スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

公園に咲く高山植物

2013年06月25日 | 雑感
近くの百合が原公園に『高山植物』が咲いている一角があり、その花を撮ってみたものです。

いつも撮影に来ているという巷のカメラマンに聞いたのですが、数年前には日本の高山植物が数多く植えられていたけど、やはり平地では思惑通りに育たなく、今は外国の高山植物が多数を占めているとのことでした。

7月には山岳会仲間6名とで尾瀬に行く予定ですが、さてどんな花と会えますか、、、楽しみです。
























花の美しさ。どう考えても不思議ですね。

読書三昧 (12)『数学嫌いな人のための数学』

2013年06月25日 | 雑感


小室 直樹 著『数学嫌いな人のための数学』という奇妙なタイトルですが、単なる数学の勉強の教本ではないようで、宗教から宇宙・経済論までに及ぶ内容となっていた。

では、宗教から数学にいたる経緯は?どう関連あるの?、、、 はこう展開している。

聖書に書かれている中で、死者が生き返ったり、人間が水の上を歩いたり、海が割れる等々通常ではあり得ないことが数多く記されております。

聖書に書いてあることを文字通り、それが真実であると信じて疑わない人々のことを『ファンダメンタリスト』と言うのだそうです。


ファンダメンタリストは言う、、、。

≪この世を探る為にある自然科学の実験・観察すべて、、、これを帰納法と呼ぶが、それらの全ては不完全なものであり、その学説だって学問が進むにつれ、これまで常識だった諸説だって否定されているじゃないか≫、、、と。

その通り、宇宙だって一定でなく膨張し続けているし、真っすぐにしか進まないはずの光だって曲がる。時間だって相対的なもの、原子が最小と思いきや今では素粒子発見の連続、、、確かにファンダメンタリストの言う通りかなあとも思う。

ファンダメンタリストは更に続けます。

≪正しいとは限らない科学法則など、聖書の絶対的な正しさに比べると、ものの数ではない≫

≪自然科学と言ったところで、神が造りたまいしものにすぎない。神が法則を一時的に停止させたとすれば、人間が水の上を歩いたとしても少しも可笑しくはないではないか≫


とくる。信じるとはそういうことなのか。

ここで、著者は言う。

≪聖書を全面的に信じるファンダメンタリストのこの理論に誰が反論できますか?≫、、、って。

私なんぞは、ん~!と首をひねり沈黙してしまう。

≪完全なる帰納法は数学だけが持つ≫、、、

ついに、ここで【数学】に行きつく。そして数学の公式をも交え話が進む、、、。

確かに今我々の生きているこの銀河宇宙。科学的実験・観察に加え、まさしく【数学】によって解明されてきているのは間違いのないこと。 数学あなどるなかれである。

≪しかるにその数学的思考をも否定する考えも存在する~それは仏教の空の思想である≫

、、、と話は仏教の話までに及んでいくのである。

著者・小室直樹という人の「思考回路」には恐れ入る。

学生時代もっと真剣に【数学】を学んでいれば(もう遅いか!)、、、難解ですが、面白い・考えさせられる一冊でした。

【小室直樹プロフィール】
(1932~2010)
東京生れ、京都大学理学部卒。
マサチューセッツ・ミシガン・ハーバード大学に留学。
法学博士。法科学社会学者。
『ソビエト帝国の最後』『宗教原論』『資本原論』等著書多数。

ザラスシュトラ

2013年06月14日 | 雑感
当ブログで《悪魔のはなし》を載せたことがありますが、実は善悪二元論を説いている《ゾロアスター教》のことがきっかけでした。

ゾロアスター教は、紀元前12~9世紀・古代アーリア人・神官ザラスシュトラにより生れた。この世は善と悪との闘争の舞台。世界の終末には救世主が現れ、必ずや善が悪に勝利するといった呪術や儀式、聖火を操る民族宗教。

ザラスシュトラは六大天使と六大悪魔を考案し、多神教の神々の神格整理という宗教改革を成した古代アーリアの聖人といわれる。

ちなみに、ゾロアスターとはザラスシュトラをギリシャ読みしたもの。

この中央アジアに出現したアーリア人の民族宗教がその後の世界に及ぼした影響は図り知れないという。

列挙してみますとこうなります、、、。

● 独自のものと思われていたユダヤ・キリスト教の終末論やメシア(救世主)思想と極似している。
(善悪二元論ゾロアスター教と一元論・三位一体のキリスト教とは、互いに争っていたのですが)

● イラン高原・ペルシャ帝国時代にゾロアスター教が国教となる。その後イスラムにより征服され衰退したが、
  いたるところにその影響を与えている。
  アーリア人が悪を追い払う聖なる色彩【緑色】~イスラムモスク宗教建造物に緑色を多く使用しているなど。

● 西北インド域にも進出し(亡命説もあり)、階級制度の厳格なバラモンを形成し・ヒンズー教に発展していった。
  アーリア人の社会は、神官階級・戦士階級・庶民階級の三階級に歴然と仕切られていたという。

● アーリア人はヨーロッパに移動、ゲルマン・北欧民族に発展していったと言われる。

● アーリア人の未来仰信仰や太陽信仰が、日本における弥勒菩薩信仰・阿弥陀仏信仰に影響を及ぼす。

● ペルシャ風娯楽チャトラング~シャー王(王)戦車(飛車)・象(角行)・馬(桂馬)等を用いたゲームが娯楽として
行われていた。~ヨーロッパに伝わるチェスの原型  ~アジアに伝わる将棋の原型 とも言われる。

● ゾロアスター教神官のことをマギと呼ぶ。異様な幻術・奇術の使い手としての【マジック】の語源でもある。

● ペルシャ・ササン朝でのネーウ・アンダフシールという遊びは、子供の時遊んだ日本独自と思われたスゴロクの原型。

● ゾロアスター先祖霊信仰儀式が日本に伝わる大乗仏教・盂蘭盆会(うらぼんえ)儀式に極似しているという。

● チベットやインド一部などに今も残る秘境での死体処理《鳥葬》(ちょうそう)。
  拝火教といわれるゾロアスター教~最も聖なる火で不浄な死体を焼くことは冒涜とされた為ともいわれる。

● ゾロアスター教を母体とするミトラス教(ヘレニズム・ローマ世界で紀元1~4世紀に絶大な支持を集めた)から拝借した
祭儀に『クリスマス』がある。~本来は冬至における太陽神ミトラス復活のための大祭であった。


等々挙げたらきりがない。

それから特に注目すべきは、、、。

ご存じのこととは思いますが、あのヒットラー率いるナチス・ドイツが冷徹にもゲルマン民族至上主義(アーリア民族)を推し進め、親衛隊の機関としてアーネルエンベ(アーリア民族遺産研究協会)を設立するなど、新たな神官階級・騎士階級を作り出し、その裏返しとして劣等民族を組織的に虐殺するといった、異常な歴史的悲劇につながったことでも知られる。

驚いたことに、ナチ党のあの【卍マーク】はアーリア人伝統のハーケンクロイツをシンボルとしているのである。

19世紀になってイラン高原のアーリア人・インド大陸のアーリア人・ヨーロッパのゲルマン民族(アーリア人)がインド・ヨーロッパ語族に属することが、当時の研究で判明することにより、政治的民族主義が台頭。ザラスシュトラはアーリア民族の英雄と讃えられるようになっていく。

同時に古代アーリア民族の英雄としての『ザラスシュトラ』研究も盛んに行われた。

哲学者ニーチェの著書『ツァラトゥストラはかく語りき』のツァラトゥストラとはザラスシュトラのドイツ語読み。
(ニーチェはヒットラーの思想形成に多大な影響を与えたとも言われている)

ニーチェの著したツァラトゥストラの権力への意思、超人思想をゲルマン民族が世界を征服する指針としたのか、、。


ヨーロッパには600数もの古代民族がひしめき合っていたといわれている。

なにも統一しなくたって、多神教で多民族でよかったのかもしれませんね。

あのプラトン曰く、 『正義とは各人が自分のことを為し、余計な手出しをしないことである』と。



ストーンヘンジ

2013年06月07日 | 雑感
イギリス・ウエールズ地方南西に位置するソールズベリー平野に4トンも5トンもの巨石建造物(環状列石群)が存在する。

なぜここに、、紀元前3000年もの前に古代人によって造られたという摩訶不思議な世界遺産があるという。

      

古代ロマン。どうしても見ておきたくてロンドンからの日帰りバスツアーを探し乗り込んだ。(昨年初夏欧州旅の時)

日本語でのツアーもあるようでしたが、あえて勉強のためとも思い英語でのツアーに挑戦。

      

黒人の運転手兼ガイドさんでした。話が上手で、乗客はみなけらけら笑っていたのですが、
必死に聴いていたのですが、どうも理解できず語学の無さに無念の思いでした。

 
スピードランニングのCDただ持ってても宝の、、なんとかか(笑)

所要時間2時間半ほど、前方に見えてきたのが世界遺産ストーンヘンジ!

      

見学は年間100万人もおり、世界各地から夏至の太陽を拝みにくる頃は特に多い。
夏至の太陽が立石を通って中央の祭壇を照射、日食月食まで予知していたとする説もある。
   (ちなみに富士山は年間40万人)

ここでは、説明の為のレコーダーが渡され日本語版も選択できる。( 私は当然、はい )

      

モニュメント ? 天文観測 ? 墓 ? 祭祇場所 ? 神殿 ? 宇宙人 ?
なぜこんなところに。  誰が何のために造ったのか。  未だ謎とのこと。

現地にも足を運んでいるあの松本清張も著書 【松本清張のケルト紀行】 でこう記している。

『 どうみても独立した宗教的な殿堂・天体観測を兼ねた空前絶後の素晴らしい神殿 』 だと。

      

石材となったブルーストーン(斑点輝緑岩)は217キロも離れた場所から運ばれたという。
その時代どうやって運んだのか、、、古代人の信仰心がそうさせたのか。 不思議です。

その一途さには胸打たれます。

1960年代放射性炭素測定法が確立され、ストーンヘンジの建設時期が1000年以上早まり
紀元前3000年以前と推定されるようになったことにより、エジプトのピラミッドより以前と判明。
文明文化が中東地域から世界に拡がったという考古学の定説が覆ったことでも知られる。

      

辺りは見渡す限り広い平原。 異様な存在感がありました。
(左端に小さく見えるのが観光客です)

これらのストーンサークルを含めた石群遺跡は世界各地に存在するという。


日本でも規模は極端に小さいものの、北海道・東北・神奈川にまであるようです。

ちなみに北海道にも、小樽の手宮ブゴッベ洞窟近くの地鎮山や海岸忍路(オショロ)の三笠山
から西の余市近くまで、縄文時代晩期のストーンサークルが今も点在するという。

松本清張も足を運んだが、まだ雪が残っており環状列石の頭しか見えなかったようだ。

札幌からこんなに近いところにもあったんですね、是非行って見たいものである。


万葉の秘密

2013年06月07日 | 雑感
先日何年かぶりで(『万葉集』解説付き)を眺めて見たのですが、日本人のこころを美しく歌った歌集、、との認識だけで、その裏に隠されたものなど知るよしもありませんでした。

日本古代史学者・小林やすこ著『本当は恐ろしい万葉集』ー歌が告発する血塗られた古代史ー を読んでみたら、面白いことが載っておりましたので少し紹介します。(小林氏は1936年生まれの東洋史・古代史学者で著作も数多い)

古事記も古今和歌集も序文に、編纂を命じた天皇・編纂者・成立年月を明らかにしている。

ところが万葉集には序文がなく、いきなり雄略天皇の歌から始まる。誰が命じたなど全く記されてないという。

(ちなみに全二十巻すべての巻頭の歌が雄略天皇の歌で始まっている)

序文は天武系天皇(聖武朝)によって発想され、天智系天皇(桓武朝)により抹殺されたのでは、、、と。

確かにこの時代は、天武は朝鮮半島の新羅・天智は百済がそれぞれバックにつき、加えて唐や高句麗も加わって互いに争いながら和合をも繰り返していた時代。

『日本書記』や『続日本記』などの正史といわれる歴史書においてもそうであるように、歴史は時の偽政者によって歪曲され作られてきた、、万葉集もそうした史実を活写した典型なのかもしれません。

万葉集は歌数4500首を超え400年もの歳月。大伴家持一人の歌集では到底あり得ないとするのが今や通説。

著者は言う、、、。
≪最初に『万葉集』を企画した聖武天皇等の意図は、天武朝が正当であることを後世に残すため、序文にはその意志が明快に書かれていたが、実際に編纂に携わった大伴家持以下の人々は、天智・天武朝の融合(和合)を目的としたので『万葉集』はその初期の目的と相違してきた。万葉集の序文は編纂の最終過程で消えざるをえない運命を背負っていた≫、、、と。


『万葉集』に数多くの歌がある額田王・柿本人麻呂・大伴家持の三人の歌人がいる。

【額田王】
百済の武王(欽明天皇)である父と新羅・加羅系母との間に、倭国で生れ育ち、新羅系・大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎ十市皇女を生み、後に百済系・天智天皇の後宮に入ったとされ天武朝と天智朝に翻弄され続けた、あの額田王(ぬかたのおおきみ)。
 ~《君待つと 我が戀(恋)ひをれば 我がやどの 簾(すだれ)動かし 秋の風ふく》
  (君を待つと私が恋しく思っているところに、家のすだれを動かし、秋の風がふく)
  悲しいかな、額田王が待っていた相手は天智天皇ではなく、天武天皇だったとの裏読みが必要のようです。

  ♪♪ぬかたのおおきみはすすきのかんざし熱燗徳利の先つまんでもう一杯いかがなんてみょうに色っぽいね
   吉田拓朗の歌ったあの歌ですよ。 どうもこれしか思い浮かばず。
   (あとで解ったのですが、浴衣の君は、、が本当だそうです(笑))

【柿本人麻呂】
蘇我系・百済系の出で持統・文武朝・元明朝(天武系)で謀反の罪で粛清され、新羅に異常なほど憎しみを募らせ百済系天智朝の存続に生涯を賭けた政治家・そして名歌人の柿本人麻呂。
 ~人麿呂が死に臨んだ時の歌 《鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹(いも)が 待ちつつあるらん》
  (鴨山の岩を枕に死んでいる自分を知らずに妻はひたすら私の帰りを待っているのだろうか)
  という哀切きわまりない最後の歌である。

飛鳥の人麿呂・人麿呂を慕う西行・西行を慕う芭蕉・芭蕉を慕う山頭火・山頭火を慕う白頭人といったところか。

【大伴家持】
そして、天智系・桓武天皇の臣、藤原種継を暗殺した大伴一族に連座していたとされ、死後も除名の憂き目にあった『万葉集』編纂に大きく携わった大伴家持。
 ~私の好きな、あの呑んべえ歌人・大伴旅人(おおとものたびと)(当ブログ~万葉の酒呑み)の長男である。
  『万葉集』全二十巻の末尾を飾る歌。
  《新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)》
  その後没する迄46年間一首も詠まず。この歌を最後に歌人としての命を絶った。
   
  父・旅人にこんな歌があります。《世間(よのなか)は 空しきものと知る時し いよよますます 悲しかりけり》
  子の家持は、晩年どんな気持ちで酒を呑んでいたのでしょうかねえ。
    
万葉人をとりまく得体の知れない<怨念>と<愛憎>いや<ロマン>がこの『万葉集』に散りばめられているという。

『万葉集』の初期を飾る額田王・中期を飾る柿本人麻呂・後期を飾る大伴家持。

謎めいた、興味をそそる三歌人、、、 古代は不思議いっぱいで実に面白い。