スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

アマデウス

2012年12月31日 | 雑感

『旅をしない人間は(少なくとも芸術や学問にたずさわる人々の場合は)憐れむべき存在です、、、いつも同じ場所にいたら駄目になります』 ~こうまで言い切っているモーツアルト。

その人生の三分の一を旅に明け暮れ、悲しいまでの美しい曲を残し、35歳の若さでこの世を去ったヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト。

最後の曲『リクレイム』(K626)まで626曲。まだその一部しか聴いてはいないのですが、実にいい曲ばかり。
”繰り返し聴いても飽きがこない”不思議な作曲家です。


ピアノ協奏曲第21番ハ長調(K467)第ニ楽章
~1960年代のスウェーデン映画「短くも美しく燃え」で、一躍ポピュラー音楽並みに有名になった曲。
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ピアノ協奏曲第5番ニ長調(K175)第三楽章
~17歳頃の時の作品でモーツアルトが最も愛した曲だそうです。
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交響曲25番ト短調(K183)第一楽章
~あの映画『アマデウス』(1984年アカデミー賞8部門受賞)冒頭の衝撃的映像で流れる曲で、アインシュタインが(一つの奇跡)と愛した曲でもあります。
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アイネ・クライネ・ナハトムジーク(K525)第一楽章
~モーツアルトからこれを外すわけにはいかない曲。
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クラリネット五重奏曲イ長調(K622)第ニ楽章
~クラリネットっていいですねえ! これ、宇宙の彼方で聴いたら最高でしょうねえ!亡くなる2ヶ月前の曲。
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リクレイム(死者のためのミサ曲)ニ短調(K626)
~モーツアルト最後の未完曲。カラヤン指揮。
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交響曲第40番ト短調)(K550)
~モーツアルト三大交響曲(39番・40番・41番)のひとつ。
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交響曲第41番ハ長調)(K531)
~いわゆるジュピターって呼ばれる曲。ここでのジュピターは神様(ギリシャ最高神ゼウス)の意味だそうです。
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モーツアルトの生死観について興味深い言葉があります ~ 父・レオポルトに宛てた31歳の時の手紙です。

『私はこの数年来、人間の真実で最上の友であるこの死と仲良くなってしまい、死は怖くないどころか、むしろ心の慰め安らかにしてくれるものとなっています』
またこうも言っております『微笑みながら死を思う』、、、とも。

映画『アマデウス』での、モーツアルトの遺体が麻袋に入れられ、誰に見送られるでもなく共同墓地に投げ込まれる最後の衝撃のシーンが思い出されます。

きっと苦悩の時もたくさんあったのでしょう、、、そんな気がします。

それにしても、あの澄み切った悲しいほどの明るさ、、そして美しい作品は驚愕です。

演奏会はなかなか行けないので、もっぱらCDで聴いていますが626曲全て聴いてみたいものです。 無理かな?

あと一日で2012年も終わりです。

来年も健康でいられるように。 良い年でありますように!

『最後の晩餐』

2012年12月22日 | 雑感
あまりにも有名なレオナルド・ダビンチ『最後の晩餐』
この絵画を完成するまで2年以上もの月日を費やしたといわれている。



十二使徒・・・左から
1)パルトロマイ 2)小ヤコブ 3)アンデレ 4)イスカリオテのユダ 5)ペテロ 6)ヨハネ(マグダラのマリア 7)トマス 8)ヤコブ 9)フィリポ 10)マタイ 11)タダイ 12)熱心党のシモン



向かって右側図

向かって左側図

ダビンチの『最後の晩餐』その絵の中に壮大な謎を仕掛けられていると言う。
それは、誰が誰だかわからなくする、という謎とのこと。

上に記した名前が一応の定説となっているが、ダビンチはその人物が誰であるかについてなんらメモを残しておらず。また、聖書の福音書でもその容貌もについても全く記してはいない。

ヨハネ・ユダもしかりそれぞれの名前、、その定説も所詮は、後世の当て推量でしかないとの見方である。

イエスが布教していた当時、その地はローマに制服されていた。

ユダヤ教がそのローマの治世に対し反乱を企てんとする過激なグループが幾つも存在、そしてローマと手を握ったエルサレムの祭司たちを憎むグループ等の互いに利害関係によって結びついたり分裂したりしていた。

秩序の為には、時には罪もなき者をも犠牲にする時代だったのである。イエスもその一人だったのかも。

ユダ=裏切り者、、その定説どおりイエスから四人目の黒い肌の人物かもしれないが、(マルコ伝第十四章)『私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が私を裏切る』と言ったイエスの視線もその手のパンも、全く向けられていない。

隠し持ったナイフにしても、あの人体描写の大達人であるダ・ヴィンチが描いたにしてはあまりにも不自然な姿勢等など。

ダ・ヴィンチが見抜いていた裏切り者の真犯人は、、、実はペトロだと言うのである。
 ~『誰がキリストを殺したか』神辺四郎著(宗教学者)

イエスが十字架で処刑されたことはペトロの本意でなかったにせよ、ユダの犠牲のもとに教団権力闘争での勝利者として、ローマ法王(教皇)の初代の座に君臨していった。
(ヴァチカン・サン・ピエトロ大聖堂は彼の殉教の地・墓の上に建てられたものである)

その真相の粉飾さらには、捏造というに近い創作にペトロ以上に関与した人物に最終勝者パウルがいる。

パウロは十二使徒ではなかったにせよ、イエスの死後新約聖書の総責任者として登場した外様の信徒であり、イエスに敵対していたパリサイ派に所属。イエス達への弾圧の最前線に立っていた理論派の闘士であったとは、、、。

この二人が現在のヴァチカンの前に立像として並び立てられているとはとても信じがたいが、、、これが現実。

『歴史は勝者によって作られていくもの』 そう感じざるをえません。

神はいるのか、、神は在るのか、、それともニーチェ曰くの如き神は死んだのか、、ユダヤ教では神は一つではあり三つ(キリスト教三位一体説)ではないと言う、、ゾロアスター教は善悪の神二つという、、また八百神(多神教)、、形而上学・神学論争すればきりがありません。

神は善で始まる(伝統的神への理解)、、、でもその善でさえ弱者(敗者)の論理で、弱者(敗者)にとっては強者(勝者)は悪(ニーチェの論理)、、、そんな繰り返しが現実として、未だに宗教がらみの争いは絶え間なく続いているのです。

誰かが言っておりました。 つくづく『人間は罪深い動物なのである』、、、と。

ペテロの息がかかった新約聖書は(マタイによる福音書)と(使徒行伝)の前半部のみ、また(ペテロの手紙)は無関係、、、あとは全てパウロ派によって引き継がれていったようである。

『聖書』さえも勝者により作られたもの。

古代ギリシャ人は、ゼウスを始めとするオリンポスの十二神に神像を献ずる時、神々の最後には必ず、[いまだ知られざる神へ]と銘うった神像を置くことを忘れなかったという。いまだ自分たちが知らない真理があるかもしれないと考えていたからなのです。

ソクラテス・プラトン・アリストテレス等古代ギリシャでは、、真理の専有という思い上がりを捨てるよう説いた哲学をもっていたのです。

『人間謙虚にならなければなりません』、、、ということなのでしょうね!

そんな切り口からも今一度『聖書』を読み直してみたいものです。


                
参考に・小説『死海のほとり』遠藤周作著はお薦め)

祝 我が仲間 世界100ヶ国周遊達成!

2012年12月14日 | 雑感
我が仲間・山岳会局長が世界100ヶ国目のギリシャの旅を終え、先日帰国しました。

まずは、おめでとうございます!

日本百名山登頂達成もしかり、よく成し遂げたものと敬服致します。

来週その報告会と祝賀会が開催されるとのこと、、、楽しみです。

下記ホームページですが100ヶ国目のギリシャも登録済のようです。
(ギリシャの前の西アフリカのナイジェリア等も必見です)

山に魅せられし男のホームページ

私なぞまだ2度しか海外の旅の経験はなく、行って観たいところは何カ所かありますが、なかなかできることではありません。

好奇心を常に持ち続けること、、、とは、、、ん~~難しいねぇ!!

下記の夢もそのひとつです。 私も諦めずに、、夢を追い続けるとしますか。

実は、無性に逢いたい菩薩がいるのです

シルクロード敦煌 莫高窟 第57窟にある仏画(壁画) 脇侍菩薩である


凛としていて、胡蝶蘭の如くの、、、観音菩薩とのようです。



逢いたいなぁ!!


舌切りすずめ病床雑記

2012年12月14日 | 雑感

葛飾北斎図 『舌切りすずめ』

丁度二年前の12月、3ヶ月の入院を余儀なくされた。
病名は舌ガン。診断の翌日入院となる。

連日の検査を経て、放射線治療・抗がん剤点滴を三週間続け、手術で舌の半分を切除、、、
そんなに悪いことをしていないのに 『舌切り雀』 状態とは、、、これも運命か!?

既に転移していたリンパ(首周り)に加え甲状腺の半分も切除した。
舌には左腕からの肉を移植、腕には右足太ももの皮を移植。手術時間8時間。麻酔で手術した翌々日昼頃まで眠らされていたようであった。 
それにしても医療技術の進歩は凄いものである。

後日仲間から、あの世はどうだった?と言われたが、残念ながらあの世のことは覚えておらず
、、、ほんとに惜しいことをした。


聞くところによると、、麻酔で54時間後に目が覚めたら勿論筆記ですが、、暑い!痛い!を連呼し、
ベッドから起きようと無理難題を言って周囲を困らせていたようである。
(麻酔から覚めたら意識朦朧で全身のチューブを外そうとする患者もいるそうである)

私の入院していた病棟は、そのほとんどがガン患者であり、私と同類の病名ほか、
肝臓・肺・頭に転移した人などいろんな方が入院していた。

末期ガン患者はいないものの、”今度は頭に転移さ!”なんて軽口を言っている患者もいた。
心の中では本当のところ、いかなる思いなのかは察することはできやしないが、、、。

ベッド横のロッカーに銀河宇宙の星々の写真を貼り(雑誌ニュートンの付録だったと)いつも眺めていたものだ。
ある時看護師さんに、”ーーさん何見てんの?”と聞かれ、
”死んだらどこの星に往こうかなあ!って調べているのさ”と冗談ともほんとともつかぬことを言い、
笑い合っていたことを思い出します。

放射線治療で味覚も完全に失ったことや、痰の出入り口作る為喉に穴を開けられ、
声を失い筆記での伝達などの経験もしました。

あれからもう早二年。

昨日の食事の事も忘れる今日この頃ですが、入院した一日一日のことはなぜか鮮明に覚えております。

傷の痛みや後遺症は若干あるものの、今のところ転移も見られず、日々感謝して生きなきゃ、そう思います。

舌切り雀日本昔ばなしよりぜひここクリックを

こんなことがなかったら、何十年ぶりに『日本昔ばなし』を聴くこともなかったかも知れませんから、、感謝感謝!

さあて、、、あなたは、お礼に小さいのと大きいのとどっちがいいかな!?  チュンチュン!