2006年にようやく公開された映画だという。 

私も東京在中時、この映画を飯田橋ギンレイホールで観ましたが、公開までの背景など分かりもしませんでした。

映画の話はこれくらいにして、、、。

見・酒乱な旅人よ エボラ出血熱にかからないように!  なったら 隔離ですぞ!!                               
世界の旅の話、また楽しみにしております。 
                                       

越中五箇山 赤尾の道宗

2014年08月28日 | 雑感
北海道雨竜郡沼田町に 「 五ヶ山 」 という名の地区がある。 

越中の五箇山(ごかやま・富山県)からの移住者(明治29・30年頃の移住)が多いと聞く。

富山県にあるこの五箇山一帯は民謡の宝庫でもある。 ≪ こきりこ節 ≫ や ≪ 麦屋節 ≫ でも有名だ。
  ≪ 麦屋節 ≫
     ♪ 浪の屋島を 遠くのがれ来て、、、薪(たこぎ)こゐてふ 深山辺に
       、、、心寂しや 落ち行くみちは、、、川の鳴瀬と 鹿の声、、、


五箇山は、平家の落人がこの地に逃れ潜み住みついたと伝えられ、加賀藩の流刑地でもあったところ。

私も以前旅したことがあるが、白川郷(岐阜)と共に美しい郷。流刑地を思い起こさせる牢獄(小屋)も
残されており(当時は100もの牢獄があったという)悲しみをも秘めた郷とも感じられた。

五つの谷をもつ辺境の里。  なぜか写真は一枚もなくインターネットのを借用。

  
     私が旅したときは夏。合掌造りの家々が印象的で、自然が美しい長閑な郷って感じ。
     これら菅沼合掌造り集落は 平成七年世界遺産に登録された。


   
     極寒の冬では 雪が2メートルにも降り積もるといわれる。
     浄土真宗門徒が多く、合掌造りの屋根をふく助け合い組織 『 結い 』は有名。
   

その五箇山赤尾(現富山県南砺市)にあの蓮如上人の晩年の弟子・道宗(どうしゅう)という僧がいた。

幼名弥七 四歳で母 十三歳で父と死に別れる。 平家の落ち武者ではなく南北朝の武士の子孫という。

旅した頃(10数年前)はその名も知らず。知っていればもっと違った旅に、、、旅とはそんなものなのか。

         

     48本の割り木の上で寝ている道宗の木彫り臥像(五箇山・行徳寺所蔵)

(余談ですが、行徳寺向いの宿(赤尾舘)の女将は道宗(みちむね)由紀子さんという名だそうです)

この僧、旅をするときはそばの実を袋に入れて持ち歩き、寝具の上に敷いて寝ていたという。

なぜ? 私など凡人はそう思ってしまうが、、、。 先人には凄い人もいたものですね。

道宗は自身の心を「浅ましい」とし、阿弥陀仏の慈悲の深さと智慧の大きさを想い、それ故 寝るひまも
惜しみ 如来に対する「勿体なさ」をかみしめ、このような生活をしていたとのこと。

                                  中茂保則著『越中五箇山 赤尾の道宗』より

道宗が著した『 心得二十一箇条 』というのがある。 その第十三条に、、、。

   誤っても気ままに振る舞い 眠り臥せって 
    この後生の一大事を思わず
      むなしく無駄に暮すようではいけない ということ 

                                    とあった。

この書には計9回もの 後生の一大事 と でてくる。
後生の一大事、、とは 一度限りの人生において他に比べようもない一番大切なこと、、、のようだ。


眠り臥せって むなしく無駄に暮すようではいけない     ん~ 頭が痛い!

実は私の仲間に、その浄土真宗の坊さんになる為、日夜勉学に励んでいる人がいるんですよ!

これ本当の話なんです。 

演歌の上手な 通称板さん。
先日の話では、頭は良いので学科は合格したが、声明では ”こぶしをまわし過ぎて ” 失敗したとのこと。

今度会ったら、割り木の話をしてやりましょう!

「 割り木より、トゥルースリーパーの方がいいわ 」、、、ってきっと言うのでしょうがね。 (笑)


             

       飛騨一帯に伝わる ≪さるぼぼ≫  
       猿の子をイメージしており 幸せを呼ぶとのこと



小説 『氷点』 より

2014年08月25日 | 雑感
北海道も涼しくなってきました。 トンボも舞っている。 読書・スポーツの秋も近し。

クリスチャン作家・三浦綾子著『 氷点 』(上下巻)と『 続 氷点 』(上下巻)を読んでみた。

これまで三浦綾子さん本では小説『塩狩峠』『雪のアルバム』や『道ありき』等自伝本・エッセイ本くらいしか
読んだことはなく、実は、この作品もテレビドラマでしか観ていなかった。

氷点は1964年から1965年まで連載、『続氷点』は1970年から1971年まで連載された 三浦綾子のデビュー作。

人間にとっての「原罪」とは そして 人は「許す」ことができうるものなのか を問うた不朽の名作だ。

氷点(上・下)のあらすじはこうだ。

旭川に住む医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫との密会中、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される。
啓造は夏枝を詰問することもできず、嫉妬心を胸に秘める。
ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせず殺人犯佐石の娘を引き取り、
その名を陽子と名付けた。
陽子は清楚で明るく育つが、夫のメモから夏枝がその秘密を知り、陽子も夏枝からその真実を知らされる。
殺人者の子と知らされた陽子が薬で自殺を図る、、、、、『 続 氷点 』(上・下)へと続く。


氷点(上・下)では登場人物の心の動きが、なぜか不自然に感じた箇所もいくつかあった。
≪自分の娘を手に掛けた殺人者の子を引き取る≫というあまりにも衝撃的な内容のせいなのであろうか。

陽子が服毒自殺を図ったあとの『続 氷点』の≪あらすじ≫は実は殺人犯佐石の娘ではなく、別人の子であったというところから始まる。相沢順子という佐石の実の娘、そして陽子の実の母・三井恵子なる新しい人物も登場し、一気にグイグイと引きつけられる。 

この『続 氷点』は『氷点』の朝日新聞連載を終えてから5年の月日があったという。
著者の信仰心の深まりがこの5年に凝縮された感じで、登場人物の心理描写やストーリーの展開も実にいい。


まるで別人が書いたように私には思えたほどだ。

続編ですが独立したストーリーとなっており、とにかく読んでいて面白く考えさせられる凄い小説だ。
是非この『続 氷点』(上下巻)だけでも一読をお薦めします。
 

     

著者は原罪のことをその後のエッセイで「人間の奥底にある恐ろしい思い」や
「自分を正しいと思うことによって人を見下げる冷たさ」と語っていた。  

キリスト教の原罪自体、アダムとイブの時代から人類が背負った罪と言われるが、仏教深層心理での≪阿頼耶識≫
(人間の根底に流れる無意識界)のように意識なく持つ人間の業のようなもの。

問うて答えられるものでもなく、作者はこの小説で表現したかったのかも知れない。

この世に罪の持ってない人なんていない。聖書(ヨハネによる福音書八章一節から十一節までの箇所)
<あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に投げつけるがよい>を例にあげるなど、キリスト教のエキスが
満載されているものの、宗教小説を超越したものがこの小説には確かにあった。


自分の人生 自分で考え 自分で想い 自分で生きていかねばならない。 万人みなそうだ。

<原罪を真摯に見つめる> <罪を許せる> そんな厳しさを この本を読んで 感じ 考えさせられた。

表紙に「感動の巨編 涙の結末」とありますが、最後は私も一応人間だったのか?  ジーンときました。 

涼しくなってきました。 ゆったりと 小説など読むのも なかなかいいものです。
ちょっと 疲れましたがね!

終戦 8・15 に思うこと

2014年08月18日 | 雑感
昨夜TVH「池上彰の戦争SP」が放映され、木村久夫の遺書というのが取り上げられていた。

終戦記念日8月15日にならないと、こういう番組が放映されないのも今の日本の現状なのか。

シンガポール戦犯裁判でB級戦犯として死刑判決を受け、その地で刑死した学徒兵木村久夫(1918年~1946年)
の遺書の2通目が発見されたという。 死後68年目にあたる。

戦争は悲惨だ、、と 戦後生まれで体験もない私なぞ口にするのもおこがましいが、戦時体験を語れる人達も
すでに80歳や90歳を超えるという。 語り部が誰もいなくなったら、、そう思うと一抹の≪恐ろしさ≫さえ感じる。


木村久夫の遺書抜粋。

 『 ことに軍人社会、及びその行動が、その表向きの大言壮語にもかかわらず、本髄は古い中世的なモノ
  そのものに他ならなかったことは、反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬ。この見るに耐えない
  軍人を代表するものとして、東条英機前首相がある。さらに彼の終戦における自殺未遂はなんたることか、
  無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。
  軍人が今日までなしてきた栄誉栄華は誰のお陰だったのであるか、すべて国民の犠牲のもとになされたに
  すぎないのである。労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言われるようなお家には
  肉でも、魚でも、菓子でも、いくらでもあったのである。変わらなかったのである。』

                                                  
昨日の道新(それぞれの8・15と題し)にも戦時を生き抜いた語り部の記事が載っていた。

戦時中教師から、『 万一日本が負けたら、国民は全員切腹して天皇陛下におわびしなければならない 』
そう教えられ、  『 日本が負けたのだから教師たちは自決するのだろう 』 と思っていたという。

しかし、何日たっても「 先生が自決した 」という話は聞こえてこなかったという。

 『 だんだん腹が立ってきてね。俺たちはだまされていたんだって、その時気付いたんだよ 』 そう語っていた。

また別な番組で、アウシュヴィッツの時代を生きてきたドイツの老婦人がこう語っていたのが印象深かった。

 『 自分の身が安泰だったら 人間って 身の周りの人達の危険は ことさら 感じないものだ 』
、、、と。


イラク空爆に思うこと

2014年08月14日 | 雑感
今朝の道新朝刊に「イラク空爆に米国民の6割が支持」とあった。 しかも命の危険のない無人機でと。
犠牲が強いられる「地上戦には6割反対」とも。


4500人もの犠牲があったイラク戦争の二の舞はもうごめんとの表れか。

アメリカは今や地球のみならず宇宙をも支配しようと、Master of space(宇宙のあるじ)と称して、
宇宙空間から地上の敵軍事施設を狙い撃ちするスペース・コマンド計画をも推進している。

日本はそのアメリカにぴったり寄り添うコバンザメだ。

侵略戦争は良くないが自衛戦争はやむをえない、、、これが多くの人の考えではある。

座視すれば 人類のモラルも 経済も 他から脅かされる だから軍事介入も やむなしとする。
行きつく先は 国境を越えての 先制攻撃だ。 これが人間の 正義 というものだと主張する。

こうやって人間は 何千年もの間 殺戮を繰り返してきた。 

一方、あらゆる戦争は人殺しであるからして全ての戦争は認められない。
武力に訴えること自体不正であり、自衛戦争も認めないとの考えも確かにある。
しかしこれは、ナチスのような全ての交戦法を無視する戦争に対しては無力との批判も当然ある。

自衛=正義 とはなんぞや。 実際 正しい侵略戦争・不正な自衛戦争なんてことも ありゃしない。

だいたい今回のイラク戦争でも、市民が犠牲になったら許せない! と世間はいう。

じゃ 戦闘員同士なら犠牲はやむなし でいいのか その犠牲は認めていることになる。

世間の議論は この辺でこんがらがってくるのが 常だ。 

『 常備軍は時とともに全廃されなければならない 』 とは かの哲学者・カントの言葉である。

 その全廃の理由としては、次の様なことからだという。

『常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることにより、他の諸国をたえず戦争の脅威に
 さらしているからである』

『互いに無制限に軍事費の増大で、平和の方が短期の戦争より重荷となり、この重荷を逃れるために
 常備軍そのものが、先制攻撃の原因となるのである』


今のイラク情勢を見ると まったく その通りになっているじゃないですか。

『兵士は殺されるために作られる』 と言ったのは あの ナポレオンだ。

我が国を攻撃したら多大な損をする。 どこからも攻められない状況をつくるためにアメリカ一国だけに
媚を売らず、国境を越えた平和への連携を深め 経済的にも自立可能な国づくりを目ざすことが肝心だ。 

 われは傷にして刀!
  われは打つ 掌(たなごころ)にして打たるる頬(ほほ) !
   われは四肢にして引き裂く車、
    死刑囚にして死刑執行人!

                   
ボードレールの詩にあるように  死刑囚にして死刑執行人 にならないために!


役行者小角

2014年08月13日 | 雑感
山岳宗教・修験道の開祖といわれ、7世紀末に大和・葛城山を中心に 活動した宗教界のスーパーマンがいた。

仏法を修め、前鬼・後鬼という鬼(力で制圧された山族たちか)を使役、聖徳太子死後12年に生れたとの説
もあるが、他界した年も場所も不明。 晩年には新羅へ渡ったとも。 謎だらけだが実在の人物らしい。


奈良の当麻寺(禅林寺)や吉野の金峯山寺などいたる所でその像が見られる、不思議な造形をした人物。
西国・紀三井寺を訪ねた時も、金剛杖をもった同じような姿で鎮座していた。  みな真言系寺院だ。

山伏(修験者)はこの役行者小角(えんのぎょうじゃおづね)の姿を模したともいわれている。

天武天皇を支えた新羅系豪族の一人なのか。あの女人高野・室生寺など天武勅願で役行者創建の寺も多い。

       

その後、役行者は時の文武朝廷に睨まれ伊豆に流されたりするが、その背後にはやはり藤原氏がいた。

百済系(藤原氏・天智天皇系)と新羅系(蘇我氏・天武天皇系)は、いつも敵対関係にあった。  

その藤原氏に敵対する勢力が、「葛城山」や「高尾山」に篭り、修験道が生れ、朝廷の根幹を揺るがす
存在になっていく、、、そんな構図だという。


日本の歴史書といわれる『 日本書記 』も百済系藤原氏の都合のいいよう改ざんされた書と言われる。

いやいや日本の歴史は その後も ず~っと百済系。 じつに百済(くだら)ない歴史なのです。(笑)

藤の名がつく 佐藤さん・加藤さんごめんなさい!

それはそうと、この山伏や修験道。 「新羅系秦氏のルーツはユダヤ系」などと当ブログで記したことがある。

     

  日本では 「兜巾(ときん)」       イスラエルでは 「ヒラクティー」と呼ばれるそうです。
  山伏では 法螺貝「虎の巻」      ユダヤ人では トーラースクロール(トーラーの巻物)を持っています。


何より特徴的なのは、頭に黒い小さな箱をつけているところで、世界中でこのような物をつける宗教は、
日本とユダヤにしか見られないそうです。

 
その姿は瓜二つ。  虎はトーラーっていうんですねえ。 
ちなみに神社にある赤い「門」はヘブライ語で 「トリイ」 と言うのだそうです。

テング(鼻の高い異人?)は、秦氏のいた中央アジアの言葉で、「山ノ神」を意味するという。
京都の天狗で有名な鞍馬山の中腹にある鞍馬寺には、ダビデの星が描かれている。 

そういえば 鞍馬天狗も倒幕のために新撰組と一戦を交えた反体制・反骨ののヒーローでしたね。
昨日もBSフジでテレビ放映(松平健主演「鞍馬天狗」)されておりました。(時代劇の見過ぎかな~?)

         

伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路の両側に並ぶ石灯籠(合計約700基)にも、不思議なことにイスラエルの紋章
である「六芒星」が刻み込まれているというではないか。(上は天皇家の紋章)

百済系といわれる天皇家の紋章と並んでイスラエル・ダビデの星「六芒星」が、、、ん?  
(伊勢神宮のルーツにあるといわれるが、長くなりそうなので次回のブログに)

  
     
明治 政府は慶応四年(1866)に神仏分離令を発し,明治五年(1872)に修験道を禁止した。

役行者小角のことは仏教説話集である『日本霊異記』や『今昔物語集』によく出てくるが、
この混迷する現代日本に出現したらなんと思うのでしょうか。

修験者(山伏)のもつ情報ネットワークに恐れを抱いたという説や 政府主導による仏教界の再編に邪魔となった説
などいろいろあるが、悲しいかな 修験道の反骨の魂まで奪われた。




読書三昧 (20) チャールズ・ダーウイン著 『 種の起源 』

2014年08月04日 | 雑感
進化論・ダーウイン・種の起源、、、といえば学生時代に学んだ言葉・用語ですよね。

このダーウイン著『種の起源』は、自然界の淘汰・本能・習性・遺伝などを、あらゆる動植物、昆虫、鳥、魚類
爬虫類などを研究し、今から155年も前に刊行し当時のキリスト教に反旗を翻した書としても有名。

はたして 人間は 進化している?  それとも 退化?  どっちでしょうね !?

キリスト教の終末論やインドの神話(シヴァに化身したヴィシュヌが全てを破壊し宇宙を混沌に戻すとの予言等)
もそうですが、殆ど全ての宗教や神話が、”人間は進歩せず墜落する ”と考えている点で反進化論的
だというのは皮肉なものです。


この本 勿論訳本ですが初めて読んでみました。

結構難解な本でしたが、蟻(アリ)の本能だとか、カッコウの飼育本能、ミツバチの巣室造りの本能など面白い箇所も
たくさんありました。

特に蟻に関しては依然当ブログでも記したことがあって、蟻の飼育?もしていた経験から真剣に(笑)。

蟻は奴隷をつくる本能を持つ種もいるのだそうです。 その奴隷をめぐり蟻同士の争いもあるとか。

巣の移住(引っ越し)の時、その奴隷に丸投げで依存する無気力な主人もいれば、主人自らが全てを決定する
蟻もいるとのこと。 奴隷はだいたいは幼虫を養うのだそうですが、出来ない種もいるのだそうです。

まさに人間界とたいして変わりないですよね。

当ブログ蟻(アリ)の飼育やいかに(クリックしてみて下さい)

それまでは「進化は"意志"のもとで行われる」という大前提が根底にありました。
これを根本から覆し、進化と意志は無関係であるという自然選択説が当時では驚愕だったそうです。


現代の進化論では、「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」だと考えられているという。

平和への意志 破壊への意志 これらの意志 とは無関係に この世は流れているのか。

もちろん 単純・単一ではないにせよ  どこへ向かうの?  わが地球。

こんなことも書かれておりました。

≪ 鳥類・魚類・爬虫類・哺乳類さらには華麗に彩られた蝶の群れ、、、これらが美しいのは雌雄淘汰を
  通して雄が絶えず雌に好まれてきたことにより生じたのであって、決して人間の喜びの為ではない
  のである。
鳥の音楽についてもしかり ≫


花の美しさもそうなのか~。 

人間中心主義は そろそろ終わりにしないといけませんね。