スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

南方(みなかた)マンダラ

2013年11月27日 | 雑感
世界遺産・紀伊(和歌山)熊野山地。 

わが、酒と温泉仲間(山岳仲間とは最近言いずらい)も数人旅したことがあるという。

私も8年ほど前、紀伊の熊野古道を少し(中辺路の一部)だが歩いたことがあった。


杉木立の静かな古道。 神仏習合・信仰の道でもある。

歩道には、九十九王子(くじゅうくおうじ~つくもおうじともいう)という実際には101程の王子社と名のつく神社(小さな祠)がある。

           

  中世・「蟻の熊野詣」といわれた聖地       発心門王子。 古道沿いにはいくつもの王子社が並ぶ
  「蘇生の森」「神々の森」「輪廻の森」        水呑王子など水飲み場に石の刻名だけの王子社もある

   
  伏拝王子から撮影 熊野の神々の森を仰ぐ             熊野本宮大社
  (真ん中に見えるは熊野本宮大社)          熊野三山の一つで、社殿が国の重要文化財       

  ≪熊野本宮大社≫
  出雲の熊野村の住民が紀伊に移住、その時出雲・熊野大社から分霊を勧請されたという説がある。
  シンボルの八咫烏(ヤタガラス)。 熊野の大神(素盞鳴尊)に仕え、神武天皇を大和に導いたとされる。
  その八咫烏の三本足は(昇る太陽・日中の太陽・日没の太陽)を現し太陽神からきているという。

約100年前、この熊野鎮守の森や神社の守護に深くかかわった南方熊楠(みなかたくまぐす)(1867-1941)という民族学者がいた。

植物学・生物学・哲学・歴史学・心理学・宗教・科学にも秀で、粘菌の研究では世界的にも有名な人。

日本ではじめて《エコロジー》を唱えた。  「知の巨人」 「那智の天狗」 とも呼ばれていたという。


(和歌山生まれ、アメリカ8年・イギリス6年学んだのち、和歌山県那智勝浦に戻り・田辺に永住)


さて、この方、聞こえてくるのはいわゆる【変人】。 

一年のほとんどを半裸で過ごし、大酒飲みで、大法螺ふきだったとのこと


時の明治政府がだした「神仏分離令」に反抗。熊野の神社やその森の守護(木々の伐採の嵐に抵抗)に尽力した反骨心旺盛な人物。

牢獄にも入れられたという。 豪傑な人もいたものです。

しかし分離令をきっかけに、特に地方の神官や国学者等が扇動し「廃仏毀釈」に至り、歪んだ神道国教化に進み、戦争への道を突き進んでいったことはご存じの通り。

明治維新を美化する人は多くいるが、、、ちょっと違う気がするのですが、、、司馬の遼太郎さんのせいか!(笑)

南方熊楠が描いた南方マンダラ(下図)とは。
   

なにか、ぐちゃぐちゃな図  これが南方マンダラ   密教の曼荼羅 上図は胎蔵曼荼羅(理~物質界)
あらゆる線が互いに絡まっている 自然界もしかり   金剛曼荼羅(智~精神界)と両界曼荼羅という                               
宇宙・世界観を視覚的に象徴的に現したものという。 古代インドに発祥し、密教とともに日本に伝来した
この曼荼羅の思想。


四方八方ほんとうにぐいちゃぐちゃに繋がっているのが、宇宙をも含めたこの自然界。 

人間関係も、地球環境も、宗教も、、、。

南方マンダラではその絡まるところに○印が、、、両界曼荼羅も宇宙の(密教では大日如来)真理それに調和を現している。


別々の生き物・別々の民族・別々の宗教・別々の個性、、いいんじゃないですか、複雑に絡み合っていても。

永遠なる宇宙・自然界に学べ、、、との教え。 そんな思いがします。


インド・中国・日本と伝えられた両界曼荼羅もいいが、手書きのぐちゃぐちゃな『南方マンダラ』は、更にいい。

南方熊楠にこのような言葉がある。

   宇宙万有は 無尽なり。 
   ただし 人 心あり。 
   心ある以上は 心の能(かな)うだけの楽しみを 宇宙より取る。 
   宇宙の幾分を 化して おのれの 楽しみとす。
   これを 智 と称す



こんな【変人】なら たくさん出現してほしいものである。 
 

『仏教談話』 (5)(天国と地獄)

2013年11月20日 | 雑感
あなたは 天国と地獄 もし自分で 選べるなら どっち?

そりゃそうでしょ 地獄など選ぶわけがありませんよね。

でも 天国と地獄とかいってるけど あるのかなあ?

いったことはないので わかりませんが 多分 無いと思いますけど、、、。

いったことないのでしょ じゃ あるかも知れないじゃないですか。



先日 地獄を体系化したという 源信さんに 会ってきました。

源信さんは 平安時代の天台僧 『往生要集』を著した 浄土教の 偉いお坊さんですが

天国にも 地獄にも なにか いってきたような 様子で話しておりましたね。


『往生要集』は諸々の経論の中から浄土に関する要文をとり出し集めたものだそうです。

地獄は やっぱり どう考えても いきたくないですよね。

阿鼻地獄とか叫喚地獄とか、、、考えただけでも ぞっとします。


ところがですよ 話では 天国にいってからでも 死ぬっていうこと があるみたいで、、、。

えっ! そんなばかな~! 

 
実は 紀元前 古代インド最古の聖典・文献に 『リグ・ヴエーダ』 というのがあって 

天国は 願望を達することのできる 楽しいところ とは考えられてはいたのですが

『再死』 というものを極度に恐れていた とも書かれているのだそうです。

結局 天国にいったとて 同じことなの ですか?



それに  閻魔(えんま)さま  怖い あのお方、、、ご存知ですよね。

天国(楽土)って 実は 死者の王ヤマ(yama)の支配する王国で 

その天国の ヤマさまが 地獄イメージの 閻魔(えんま)さまの 祖先 と言うではないですか。


ヤマ(yama)は 漢訳で 閻魔 と書くのだそうです。

驚きました。


朝鮮の閻魔さまは おどけたような顔 をしていますが

天上の王者としての ヤマの 明るい性格が 仏教にとりいれられたからであろう とも言われております。


日本には 夜魔天 というかたちで 伝えられましたが 炎魔天 とも言って

その図像は、白牛に乗り笛を吹く なかなかの美貌の青年 として描かれているそうです。



それに 源信さんは こんなことも 言ってました。

地獄では 死は 唯一の楽しみなのだ そうです。

そりゃそうでしょう あんな苦しみばかりの 地獄では そのような考え 成り立ちますよね。


所詮 天国も 地獄も またこの世も 表裏一体 なのでしょうか。


死ぬることを 『苦』 と意識して もっているのは 人間だけなのでしょうか、、、。


まあ 井上陽水【傘がない】 の歌と一緒で 余計なことを考えずに 今日一日 頑張るしかないのかも。


悲しきかなナポレオン

2013年11月19日 | 雑感
借金まみれの国。 構造改革。 抵抗勢力。 どこかの国のあの首相の顔が浮かびますね。

モーツアルトやベートーベンの生きた時代(18世紀末~19世紀初)フランス革命時もそんな状況だったようです。

抵抗勢力を破るには、民主主義の国では世論が後押ししますが、当時のフランスは絶対王政の時代。

まず国王の権力を削ぐことから始めなければならない。 ルイ16世はアメリカ独立戦争への参戦で経済が衰退していた。

増税を決めたが、特権身分(聖職者・貴族)にまで課税しようとしたことに貴族が反発。 

当時のフランスは聖職者・貴族・市民の三階層で、聖職者と貴族が全人口の2%で国土の三分の一を所有していたという。

そこを市民が巧みに利用。教会・貴族にまでその矛先を向け、革命にまでに至ったというのが真相のようです。

ルイ16世・オーストリアから嫁いだマリーアントワネットと共に断頭台に、、希望の革命も一転血なまぐさくなっていった。

そこに乗じ彗星の如く登場したのが軍にいたナポレオン(1769年~1821年)。

【余の辞書に不可能という文字はない】  【私の名誉は戦勝よりも法典である】

と語ったという、、 あのナポレオンです。


ご存じのように軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置き皇帝にまで登りつめた。

しかしナポレオンも人の子。 フランスを取り巻く情勢も厳しくなる。

欧州諸国(ロシア・プロイセン・オーストリア・スペイン・イギリス・スエーデン等)は、こぞってナポレオンを欧州の平和にとって唯一の妨害者であると宣言。 ナポレオンがフランス・イタリアにおける全ての権力と権威の放棄を要求した。

1812年モスクワ遠征に失敗し失脚、その権威も地に落ちエルバ島に流されることに。

ナポレオンはエルバ島に流されるを余儀なくされたが、実質は隠遁、、毎年二百万フランを受け取るという(まあ年金だね)協定に調印したというではないか。

権力に反抗・反骨者でもある、あの作曲家・ベートーベンにこんな逸話が残っております。

当初ナポレオンをヨーロッパの解放者として賛美していた。  ナポレオンの為に献呈しようと『英雄』を作曲したが、1804年ナポレオンが皇帝の座についたと知った時、憤慨、献呈をやめたとのこと。

【それほどまでに独裁者の名誉が欲しいのか。かれはもうただの人間。やつは暴君になるだろう】、、、と。

ナポレオンの名が書かれていた原稿のページを引き裂き、我慢のならない彼は、持っていたペンを表紙に突き刺したという。

ベートーベンという人は短気でもあったようですが、政治にも熱意があったのですね。

歴史の真意はわかりませんが、そんな人が今の世にもたくさん出現してほしいものです。


ちなみに、ナポレオンはベートーベンが当時住んでいたオーストリア・ウイーンに二度も侵攻していて、ベートーベンはジャコバン派(フランス革命でも市民、民衆の立場にたつ派~ナポレオンも同派という)のリストに名をみせ、警察でも彼に関し情報を探っていたとも言われている。


歴史って不思議ですよね。 同じようなことを何度も繰り返す。

つかの間の平和はあるにせよ、戦争・戦争・殺戮・殺戮の繰り返し、その殆どが大国、そう人間のエゴがらみ。


フランス革命でも、王妃の法廷に立ち会ったもの、裁く立場にあったもの(裁判官・訴追官・証人・陪審員等)、、彼らのその後は、立場が逆転したその時、その殆どが断頭台、謎の死、流刑、にて命を落としたり謎の行方不明になったりしたとのことです。

いつの世も価値観は変動する。 その時の『正義』が次の時代では『正義』ではなくなる。 

  これが歴史というならあまりにも悲しい。



      

左)パリ凱旋門は勝利を記念して1806年ナポレオンの命によって建設が始まった。完成前に死去したという。
  凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓がある。

右)イタリアへの遠征時。有名なアルプス越えのナポレオン。馬でアルプス越えは無理と思うのですが、、いやはや天才は
  別格なのか。(パリ・ルーブル美術館所蔵)



イングランド湖水地方

2013年11月14日 | 雑感
このブログ、宗教とか暗い話ばかりじゃ、気が滅入る。 

昨年ヨーロッパを旅した時の、撮りためた写真でも少し載せてみます。

イギリス・ロンドンに10日間滞在した時、途中二泊三日で鉄道に乗りイングランド北西部にある湖水地方に旅をした。

湖水地方は、面積約2300k㎡。大小200もの湖が点在、広大な自然を有した素晴らしいところ。
年間を通し雨の日が200日もあるようです。 (ちなみに日本・屋久島は低地で年間170日降るという)

              

   

ここロンドン・ユーストン駅から出発。 イギリスは鉄道発祥国でもある。
ここから湖水地方入口・ウインダミア駅まで途中地方線に乗り継ぎ、約3時間半。


   

ウインダミア駅は湖水地方の入り口の小さな駅、自然保護の住民運動によりこれより先には鉄道は
伸長されなかったという。 どこかの国と考え方が少し違う気がしますね。


   

街にはゆったりとした空気が流れ、家々には美しい花壇が飾られ、統一した色と大きさの石積みの家々。
本当に素敵な街でした。


   

ここのマナーハウスに二泊した。 マナーハウスは中世ヨーロッパにおける荘園(マナー)において、
貴族などの地主が建設した邸宅だそうな。  その語源はマンション(mansion)とのこと。


   

一時でも貴族の気分か、重厚な建物で趣がありました。

   

夕方このマナーハウスから徒歩で3分くらいのところ、湖を眺めながらゆったりとしたひと時を過ごす。
皆、湖畔で売られていたソフトクリームを食べている。

 

   

翌日、絵本 「ピーター・ラビット」 生誕の地・ヒル・トップへ行こうと、ここボウネスの乗り場から舟に乗る。

ビアトリクス・ポター(1866年-1943年)はこの絵本23冊ほどが世界中の人気を博し、得た財産を湖水地方の
広大な土地や15の農場を購入するなど自然保護に費やしたという。


   

ピーター・ラビットの作者 ビアトリクス・ポター の自宅は ≪ヒル・トップ≫ という名で一般に公開されている。
ポターはその財産の運用を巨大な自然保護団体である ≪ナショナル・トラスト≫ に託したことでも知られる。


   

期待通り、なんとも長閑な田園風景が広がっていた。 自然だけはどこに行っても変わらない。

       

うら庭には、本物のラビットが戯れていた。 


世界で最も危険な動物

2013年11月09日 | 雑感
モーツアルト(1756―1791)やベートーベン(1770―1827)はどんな時代を生きたのか。

ただ鑑賞するだけでは心もとなくもある。

ヨーロッパでの宗教・戦争を背景にした差別、迫害、殺戮、、、ほんの少しでも知りたく手に取った本がある。

18世紀前後のヨーロッパを舞台とした、藤本ひとみ著『ハプスブルクの宝剣』上・下巻と『マダムの幻影』の二冊。

どちらも小説であるので歴史事実とは異なるが、小説・映画・音楽・芸術も同様、そのぼんやりとした時代の景色は垣間見ることができる。

『ハプスブルクの宝剣』上・下巻は、神聖ローマ皇帝家であったハプスブルク家の女帝・マリアテレジアとフランクフルトのユダヤ人居住地区に生まれ育った青年(この青年は架空の人物)とのオーストリア・ウイーンを舞台にした愛憎を描いた作品。
 (この作品は宝塚星組ミュージカルで公演され評判を博したことでも知られる)

『マダムの幻影』は、上記マリアテレジアの11女・マリーアントワネットと嫁いだフランス皇帝ルイ16世と共に1793年断頭台に立たされたフランス革命後を舞台とした歴史小説。その遺児マリー・テレーズ、欧州各地を転々とした薄幸の娘が、今ではマダム・ロワイヤルとして伯父のルイ17世を操る。

読後、”どんな時代も人間は必死に生きてきたんだなあ”という単純明快な歴史事実と宗教及び権力欲望に潜む暗闇を思った。

当時フランクフルトユダヤ人居住地区には2000人程が住んでいたといわれる。

鍔広の帽子、マント、黒い服を義務付けられ、1年間に12組みの結婚しか許されず。
毎年30種以上の税金を課せられ、男性は二人以上では歩いてはならず。
男女とも歩道を歩くことも禁止され、車道をあるくしかなかった。
その規則を破ったユダヤ人が通行人たちに殴り殺されたといった話は稀ではなかったという。



13世紀~15世紀末には全ヨーロッパのほぼ全域からユダヤ人が追放されるか、ゲットーに閉じ込められるかし自由を奪われていたという。

スペインなどでは表面上カトリックを装って心のなかではユダヤ教といわれる「隠れユダヤ教」(アラーノ)もいたとのこと。

(1492年ユダヤ教追放令により、6万人ものユダヤ信者がスペインからポルトガルに流入。16世紀アジアへ流れインドへも離散していった)

その後啓蒙の時代を迎え若干自由を与えられた時代もあったが、常に宗教改革の波が吹き荒れ、光もみられたと同時にその闇も深まっていく。

1536年イエズス会・ザビエルがローマ教皇に設置要望した異端審問所による異教異端の排撃・粛清。陰惨な神聖裁判と火あぶりの刑も行われた歴史事実も見逃してはならないと思う。

後年聖人として列聖されているザビエルですが、ナチスによる恐怖の蛮行をも凌ぐといわれる異端審問所の犯罪行為について、もっと調査研究が行われてしかるべき、、、という人もいる。

魔女狩りは15世紀から18世紀までにかけてみられ、全ヨーロッパで最大4万人が処刑されたと考えられている。

ちなみにトランプのジョーカーの図柄はこの「魔女」からきているとのこと。『インド・ユダヤ人の光と闇』徳永・小岸共著より。

フランス革命が一つの衝撃となり、以後ユダヤ人解放の波は西から東へと進むが、東方の解放は100年位遅れた。

ナチスの悲劇はドイツユダヤ人ではなく、その殆どがその解放の遅れた東のポーランド・ソ連(現ロシア)地域のユダヤ人であったという。

死者の数・ナチスホロコーストでは600万人とも、第二次世界大戦では4000万人とも、、。

以上長々と宗教・権力・欲望のもつ闇の部分を書いてきたが、考えてみれば歴史って殺戮の歴史しか見えてこない。

この世でもっとも生き物を殺戮した動物は、トラでもライオンでもない



先日他界した山崎豊子著『沈まぬ太陽』の一節を思い出した。

主人公がニューヨークのブロンクス動物園に行ったときのこと。
マウンテン・ゴリラとオランウータン舎の間に「鏡の間」と呼ばれる鉄格子をはめ込んだ檻(おり)がある。

そこには人間(自分)の上半身だけを映す鏡があり、その下の説明書きに、、、。

「THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD(世界で最も危険な動物)」と書かれていたという。

なぜか、今はその後「鏡の間」は取り外されているとのこと。


旭山動物園さん、、、是非その「鏡の間」を復活させてくださいな!


読書三昧 (15)藤澤周平著 『海鳴り』

2013年11月03日 | 雑感
北海道は 初冬 山眠る季節が近づいてきました。

肌寒くなってくるとなぜか気持ちも沈んでくる。 そんな時、なぜか藤澤周平の小説を手に取りたくなる。


1992年庄内平野の中心地・鶴岡市生れ。 中学教師をしていたが結核を患い2年で辞め、業界紙記者等の経歴をもつ。

郷里の海坂藩を舞台に下級武士、江戸市井に生きる庶民のいきざまを描く巧みさは見事である。

長編・シリーズもの・短編、、いずれも読後なにか暖かく癒される。

そのなかでも『海鳴り』は最高作品と私は思う。

再読してみることにした。 幾度読んでも実にいい。

紙問屋の主人・新兵衛、、その寄り合いでふとしたことから知りあった同業丸駒屋の妻おこう。

互いに伴侶がありながら道ならぬ恋におちる。 不義密通は御法度の時代である。

46歳初老の主人公と30歳半ばの美しい人妻、、現代の不倫小説ではあるのだが、藤澤時代小説で読めば安らぎをおぼえるのはなぜだろうか。 

主人公を通し、心の隅にある誰しもに潜む "ぼんやりとした不安と打算そして冷徹さ" をも見事に描く。 
また激しい恋ゆえ切ない。 とにかく哀切極まりないのである。


藤澤氏はこの『海鳴り』を書き始めた当初、物語の主人公である新兵衛とおこうを、結末では心中させるつもりでいたという。
だが、書き進むうち二人に情が移り、殺すのが忍びなくなって江戸から二人、おこうの乳母の里・水戸へ駆け落ちするところで幕を閉じたと。 作者としては読者ともども、二人が首尾よく水戸城下まで逃れ、そこでひっそりと暮らしていると思いたい、、、と述懐している。

これが藤澤周平の世界というか、、、【救いの小説】と言われるゆえん、、、そんな気がした。


藤澤周平は「女」で読ませるともよくいわれます。

この『海鳴り』でのおこう。『蝉しぐれ』でのおふく。『用心棒日月抄』での佐知。映画<武士の一分>で有名になった『隠し剣秋風抄』(盲目剣谺返し)での加世もしかり。

なんとも素敵な女性を描いている。 、、、この世にはなかなかいない(失礼!)。


いや必ずいる。  そんな思いであなたもこの『海鳴り』の世界を彷徨ってみてください。

飛び石日記 (2013年 初冬)

2013年11月01日 | 雑感
2013/11/01 記

春 ~山笑う   夏 ~山滴(どどこ)る   秋 ~山装う   冬 ~山眠る  といわれる。

北海道はそろそろ、その 山眠る季節に入ってきました。


モーツアルトの次にショパンを聴いた。 次はバッハかヘンデルを聴こうかと考えていた矢先でした。

井上やすし著『宮沢賢治に聞く』を読んでいたら、こんなことが書かれていた。

「賢治はモーツアルトにあまり関心がなく、ベートーベンを聴くのが大好きだったそうである。」、、、と。

モーツアルトに心酔している私としてはちょっと面白くなく、でもこれも賢治さんが言うなら、”それじゃ、ベートーベン・聴いてみようじゃないか!” という至極単純な反抗心をも秘めた思いで聴いてみることにしました。

ベートーベンというと、『運命』とか年末恒例の第九『合唱』ぐらいしか知りませんでした。

ヘンデルとモーツアルトを心酔していたと聞き、なぜか満足~俺も単純、ハイドンに師事し多くを学んだとのこと。

インドやギリシャ哲学なども読書していたそうです。

いまピアノやヴァイオリン曲から聴き始めている今日この頃ですが、なかなかいい曲があるんですねえ、、、これが。

ピアノソナタ第17番 「テンペスト」第3楽章
横内愛弓(ピアニスト)クリックしてみて下さい

ベートーベンは交響曲や弦楽四重奏曲等の他、民謡の編曲を179曲も残しているという。(イギリスの民謡が多い)

『蛍の光』ご存じですよね。(それなりに歳を重ねた人限定ですが~笑)

ほたるのひかりまどのゆき~♪ 書(ふみ)よむつき日 かさねつつ♪ 
いつしか年もすぎのとを~♪ あけてぞけさ~は わかれゆ~く♪
      、、、あの曲です。

歌曲集では『過ぎ去りしなつかしき日々』Wo0156-11とのタイトルになっております。

スコットランドの民謡ですが、ベートーベンが編曲してるのです。  

あまり知られてないようですが、ベートーベンの旋律とは驚きでした。

しばらくはベートーベンを聴いてみることに。