スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

英国民 EU残留に NO

2016年06月28日 | 雑感
イギリスが国民投票でEU離脱を決めた、というより決まってしまった。 

浮足立つ世界各国。 その各国の反応も様々だ。
 
スコットランドでは独立の機運が高まり、いやいやロンドンでさえ独立を叫んでいるというではないか。  

中国は親中外交国のEU離脱により、EUの対中保護主義の加速が懸念されるのではとの見方や
逆に対ロシアでは強硬姿勢を貫くギリスの影響力が弱まり、制裁圧力に手心がとの思惑なども交錯する。


    

離脱は 移民問題への反乱 ? 主導するドイツやフランスに対する反感 ? イギリスの伝統的プライド ?
 
イギリスとドイツ・フランスと言えば、歴史上争いを繰り返していた国同士。 
世界大戦の反省のもと、同じ過ちを繰り返さない為に作った共同体のはずなのだが。


イギリスのある漁村ではEUによる漁獲量規制や他漁船の漁場への参入などで収入が激減。
漁村の殆どは離脱に一票を投じたという。 利害が複雑に絡み合っていてそう単純ではないようだ。

今回の国民投票では若者には残留派が、年配になるにつれ離脱派が多いと聞く。

EU残留派のある若者の悲痛な叫びがネットに載っていた。

 「 戦後のベビーブーム世代の判断ミスによって金融危機が引き起こされ、
   若者に大きく影響する緊縮策がとられ、そして今度はEUを離れろと。
   しかも、もたらされる結果をほとんど見ることなく生涯を終えるのに。」


日本では参議院からの18歳選挙権で持ちきりである。 
 「 18歳での選挙への参入は無理なのでは。」  そんな意見も少なくない。

じゃ高齢者は? 免許証返上・剥奪の話は上がるが選挙権への声は聞こえてはこない。

考えれば 民主主義って 摩訶不思議。 

 



音の巨人

2016年06月23日 | 雑感
知の巨人・立花 隆が 武満 徹に迫った本 【武満 徹・音楽創造への旅】 が今年刊行された。

武満 徹(1930年~1996年)≪ 世界のタケミツ ≫ と言われた日本が誇る現代・前衛音楽家。

雅楽・尺八・ジャズ・シャンソン・民族音楽にも造詣が深く数々の映画音楽も手掛けた鬼才。
ほとんど独学で独自の境地を開いた、身体は小柄だが音の巨人だ。 


       


私がごちゃごちゃ語るより過去にNHK映像のユーチューブがあったので掲載します。
 武満徹の残したものは 
立花隆が涙で言葉に詰まる最後のシーンがある。 余程の想いがあったのでしょう。
ちなみにこのユーチューブ2時間ですからね。 かなりの暇のある方のみのご視聴を。(笑)

ストラヴィンスキー来日の際この曲を絶賛、武満徹の名は一躍世界に知れ渡ったと言われる。
 弦楽のためのレクイエム 
若かりし時から肺を患うなど <生と死> に向き合い もがきながら生きて来たのですね きっと。
指揮・小澤征爾。  他に友人は谷川俊太郎・小室等・井上陽水などがいたという。

たった一つの反戦歌も残している。  (作詩 谷川俊太郎・作曲 武満 徹・歌 小室 等)
                               死んだ男の残したもの 

早速 <雨の樹素描>・<閉じた眼>・<二つのレント> などピアノ作品から聴き始めている。
西洋の典型的なソナタ形式(ドラマチックな構成)の破壊を試み、始まりも終わりも無い、構成も、
時には旋律もないという静寂で不思議な音楽なのです。


 『 海の中には、温度や速度の異なった潮流が絶えず流れている。 それらがすれ違ったり、
   ぶつかり合ったりしながら、いろんな海の表情をつくり出している。
   そんな ≪海≫ みたいな音楽を作りたい。』  

 『 音と水というものを似たもののように感じる。』

                                  晩年、武満 徹はこう語っていたという。  


祝 イチロー

2016年06月20日 | 雑感
3割を超える打率を誇るも常時出場も叶わぬ日々も続く。  耐え抜いてのこの記録。 
日本でも王さんの年間ホームラン記録時、外国人打者に対する敬遠策を思い起こします。 


異国で生き抜くって想像を絶するものがあるようですね。 

記録達成後の代打でのヒット。 淡淡とそれを受け入れプレーを続けるその姿。 見事です。

       

走・攻・守はいうまでもないが、その凄さはなんといっても肩ですよ肩。  ≪ レーザービーム ≫ 

五色の虹

2016年06月19日 | 雑感
仲間にこんな本を紹介され読んでみた。 

三浦英之著 『五色の虹』 ~ 副タイトルに <満州建国大学卒業生たちの戦後> とあった。                          
以前当ブログで、反強制的に移り住んだ満州開拓移民のことを記したことがありました。
     当ブログ 満州移民

この本は「五族協和」実践のもと日本・中国・朝鮮・モンゴル・ロシア から、国策として旧満州・新京に
『建国大学』を設立せんが為集められた若者(スーパーエリート)たち卒業生の戦後を丹念に追ったノンフィクション。


本作品のタイトルの「虹」は、南アフリカの故ネルソン・マンデラ元大統領が、人種や民族の違いを超えた多民族国家を
目指そうと、南アフリカを複数の色、「レインボー・ネーション」(虹の国)に例えた歴史的な演説から借りたという。


       
    
第一期生入学は1938年春、といえばこの年既に戦時(満州事変は1931年)に突入していた時期と重なる。 

この年に2万人もの志願者の中から、第一期生は日本65人・中国59人・朝鮮11人・モンゴル7人・ロシア5人
台湾3人の若者が、満州国を指導する人材の育成を目的に意図的・戦略的に集められた国策大学だ。

(定員150人・前期後期で計6年の全寮制で授業料全額官費、月5万の手当ても支給されていたという)

新京に作られた建国大学には図書館もあり、150万冊所蔵。「知識がなければ批判もできない」
として、共産主義の発禁本なども許可されていたといい、正にスーパーエリートの養成だった。


日本人学生は「いかに日本が満州をリードしていくのか」を問うのは必然、そこに中国人学生などは
「満州は元々中国のものなのに、なぜ日本が中心になり満州国を作ろうとする」などと主張する。

ここでは<言論の自由> が認められ時には喧嘩も、毎晩活発な喧々諤々な議論がなされたという。

ある証言者は当時を振り返り、中国人も朝鮮人もモンゴル人もロシア人も、誰もが当時、どんな世の中を
作るべきかそればかりを考えていたようだ。 この先の自分の人生がどうなるかということは、
取るに足りないこと、もっと大きなこと、もっと果てしないことを考えていたと語っていた。
( 衝突を恐れるな。  知ることは傷つくことだ。  傷つくことは知ることだ。)

しかしながら開学数年後には神道や天皇崇拝の強制も始まり、大学のトップを軍関係者が握るなど
当初の崇高な理念は崩壊、1945年敗戦・満州国崩壊時には資料の多くは焼却命令が下る。


捕えられ捕虜収容所に、あるいは中国内戦(中国共産党と国民党)の兵士として最前線へ送られ、
帰国しても最高学府の出身者という侵略者のイメージや捕虜としての赤化教育を受けた「共産主義者」
というレッテルに苛まれ、職にもつけない人が多数いたようです。

捕虜収容所では休息も許されずの強制労働、零下30度、1日300gのパンよ味のしないスープのみ。
唯一の楽しみは、≪ 就寝中に夢をみること ≫ だったとは ・・・・。


建国大学出身者約1400名。 死者多数、90歳内外の高齢、現在生存者約350名という。

『 日本の帝国主義が生み出した未熟で未完成な教育機関だったと、しかしその一方、彼らが当時
  抱いていた夢や理想は、世界各国が憎しみ合っている今だからこそ、私たちが進むべき道を
  闇夜にぼんやりと照らしだしているのではないか 』

                                  と著者はあとがきでこう語っていた。

【 三浦英之氏(1974年神奈川県生れ)朝日新聞記者。 現在アフリカ特派員として49ヶ国担当。
  他著書に『南三陸日記』などがある。 】


乱読三昧

2016年06月17日 | 雑感
平松 洋子著 『 野蛮な読書 』 (第28回講談社エッセイ賞受賞) を読んでみた。  

アジアを中心として世界各地を取材し、食文化と暮らし、文芸と作家をテーマに執筆活動する日本のエッセイストだ。

文芸・料理・映画・句集等と多岐にわたり、この本で紹介しているのはなんと103冊にものぼる。 

『 平松さんの指は手首のあたりのネジをまわしておけば、寝ているうちに指の本能で原稿が仕上がるのでは 』

 と嵐山光三郎氏が解説で語るように、とにかくその引き出しの膨大さと筆力には恐れ入る。

            

なかなか面白いこんなくだりがあった。 三浦哲郎著『忍ぶ川』を読み、人肌のぬくもりを初めて
読み知った、強烈な数行に出合ったという。


 「 雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。 生れたまんまで寝るんだ。
   その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」

 「 私は、はじめて、志乃を抱いた。」 
と続き、「乳房は、にぎると、手のひらにあまった 」

 と連なってゆくのだが、はぁ、世界にはこういう殺し文句があるのかと腰を抜かし、なにを思ったか
 布団のなかでこっそりパジャマを脱いでみたというではないか。

 脱いでみたのはいいが、いつまでもすうすうして寒いだけ、ふたたびパジャマを着直しボタンを留めた時の
 ばつの悪い気分、夜更けの暗い部屋のなかで顔を赤くした恥ずかしさを思い出し・・・・云々。


読書もここまでくると達人の域、絶妙の語り口だ。

103冊の中から、読みたいと思える本がまた見つかった。

山田風太郎 『あと千回の晩飯』 ・ 佐野洋子 『神も仏もありませぬ』 ・ 池部良 『風の食いもの』
・ 三浦哲郎 『じねんじょ』 ・ 哲学語録 『菜根譚』 ・・・ 等々。

さて、これらの本を頼りに、また暫くは生きていけそうな気がする。   乱読もまた良し。





 
 

いわんや悪人をや

2016年06月16日 | 雑感
舛添知事がついに辞職した。  またもや疑惑の全容解明されぬままだ。

野党の共産党など、百条委員会の設置を求める動議を提出したが、賛成少数で否決されたという。
(自民党・公明党・民進党などが反対した。 都議会も魑魅魍魎の世界のようだ。)

これが政治。  余程 <うやむや> が好きな人種としか言いようがない。

考えてみれば <ざる法> を野放しに、性善説を良しとしてきたのは 我々日本人。    

これが日本政治のレベルなのかも知れない。  舛添さんは悪くないのである。 


15歳のお遍路

2016年06月15日 | 雑感
こんな本があった。 岡田光永久著 『15歳のお遍路 』 ~ 副タイトル (元不登校児が歩いた四国八十八ヶ所)

中学で2年半も不登校、1年留年し卒業。 その夏休みで約2ヶ月かけ歩いたお遍路の道中記だ。
文章も上手で好感がもてる一冊。  妹の病気(心臓病)治癒を願って1400キロを歩き通したという。


その妹の名が 空海「くみ」というのも縁なもの。 15歳で15キロの荷物を背負った一人旅、大したものです。 

          

お接待宿泊やらテント・寝袋での野宿、57日間の旅で得たものは計り知れないという。
お遍路での人々との出会い、家族や周りの人達への感謝、15歳の中学生には貴重な体験だったようだ。


その後妹・空海ちゃんの手術も成功し、高校・大学と進学。 20歳で自転車日本一周も達成。
                                           (同著『20歳の日本一周』)
文庫本8年目のあとがきからは、教員採用試験が不合格となり苦節の状況も続いているとのこと。
だが教師への挑戦・世界一周・そして本当の夢は学校の設立 ・・ と夢はつきないようだ。


ネットで岡田君の今を探ったが不明でした。 きっと今でも夢を追い続けていることでしょう。

で、 あなたの夢は?  腕を組み 考え続けている 今日この頃です。


魂よ 何処へ

2016年06月15日 | 雑感
子供の頃 【人魂(ひとだま)】 を見たことがあるんですよ。 これほんとにほんとなんです。

祖父が他界したあの日の夜。 3時頃でしたか徒歩で近所に住む叔母の家に知らせに行った時のこと。
脇道の数メートル先、その人魂を・・・祖父だな、と思い数分立ちつくし、じっと見ておりました。 

なぜか恐ろしくもなんとも思わず、それが映画に出てくるあのオタマジャクシ・ 火の玉 と全くの同じ。 

忘れもしない不思議な体験でした。  あなたは 人魂(ひとだま)信じますか。 

≪ 年月(としつき)を いかで我が身に 送りけむ 昨日の人は 今日はなき世に ≫  歌人・西行法師 

当ブログで、古代ギリシャの墓名碑 『 次はお前の番だ 』 と彫られていた笑えない話も紹介したこともあった。

人間って必ず死ぬんですかねぇ。  それとも 仮象 ? もしかして 錯覚 ? 

ある研究者の話ですが ・・・ 人間死ぬ瞬間、体重が約40g減るというではないですか。
ちなみに1g減ることのエネルギーは、プール 529 杯分を瞬時にして沸騰させうるだけのエネルギーというから驚く。


さてその魂、そのエネルギーは銀河の何処へ彷徨うのでしょうかね。 

こんなこと考えるのも 暇だから?  ん~ !



 

春の草花

2016年06月06日 | 雑感
やっぱり 春は花(東京は初夏かな)ですね。   近くの公園へ散歩と決め込んだ。


  
              リリートレインという名、廃油を燃料にして園内を廻る。  

  
              日本庭園もある。 ここでしばし読書。 

  
              水音も聞こえ、なんとも風情のあるお休み処。

    
              中国庭園。 紫色に咲く菖蒲だろうか、あやめだろうか。 

    
              ライラックもいたるところに咲いておりました。

  
              松の色も春もみじ。 鮮やかな装いです。

  
              右は松ぼっくり? こんなに柔らかとは。
  
  
              青いケシの花。 ヒマラヤに咲く花とか。

    
              今年も咲いた薄紫色の藤の花。 


先日母が言っておりました。 ≪ 花をみて腹の立つ人はいない ≫ と ・・・ なるほど。

怪優・スーさん

2016年06月05日 | 雑感
著者・宇都宮直子。 三國連太郎と20年にわたりプライベートで交流のあったノンフィクションライター。

三國から「あなたは家族のようなもの」といわれ、自分も父親のような存在だったと語る。
いつも丁寧な言葉と優しい紳士だったという稀代の怪優との素顔と思い出を綴る一冊。


皿洗い・ペンキ塗り・施盤工・放浪者・中国への密航・兵役拒否・脱走等々・・・。
三國氏は総入れ歯。34歳の時老いの演技の為とはいえ、9本も抜歯するなど正に怪優だ。

生涯三度の離婚そして四度の結婚をしており、数々の女性遍歴でも知られるところ。
(「愛した人は三國連太郎だけ」と言わしめた伝説の女優・太地喜和子との不倫はつとに有名)

          

著者には心を開いて映画の批評や人生の諸々女性遍歴もしかり、なんでも話してくれたという。 

最初の妻のことも ・・・・。

命がけの逃避行で結ばれたはずの初めての妻、出兵した夫(三國)を待てずに男ができてしまい、
「私は一人では生きられない」 ・・・ そんな手紙を夫は戦地で受け取ったという。


手紙のやりとりでもう修復はできないと悟ったものの、帰還した男は妻であった女の行方を捜す。

女は自分の故郷に帰り実家で暮らしていると聞き、その実家を訪ねる途中、偶然最寄りの駅で
乳飲み子(自分の子ではない)を背負って、駅前で芋かなにかの食料を売っている姿を見つける。

相手も全く気づかず、自分も声もかけられずにそのまま引き返したという。


そのずーっとあとになって(三國連太郎になってから)彼女から<会いたい>と書かれた
手紙をいただいたが、会わなかったようだ。  

<男と女はやはり違うものですね>と そう語っていたようです。
 
著者はこう記していた。

 『 戦争は幾千万の男と女の運命を変えた。 ただそれだけの話だ。
   あの狂気の時代、恋も愛も、簡単に死んだ。 まるで、命のように、はかなく消えた。 

   三國さんは、女性について語る時 「愛してはいませんでした」 というフレーズを多用する。
   そのフレーズは絶対に忘れないで、用心深く付け加える。

   だから最初の妻のことも、「愛してはいなかった」 としか言わないのだけれど、三國さんに
   とって、彼女は特別な人だったのだろうと、私は思っている。』


いわんや 人間不可思議。  核心は銀河の彼方まで というところなのか。

≪別れの何が悲しいのですか≫ と言い切ったスーさん それにしてもあなたは罪な人だ。

                               

ひょっとこ・スーさん

2016年06月04日 | 雑感
ひょっとこ(火男)とおかめ(お多福)。 現代ではひょうきんと美人顔?で祝い・縁起物の代表格だ。

古代東国に、製鉄するのに自然送風による火力を少しでも強める為、息を吹きかける ≪ひょっとこ≫
と呼ばれる原住民・火吹き男がいたという。


ほっぺたをふくらませ口を尖らすひょっとこは、火勢を避ける為片目をつぶり一方の目は
開けておかなければならず、その為片目を損なってしまったのだそうだ。


         

その ≪ひょっとこ≫ は、西国のふいごを駆使する製鉄族の前に組み伏せられて奴隷となり、
以後その妻にも ≪おかめ≫ との名をつけ、蔑みと嘲笑の対象として侮辱したのがその由来のようだ。


そんな風に考えれば 歴史を乗り越えて明るく振る舞う ≪おかめとひょっとこ≫ って
偉いもんだなぁ・・なんて つい思ってしまいます。


実はこの話、スーさんこと三國連太郎の書いた本、法然と親鸞・その時代を描いた『白い道』(全三巻)
の中で初めて知ったものでした。 1000ページにもなる大河歴史小説、ようやく読み終えたところです。
 

この本は本人も語っていたように、インド放浪旅後一念発起し書かれたもの、と当ブログで紹介しました
が、なんのなんの。  一念発起しただけでは到底書けないほどの凄まじい力作であった。 

抜粋・取り上げた古文書をざっと挙げても・・・。
≪日本書記≫≪古事記≫≪続日本記≫≪源平盛衰記≫≪高倉院厳島御幸記≫≪三長記≫
≪左経記≫≪御堂関白記≫≪山塊記≫≪白練記≫≪玉葉≫≪往生要集≫≪浄土三部経≫
≪教行信証≫≪歎異抄≫≪愚管抄≫≪沙石集≫≪吾妻鏡≫≪明月記≫≪元亨釈記≫
≪選拓本願念仏集≫≪観経疏散善義≫に加え、医学書≪病源論≫等々挙げればきりがない。


きっとライフワークとしてきたのでしょう。 その鬼気迫る探究心・反差別・反骨心には恐れ入る。 

平安・鎌倉時代の歴史を観るには最高の一冊。 
法然・親鸞の念仏宗への迫害の背景、≪七カ条起請文≫に関する真偽、読みどころ満載でした。


宇都宮直子(ノンフィクションライター)の著書 ≪ 別れの何が悲しいのですかと三國連太郎は言った ≫
という本もあるという。  是非上述の核心に迫ってみたいものである。 無理かな?