スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

読書三昧 (13) 昔の本二冊

2013年07月24日 | 雑感
今月25日から三泊四日で仲間と尾瀬に行く予定が一転、ヘルニアを患い二泊三日の入院手術に変更(不笑)を余儀なくされました。

周囲が言われるように、《運動不足と急激な運動》が原因なのか!?

そんな事情で運動も出来ず、若かりし時に(数年前かな?)読んだ本二冊を再読してみました。

同じ本を読んでも、歳を重ねてから読むとまた感じ方も変わるものです。

「この世にはどうにもならないことがある」を切に感じた二冊でした。

● 一冊目は、福永武彦著『草の花』



悶々とした結核病棟施設から物語は始まる。

少年藤木忍との恋とその死、藤木の妹千枝子との二つの恋に破れ、傷つき孤独に耐える主人公・汐見茂思。

二冊の手記ノートを残し、雪の降る日無謀とも思われる手術に挑み、この世を去った。

多感な青年の観念的な一途な想いと、その想いを理解できずに拒否する千枝子。

人がこころに想うことは、、、哀しいかな誰にも。、、、これが世の常なのか。 

なんとも哀切極まりない物語です。

この『草の花』、”隠れた名作”と云われている。


詩人・キリスト者でもある福永武彦。 下記の三島由紀夫と同時代に生きた作家である。

他に著書『忘却の河』『死の島』(日本文学大賞)などがある。


● もう一冊は、三島由紀夫著『春の雪』

『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)全四巻中の第一巻「春の雪」



皇室・貴族の世界を舞台に舞う幽玄なる恋唄とでも云うのでしょうか。

若き松枝清顕と本多繁邦との不思議な友情。

そして清顕(きよあき)と聡子との許されぬ恋。 許されぬまま仏門に入る聡子。 

病気で命短しと悟り、一目だけでもと再三寺門を訪ねるも願い叶わず、、、数日後清顕はこの世を去った。

「この世にはどうにもならないことがある」と理屈ではわかっていても、、、。

三島最後の作品ですが、今時の”本屋大賞”なる商売小説(読者よ騙されるなかれ)とは雲泥の差。 

文章力も深みも異次元の違いである。

いっきに『春の雪』の続編、、第二巻『奔馬(ほんば)』・第三巻『暁の寺』・第四巻『天人五衰』、、と。
 
『奔馬』は、清顕が輪廻転生したとされる青年・勲の海辺での自刃のシーンが三島と見事に重なる。

『暁の寺』以降、本多繁邦の語る≪人間の生きざま・存在とは≫、、最終巻『天人五衰』での結末(本多が仏門の聡子と再会する場面)が衝撃でした。

三島流・仏教の輪廻転生や唯識論(インド大乗仏教の深層心理学)の展開にまで及び、『豊饒の海』は確かに難解ではありましたが、幾度読んでも読み応えのある一冊。

純粋に生きることの危うさ、人間のはかなさ、自刃に突き進んだ三島美学の絵巻物が垣間見えます。


仲間との遠征旅、昨年は八甲田山・その前は白神岳と青森続きでした。

今年は尾瀬(群馬)と水上温泉に行ける予定でした。 ああ! 仲間は旨いお酒と温泉三昧か! 

今頃あの黄色い《ニッコウキスゲ》が咲いているだろうなあ!

下記は山岳会局長より尾瀬に行く数日前に送付されてきたニッコウキスゲの群生(インターネットより抜粋)の様子です(2013年7月)
(クリックしてみて下さい)
http://blog.goo.ne.jp/chutaro0906/e/681b579eb2685541d289b63573e7c634

残念ですが、「この世にはどうにもならないことがある」、、、ってことか。

明日はその≪尾瀬の旅≫の出発の日です。

さ~て、私は、装備済みのリュックを横目に、入院事前準備の冊子でも読むことにしますか!

一休さん

2013年07月11日 | 雑感
そう、あの「とんちの一休さん」の話です。

これほどまでに創られたイメージと実像との違いのある人物も稀ではないでしょうか。

天皇の子として生れ、母と別れわずか6歳で出家、、、とここまではイメージは一致はするのですが、、、。

二度の自殺未遂、師匠からの印可状(悟りが正しいのを認められ)を師の面前で破棄、77歳のとき34歳の盲目の女性を愛し、破壊僧・反骨・風狂の人と呼ばれた人物。

室町時代・応仁の乱まで生き抜いた臨済宗・大徳寺派の禅僧。
著書に『狂雲集』『一休骸骨』『自戒集』などがあり、豪快な詩歌をたくさん残している。

《釈迦という いたずらものが世にいでて おおくの人を まよわするかな》
《一代蔵経は 皆人間を傷めんがためなり あら憎の釈迦どのや いろいろの嘘をついておいて》


 釈迦の説いている教えは、一休にとっては要らぬお節介だとでもいうことか。

《世の中は 食うて稼いで寝て起きて さて そのあとは死ぬるばかりぞ》
《世の中の 生死の道に連れはなし たださびしくも 独死独来》 
《有漏路(迷い)より無漏路(悟り)へかえる一休み 雨降らばふれ 風吹かば吹け》

 、、、、 と人生を達観。  
《人間は、骸骨を皮膚で包んでいるだけだ》 、、、、などとうそぶく。

特に、40歳超年齢差の森女との赤裸々な性愛の歌が『狂雲集』に数多くあり。

その艶詩に《美人の陰に水仙花の香あり》等々、、、信仰と戒律を護る清僧の立場とその破天荒さとのギャップは、幽玄としかいいようがないものがある。

年齢差の極致と言えば江戸時代末期の僧・良寛和尚も確か70歳の時、30歳の貞心尼との恋がある。

どうしてこうも昔の名僧はモテルノカ! どこかが違う。  


仏教は生きることを学ぶ宗教である、、、と聴く。

生きること・死ぬること、、、凡人にはどう考えても解らない、不思議の一語です。



【生死の中の雪降りしきる】 ~山頭火

【やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声】 ~芭蕉

【散る桜 残る桜も 散る桜】 ~良寛和尚

先人はやはり、うまいことを言うものだ。

博多聖福寺・仙涯和尚の臨終に際し、弟子たちが「なにかひとこと」と名僧の後世に残る言葉を期待した。
仙涯和尚は弟子たちの意に反し、、 
【死にとうない】 、、と答えたという。

【今まではひとのことかと思ったが 俺が死ぬとは こいつあたまらん】 ~魯山人

、、、とまあ、このへんが的をえているのかな!?

飛び石日記(2013年7月)

2013年07月06日 | 雑感
(夜景の写真二枚~どちらも携帯にて撮影)



函館空港に降りる大きな鳥(湯の川温泉とあるホテル部屋より)

ふるさと・はこだて、、母と弟家族と私とで、湯の川温泉に一泊。 実家にも立ち寄りのんびりしてきました。

実家は函館郊外・横津岳麓にあり、早朝散歩(山歩き)もしてきたのですが、『熊出没注意』の立て札あり。
怖がりなのでさっさと退散! 以前は熊など出なかったのになあ。



ロマン漂う函館夜景(函館山頂より)

幼い頃、父がよく家の近くの大森浜に『かれい釣り』に連れて行ってくれたよなあ。

ほとんど毎日、小学校のグランドで野球に夢中になっておりましたら、夕方母が『 ~!ご飯だよ~!』ってよく呼びにきてくれたよなあ。
その大きな声が今でも響いてくるようです。

この街に生れ、高校迄住んでおりました。いろんな思い出がぎっしり詰まったそんな街です。