スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

秘スレバ花

2014年02月24日 | 雑感
高校時代、確か2年だったと思いますが、学園祭で演目《勧進帳》の弁慶役を演じたことがありました。

台本まがいのものを自分で書いて、衣装は女生徒が手作りで、、、忘れもしない思い出です。


義経と弁慶の現れる場面と、主従関係の疑いを晴らすため弁慶が義経を安宅の関で打ちつけるクライマックスでは、なぜか会場が笑いに包まれたのを思い出します。(あまりのへたくそのせいか、真面目なシーンのはずが)

この安宅の関の場面は、歌舞伎では《勧進帳》ですが、能では《安宅》という演目で演じられます。



能の演目《安宅》では、二度目のクライマックス~まだ疑っている富樫が、あわよくば酒を呑ませてシッポを捕まえてやろうという魂胆に対し、弁慶が踊る男舞。 その弁慶の踊りに弁慶の心情がうかび上がり、ここに能の真髄・深い感動があるとのことでした。(渡辺 保著『能ナビ』より)

東京在住時、何度か能楽堂に行って観たり、物好きにも能の入門研修にも参加したことはあるのですが、能は仏教や道教、歴史、祈り、全宇宙をも含有されており、深すぎてなかなか理解しにくいものが多いですよね。

この能の基本を創った世阿弥という人がいた。 

南北朝時代、観阿弥の子として生れ、実名が元清。 驚くことに、幼名は鬼夜叉というのだそうです。

我々がよく使う《初心忘れるべからず》というのはこの世阿弥の言葉です。

能の有名な演目に「羽衣」「松風」「隅田川」「道成寺」「山姥」等がありますが、この能は歌舞伎・狂言につながっているのですが、これらも田楽・猿楽として朝鮮半島通じ入ってきた、実は渡来もの。

いったい日本の伝統芸能はどこにあるの? という気がします。

能は”見えないものを心で観る”のが観賞法だそうです。

世阿弥の著書『風姿花伝』に《 秘スレバ花 》という素敵な言葉があります。

日本らしきもの、、、実は”心のなかにのみ”あるのかも知れません。


北海道ではたまにあるのかな、最近テレビ放映もされているので、逃げずに観てみたい、そう思います。


《 秘スレバ花 》、、、能面のなかにどんな想いが。

詩人・壇一雄

2014年02月18日 | 雑感
詩人でもある壇一雄。 好きな詩 『波』 と 不思議な詩 『落下』 を載せてみました。
                                   「壇一雄詩集」より抜粋。

《 波 》(ポルト・ド・バッカス)

   犬は 波に向かって 吠えるのですか?
   いいえ 黙って うなだれるのです。
   鴎(かもめ)は 沖に向かって 波を蹴るのですか?
   いいえ 砂の陰に群がって 死んだ魚介をついばむのです。
   砂は 何に向かって 鳴るのですか? 
   さあ アテなしの そらおそろしさに 自分で身ぶるいするのでしょう。

   ああ 波の咆哮(ほうこう)よりほかにない 汀(なぎさ)では
   私だって 立ちすくみ おののきながら 
   その鳴っている砂を踏みしめているだけなんです。


《 落下 》 

   その人は 汀をさすらっていた と云うのですか?
   いいえ 丁度そこを 通り合わせていたのでしょう。
   ええ こんなふうに、、、。 あっち向きに、、、。

   どこからですか?
   どこからだか そんなことが わかりそうなら 訊いてみたんですけどね。
   アテなしの 実にどうでもいいような 歩きざまで 
   汀の崖の上を ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ
   千鳥の散らばってる方に向かって 歩いていったのです。

   おや 崖? 汀じゃ なかったのですか?
   ナギサなんて 云いましたかね? 
   ガケですよ。 百米のガケですよ。

   ガケの上に 砂の浜があるのですか?
   砂じゃ なかったですかね。 でも 奴さん 砂の上を踏んでるみたいに
   ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていったんですよ。

   千鳥が そんなガケの上に いるのですか?
   千鳥でなかったとしたら ピンタ・シルゴだね。
   そう ピンタの奴が 実に沢山 その人のまわりを 
   送り迎えでもするように 啼き交わしたり 翔び交わしたりして
   ヒラヒラ と まるで もつれそうに
   その人の足どりと にぎわい合ってる みたいなんですね、、、。

   あなたは とめなかったの?
   そっちは ガケだよ 行けないよ って 何度も云おうとしたんですけど
   何しろ 先のことは チャンと心得ているような 足取りでしょう。
   声をかける スキがありませんや。

   そのまま 飛んだのかね?
   いいえ まっすぐ 歩いていっちゃたって 云ってるでしょう。
   抱きとめる ヒマは無かったの?
   いいえ 南無 も 阿弥 も ありゃしませんや。
   まるで 宇宙船みたいに フンワリ開いて 落ちていってさ
   その落下が 無限を語るように 
   実に 長い長い 軌跡を曳いていっただけですよ。

   酔っていたのでしょうね?
   いいえ 酔った気配なんか ミジンも 感じられませんでした。
   それとも 自殺?
   冗談じゃない あんな自殺ってあるもんですか。
   見事な水シブキが 音もなく その男のまわりに 口をあけただけでした。

   あなたは 見たわけね? その男の 落ちてゆく姿を?
   咄嗟に 私は泣いちゃった。 何が 悲しいって 云うんですかね?
   あんなに キレイな 軌跡と 水シブキを 見たって 云うのにさ。

   だから あの男は 死んでなんぞ いませんよ。
   おや どうして?
   どうしてって お日様を呑みこむようにしながら
   ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていっただけですもの。

   どこへ ですか?
   さあ どこへって どこへでもいいようにさ。 
   あっち向きに さ。



下記は3年前のブログです『読書三昧(1)壇一雄』
   クリックしてみて下さい

ワルシャワ・ゲットー

2014年02月18日 | 雑感
リンゲルブルク著『ワルシャワ・ゲットー』という本を読んで衝撃を受けた。

アウシュヴィッツは有名ですが、ポーランド領内には13のゲットーと42のユダヤ人地区があったという。 

 

1940年から1942年にかけてのポーランド・ワルシャワゲットーの悲惨な記録を命がけで残した人がいた。
著者のエマヌエル・リンゲルブルム氏(社会歴史学者)である。

ゲットーというユダヤ人居住地区での悲惨な実態の日々を記録した「ワルシャワゲットー覚書」ノートと関連する史料が、地下深く収めたミルク缶とブリキの筒に入ったまま戦後ゲットー廃墟にて発掘された。(1946・1950年の二度にわたり)

ドイツ軍がポーランドを占領した当時、ワルシャワゲットー4平方キロの面積におよそ50万人ユダヤ人がその三年間足らずのうちに収容所に送られ殺戮されたという。

ちなみに第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対してのホロコースト(ナチドイツの組織的大虐殺)の犠牲者数は、600万人超いや1000万人ともいわれている。(ホロコースト否定論もあり反ユダヤ、反イスラエルの立場から今も主張され続けているのも事実だが)

この本末巻の地図で数えてみたが、ポーランド領内に「労働収容所21ヶ所」「絶滅収容所11ヶ所」も散在していた。

『ワルシャワ・ゲットー』にはユダヤ人の悲惨な実態が記されていた。

ドイツ当局はユダヤ人によるユダヤ人を取り締まる秩序維持班(ユダヤ警察)を各都市のユダヤ人「自治組織」ユダヤ評議会に命じつくらせ、理不尽な理由で次々と労働及び絶滅収容所へ送っていったのである。
(このユダヤ警察も終いには用済みとなり収容所へ)

ユダヤ人も生きるため家中に隠れ部屋をつくったり、ライフラインを止められ水を確保するため近所に火を付け、ドイツ軍が消火に使う水をかすめるなど、、、必死に抵抗したが、、密告や疫病(チフス)蔓延なども加わり残虐行為が日常化していった。

ある家(アパート)では、入居者が同じ部屋の一角を壁で仕切り、パン焼き窯からもぐりこむように入り口をつけ、床に穴を開けて梯子をつけて各階をつなぐ通路とするなどして、ユダヤ警察の眼を逃れたがこれも時間の問題。

疫病になっても病院も処刑場のごとく、患者はスープ一杯のほかは与えられず飢えで死んでいったという。

ゲットー住民の9割が絶滅(殺戮)収容所へ送り込まれた最後に、武器を手にし抵抗をみせたがドイツ正規軍動員で殲滅させられ、ゲットー解体後は200人のみ残された。 これも世界に対する体裁が理由だったとのことである。

これは悲惨な記録ですが、そんなユダヤ人に手を差し伸べる人も少なからずおり、一瞬の光も確かにあった。
尚、ポーランド人がどの程度加担していたか、、このことも現在でもなお賛否・議論のあるところである。

リンゲルブルク氏は妻子ともゲットーの廃墟の中で処刑された。 

史料の隠し場所を吐かせようとしたが彼も家族も誰一人として口を割らなかったという。



現在でも悲しいかな、、、。

イスラエルは自国領・占領地・入植地と、パレスチナ人居住区とを分断する壁を一方的に築いている。イスラエルは「壁」ではなく「フェンス」であると主張し、「反テロフェンス」と呼んでいる。

下記は我が仲間の白頭人のHPです(参考に)
ポーランド紀行


ソチ・冬季オリンピックの裏にあるもの

2014年02月14日 | 雑感


二時半に早起きし(笑)、女子ジャンプ・沙羅さんの応援。 
結果4位に終わり、無念で終日気持ちが冴えませんでした。

でもやはりスポーツはいいですね! わくわくします。

スポーツはスポーツとして楽しめばいいと思うが、その裏側はいつも政治のどろどろしたもので汚されている。

”悲しいかな”としかいいようがない。

オリンピックの地・ソチは、ロシア南部、グルジアとの国境にあるカフカス山脈の北側に位置する地域。

様々な言語や宗教の民族が住んでいたが、帝政ロシアが併合。ソ連崩壊後は、チェチェンの紛争、武装勢力側は地域一帯に拡散。 約6割がイスラム教徒という。

下記はソチでテロ厳戒態勢の理由(インターネットより)
クリックしてみて下さい

どの国もそうですが、ロシアにも悲しい歴史が、、、。

18世紀前から19世紀後迄いやそれ以前から、数百年も続いたといわれる封建的農奴制。

帝国はアジア・ヨーロッパにまたがり巨大な帝国として領土を拡げたが、内情は実にひどいものであったとのこと。
宮廷・貴族・地主のヨーロッパを凌ぐほどの贅沢三昧、そして農奴に対しての想像を絶する迫害。

共産革命もなるべくしてなった、、そんな歴史をもつ国。 民族紛争もいまだに続いている。

国も人間も悲しいかな常に なぜか「大きくなる」を望む。

古代ギリシャにポリス(都市国家)という「大きくなる」を望まない考え方があった。

1×2×3×4×5×6×7=5040人  プラトン曰く これが国家の適正規模だとの考え方という。


大国には ”余計な手出しはしてほしくない” そんな気がします。

開会セレモニーではチャイコフスキーの名曲 「白鳥の湖」 が。

あの帝政ロシア末期の暗い世相の中においての哀愁の旋律が流れていた。

ソチ・オリンピックが華やかに開催されているが、その裏側にも目を逸らしてはいけない、そんな気がした。

日本神々の不思議(1)

2014年02月12日 | 雑感
日本神々の不思議(1)~(3)と結構長くなってしまいそうです。

日本人が海外で、外国人に”あなたの宗教は?”と聞かれたら"BUDDHIST"と答える人が多いと聞きます。
たぶん、なにかの宗教をもっていないことは外国人にとっては考えられないのかもしれませんね。

神道は英語で”SHINTOISM SHINTO”と言うのだそうですが、そう答える人はあまりいないのではなでしょうか。

多くの人がそうあるように、本地垂迹・神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を知らず知らずのうちに日本人のDNAとして刷り込まれているのかもしれません。

神仏習合どころか、意味も理由も考えずにDNAのおもむくまま ”ごちゃまぜの行為” をしている日本人。
鷹揚というか、いい加減というか、、、私もその一人なのですが、、。

でもある学者から言わせれば、このいい加減さが再評価されているのだそうですよ。

哲学・民族・宗教学者である梅原猛氏がその著書『人類哲学序説』で次のように語っている。

日本文化の原理は《草木国土悉皆成仏》という天台本覚思想にあり、人間がすべての動植物より優位であるという西洋哲学では、今後の世界は成り立っていかない、、、というのです。

確かに世界は一神教同士での争い・民族同士での争いが蔓延しており、いい加減になんでも受け入れてきた多神教の出る幕がない状況に至っております。 

古代ケルトの神々・ギリシャの神々・ヒンドゥーの神々・日本神道の神々なども表に出てこれなく、深く静かに遠慮深く眠っているようでもあります。

梅原氏が言うように、日本人のもつこの思想(?)にもっと自信をもってもいいのではないでしょうか。

なんてこじつけ、正当化してみました。


さて、じゃいったい八百万の神々、日本の神道といわれるこの宗教・文化・原理というか不思議なものを自分なりに探ってみたいと思います。 日本神々の不思議(2)へ。

日本神々の不思議(2)

2014年02月12日 | 雑感
伊勢神宮は昨年(2013年)出雲大社と共に《遷宮の年》ということで話題になりました。

『なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』
 あの西行法師が伊勢神宮にお参りした時の歌だそうです。

日本に総元締・神社本庁傘下の神社は8万社ほどあるという。


神社系統で最も多いのが八幡信仰に関わる神社(7817社)で、第2位がこの伊勢信仰(4425社)。

続いて天神信仰(3953社)、稲荷信仰(2970社)と続くそうです。

その八幡も天神も稲荷も、もとは渡来の神とのこと。

それに八幡も天神も稲荷どれも記紀(古事記・日本書記)には登場せず、伊勢信仰の天照大御神(アマテラスオオミカミ)とは決定的な差があるといわれる。

じゃ伊勢信仰の天照大御神のルーツはいうと、、勿論いろんな説があり、記紀への解釈も未だ定まっていないのが現実ですが、坂本政道著『ベールを脱いだ日本古代史Ⅱ』によるとこのように記されておりました。

  2世紀後半、邪馬台国連合が形成され卑弥呼が女王となり、大和の(まきむく)に都が造られ三輪山で
  アマテル(天照大神~アマテラスオオカミ)が祀られた。

  卑弥呼の死後、トヨが跡を継いだが晩年連合が分裂・弱体化となり、神武(崇神天皇)が北九州より東征。
  疫病・飢餓が流行し、アマテルから今度は”大物主神”を祀るようにと神託が降りた。

  崇神天皇はトヨと多くの巫女を殺し、霊を封印するため箸墓古墳を造ったといわれる。

  アマテルは祟り神として各地を転々とし、最後にこの伊勢の地に祀られた。

  天武天皇は即位後、祟り神であったアマテルを復活すべく一案を講じる。

  これが、女王卑弥呼(女神)を対象にしたアマテラス(天照大御神)神話であり、
  祀る場として伊勢神宮が造営(内宮)され、トヨの御神体・豊受大御神を(外宮)で祀ったという。


     

以上がルーツですが、アマテラス(天照大御神)は八百万の神々の代表でもあるが、勿論創られた神。

記紀(古事記・日本書記)は天武天皇の命で書かれた勝者による”限りない創作”というのが定説です。

この天武天皇、、実はこの方も渡来人というではないですか。

日本の歴史に関わる人物には、なかなか《日本人》がでてこないというこの不思議。

次の日本神々の不思議(3)ではこのへんをもう少し。

日本神々の不思議(3)

2014年02月12日 | 雑感
この時代、天武系と天智系。 実は新羅系と百済系渡来人の勢力争いでした。

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した《乙巳(いっし)の変》も、新羅を中心とした全方面外交を貫く入鹿を生かしておいては、百済を救援できないとする勢力が企てたといわれる。

古代史に詳しい歴史作家・関 裕二氏は中臣鎌足に関しこのように語っております。

 『中臣鎌足は百済からの亡命した皇室王子・余 豊璋(よほうしょう)で、この豊璋が来日と同時に
  忽然と日本書記の中に中臣鎌足が姿を現し、白村江の戦いの直前、本国に召還(帰国)するに及び
  なぜか中臣鎌足も同時に日本の歴史から消えている』
、、、という。

大海人皇子(天武天皇)と大友皇子(天智の子)との争い、大海人皇子が勝利し、天武の時代がここから始まるのですが、この天武天皇も、、、不思議な謎を秘めた人物。

日本書記では《新羅の大使・金多遂とその従者37人》と記されている。
蘇我入鹿の子と考える人までおりその出生は謎めいているものの、明らかに渡来人。

歴代の古代天皇も持統(天武の妻)・文武・聖武・孝謙・淳仁・称徳くらいまでが天武系の天皇。
光仁・桓武、、、と天智系天皇が、、この流れが現在まで続いているともいわれます。

日本書記なども天武天皇の命で編纂開始されたのですが、日本書記の完成が西暦720年。天武天皇が崩御(686年)から34年も月日が経っており、完成時は天武の反勢力の意図が色濃く反映されているとのこと。

天武の為ではなく、天武の取巻き蘇我や物部(二代豪族)を抹殺するというのが定説。

日本書記は『日本の正史』といわれるが、実は時の勢いある渡来人体制の賜物だったのですね。

ちなみに日本神話にでてくるスサノオ(須佐之男)も、古文書「富士文書」に『諱(いみな)は太加王、朝鮮新羅王の四男なり』と記されおり、渡来人というではないですか。 関裕二『古代史の謎入門』より。

日本人どこにいるの?  日本ってなんなの?、、、そう感じざるをえません。


しばらくはチャイコフスキー

2014年02月07日 | 雑感
モーツアルト・ショパン・ベートーベン・バッハ・ヘンデルと聴いてきて、さて次は誰を聴こうかと。

”酒を呑む人には悪い人はいない”なんて勝手に考え、酒呑みの作曲家のを聴いてみようなんて。

どうみてもいい加減なクラシック愛好者ですよね。

インターネットで ”酒呑み 作曲家”って打ってみましたら、『ムソルグスキー』と出てきました。

ムソルギスキーはロシアの作曲家ですが、なんとそこに”アルコール中毒”と出てきて、実はちょっとひいてしまったのです。

さて、どうしよう、、と考えていた矢先、BSでピアニスト・中村紘子の語るロシア音楽のことが放映されて、チャイコフスキーの名が出てきて、”よしこれでいこう”なんて単純に決め、聴きはじめております。

チャイコフスキー・実はこれがなかなかいいんですねえ。

チャイコフスキーは『白鳥の湖』『くるみ割り人形』で有名。 同性愛者といわれ、自殺説もあるという。

中村紘子・ピアノ協奏曲第一番第一楽章クリックしてみて下さい

ロシアに(も)行ったことはないのですが、第二次世界大戦や領土問題などで、日本人にはあまり良いイメージがない国、、そんなふうに私なども先入観をもって思っておりました。

ある統計では日本がロシアへの好感度は30%しかないが、逆にロシアの日本への好感度は70%もあるそうです。

早速、森田稔著『ロシア音楽の魅力』という本を読んでおりましたら、ここでまた『ムソルグスキー』が、、、。

ムソルグスキーは晩年アル中で入院。 見舞い金を守衛に頼んで酒に換え、呑んで命をおとした人らしいのです。
結婚もせず自分の家も持たず、母の死がきっかけでアルコールづけとなりホームレス的生活に、、、。

「芸術は目的ではなく 人々と語り合うための手段である」との言葉もなにか親しみを感じますよね。

なぜか気になる人物。 チャイコフスキーの次には必ず『ムソルグスキー』を聴いてみようと。

どうせ行き当たりばったりの人生ですから、、、(笑)。

 チャイコフスキーはどっち? 先入観ほどあてにならないものはない?
      

東北のイケメン

2014年02月06日 | 雑感
どうです? いい男でしょう~! 
山形・山寺、蝦夷のアテルイと東北の話が続きましたが、「日本のゴッホ」と言われた棟方志功も少し。

   

以前東北を一週間旅した時に、「棟方志功記念館」に立ち寄ったことがありました。

絵や版画や書の凄さに驚き、その感性に感動したものです。

 
 弁財天妃の柵     鐘渓頌(雷文の柵)    釈迦十大弟子版画柵(一部)    華厳譜(風神の柵)
                                  
柳宗悦や河井寛次郎など民芸運動家からその才能を見い出され一躍有名に。
「バケモノガデタスゴイ」 柳が京都の河井に打電したのは有名な話)


棟方志功は若かりし時、文学・演劇の結社を起こしたり、同人雑誌「夢」を発刊し短歌を載せたりの文学青年だったようで、仏教にも造詣が深く《釈迦十大弟子版画柵》や《観音経版画柵》は傑作。

ベートーベン第九交響曲なども題材にしている。作家・壇一雄が訪ねた時、”家中震動するばかりに《第九》をかけ、舞うような足取りで仕事場に行き、版木に顔をこすりつけるようにノミをふるっていた”と語っていたという。

以前記念館を訪ねた時に《書》のなかにこんな言葉が刻まれておりました。

  『 ちかごろ 酒はまずいし 女も醜い 』  
  『 あおもりは 悲しかりけり 』

研ぎ澄まされた感性を持っていた人なんだなあ、、、そんな気がしたことを覚えております。

宮澤賢治や太宰治が、、そうそうエベレストの三浦雄一郎も東北出身だったのですね。
(宮澤賢治は当ブログに載せたことが)~『賢治の声聞』(クリック)

感性豊かな凄い人達が多くいる。 東北というところには。 

マスコミさん!

2014年02月01日 | 雑感
テレビ他マスコミでさかんにSTAP細胞研究のことが報道されております。
(一躍かっぽう着の研究者として時の人となりましたが)

その当人である小保方 晴子さんからのメッセージが出されておりましたので載せてみました。

報道関係者の皆様へのお願い STAP細胞研究はやっとスタートラインに立てたところであり、世界に発表をしたこの瞬間から世界との競争も始まりました。今こそ更なる発展を目指し研究に集中すべき時であると感じております。 しかし、研究発表に関する記者会見以降、研究成果に関係のない報道が一人歩きしてしまい、研究活動に支障が出ている状況です。また、小保方本人やその親族のプライバシーに関わる取材が過熱し、お世話になってきた知人・友人をはじめ、近隣にお住いの方々にまでご迷惑が及び大変心苦しい毎日を送っております。真実でない報道もあり、その対応に翻弄され、研究を遂行することが困難な状況になってしまいました。報道関係の方々におかれましては、どうか今がSTAP細胞研究の今後の発展にとって非常に大事な時期であることをご理解いただけますよう、心よりお願い申し上げます。 STAP細胞研究の発展に向けた研究活動を長い目で見守っていただけますようよろしくお願いいたします。
                                      2014年1月31日小保方 晴子

 常づねマスコミの一部報道姿勢(テレビ番組内容含み)を苦々しく思っていた矢先でしたが、、、。
 マスコミってすごく重要な、日本の行く末までも左右するものです。
 もっとレベルアップが図れることを期待したいものですね。