スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

風太郎さん パートⅢ (あとがき)

2017年05月30日 | 雑感
山田風太郎著 『 戦中派不戦日記 』 は昭和20年・終戦の年の一年間を綴った日記である。
                                  当ブログ 風太郎さんパートⅠ 風太郎さんパートⅡ 
 五月一日(火)曇り
   新宿駅前廃墟の中の大立札に墨痕淋漓、
   「家は焼けても心は焼けぬ 糞!鬼畜ルメーに負けてなるか 起て!日本人!」
   終日曇天、烈風砂を巻いて猛る。 正午よりB29二機来る。・・・・・・・

 五月二日(水)雨
   ヒトラー総統ついに死せりとのニュース放送されたり。  ・・・・・・・・・・・
   近来巨星しきりに墜つ。 ヒトラーの死は予期の外あらずといえども、吾らの心胸に実に
   能わざる感慨を起こさんばやまず、彼や実に英雄なりき! ・・・・・・・・

 五月三日(木)曇
   午後三時B29一機来。  ・・・・・・・・・・・
   夕、鈴木首相より、日本なお戦いぬかんとの放送あり。 勿論なり。
   しかれども風呂屋にゆけば民衆の顔みなう憂う。 いくら憂いても憂い足らざる顔なり。
   サイパン落ちてみな悲しみき。 ・・・・・・・・・・・
   断じて屈するなかれ。 恥を知り死を恐れざる民族たれ!


この本(日記)の ≪ あとがき ≫ に山田風太郎はこう記している。
  ・・・・・・・・・・・・・
  そしてまた現在の自分を思うと、この日記中の自分は別人のごとくである。
  昭和二十年以前の「歳月と教育」の恐ろしさもさることながら、それ以後の「歳月と教育」
  の恐ろしさよ、日本人そのものがあの当時は今の日本人とは別の日本人であったのだ。
  ・・・・・・・・・・・・・
  しかし、それはほんとうに別の存在であるか。
  私はいまの自分を「世を忍ぶかりの姿」のように思うことがしばしばある。
  そして日本人もいまの日本人がほんとうの姿なのか。
  また三十年ほどたったら、いまの日本人を浮薄で滑稽な別の人種のように思うことにはならないか。
  いや見ようによっては、私も日本人も、過去、現在、未来、同じものではあるまいか。
  ・・・・・・・・・・・・・
  人は変わらない。 そして、おそらく人間のひき起こすことも。
 
                                     昭和四十八年二月  山田風太郎

勿論戦争を直接体験していない私などには、実感としての戦争の恐ろしさは知るよしもない
のではあるが、その終戦前夜の人々の日常やその息使いが確かに僅かではあるが聴こえて来た。


人間とは不思議なものである。 いろんな色に染まってしまう。 それも いとも簡単にである。 
しかも その染められた色さえも知らないでいるようだ。  勿論あなたも 私も そちらの方も。


是非通読をお勧めしたい一冊  (新装版・講談社文庫本) である。
                      

風太郎さん パートⅡ (銭湯の話)

2017年05月29日 | 雑感
最近の母との会話では極力、 むかし・母の若かりし頃の話を聞くようにしている。
なぜか記憶力がそこら辺りが強いようなのです。  先日は銭湯での話をしておりました。

 ” あんた(戦後・当時の私は乳幼児)を連れ、近くの銭湯に行った時のこと。
  配給されたばかりのタオルに包み連れて行くと、風呂から上がり気がついたらもうそのタオルが盗まれて無い。
   もう悔しくて悔しくて ・・・ ”
  

母の話は戦後まもなくのこと、ここからは山田風太郎著 『 戦中派不戦日記 』 
に書かれていた戦中・昭和20年(終戦の年)の悲惨な銭湯事情の抜粋です。

       

三年前は七銭だったという風呂代は値あがってこの年すでに十二銭にも。

≪ 一月七日(日)晴 ≫ の日記にこうあった。
  銭湯。 ・・・ 去年大阪帝大の医学部で検査してみたら、夜七時以後の銭湯の細菌数、不純物
  は、道頓堀のどぶに匹敵したそうである。
  ・・・・・・・・・・・
  いよいよ風呂に入る。 わき返った道頓堀に入る。
  灰桃色の臭い蒸気の中にみちみちてうごめく灰桃色の肉体 ! 湯槽は乳色にとろんとして、
  さし入れた足は水面を越えるともう見えない。

  皆疲れきった顔。 壁の向こうの女湯も以前はべちゃべちゃと笑う声、叫ぶ声、
  子供の泣く声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、
  今はひっそりと死のごとくである。 女たちもつかれているのである。

                                        と こういう感じだったそうだ。 

工場の油に汚れる人が激増、防空壕堀り、日々夜毎の空襲に穴に飛びこんだり地に這ったり、
石鹸等の不足も重なり汚れ放題。 それに加え燃料・人手不足で風呂屋も激減。


銭湯の壁には警察署と書いた<盗難注意>の張り紙がべたべたと貼ってある。
普通の履物を履いて行けばほぼ盗まれたという。 ある人は男と女と片かたの下駄をはいていって、
これなら大丈夫と安心していたら、あにはからんや見事に持っていかれたとの悲劇談もあり。

衣服を入れる籠も壊れて補充なくして限りあり、たいてい10分ほど空くのを待つ状態。
前年の夏全都に流行った発疹チフスはこの銭湯の籠に媒介する虱(しらみ)が原因だったとも。 
 

それでも銭湯に来るは何ひとつの娯楽もなく、火鉢一つ抱けない時勢なので、暖をとる、
このただ一つの目的のためこの汚い銭湯に入るよりほかがない、そんな銭湯事情だったようです。


この日記の読後感、どんな状況でも日常は続くということ、そして人は以外に呑気だということを知る。

カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化
に慣れ、生命の危機と気づかないうち ・・・ と 嘘かまことかは知らないが、この話知ってますよね。

テロやら北朝鮮やらで、きな臭さが匂う昨今の世界情勢のなか、どう向き合えばいいのでしょうか。

現代のそこそこきれいな銭湯でも行って ・・・ ん ~ 考えても ん ~ 。


墓標には水仙がよく似合う

2017年05月17日 | 雑感
母の一人住む実家・七飯町に行ってきました。  今回は神奈川に住む三つ違いの弟と合流です。

近くの桜並木は既に葉桜となっていたが、夜は久しぶりの三人での晩さん、昔話に花が咲いた。 
老いると直近のことは忘れるが、昔のことを持ちだすと随分と鮮明に語るものですね。 不思議です。


   
   散る桜 残る桜も 散る桜 か。   往路途中にある森町オニウシ公園の桜も散り始めておりました。
                                          
弟を空港に送って実家に戻る途中、フラッと一人父の墓へ立ち寄りました。
だいたい普段墓参りなどろくにせずにいる不肖の息子なのですが、母のこともあり、こんな時だけご先祖頼み!

弟は父の墓参りをと言っていたが、今回何かと忙しく二人そろっては行けず仕舞い。 
私も ” 行けなくても父ならわかってくれるよ ” などと勝手な理屈でうそぶいていた始末でした。

手を合わせ、お水を入れようと台下の湯のみを取り出すと、なんとその茶碗 割れているではないか。 
きっと冬の寒さで湯のみ茶碗が凍ってしまい、割れて底が抜け落ちたようです。 

” 花も線香も持たず 墓参に来るとは何事ぞ 出なおして来い! ”  そんな声が聞こえて来た。

ご先祖さまのお叱りをいただき、かなり後ろめたい気持ちにもなり、翌朝早く再度の墓参りと合いなった。

        
                                            (写真ネットより)
実家にあった うぐいす文様の湯飲み茶わん、母に聞くと生前父が飲んでいた湯のみと言う。
それに線香一式、庭に咲いていた黄色い水仙・ピンク色のチューリップ・青いムスカリを抱え再び車を走らせた。


父には温かいお茶、祖父には好きだったお酒、祖母には甘味カステラ、ご先祖様には南アルプスのお水を持参。 

太宰治の ” 富士には月見草がよく似合う ” じゃないが  ” 墓標には水仙がよく似合う ”

菊の花やらのパターン化された花々よりもずーっといい。 
この三花の色の組み合わせ、墓には実によく映える。  しばしのあいだ見とれていた。


普段は無宗教無神論をきどっているスノーマンだが、DNAって凄いものですね。 
                                亡き父に母の無事を祈っている自分がいた。


五月の風

2017年05月07日 | 雑感
札幌  百合が原  今日の気温は17度晴れ    まだ五月  もう五月  五月の風が吹いていた。  


  

  

サクラは やはりこの ソメイヨシノ がいいですね。  

   

プラタナスの木陰に咲くは水仙。   小鳥もさえずる。

   

真っ白いモクレンが咲いていた。  後方には こぶし。  黄色い花 君の名は ?

   

   

色とりどりのチューリップも咲き始めている。  

   

青いは ムスカリ。   タンポポ はいつみても可憐だ。

ここは百合が原。 その百合の咲くはまだ先。   恋する 藤の花も まだ つぼみだ。

10日からまた七飯町の実家へ向かう。  近くのさくら並木はもう散るころかなぁ。
 



風太郎さん パートⅠ

2017年05月01日 | 雑感
自民党の下村という男が、高校授業料無償化なるを憲法に盛り込むとの発案しているようだ。

勿論現憲法については喧々諤々、各論相当の歪みもあり議論の余地は無いとはいえないが、
聞こえの言いことを憲法改正の隠れ蓑に ・・ そう、 誰が見てもそうとしか思えないのである。


騙されちゃいけません。   政治家というのは手品師でもあるのだから。

先日BSで < プレミアムカフェ 山田風太郎が見た日本 > という番組が放映されていた。
俳優・三國連太郎が彼の新たな日記が見つかったとのことで自宅を訪ねるという番組でした。

山田風太郎 (1922- 2001) に日記エッセイ風に仕立てた本がある。
身体が弱く兵役検査不合格となり、くしくも生き残ったという負い目を背負いながら
したためた日記という。 1300もの太平洋戦争に携わった人々の書も読み三十年後に刊行された。


    
                              山田風太郎            これ三國連太郎

その山田風太郎の  『 戦中派不戦日記 』 という一冊にこんなことが書かれていた。  

  「 人は変わらない おそらく人間のひき起こすことも
            ・・・・・・ 戦争などもすぐにやるだろう 」
 ・・・ と。

憲法改正が即戦争に繋がるとは思いたくもないが、今朝の道新 < 安保法新任務きょう初実施 >
< 米艦防護 防衛相が命令 > との記事を読むと、相手は敵の連合艦隊とみるは至極当然のことだ。


正に人の考え、なすことはいつの時代も変わらないのである。 

時には厳しく、時にはユーモアをもって世相を一刀両断する。   私もいっぺんに心酔した。

 「 尾崎放哉の < 咳をしてもひとり > という名句がある。
   これ以上もこれよりも短い句をつくる。  ・・・ < 屁 か > 」
    
                         日記のこのくだりを読んだ三國さんも苦笑い。  これぞ名句だ。 

ネットの ≪ Wikipedia ≫ では娯楽小説家の一人と紹介しているが、そんなくくりの作家ではない気がした。
      
一世を風靡したという忍者もの作品の一つ 『 伊賀忍法帖 』 と数年前に新たに発見された
というデビュー前の七編の未発表作品、いまその作品集を並行して読んでいるがどれも傑作だ。
                             暫くはこの天才作家の作品に没頭しそうである。