高校時代、確か2年だったと思いますが、学園祭で演目《勧進帳》の弁慶役を演じたことがありました。
台本まがいのものを自分で書いて、衣装は女生徒が手作りで、、、忘れもしない思い出です。
義経と弁慶の現れる場面と、主従関係の疑いを晴らすため弁慶が義経を安宅の関で打ちつけるクライマックスでは、なぜか会場が笑いに包まれたのを思い出します。(あまりのへたくそのせいか、真面目なシーンのはずが)
この安宅の関の場面は、歌舞伎では《勧進帳》ですが、能では《安宅》という演目で演じられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/fc/986472d2258316b2b0bac3fd22f684be.jpg)
能の演目《安宅》では、二度目のクライマックス~まだ疑っている富樫が、あわよくば酒を呑ませてシッポを捕まえてやろうという魂胆に対し、弁慶が踊る男舞。 その弁慶の踊りに弁慶の心情がうかび上がり、ここに能の真髄・深い感動があるとのことでした。(渡辺 保著『能ナビ』より)
東京在住時、何度か能楽堂に行って観たり、物好きにも能の入門研修にも参加したことはあるのですが、能は仏教や道教、歴史、祈り、全宇宙をも含有されており、深すぎてなかなか理解しにくいものが多いですよね。
この能の基本を創った世阿弥という人がいた。
南北朝時代、観阿弥の子として生れ、実名が元清。 驚くことに、幼名は鬼夜叉というのだそうです。
我々がよく使う《初心忘れるべからず》というのはこの世阿弥の言葉です。
能の有名な演目に「羽衣」「松風」「隅田川」「道成寺」「山姥」等がありますが、この能は歌舞伎・狂言につながっているのですが、これらも田楽・猿楽として朝鮮半島通じ入ってきた、実は渡来もの。
いったい日本の伝統芸能はどこにあるの? という気がします。
能は”見えないものを心で観る”のが観賞法だそうです。
世阿弥の著書『風姿花伝』に《 秘スレバ花 》という素敵な言葉があります。
日本らしきもの、、、実は”心のなかにのみ”あるのかも知れません。
北海道ではたまにあるのかな、最近テレビ放映もされているので、逃げずに観てみたい、そう思います。
《 秘スレバ花 》、、、能面のなかにどんな想いが。
台本まがいのものを自分で書いて、衣装は女生徒が手作りで、、、忘れもしない思い出です。
義経と弁慶の現れる場面と、主従関係の疑いを晴らすため弁慶が義経を安宅の関で打ちつけるクライマックスでは、なぜか会場が笑いに包まれたのを思い出します。(あまりのへたくそのせいか、真面目なシーンのはずが)
この安宅の関の場面は、歌舞伎では《勧進帳》ですが、能では《安宅》という演目で演じられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/fc/986472d2258316b2b0bac3fd22f684be.jpg)
能の演目《安宅》では、二度目のクライマックス~まだ疑っている富樫が、あわよくば酒を呑ませてシッポを捕まえてやろうという魂胆に対し、弁慶が踊る男舞。 その弁慶の踊りに弁慶の心情がうかび上がり、ここに能の真髄・深い感動があるとのことでした。(渡辺 保著『能ナビ』より)
東京在住時、何度か能楽堂に行って観たり、物好きにも能の入門研修にも参加したことはあるのですが、能は仏教や道教、歴史、祈り、全宇宙をも含有されており、深すぎてなかなか理解しにくいものが多いですよね。
この能の基本を創った世阿弥という人がいた。
南北朝時代、観阿弥の子として生れ、実名が元清。 驚くことに、幼名は鬼夜叉というのだそうです。
我々がよく使う《初心忘れるべからず》というのはこの世阿弥の言葉です。
能の有名な演目に「羽衣」「松風」「隅田川」「道成寺」「山姥」等がありますが、この能は歌舞伎・狂言につながっているのですが、これらも田楽・猿楽として朝鮮半島通じ入ってきた、実は渡来もの。
いったい日本の伝統芸能はどこにあるの? という気がします。
能は”見えないものを心で観る”のが観賞法だそうです。
世阿弥の著書『風姿花伝』に《 秘スレバ花 》という素敵な言葉があります。
日本らしきもの、、、実は”心のなかにのみ”あるのかも知れません。
北海道ではたまにあるのかな、最近テレビ放映もされているので、逃げずに観てみたい、そう思います。
《 秘スレバ花 》、、、能面のなかにどんな想いが。