今年8月に発刊された歌人・松川洋子の私的なエッセイ集。
『 大戦末期、挺身隊員として徴集されていた時のこと ・・・ 隣り町、江別で列車が爆撃を受けたり敗戦の
日が近かったある日、隊員が忘れた弁当を届けようとある駐車場を駈けていた、そこへ偵察機が急降下。
射たれると思ったという。 その一瞬、兵の顔が見えた。 機は一転して走り去った。
見える筈が無いと言われるが確かに見えた。』
歌人らしい人間へのひと筋の救いを描くが、戦争への憎しみには一歩も譲らず、こうも断ずる。
『 戦争とは大義名分をもって人間が人間を殺させる、殺せる、殺す野蛮な行為をいう。
人の性は善か悪かと折に触れ論は出るが、そんなものは現実に何の役にもたたない。』
戦時下をくぐり抜けてきた歌人の文章はさすがに鋭く美しく、腹の据わったエッセイ集だ。
この方、函館生れの札幌育ち、戦争・病気・数々の不幸をも体験した短歌ひと筋の人生
のようで、もう高齢と推察するが、凛としたその姿には恐れ入る。
『 みどり児の 姉の柩を 運びゆく 函館本線 あかねにかすむ 』
初子を亡くし、葬儀の為函館から祖父のいる札幌へ柩を運んだ時の挽歌だ。
父母の悲しき声を胎内(五ヶ月の)で確かに聴いたという。 歌人の感性とは科学を越えるものなのかも。
『 大戦末期、挺身隊員として徴集されていた時のこと ・・・ 隣り町、江別で列車が爆撃を受けたり敗戦の
日が近かったある日、隊員が忘れた弁当を届けようとある駐車場を駈けていた、そこへ偵察機が急降下。
射たれると思ったという。 その一瞬、兵の顔が見えた。 機は一転して走り去った。
見える筈が無いと言われるが確かに見えた。』
歌人らしい人間へのひと筋の救いを描くが、戦争への憎しみには一歩も譲らず、こうも断ずる。
『 戦争とは大義名分をもって人間が人間を殺させる、殺せる、殺す野蛮な行為をいう。
人の性は善か悪かと折に触れ論は出るが、そんなものは現実に何の役にもたたない。』
戦時下をくぐり抜けてきた歌人の文章はさすがに鋭く美しく、腹の据わったエッセイ集だ。
この方、函館生れの札幌育ち、戦争・病気・数々の不幸をも体験した短歌ひと筋の人生
のようで、もう高齢と推察するが、凛としたその姿には恐れ入る。
『 みどり児の 姉の柩を 運びゆく 函館本線 あかねにかすむ 』
初子を亡くし、葬儀の為函館から祖父のいる札幌へ柩を運んだ時の挽歌だ。
父母の悲しき声を胎内(五ヶ月の)で確かに聴いたという。 歌人の感性とは科学を越えるものなのかも。