スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

ちと早いが 清き一票を!

2017年09月30日 | 雑感
このハゲー! 報道が少し納まるやいなや、こんどは小池なる人に見事に振り回されている。

リベラルを切り捨てたかった保守議員・特に前原党首は予想外の流れではあるがシメシメといったところか。
それにしてもリベラル民進党議員も情けない。  実質合流に全員満場一致とは節操がない。


前原曰く ” 全員の受け入れを ” 小池曰く ” それはさらさらない ” メディアはこの互いの食い違いを
報道しているようだが、資金も含めこんなのは狸同士の最初からの口裏合わせ通りと私は思う。 

いったいぜんたい政治はどうなってるんじゃい!

以前ある生命科学者が人間をつかさどる何兆もある ≪ 細胞 ≫ の本質を語ってくれていた。

生れたころは薄い壁でまわりの栄養を吸収して成長するが、だんだん守ろう守ろうとする力がわざわいし、
自らに堅い壁を造ってしまい栄養を吸収出来なくなり、細胞は死んでいく というのだ。 

細胞 人間 組織 国 ・・・ ん~ なるほど。   でも納得してばかりもいられない。 

小池百合子 Wikipedia

小池百合子の経歴に日本会議なる政治的右傾の最たる団体の名がある。
確かに 所属団体・議員連盟欄に 日本会議国会議員懇談会(2015年時点に副会長)とある。

昨年ブームになった日本会議関連本がある。 その一冊 青木理著 『日本会議の正体』 を読んだことが
あるのだが、草の根的な右翼団体と銘打っていた。
 

自民党はあまりにも強引だし、、民進党は情けない、共産党もいまいち、 じゃこの緑のかっこいい
おばさんにしようか! などと注目が集まっているようだが、もっとしっかり見なければいけない。

未来の子供たちのために そう 思うはこの一点のみ  世のおっさん おばさんたち しっかり !


明るく 明るく 

2017年09月28日 | 雑感
仲間から薦められた作家(エッセイスト)がいる。 北大路公子という私と同じ札幌に在住する人だ。
    北大路公子Wikipedia

『石の裏にも三年:キミコのダンゴ虫的日常』 (集英社文庫)
『最後のおでん:ああ無情の泥酔日記』 (新潮文庫)     さっそくこの二冊読んでみた。

どうもシリアスな本を先行して読むクセのある私には こうゆうジャンルも ・・・ とにかく面白い。
 
笑える どれもユーモアあふれるエッセイだ。  ネットでみたら この人 趣味は 昼酒 というではないか。  

暫くは 同郷いや同札幌のよしみでもあり、公子さんのエッセイから笑いのエキスを頂戴することに決めた。

明るく 明るく そう 笑顔で生きていきましょう !   あらあら また片ひじ張っている私がいる。

秋の一冊

2017年09月27日 | 雑感
TV・BSをよく観るのだが、世界には難民やら差別やら貧困格差やら、どうにも考えさせられる番組が
多い。 が、日本のはというと相も変わらずの <このハゲー> を幾度聞いたことか。


苦々しく思いながらもそれだけの数観ている私も確かにいるのだが、読書の秋でもあり、
たまには平和ボケを解消すべくと、原爆とか戦争とかの本を手にとってみることもある。 

今回読んだ本は世界各国のストリートチルドレンを取材してきた著者・石井光太(物乞う仏陀など著書多数)
が5年の歳月を費やし浮浪児の大空襲・敗戦のその後を追い続けたノンフィクションだ。 


       

終戦直後の日本に ≪ 浮浪児 ≫ 今では聞き慣れない言葉だが、12万人もの戦災孤児がいたという。

1945年未明の東京大空襲で焼け出され、食べるものもない極限状態のなか、物乞いをし、残飯を食し、
犬を殺し、強奪をしながら、苛酷な状況を生き延びた子供たち。  

前ブログの ≪ 原爆供養塔 ≫ もしかり、平和と言われるこの日本に住む我々にはどうにも想像の域
を出ないのだが、この二冊 (是非一読を) に書かれていた戦争の悲惨さは確かにあっ出来事だ。 

世界を騒がせている隣りの国から核弾頭ミサイル一発でも打ち込まれたら、そう 一瞬でこんなことになる。

夢みたいに野球をしたり、仲間とハイキングの話をしたり、三食一応美味しいものが食べられたり、
それはそれで平和を謳歌している私でも、もっとすることがあるのでは、そんな気がする懺悔の日々。


札幌も もう 秋。  なんと言われようと もうすぐ 雪は降る。  人生にあせりは禁物 なのだが ? 

佐伯敏子さん

2017年09月21日 | 雑感
今朝の道新に ≪ 核禁止条約の署名開始 廃絶の道 依然厳しく米朝間の緊張 逆風に ≫ と掲載あり。

我が日本は被爆国であるにもかかわらず、依然著名を拒否。 その理由はというと・・・。

  ● 唯一の被爆国として核兵器のない世界を目指す
  ● 米国の「核の傘」を最も重視
  ● 禁止条約は核保有国と非保有国の分断を一層深める     
とあった。

久しぶりに夜を徹して読んだ本がある。  

『 原爆供養塔 』 著者・堀川惠子 ( 1969年広島生のフリーのジャーナリスト・第47回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作 ) 

広島の平和記念公園の片隅にある直径16メートル・高さ3.5メートルほどの小さな小山のような
塚があり、そこには原爆で亡くなったおよそ7万柱もの遺骨が眠っているという。 
小さな骨箱には名前住所もかかれているが、大きな箱には大量にひとまとめにされた遺骨が納められている。

そこで40年もの間 毎日ごみを拾い掃除をし、這いつくばって草とりをし、遺骨の遺族を探し歩き、
原爆の実体験を道行く人々に語り続け、「 ヒロシマの大母さん 」 と呼ばれていた小柄な女性がいたという。


名は佐伯敏子。   佐伯敏子Wikipedia
 

引き取り手なき遺骨の謎と、その人の一生を通して原爆の惨状を描いた本格ノンフィクション作品だ。
 
    

ちょっと抜粋して記しておきたいことがある。

原爆投下から数カ月の地元誌には
「住んで害なし」 「弱かった放射力」 「米誌が原子爆弾持続性を否定」 しまいには
「南瓜も薬になる」 など今思えばばかげた、そんな後遺症を否定する記事ばかりだったという。

その後GHQによる検閲が始まると、特に放射線による人体への影響を掲載することは
最大のタブーとされ、記事にもなくなり正しい情報が与えられなくなっていったようだ。

アメリカは原爆投下の翌月から調査団を派遣、国防総省直轄の放射線影響を探る調査委員会をも
広島に設置、被爆者の検体を定期的に採取、病状悪化をつぶさに観察、亡くなればその遺体を
切り刻んで組織を保存、放射能による人体への影響を秘密裏に調べ続けたという。

被爆者の治療に役立てられることはなかったようだ。治療を行えば、その影響が分からなく
なるからだというではないか。


ところがだ、日本においてもこんなことが書かれていた。

日本海軍の主要拠点は被害を受けなかったようで、いち早く爆弾の情報収集に走り、
被災者の白血球を採取のために看護婦らを広島に送りだした。
土も採取、放射線の影響を図るべく調査に乗り出した記録もある。

しかし何故か広島が未曾有の大惨事に見舞われた後、その海軍兵学校から
広島に救援に入った者はおらず、上官に制しされ引き返したと語る者もいたという。

つまりは彼らは早くから放射線の人体への影響、その恐ろしさを察知していたとの憶測だ。

戦後その同僚だった(三期生)人が海軍の元関係者に、なぜ救援に向かわなかったのかを
尋ねる質問状を出したが、今にいたるまで返事はないという。

もっとあるが、当ブログでは既に長くなっているのでこれまで、是非この本を読んでいただきたい。
原爆供養塔における広島市や国の情けない対応ぶりなど、詳細に書かれている。

この本、ノンフィクションとしての極致作品かも知れませんよ。  

当時93歳、今も老人保健施設で過ごしているという佐伯さんのインタビューの言葉が末尾に紹介されていた。

    哀しみも喜びもみな自分が作るの、人が作るんじゃない。
    自分のものの思い方で、喜びも怒りも悲しみも生れるし、争いも生れる。
    じゃからこの歳になってもね、自分との戦いなんよ。
    強くならないといけないね、強ければ相手に優しくできるでしょ。
    ひとりひとりの心が強くなれば、戦争だって起きんのよ。
    大切なのは力じゃなくて、心じゃからね。


爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡、それよりも爆心地に近い地域では
80~100%と推定され、死者は14万とも、正確な死者数はいまもって不明とのことです。


世界に核弾頭 なんと15000発 もあるという。 

いま世間を騒がせている水爆はこの原爆の100から1000倍の威力というではないですか !




水爆 恐ろしや (追伸)

2017年09月05日 | 雑感
前ブログで、核の脅威には念仏を唱えるしかないなどと言ってしまったが、いやはや人間は ・・。

核シェルターなる いわゆる防空壕だ。
スイス・イスラエルは100%、アメリカは82%、ロシア78%、イギリス67%、シンガポールでも54%だが、なんと日本の普及率は0.02%。
ちなみに今朝のテレビでは韓国には18000ヶ所・国民5100万人が避難できるという。

      

日本でも家庭用の核シェルターの問合せ及び注文が殺到しているというではないか。 

楽天でも扱っているそうで、上写真は家庭用で1~8名入る事が可能だそうですよ。  
息はどうやって吸うのでしょうか。  納期は未定とあった !

価格はなんと 8,400,000円 税込送料別とあった。

水爆 恐ろしや

2017年09月05日 | 雑感
朝刊に北朝鮮、核実験6回目 ≪ ICBM搭載用水爆実験に成功 ≫ の記事が掲載されていた。

今回のエネルギーは最大規模、1945年広島に投下された原爆の4倍のエネルギーだという。
マティス米国防長官は3日、米国は北朝鮮からの脅威に対し 「大規模な軍事対応」 の構えを示唆。


とはいうものの外交優先策を取るだろう、中国・ロシアも「強烈に批難・最大限に避難する」 とこれも建前論、
石油を停めるところまでは無理なような気がする。 日本の得意言葉 <遺憾に思う> と大差はない。

テレビでは中国はメンツを潰された、とかなんとか・・・いやいや百戦錬磨・中国はそんな、もっとしたたかだ。
これは中ソと米の大国に戦いだ。 日韓は勿論カヤの外、得意の念仏を唱えるしかないのかも。

仏教・涅槃経に <一切衆生悉有仏性> というのがある。 この世のすべてに仏性が宿るという
日本人が最も愛する言葉のようだが、これ、その後に <除一闡提(じょいっせんだい)> と続くようだ。
  

除一闡提(じょいっせんだい) 一闡提とは極悪人という意味なのだそうだ。
原語の「イッチャンティカ」という、その音を写したものらしいが、仏教でさえそんな調子だ。

立場を逆にすれば、ISもしかり北挑戦もみな相手を <極悪人> と称している。 
何が善、何が悪と問うよりも いやいや 人がこの地球上に存在する限りはその争いは絶えない。


BSで放映され当ブログでも一度取り上げたが < バーバリーマカク > という猿がいるらしい。 
アルジェリア・モロッコ・イギリス領ジブラルタルだけの針葉樹林に生息するという。

ほとんど争わない極めて平和な猿のようだ。 稀に争いがあると相手をなだめるのだという。

水爆 恐ろしや などと叫ぶだけではらちがあかない。 人はこの猿の生態に学ぶしかないようだ。

       
   (極似しているが、争いが絶えない日本猿とは趣が違うようだ)





 


ある花嫁

2017年09月04日 | 雑感
処刑から20年、獄中で死刑囚の花嫁となった人の、二人の461通もの往復書簡が今年の春公開された。

ご存知だろうか、永山則夫当時 19歳。 1968年に4人もの人を銃で殺害し当時の日本を震撼させ、
獄中で書いた 『 無知の涙 』 がベストセラーにもなったあの事件だ。
   

        

当時、私も 『 無知の涙 』 を読んだことがあるのですが、自らの貧困・生い立ちから犯罪へと
至る過程をどこか正当化しているような、そんな思いを著者の奥底に感じたものです。
 

被害者と加害者、未成年の問題、死刑の是非論、現代でもその解釈は十人十色。

一審死刑、そして無期懲役、高裁の無期懲役を破棄し差し戻しとの判決、そして再び死刑となる。

一旦生きろとの判決(無期懲役)から一転死ね(死刑)との判決、想像を絶する葛藤だったに違いない。
その時から二人の心は通じ合わなくなり、ついに離婚。 7年後の1997年死刑執行。

元妻は遺言通り遺骨を網走の海に散骨するのですが、散骨する際 彼女はこう言ったという。

 「 彼の悲しみの始まりがここだったから。ここに何があるのかを確かめたかったのよ 」
 「 則夫と生きたからこそ、いま私はこうして生きていくことができている 」


今回この書簡集読ませていただいた限りでは、あるんですねぇ これほどまでの純粋な愛の形って。

小池さん

2017年09月03日 | 雑感
< 紙とペン 探してる間に 句を忘れ >   < もの忘れ このまま全部 忘れたい >
シルバー川柳じゃないが、テレビを観ながらメモっていた紙切れが見つからずに数日、ようやく発見。

前ブログでのタゴールの詩、紹介したのがインドコルカタ旅のナビゲーターをつとめた小池昌代の名と判明。
1959年生れ  詩人。  数々の文学賞受賞しており、詩集・エッセイ・絵本の翻訳など多数あり。 

早速彼女の詩集やらエッセイを読んでみた。  ちょっと魅力ある女性を知ったらすぐ行動(笑)。
世の中けっこう素晴らしい人っているものですね。  最近ようやく見えてきました。  遅いか !

     
            小池昌代wikipedia

  ≪ 罠 ( わな ) ≫

    山道をゆく わたしたちの 目線より少しうえ
    枝と枝のあいだの小暗い空間に
    初夏の木漏れ日が不意に差し
    そこに透明な蜘蛛の巣があらわれた

    山のなかに そっと仕掛けられた見えない罠が
    光の一撃で 静かにあばかれている

    大掛かりに編みこまれた精妙な美しさに 
    わたしたちはみとれて 言葉を失った
    それが罠であることもすっかり忘れて

    生きるとは 通過すること

    蜘蛛の巣の罠のこちら側と向こう側
    生は連続して あたりじゅうに満ちているのだったが
    それを断絶する見えない手が
    不意に頭上に かざされるときがくる

    山道でひとり ふりかえれば 
    再び透き通って見えなくなった蜘蛛の巣

    宙空には 死角に掲げられた表札のように
    囚われた枯葉が 一枚揺れていた



朝夕めっきり肌寒くなってきました。  札幌での枯葉の秋ももうすぐですね。
コーヒー色に染まった山道を歩くのもいいものです。

 
先日途中断念した栄町から藻岩山頂上迄(4時間ほどか)、情けなさからの解脱をしなければ今年は暮れぬ !


インドの詩人・タゴール

2017年09月01日 | 雑感
BSテレビでインド特集が組まれていてラビンドラナート・タゴールという詩人を知りました。 

いいい詩があったので抜粋してみます。   『 タゴール死生の詩 』(森本達雄編訳)より

インドの詩人 (1861~1941) ・ アジア人として初めてのノーベル賞(文学賞)受賞者。
                                タゴールWikipedia
       

≪ ギタンジャリ ≫ より ( 十二 )

 おお 死よ わたしの死よ 生を最後に完成させるものよ
 来ておくれ わたしに囁きかけておくれ。

 来る日も 来る日も、わたしは おまえを待ちうけてきた 
 おまえのために 人生の喜びにも痛みにも わたしは じっと耐えてきた。

 私の存在 所有 望み 愛 すべてが 秘かな深みで たえずおまえに向かって流れていた。
 最後に ひとたびおまえが目くばせすれば わたしの生命は 永遠におまえのものになるだろう。
 ・・・・・・・・


≪ ギタンジャリ ≫ より ( 十三)

  わたしは知っている いつの日か 地上のものが見えなくなり 
  生命が わたしの目に最後の帷(とばり)をおろして 静かに 立ち去る日が来るだろうことを。

  それでも 星々は 夜どおしまたたき 朝は 変わることなく 明けそめるだろう。
  そして時は 海の浪のように高まり 喜びや苦しみを打ち上げるだろう。

  わたしの時間のこの終焉を思うとき 刻々にきざまれる瞬間の仕切りは破れる
  そして死の光にすかして 巧まぬ財宝にみちたおんみの世界を わたしは見る。

  そこでは どんな賤しい座も すばらしく どんな卑しい生命も 尊い。

  わたしが求めて得られかったものも 得たものも みんな 消え去るがいい。

  ただ わたしがかつて 退けたもの 見のがしてきたものを まこと この手に持たせてください。


≪ 最後のうた ≫ より ( 二 )

  死はラーフ(悪魔)のように ただ影をなげかけるだけ
  生命の聖い甘露までは その無感覚な口に 呑みこむことはできない
 
  このことを たしかにわたしは知っている。

  愛の永遠の価値を 完全に騙し取る
  そのような掠奪者が 世界の洞窟の奥深くにひそんではいない

  このことを たしかにわたしは知っている。

  この上もない虚偽を そのうちに秘めた見せかけであったという
  存在のこの日常の汚点が 世界の法とともに存続するものではない

  このことを たしかにわたしは知っている。

  ものみなは 小止みない変化のうちに 迅速に移ろいゆく
  これこそ 時の法則。  死は どこまでも不変のものとして現れる。


≪ 最後のうた ≫ より ( 十三 )

  初めての日の太陽が 新しい存在の出現にあたって たずねた

  おまえは誰か ?  返事はなかった。

  年また年は過ぎ去り 最後の日の太陽が  静かな夕暮れ
  西の海の岸辺で 最後の問いをなげかけた

  おまえは誰か?  答えはなかった。



タゴールのように人生を達観できる人は稀かも知れませんがね。 
私なんぞここ数年で二度の大病を経験しましたが、平静を装ってはいたものの 心の中は オロオロでした。

人間 生きているあいだは死なないようです。  まぁ そう単純に考え 生き切りましょう!

私の仲間(ハンドルネーム・白頭人)のHPにもインドの旅がある。是非クリックしてみて下さい。
今月インド南部にも出向くようですよ。
 
   白頭人・世界紀行