スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

備前・藤原三代

2014年10月30日 | 雑感
陶芸・備前(岡山)の藤原三代の展示会が開催されていた。

藤原 啓(祖父)・雄(父)はともに人間国宝。息子・和(三代目)の講演があり聴講してきた。
備前は伊賀・信楽・越前等と共に釉薬を使わない素朴な 《やきもの》だ。

  

HOPという建築会社主催のコラボ展示会。見事な作品が展示される中、和氏の講演に70名程の出席があった。
HOPは備前が似合う家・建築を目指しており、このコラボ開催に至ったという。 

  

和氏の作品が主体であったが、啓・雄氏の作品も数点展示され、手に触れても写真撮影も可とのこと。

  

      藤原 啓(1899年-1983年)             左: 和 作 中: 雄 作 右: 啓 作

どうです いい顔してるでしょう。
この呑べぇ 啓爺さん(失礼!)の作品が好きで、三年間位だが陶芸にのめり込んだ時期があった。
雄氏・和氏には申し訳ないが、やはり藤原 啓さんのことを少し記してみたい。


詩や小説に才能があった文学青年であったようで、社会運動にも身を投じたりでしばしば検挙もされたという。

雑誌の編集者などを経験したが文学に限界を感じ挫折。 神経衰弱に陥り、故郷岡山県備前市に戻る。
静養がきっかけで、40歳にして陶芸の道を歩むこととなる。  金重陶陽や北大路魯山人にも師事。
(博文館編集者を辞任時、後任があの八つ墓村など岡山もので有名な横溝正史だという~和氏の講演での話)

土で詩を詠んだ陶芸家とも言われ、その作風には何とも言えぬ温もりを感じます。


                           (上図の藤原 啓作品は展示はないが、さすが人間国宝)
 

こんなので呑んだら さぞ旨いでしょうねえ!
人間国宝の作品に触れる機会など めったに無いと思い、暫く魅入っておりました。
啓さんの作品の陳列は畳でしたので、座り込んで啓爺さんと差しつ差されつ 何杯呑んだことか。(笑) 

   

(左写真) 啓爺さんは晩年亀の作品を好んで作陶していたという。
(右写真) 余談~スノーマンが当時、遊び心で備前の土を使い作陶した板皿と亀を真似たもの。 
           札幌芸術の森の窯で三日三晩焼いたのですが、一応 備前に見えますでしょうか?


三代目・和氏もゆくゆくは人間国宝になるでしょう。今回の展示会でも素晴らしい作品ばかりでした。

数万から数十万の値がつけられ、人間国宝ともなると数十万いや数百万、数千万にもなる作品もあるという。
数倍に跳ね上がるのは時間の問題、、、なんて下種なことを考え会場を後にした。

この陶芸展は11月3日迄、札幌市中央区北4条西21丁目会場で開催されている。



戦争の教室

2014年10月27日 | 雑感
今年7月に出版された 『 戦争の教室 』という本を読んでみた。

戦前生れから20歳代まで、各世代80名による戦争への想いを綴った論考書である。
著者陣はフリーライター・新聞記者・写真家・建築家・画家・天文学者・ジャーナリスト・会社員等々。


     
表紙写真は東京・山王神社での七五三の風景。外国の軍服を模した格好での男の子たち。
                            (1929年・昭和4年撮影~毎日新聞社提供)

戦争は人間のモラルを消滅させるという。 戦争は人殺しを正当化するともいわれる。
『百人の死は悲劇だが 百万人の死は統計だ』 ナチスのユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンの言葉だそうです。

この本を読んでいると人類の平和など未来永劫来ないかもしれない、そんな不安もまた頭をよぎる。

戦争未亡人やその子供たちの疎開先での人間不信・疎外感の話や 空襲の恐ろしさ、収容所体験、
沖縄の悲劇の話などのほか、戦争を取材した人、戦争を知らずに育った人等の思い、靖国神社問題
などと幅広く網羅されていて、読み応えのある一冊でした。 


落語界でも浅草本法寺境内に<はなし塚>まで建て、53本も≪禁演落語≫として葬ったという話や

三島由紀夫に赤紙が届き、検査で結果不合格と云い渡され、父は倅の手を取り喜んで一目散に駈け出した
という実父の話(著書『倅・三島由紀夫』)等々興味をそそる話も紹介されていた。

≪戦争を取材する≫とのタイトルで、2年前シリアでの内戦取材中に45歳で凶弾に倒れた山本美香さんが問う。

 『人間ひとりひとりがちがっているからこそ、豊かな関係が築いていける。だれもがちがいを学び、
  相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努める事で価値観のちがいを乗り越えることができる』


≪平和とは既得権者の春である≫、、フリーライター赤木智弘さんも問う。

 『すでにお金・地位などの持つものが、持ち続ける社会。失いそうになっても貧しい持たざるものより
  先に保障される社会が<平和な社会>であっていいのだろうか』


そして≪女子旅≫とのタイトルで、旅好きな会社員・根本綾香さんも続けて問う。

 『旅に出ると思いがけず「戦争」に触れる。平和ボケしている私たちが、厳しい現実に触れる瞬間
  でもある。かつてジョン・レノンが唄ったように、イメージする力は平和実現への第一歩だ。』


  世界に旅するようになってから毎年《世界報道写真展》に足を運ぶようになったという。

戦争の語り部がほとんどと言っていいほど少なくなった今、
                  戦争を学びイメージすることの大切さを感じる一言一言ですね。


   
  写真は鉄格子の中のタリバン捕虜(写真:山本美香)  右はカブール・ジャパンプレス事務所の山本さん


北大のイチョウ並木

2014年10月23日 | 雑感
   今年も 北大構内にあるイチョウ並木の黄葉が 真っ盛りでした。
 

   


   

   実際はもっと鮮やかな黄なのですが、ハンディカメラなもので、いや腕か。 とにかく行って観てください。
   (下の一枚は2年前に撮ったもの。その時のイチョウ黄葉の方が鮮やかだったなぁ!?)

    


   

   まだ色づいていないポプラ並木のすぐ傍には、ひっそりとあの武士道で有名な≪新渡戸稲造≫の胸像が。 

   撮影悪く光って見えないが、胸像台座には ” I wish to be a bridge across the Pacific ” とある。
   前身・札幌農学校二期生。クラーク博士の弟子で台座(1996年)はクラーク博士より少し低く造ってあるという。

   


   


   


   
 

   

   咲き誇るほどの紅葉も 敷き詰められた落ち葉も 美しかった。

   

   学舎に絡みつく蔦の葉も色づく。 風情と歴史を感じますね。

   

   庭園風の池もあり、鴨たちもゆったりと浮かんでいた。

   

   北大の敷地は約6億6,000万平方メートルでキャンパス大学日本一。(2位東大は約半分だそうですよ)
   ハルニレの巨木。ニレ科の落葉高木で英名はエルム。 北大は「エルムの学園」とも呼ばれている。
   
   

   北海道大学総合博物館。 400万点以上の標本や資料を収集した無料博物館。 

   今回は『美術の北大展』が開催されていた。
   北大が所蔵する木田金次郎などの絵画の展示がされていた。製作年代世相のせいか暗い絵が多かった。
   

   

   学生の多くは自転車通学で頑張っているようです。 

   先般の報道で、北大生ひとりが≪イスラム国≫への参加未遂事件云々という驚きの話もありました。
   その人は 「 このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな 」 と語っていたという。
   疎外感によって人はこうも簡単に事件を起こす。

   実は、考えて行動するということはフィクションじゃなくまさにリアル。 ノンフィクションなのですね。
   否定してばかりもいられない。 そんな気がします。
  

   北大構内の黄葉・紅葉のみどろは今が盛り。  是非たづねてみてください。
    (イチョウ並木は北13条門から入ったすぐにあります)



藻岩山・紅葉狩り

2014年10月20日 | 雑感
藻岩山の紅葉が真っ盛りだという。

今朝、目が覚めたらもう我慢がならず。 4時過ぎ まだ真っ暗い中 クルマを走らせていた。 

どうもまだよくわからない マーラーを大音量にして聴きながら、、、。

  

  登山口(旭山公園)に着いたのは まだ5時前で(6時開門)駐車場も閉鎖の状態。
  計画性の無さはいつものこと。 ヘッドライトをつけた二人の若者が登山口に入っていった。

  仕方なくクルマを近隣住宅街の路上に停め、明るくなるのを待つことに。 
  近所迷惑になるので暖房もつけられず、目をつぶるも寒くて寝られず。 我慢の時を待つ。


  

  二か月前に熊出没(足跡)の注意看板あり。熊にはたぶん勝てない。出ないことを祈るしかない。

  

  旭山記念公園駐車場入口からスタート。 藻岩山頂上へは5つの登山コースがあるという。

  

  ここが登山口。 小林峠コースの次に長いコースだそうである。

  いつもは慈啓会病院入口からで登りばかりのコースだが、このコースはアップダウンのバランスがよく最高でした。

  

  早朝の為か人影もまばら。 毎週登っているとの登山者に出会った。

  先週はまだ落ち葉は少なく、土の方が多かったが 一週間でこうも変わるのかと驚いていた。

  

  コーヒー色に敷き詰められた落ち葉が なんとも素晴らしい。 人もこう朽ちられたらいいですね。

  

  本州に比べ、北海道の紅葉には『 赤 』が少ないと言われる。
  
  ふつう 赤・黄・褐色すべてを紅葉と呼ぶが、狭義には、、。

  赤色に変わるのを 「紅葉(こうよう)」
  黄色に変わるのを 「黄葉(こうよう、おうよう)」
  褐色に変わるのを 「褐葉(かつよう)」     と呼ぶのだそうです。 

  それにしても北海道の褐葉(かつよう)は素晴らしい!  (ちょっと負け惜しみかな?)

  

  なんとも言えない静寂な山道が続く。 時々の鳥たちの鳴き声も心地よい。

  

  

  いつも登っている慈啓会コースの馬の背付近の休み処(いす)のある分岐点。

  あと頂上までは三分の一だ。

  が、「 紅葉はこの辺までが見どころ 」 と勝手な理由をつけ、ここから下山。(あらあら!)

  

  

  紅葉の木々もいいが、敷き詰められた落ち葉が見事でした。 

  落ち葉を拾い集め  遊び心で 否 心をこめて ≪ 幸 ≫ と描く。 

   ≪ 幸 ≫ は見えますか? 
   

素浪人・大腸を語る

2014年10月12日 | 雑感
大腸にポリープが見つかり内視鏡で切除する為、二泊三日の入院をして一昨日退院したところです。
(多分良性と思われるが、検査結果は後日とのこと)

せっかくだからその大腸のことを調べてみようということで、ベッドで終日大腸に関する本を読んでみた。

工藤進英著『大腸ガン(これだけ知れば怖くない)』という本で、工藤氏はNHK≪プロフェッショナル仕事の流儀≫
などで取り上げられるほどの世界的な有名な消化器の専門医師。

著者によれば、診断するには血液検査とか便潜血検査よりは、やはり内視鏡が一番有効だという。

血液検査(腫瘍マーカー)はある程度進行したものでなければ出てこない。便でも突起(凸)したポリープやガンで
あれば便が通過するとき血が混じるが、くぼんだ所にある《陥凹(かんおう)型ガン》は見つけにくいとの事。

ポリープとガンは別物で、ポリープがそのままガンになるわけではないという。ポリープがたとえ100個あってもガンを
発症しないこともあるようだ。

もちろん確率は低いがガン化するケースもあり、ポリープが多い人に陥凹ガンや平坦型ガンが多い傾向があるのも
事実とのこと。  注意に越したことはない。

男性は大腸ガンでの死亡率は4位だが、女性では1位だそうですよ。
(女性が多いのは運動不足にも一因があるそうです)

しかし受診率はいまだに30%前後だという。 是非定期的に内視鏡検診をされたし!

いまは鎮痛剤でなんの痛みもなく、夢心地のうちに検査は終わってしまいます。 

面白い事に、この大腸ってやつは「脳」と極めて近いものがあり、独自の命令機能を持っているようだ。

「脳」に存在する脳内物質「セロトニン」なるものが大腸にもあり、ストレスなどを敏感に察知し、便秘・下痢・嘔吐
などに敏感に影響を与えるという。

大腸ガンは肝臓への転移が一番多く、早期ガンで切除しないと、転移が勢いを増し治癒率は急降下するようだ。

科学的根拠に基づくガンを防ぐ8項目(出所~国立ガン研究センター)を紹介します。

  ● たばこ ● 飲酒適量 ● 野菜・果物摂取一日400g ● 食塩摂取最低限に一日10g未満
  ● 運動の継続 ● 体重維持・肥満留意 ● 熱い飲食物最小限に ● 肝炎ウイルス治療・予防

野菜食べてますか?   ガン細胞を抑える主役はやっぱり野菜だそうですよ。

     

 ガン予防の優等生食品を少し紹介します。

 ≪ピーマン≫~抗酸化作用のあるビタミンCはホウレンソウより多い。特に赤ピーマンはビタミンCはレモン以上のようだ。

 ≪ダイコン≫~皮にはカルシウム。葉にはβカロチン。根(しっぽ)には魚のこげに含まれる発がん物質分解成分が。
       魚に大根おろしを添えるのは理に叶っているようです。

 ≪カボチャ≫~抗酸化物質の各種ビタミンだけじゃなく食物繊維もあり、ガン予防には欠かせない逸材。

 ≪キャベツ≫~は生食が最良。アブラナ科は過熱するとガン予防成分のイソチオシアネートが6~9割失われるという。

 ≪トマト≫ ~抗酸化物質のリコピンはガンや生活習慣病の原因とされる活性酸素を除去する作用がある。
       その作用はβカロチンの2倍・ビタミンEの10培の効果あるといわれる。

 ≪ナス≫ ~抗酸化物質のアントシアニン・クロロゲン酸を豊富に含んでいる。特に皮にあるので皮ごとの調理を。

他に豆類・きのこ類や柑橘類・ニンニクやショウガ等々、、挙げればきりがありません。

野菜だけじゃなく、もちろん肉類も食べてくださいね。 鶏肉がベターなようです。

何事もバランスよく、、が最良。

   最近医学も急速に進歩し、その療法も分子標的薬など新兵器が続々出てきておりますが、
   やはり早期発見が一番です。 予防とともに定期健診は必須かも知れませんね。 

以前、ガンに良いというビタミンCの研究をしていた方がガンで死んだという笑えない話もある。
でもいいじゃないですか。 悔いの無いようしっかり生きることが肝心。

今回は二泊三日の入院でしたが、同室にがん患者が三人。ステージ1の人も5の人もおりました。
心の中までは知る由もありませんが、必死に病と闘っている姿がありました。

生かされてることに感謝し、できうる限りしっかり生きなければなりませんね。  

   あなたもですぞ!  ちゃんと 大腸の内視鏡健診実施するのですよ! 


ナチスの発明

2014年10月08日 | 雑感
フリーライター・武田知弘著 『 ナチスの発明 』という本を読んでみた。

言わずと知れたあのヒットラー率いるナチス・ドイツ。 
残虐行為のかたわら、発明・発見<人類への功績>という黙殺されてきた歴史への空白。

     

冒頭に著者はこう記している。
   「本書は、ナチスの残虐行為を擁護するものでも、ナチスやヒットラーを崇拝するものでもない。
    ただ、ナチスが何を作り、その背後にはどのような思いがあったのかを明らかにするものである」


ナチス誕生の種々な要因があるが、やはり第一次大戦終戦後に締結されたヴェルサイユ条約だ。

 ドイツ戦後の賠償などを定めたものであるが、その戦争責任をすべてドイツにあり、二度と立ち上がれない様に
 するために作られた条約で、ドイツにとって悲惨極まりないものであった。巨額な賠償金もしかり、英・仏
 などにより、海外の領土や植民地は全て没収されドイツの鉄鋼生産等も戦前の37%にまで落ち込んだという。

 当時世界恐慌も起き、街には失業者があふれ、餓死者も出るような状態だったといわれる。 
 ナチスが掲げた<ヴェルサイユ条約の破棄>・<再軍備>・<共産主義革命への警戒感>とういのは、どれも
 当時のドイツ国民が切望していた政党に合致していたのである。

そのナチス政権下での発明・発見とやらを列挙してみる。

 ● 給料からあらかじめ税金が引かれる<源泉徴収>や扶養家族がいればその分だけ税金がやすくなる
   <扶養控除>制度はいまや日本のサラリーマンにとっては当たり前だが、その起源はナチスだという。


   ナチス政権以前のドイツは、不景気のため税収が少なく、その確保の為に増税を行い景気がさらに悪化、
   税収は更に減るという悪循環にあった。 それを断ち切る為の大減税で労働者が恩恵をうけた。
   その一方では大企業に対しては大増税を行っている。

 ● 失業者対策としての高速道路建設。当時アメリカやイタリアでもあったが、ドイツでのこれほどまでの最先端の
   技術・大規模な高速道路は、現代の高速道路のモデルになっているという。

   
   これによりドイツの失業率は700万にも達していたのが、わずか数年でほとんどゼロにしてしまった。

 ● 労働者にも長期休暇を。 今ではヨーロッパでは1・2ヶ月のバカンスを楽しむのは当たり前だが、労働者の
   不満を解消させるため、「金持ち特権の打破」はナチスの方針の一つだったという。


 ● ナチスは少子化対策にも。勿論「ドイツ民族を増やす」為だが、1933年政権を取るとすぐ「結婚資金貸付法」
   を施行。お金がない人の結婚資金を無利子で貸し付けるという思い切った政策だ。

 
   子供を一人産む毎に返済金の四分の一が免除され、四人産めば全額免除された。
   その結果1932年には51万件だった結婚数が翌年には73万件に増加、出生数も20%も上がったという。

 ● 伝説の1936年・ベルリンオリンピック。聖火リレーはナチスが作ったといわれる。
   
   ナチスのユダヤ人迫害や人種差別に抗議してボイコットを考える国も多かったというが、ナチスは一時的に
   迫害政策をゆるめ「政治にスポーツは関係ない」と主張。結果的にボイコットは殆どされなかったという。

 ● 現代の医学に多大な貢献をしている電子顕微鏡は、ナチス時代のドイツ人学者エルンスト・ルスカによって開発
   されたもの。 (ノーベル賞は世紀の発明から半世紀も後のことであったという)


その他にも、ガン撲滅対策・財形貯蓄制度・合成着色料の禁止・自然農法の実験・ジェット機開発・ミサイルの発明
・宇宙開発、、、等々がある。 女性アナウンサーを世界で最初にとりいれたのもナチスであった。

善と悪。 そこには必ずや望んだ人々や支持した人々が多数いたのである。 

ナチス収容所で亡くなったあのアンネ・フランクがその日記でこう記していたという。

   『 戦争とは 一部の政治家や指導者が起こすものではなく 人々の心の中に
        それを望むものがあるはず。 人々が それに気づかなければ 戦争はなくならない 』
 
   

素浪人のひとりごと<2>

2014年10月05日 | 雑感
このたびクルマを入れ替えた。

神など信じてはいないはずが、クルマのお祓いに来ている自分がそこにいた。

神道でもない私が いつも よく参拝する神社だ。 
冬には 水で手を清めるところも 凍っているせいか いつも使えない。 そんな小さな神社。


控え室で住所・氏名・車名そして車番号などを書き込み、5000円と共にその用紙を渡す。
その昔、金額なんか定まっていなかったのになぁ、、いつからなのか、、なんて考えながら。

本殿に案内されたが、誰もいなく私ひとりであった。  神妙なおももち、背筋が伸びる。

どーん どーん どーん 太鼓の音が鳴り響く。

神主さんが神前に坐し深々と腰を折り頭を下げた。  私もそれにつられ頭を下げる。 

もういいかな、、と思い頭を上げたが、まだ神主さんは下げたまま。 あっ と思いもう一度頭を下げる。

詔(みことのり)が詠まれる。 書いて渡したものに間違いないか、、、などとへんなところに気がまわる。

”お祓いをしますので、頭をお下げください ”

”ちりん ちりん ちりん  ちりん ”、、、頭上でなんとも言えない鈴の音が聞こえる。

神妙な心地のなかで、”なんでこんなことを ” などと またふしだらな思いが浮かぶ。 

榊(さかき)の枝を渡され、それを神前に捧げるのですが、ここで神主さんから ”二礼二拍手一礼 ”
をと促される。

今度神社で参拝の時は二礼二拍手一礼じゃなく≪一本締め≫で、、なんてうそぶいていたが、
いざその場になると、神主さんの言う通りの作法に従っている自分がいた。 ≪ 参拝じゃなく惨敗 ≫

その後外に出て車のお祓いをし、全て終了。

初詣によく行くこの神社。 以前はそこの小さな空き地で毎年お焚き上げをしていたが、煙や匂いで
近隣からの苦情が続き、数年前からはこの<お焚き上げ>はしていないと聞く。


締め飾りや神札などもその空き地の隅に備え付けられた場所に保管され、業者が処分するのだそうだ。 

一時の煙や匂いを我慢できない近隣がほんとに増加しているのだろうか。 これも時の流れなのか。

業者も数年前に設立された株式会社。 タイミングが良すぎるではないか。 またまたふしだらな思いが。

神を信じていないはずの自分が、手を合わせ お祓いもする。 そんな矛盾だらけの自分がいる。

こんな思いじゃ ご加護など、、、。   これも文化や伝統の力なのか、、、不思議ですねぇ。 

読書三昧 (21) 『 ミケランジェロの暗号 』

2014年10月03日 | 雑感
危険な思想を芸術作品に隠すことは、多くの芸術家が普通にやっていることであり
大昔から続けられてきたことであるという。  反骨の芸術家・ミケランジェロ。

ベンジャミン・ブレック&ロイ・ドナリー著 『 ミケランジェロの暗号 』 を秋の夜長に読んでみた。

ヴァチカン市国 <システィーナ礼拝堂>に隠された禁断のメッセージと副題にあった。 名著だと思う

       

右の方は映画のポスターだが、内容は全く違う。 映画(ナチスもの)の原題は「Mein bester Feind」ドイツ語で、
「私の最高の敵」という意味だそうです。 なぜ同名『 ミケランジェロの暗号 』になったのかは不可思議。

左のこの本の共著者はどちらもユダヤ教のタルムード研究者が書いたもの。
               (タルムード~モーゼが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群)

<システィーナ礼拝堂>天井画はルネッサンスを代表する芸術作品。カトリック教会の教義を絵画化したものといわれる。

ミケランジェロとブオナローティが1508~1512年にかけて描いたものだが、そこには300人もの人物が描かれている。
が、ヴァチカンにあり教皇の命により描かれたにもかかわらず、新約聖書に出てくる人物は一人もいないという。

(フィレンツェ経由でローマへ22年後に舞い戻った時、時の皇帝・クレメンス七世によりシスティーナ礼拝堂の壁面改装を
 命じられ<最後の審判>を描いているが、そこにはキリスト・ペトロ・パウロなど新約の面々が描かれている。
 その境地や秘めたるものについての詳細は記されていなかった)

あり得ないことをやってのけたミケランジェロだが、他の芸術家がこれを実行し描いていたら間違いなく破滅の運命
に至ったであろうと言われる。

いくつかその禁断のメッセージを載せてみた。 (著書を写したので鮮明さに欠くがご容赦のほど)

 

≪ 預言者ゼカリア ≫
 本来キリストをすえさせようとした場所に、ユダヤ預言者ゼカリアを描いたのであるが、その顔を教皇ユリウス二世
 そっくりに、また教皇を輩出したデッラ・ローヴェレ家の伝統色(ローマの象徴色)である金色と紫紺の衣を着せ、
 教皇の自尊心をくすぐる形で怒りを和らげたという。

 その背後の子供たち、、、肩にかかる右手の親指に注目、、、。(ぼかしでよく見えないが) 
 教皇の肖像に向けて、親指を指しているという。これは今日での中指を突き上げる(相手を侮辱する意)
 と同様のルネッサンス版とでもいうが如きに。

 わざとぼかして曖昧に描いているが、教皇の眼にはっきり捉えられてしまったら、ミケランジェロ自身の命も
 その場で絶たれたに違いないという。 見上げれば数十メートルの距離も計算に入っていたのかも知れない。


 

≪ 大洪水 ≫
 逃げ惑う姿が描かれているが、さりげなく金色と赤色を配色している。
 この色はローマの伝統色。 逃げ惑うローマへの侮辱的メッセージという。
 一般的には大航海ようの船だが、ここでは「箱船」。あくまでユダヤ教の解釈を取り入れている。

 

≪アダムの創造≫
 神の背後には、複数の像が描かれているが、それが誰かは所説あるようだ。
 背後にある画はある外科医が1975年に解剖学構造図とそっくりと指摘。 当時人間の解剖はご法度の時代。
 ミケランジェロは密かに解剖学にも通じていたとし、ここでもユダヤ教タルムードやカバラによると男の生殖巣は左脳で
 作られるとする教義をこの作品で描いたのではとの解釈だ。
(カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想~ウイキペディアより)
 
このような禁断のメッセージが天井画には数多く存在するといわれ、この著書にも数十点掲載されていた。

その秘密は、ミケランジェロが傾倒した新プラトン主義・ユダヤ教などの教義に理由があるとされるが、
ユダヤ人への尊敬・ヴァチカンの汚職と不道徳への軽蔑・教皇をも欺く反逆的信念を天井画に込めたミケランジェロ。

新プラトン主義(ビッグローブより参考クリック)

それにしても命がけで天井画に描いた情念というか反骨心には驚愕せざるをえない。

天井画制作の任務を終えた直後の1512年、ローマ教皇について怒りに満ちた詩を友人に送っているという。

  この地では聖杯から兜と剣がつくられる
  キリストの血が少しずつ売れれている
  その十字架と荊冠は槍と盾にされ
  それでもなおキリストの忍耐は絶え間なく降り注いでいる

  もはやこれ以上この地に彼の似姿を増やすまい
  彼の血の値は天井破りとなるだろう
  今まさにローマでその肉は売られ
  徳へと至るどの道も、ここでは閉ざされているのだから



天井画を完成させた後のミケランジェロ。

  完成数年後、あのマルチン・ルターの宗教改革運動がヨーロッパを覆いつくす。
  ドイツ・ルター派の軍勢がローマを占拠。2万人以上もの人が犠牲となったともいわれる。
  ミケランジェロが戻ったフィレンツェでも自由思想が広がり、ミケランジェロ自身も積極的に身を投じた。
  メディチ家とカトリック教会の横暴への反抗であった。

  ミケランジェロはそのカトリック教会に対する反抗分子として指名手配される身となり、その後ローマへ戻る。
  その後二度とフィレンツェの地を踏むことはことはなかったという。



有名美術館や教会・古城などもしかり、 ” ワ~すごいなぁ きれいだなぁ! ”と感嘆はするのですが。 

じっくり観てきたつもりの時も、ただ多くの時間を費やしただけのような気がする。 

以外に 旅とはそんなものかも知れない。 人生もしかり か?。