スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

フォールスメモリー

2015年03月29日 | 雑感
 BS・NHKスペシャル 『死ぬとき心はどうなるか』(立花 隆 臨死体験・神秘体験を追う)
という番組が先日三夜連続で放映されておりました


 知の巨人といわれるジャーナリスト・立花 隆がライフワークとして20数年前から探究してきた
テーマでもあった。


 こんな実験をしていた。

 マウス(ねずみ)に 【安心な部屋】 にいるという情報を繰り返し植え付けた後、【危険な部屋】
 に移動させ電気ショックを与えると、【安心な部屋】 に戻しても不安な行動を取り続けるという。

 人間は想像力を持っており、このイマジネーションを反すう・合体し文化文明を作ってきた。

 番組で、利根川進氏(ノーベル賞受賞した脳神経学の権威)がこんなことを話していた。 
    
  『 人間は偽の記憶(フォールスメモリーと呼ぶ)を作りやすい動物で、実際の環境とは関係なく
   誤った記憶や感覚を本物だと信じてしまう生きものだ 』
 というのだ。

 なるほど、と思った。 人間は妄想、妄想で固められてきた・・・とでもいうのだろうか。

 立花氏曰く。 ≪われ思う ゆえに われあり≫じゃなく≪われ思う ゆえに われ過(あやま)つ≫・・・だと。

 そんなところに 一番間違いやすい、起こりやすい 人間の本性がある のだそうだ。

 臨死体験・神秘体験もこの脳内で創られたフォールスメモリーなのではないか・・・とも語っていた。

     

 現代の脳科学は急速に進歩してきているようです。

 人間の脳内分析、脳のどの部位に視覚・聴覚、感覚や感情・行動・記憶があるかなど分かってきている。

脳科学によれば、意識(自我)は左脳だけに深く関係しているという。

 その意識をつかさどる脳内神経細胞は単体では存在せず、複雑に絡まっており、
 その神経回路に微弱電流を流し、その動き・拡がりを解明するなど研究が進む・・・
 数式でも表せるというのだ。

 その数式はこのようだ。
 φ(X(mech,χ1))=H|p(X0(mech,χ1)||ΠP(kM0(mech,μ1))]  ・・・ 笑っちゃいけません。

 さて、人は必ず死ぬ。 私もそうあなたも。 その時どんな神秘が待っているのだろうか。

 以前、玄侑 宗久という作家(臨済宗の僧・芥川賞受賞)がある本でこう書いていたのを思い出した。

 人間が死ぬ瞬間、40グラム減るらしい。
 1グラム減らすエネルギーはといえば水泳プール・500杯分を蒸発させうるエネルギーに相当するという。

 それにしても物凄いエネルギーだ。  魂の瞬間移動くらいは簡単に出来そうですね。


赤毛の司祭・ヴィヴァルディ

2015年03月22日 | 雑感
最近何を聴こうかと迷い、取りあえず最も好きなモーツアルトを繰り返し聴いておりましたが、遅まきながら
バロックの時代に戻りヴィヴァルディを聴きはじめたところです。


ヴィヴァルディ( 1678年 - 1741年)はヴェネツィア生れ・バ゛ロック後期の作曲家・ヴァイオリン奏者・ウイーンで没す。 
(ヴェネツィア・サンマルコ大聖堂・ピエタ慈善院の 【 赤毛の司祭 】 と呼ばれた聖職者でもあった)


  海上都市・ヴェネツィア。 ゴンドラが往きかう        謝肉祭・仮面を被り社会的制約を解き放つ
    
「四季」などの協奏曲は有名ですが、モーツアルトの600数十曲を超える800超もの曲を書いたという。
バッハやハイドン、ヘンデル、モーツアルトやベートーベンにも多大な影響を与えたようです。

クラシックを聴いてもう4年ほどになるが、やはりバロックや古典派音楽が好きですね。 

19世紀に活躍したマーラーやワーグナー、ブルックナーなども聞いたが 壮大さは感じるがどうもピンとこない。 
好きになれなかった。 良さが解らないのかもしれませんがね・・・。 

バッハなどバロック音楽は宗教色が強く、教会音楽という権威の枠にはめられた時代。でもなぜかその中に人間の
素朴さを秘めた荘厳な旋律を強く感じます。 

それが、世相もだんだん自由な時代になってくるに従い、巧く創ろうとか 感動させようとか の人間の厭味
みたいなものが曲に溢れ出てくるような気が、どうもするんですね。


人は自由すぎるとだんだんダメになっていくのかも知れません。

ヴィヴァルディの音楽は、バッハの荘厳さ・ヘンデルのモダンさ・モーツアルトの哀感を足して割ったような曲の数々。
特に下の 『 調和の霊感 』 というヴァイオリン協奏曲(集)の響きは最高です。クリックしてみて下さい。

     a-moll for violin, strings and cembalo
     a minor for two violins

銀河宇宙の彼方へ往ったら弾いてみたいですね。 一念発起してヴァイオリンでも習いますか・・!?。

       

光陰矢のごとし

2015年03月19日 | 雑感
あの地下鉄サリン事件が起きてから明日で早20年になる。

日本国中がその報道にくぎ付けになった衝撃的な事件だ。 
死者13人重軽傷6000人以上を出した無差別テロで、いまだにその後遺症に悩む人達も多数いるという。

当時、信者が出家在家含め1万超もいてその殆どが若者だったようだ。

麻原彰晃なるものが扇動し起こした事件とはいえ、現代に蔓延るテロや過激派IS(イスラム国)への若者の
加入など、生かせる教訓は少なくないと思う。

地下鉄でのサリン散布役には死刑が言い渡されたが、一人だけ無期懲役となった人がいる。

林 郁夫 受刑者だ。 

 1947年、東京品川で父親が医師、母親が薬剤師の開業医の家に生まれた。
 慶應義塾大学医学部等に在籍、心臓外科の名医として石原裕次郎の手術チームの一員でもあったという。
 桐山靖雄の阿含宗の正式な信徒となり、約12年在籍経験もあり。
 出家の際、全財産8000万円、車2台を布施として寄付したともいわれる。


無差別大量殺人事件の実行犯に対し検察側が自発的に求刑を軽減(死刑ではなく無期懲役)するのは
極めて異例のことであった。 検察側も林側も控訴せず、一審で確定した。


死刑を免れた理由として山室惠裁判長は「自己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。
極刑が予想されるなか、臆することなく決定的に不利な事項にまで及んでおり、覚悟したうえでの胸中の吐露
であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。」とした。

当時サリン事件で亡くなった被害者の名前を毎日念仏で唱えていると報道されてもいた。

無期懲役論告求刑・毎日新聞より(クリック)

公判の中で、遺族・被害者側が「改悛の情がある」として、必ずしも死刑を求めなかったという。

当時文藝春秋に林郁夫の手記が発表された。 出版本ともなり、ある人の紹介で読んだことがあった。

        

今は受刑者か。 事件後は当然の如く死刑が予想された。 ≪罪を憎んで人を憎まず≫とのことわざがある。

林容疑者は死刑になるだろうが、もしこの人が死んだ後この世に舞い戻ったならきっとこの人を慕うだろう
・・・とまでこの懺悔・告白本を読んで思ったものである。


なぜこの人だけに減刑が、と当然いろんな論があるでしょう。裁判を有利に進める為の策略だとかいろいろね。
でも そうは思わなかったなぁ。
 
オウムの元信者は、現在も「アレフ」や「ひかりの輪」名に分派し活動しているようだ。
潜入したこともないのでなんとも批判は出来ないが、団体規制法に基づく観察処分の対象になっているという。

当時 麻原彰晃の書いたという本も何冊か読んでみた。 
きっと 修業が足りないせいなのか ・・・どう読んでも私には理解できなかった。 そんなことを思い出す。


それにしても衝撃的な、痛ましい、そして悲しい事件でもあった。

洋ランの花 ・乱舞

2015年03月14日 | 雑感
今朝も そとは雪。 爆弾低気圧なるもので徐々に暖かくなってきた北海道も 冬に逆戻り。

温室育ちの花々には知ったこっちゃない。 札幌・百合が原公園内で洋ラン展が開催され観賞してきた。

 ≪ 洋 ラ ン 八 種 ≫ 

   

   

   

   

   

   

   

    

 ≪ 椿 三 種 ≫ 

   

   

   

 ≪ つ つ じ 二 種 ≫ 

   

   

       

酒場詩人

2015年03月13日 | 雑感
ご存じ酒場詩人・吉田 類だ。

酒と俳句(自由律俳句含)といえば思い浮かぶのは牧水や桂月そして山頭火あたりか。

山頭火は言うに及ばず、若山牧水の死因はアルコール性肝硬変、大町桂月もアルコール依存症を病んだという。

吉田さん大丈夫かと思いきや、酒を呑みながらも味のある句を詠む、相変わらずのご活躍。

経歴も面白い。仏教美術や古代史にも造詣深く、画家として欧州を中心に旅を続けイラストレーターに転身。
無頼の酒場詩人として酒場や旅をテーマに執筆活動に入り、BS『酒場放浪記』で一躍時の人となる。


三冊読んでみた。 『 旅と酒場俳句 』 『 酒場歳時記 』 『 立ち呑み詩人のすすめ 』

各地の酒場の話あり 古事記の話あり 仏典の話あり 趣味の登山の話あり 句会の話あり ・・・・・。

その俳句とやらをいくつか抜いてみた。 いい句です。

    ● 美女酔うて 色なき風に 吐息のせ

    ● 居酒屋に 雪女の跡 今しがた

    ● 湯気のぼる 胎内酒場に 春の宵

    ● 串かつを 半見構えで 喰らう夏

    ● 僧に非ず 俗とも成れず 火酒呑む

    ● 酔う女(ひと)の 仕草や風に 月見草

    ● 辛くちの 酔ひは景虎 おぼろ月 


  
                                            (くれぐれも呑み過ぎないように)

吉田 類さんは俳句愛好会を主宰しているようで、その句会は<カンパーイ>の掛け声で始まり
盃を空けるのが作法のひとつで、酒と俳句を媒介としてメンバーは真剣に遊ぶのだそうです。


なんとも羨ましい限りですね。

句会ではキラキラと輝くような句が披露されることもあるという、一句抜いて紹介しておりました。

20代後半の女性の句だそうです。

     狂ほしく 身を投げだして 花筏(はないかだ)

花筏は春の季語で、散った桜の花びらが筏状に水面へ浮かぶ光景を指す。はかなくも美しい抒情詩。


いいですねぇ 類さんの句よりいいじゃないですか(笑)。


奇妙な 類人猿

2015年03月11日 | 雑感
バーバリーマカクという猿がいる。 アルジェリア・モロッコ、イギリス領ジブラルタルだけの針葉樹林に生息する。

ほとんど争わない極めて平和な猿のようだ。 稀に争いがあると相手をなだめるのだという。

       
   (極似しているが、争いが絶えない日本猿とは趣が違うようだ)

先日BSテレビでこのバーバリーマカクの生態を放映していたが、こんな賢い生き物も地球にはまだいるんですね。

それに比べ 地球を征服したつもりの類人猿とくりゃ IS(イスラム国)だの テロだのと相変わらずの体たらく。 

昨日の朝刊(道新)でも、ISの多数の幹部はイラク戦争時アメリカがつくった拘置施設「キャンプ・ブッカ」収容中に
連携し、ISの基盤となった・・・・との経緯がシンクタンク調査で明らかにされたとの記事がでていた。

なんとも笑えない話だ。

過去、ソ連のアフガン侵攻に対抗すべく組織されたタリバン戦士にゲリラ戦術と武器と金を提供したのも米英だし、
ウサマ・ビンラディンを含むムジャヒデン(聖なる戦士)に資金・軍事面での支援を行い、ソ連の傀儡政権に対して
ゲリラ闘争を行わせ、加え英国特殊部隊はテロリストの訓練までしていたという話を聞いたことがある。

現在の敵は未来の見方? 敵の敵は味方? いずれ欧米がISの支援をする時代もやがて来る?

これも笑えない話だ。 

地球を覆っている経済システムもそうだ。 欧米は歴史を見てもどれだけ多くの国を蹂躙してきたことか。
 
先を争ってアフリカ奥地にまで踏み入り、疑うことを知らない部族の人たちに欧米の都合のいい理論を押し付け
世界情勢の変化で企業戦略が変更されたり、植民地管理コストに税収が追いつかなくなるや、いとも簡単に
店じまいや他国に鞍替え、はいどうぞと独立をさえ認める。残された現地の労働者の生活など考えもしない。

自由貿易の名の下、関税の賦課は双方に損で経済成長を抑制するなどと都合のいい経済システムを振りかざす。
貿易による貧困の発生は大半のアジア・アフリカ諸国に当てはまり、中東の石油をも組み込まんとする。


ある人が言っていた。『 テロは容認できないが 理解はできる 』 ..... と。

人間は ”猿ではない ” と主張するが、" 猿にも劣る" とは自覚していない、、、なんとも奇妙な類人猿だ。


Auld Lang Syne

2015年03月08日 | 雑感
今朝、一馬が出征した。 前日皆で歌った ≪ Auld Lang Syne ≫(蛍の光)には感動しました。
NHKテレビ朝ドラ「マッサン」が今月で終了するそうですが、後半視聴率はうなぎ登りだそうです。


それぞれ皆いい芝居をしておりますが、特に風間杜夫は凄いですねぇ!

≪Auld Lang Syne≫(蛍の光)~シャーロットさん(エリー)の歌で聴いてみましょう。

Auld Lang Syne(蛍の光)(クリックしてみて下さい)

(1番)
   Should auld acquaintance be forgot,
   and never brought to mind ?
   Should auld acquaintance be forgot,
   and days of auld lang syne ?

   古い友人は忘れ去られ、
   もう二度と思い出されることもないのだろうか。
   古い友人は忘れ去られ、
   古き良き日々の記憶もまた、心から消え去ってしまうのだろうか。

                       
・・・・・・・・・・(1番は当ブログで紹介済みですが、5番の詩もいいですね)

(5番)
   And there’s a hand my trusty fiere !
   And gies a hand o’ thine !
   And we’ll take a right gude-willie waught,
   for auld lang syne

   いまここに、我が親しき友の手がある!
   我らは手を取り合う!
   そして、我らは良き友情の杯を飲み干すのだ
   古き良き日々のために。


古い友人と再会し、思い出の日々や懐かしい故郷の風景、過ぎ去った時間をかみしめながらしみじみと
友情の一杯をかわす。 そんな歌です。
 

別れを切々と歌う日本語版「螢の光」とは少し違う。

どうして日本人はこうも暗いのかなぁ?!    ま、充分私もそうだけど・・・。


読書三昧 (24) 宇江佐真理 著 三冊

2015年03月02日 | 雑感
先日の入院時(また新しいがんが見つかる)に病室に持ち込んだ宇江佐真理の三冊の文庫本。

『夕映え』(上・下巻)と 『月は誰のもの』(髪結い伊三次捕物余話シリーズ第14作)を再読してみた。

          

【 夕 映 え 】 (上・下巻)
  
  江戸の本所にある「福助」というおでんが評判の縄暖簾の見世を舞台に物語は展開する。

  幕末のペリーの来航から安政の大獄、桜田門外の変から尊皇攘夷、討幕運動と激動の時代。

  武士の視点から描いた幕末作品は数多いが、この作品はその視点が従来とはまったく異なる。
  下から目線で描いており、否応なしに翻弄される庶民からの目線だ。

  
  薩摩藩士による横暴や、尊皇攘夷の名を借りた強盗や押し込みなど江戸は騒然とした空気に包まれていく。
  そんな中で、息子の良介は彰義隊に入る。一夜にして政府軍によりその彰義隊が壊滅(上野戦争)。
  良助を案じ、夜中じゅう上野を探し回る父親。 幕末に翻弄される庶民を生き生きと描く。

  所詮幕末も各藩の跡目争いや政争の具でしかなく、現代における欧米など大国の横暴と似て非なるもの。
  それらをプロテストするが如く、庶民目線で描く作者の凛とした姿勢に共感を覚える。

  
  松前など道南・渡島半島全域が戦場となった戊辰戦争の最後の箱館戦争までを描く、見事な力作だ。


【 月 は 誰 の も の 】


  かの藤澤周平は 「女で読ませる」 ともいわれるほど登場する女性は素晴らしく魅力的だった。

  宇江佐真理の【髪結い伊三次捕物余話シリーズ】はなんといっても伊三次の女房・お文(おぶん)だ。
  (「文吉」という権兵衛名(源氏名)の深川芸者で、その情の熱さときっぷの良さはなんとも魅力的)

    口入れ屋番頭が、お文の家に女中・おふさを伴ってやってきた。

    おふさは一度嫁いで離縁され実家で野良仕事を手伝っていたが、出戻りのおふさにとって
    実家には居場所がなかったらしい。
    恐ろしく体格のいいおとなしそうな女だった。

    「お内儀さん、働き者で性格もよろしい子です。手癖が悪いとか男出入りが激しいという心配
     もございません。 ただ・・おお食らいなんですよ。めしを喰っている時だけが極楽と思ってる
     奴なんです。それじゃ、こちらはお困りでしょうね。」

    番頭の言葉にお文はぷッと噴いた。 おふさは恥ずかしそうにうつむいた。

    『 そいじゃ、わっちは気張っておふさの米代を稼ぐとしよう 』

    お文の言葉におふさは驚いて眼をみはり、それからはらはらと涙をこぼした。
    よほど嬉しかったのだろう・・・・。


このシリーズには、なにげない 江戸・市井の話のなかに胸に迫るものがいくつもある。 

乳がんと闘いながら創作を続ける作者は、伊三次シリーズの最終回を書いてから死にたいという強い
思いがあるときく。(今年『文藝春秋』2月号の筆者のがん病闘記を読む)

息子・伊与太が、月を指さし ≪月は誰のもの≫と尋ねるシーンがある。

     『 月は誰のものでもない。皆のものでもない。  月は月だ。
     ただ夜空にあって青白い光を地上に投げかけるだけだ 。

     また人の気持ちによって、月は喜びの象徴ともなれば悲しみの象徴ともなる。
     なまじ満ち欠けをする月だからこそ、人々の気持ちが投影されるのだろう。

     いつも月を美しいと感じられるように、ありがたいと思っていられるように、
     お文はそっと掌を合わせて祈る 』 


そう、作者が言うように 月は月だ。 

どうあがいても 自分は自分でしかない。 日々懸命に生きるしか、、、お文はそう言っている気がした。 

それにしても 小説のなかでの女性に惚れるなんぞ、藤沢周平著 『海鳴り』 の≪おこう≫以来である。