スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

24時間テレビ

2016年08月28日 | 雑感
泣けてくる番組ですよね。  この番組、もう39回にもなるそうです。 

幼い子供の難病患者であったり、障害をもってして荒海を泳ぐ少女であったり、
全盲の教師であったり、100キロ走の「笑点」のたい平さんであったり ・・・・・。

この番組作成スタッフ・関係者の苦労も並大抵ではないと思いますが、素直に感動の連続でした。

ある足に障害をもった少年が富士山登山に挑戦しておりました。
それも頂上まで見事に到達。  凄い、立派の一語でした。
                           (登頂後ずっとうつ向いていたのは気にかかったが) 

普通はあの山、5合目辺りから登るのですが、裾野からの挑戦でもあり、スタートを見た時、
私などは ≪ 無理じゃないかなぁ! 山はそんなに甘くはないぜ。≫ なんて心配しておりました。


実は私も若かりし時、(そんな時もあったんです)一度5合目からでしたが登った経験があったのです。 
頂上付近は空気も薄く、息も切れヨレヨレの状態で頂上に辿り着いたことがありました。 

その時は数人の仲間とでしたが、ヨレヨレは私だけじゃなかったと記憶しております。(失礼)
そんな折私だけひざ痛で苦しみ、途中から <馬> にまたがり下山した始末なのでした。

さて、明日からまた頑張りますか。 そんな気にさせますね、この24時間テレビという番組は。

≪私の頑張る≫ は24時間で終わらなければよいのだが ・・・・。



幕末・維新散歩 (パートⅠ)

2016年08月28日 | 雑感
ここは上野公園。  春ともなれば桜の花の美しさ、それは見事なもの。  

美術館や路上パフォーマンスなどもあり、東京在住時にはよくこの辺りを散歩したものです。

西郷さんの銅像の裏手に彰義隊の墓があり、幕末の悲しい舞台ともなったところでもある。

       
  こんな長閑な憩いの場所が、つい150年ほど前には若者たちが命を削った場所でもあった。

時の明治政府は財政基盤確立を急ぐところ、旧徳川家所領を十分の一へと搾取するを実行する為、
官軍への抵抗勢力強硬派が主導する彰義隊を壊滅させ、江戸を軍事的に制圧するが不可欠だったという。 


歴史は勝者によってつくられるのが世の常。 
無血とはいえ、敗者は当時3万人強 + 家族 を抱える徳川家家臣(幕臣)だ。

① 新政府に仕える  ② 徳川家を捨て、農業や商売を始める  ③ 無録覚悟で新領地・静岡に移住する
敗者はこの三つの選択肢しかなかったという。 一番多かったのは武士の意地なのか、 だったようだ。

いわゆる大リストラだ。 庶民目線や敗者側からの当時の江戸・明治維新資料はそれほど多くなく、
勝者官軍たる薩長偏重の明治維新史の叙述が意図的に残されてきたのも史実として物語る。 

維新は、列強による日本国植民地化への不安の回避や、国家体制による産業振興などの功績は大。
が、すぐに日清・日露戦争へと突入していった負の史実もあり、維新の評価も分かれるところ。


       
江戸風俗研究家・杉浦日向子 マンガ本 ≪ 合葬 ≫     女流時代作家・宇江佐真理 ≪ 夕映え(上下巻)≫
 
どちらも庶民目線での上野戦争(戊辰戦争のひとつ)彰義隊を描いた作品。 
      
維新への評価の高い司馬遼太郎の 「明治政府はそれほど間違ったことはしていない」 とする
いわゆる司馬私観に誤りはなかったのだろうか。


幕末志士の作られたヒーロー化や、日露戦争後の日本人の目いっぱいの上昇志向を考えると、
もっと敗者側の目線で歴史を観ることも必要なのでは、などと素人ながら思ってしまう。

当ブログを≪パートⅠ≫としたが、敗者(幕臣)側からの目線で、後の自由民権運動に至る旧幕臣の
反抗や無録覚悟で静岡藩に移住を余儀なくされた家臣たちのその後に ・・・。 


ひさしぶりに ながながと だらだらと ≪パートⅡ≫ ≪パートⅢ≫ ≪パートⅣ≫ と続く。 ごめん。

   

幕末・維新散歩 (パートⅡ)

2016年08月28日 | 雑感
会津藩の下北半島への移封も同様であるが、駿河(後の静岡藩)への無録移住の道を選んだ幕臣
たちのその生活ぶりは想像を絶するほど、当然の如く幕臣たちの明治政府への反感は募るばかり。
 

かの福沢諭吉は、幕臣にとっていわば敵の明治政府に仕え高位高官にのぼった勝海舟や
榎本武揚を厳しく批判するなど、政府に仕えるを良しとしない空気は非常に強かったという。

これは江戸、女の湯屋でのはなし。 <山川菊栄著『おんな二代の記』より抜粋>

 『 こんな ばかくせぇ世の中が いつまでも続いて たまるもんけぇ、どうせ徳川様が いまにまた
   お帰りになるに きまってらぁな 』 
 どこからともなく  『 そうよ そうよ 』  の声。

田舎者(薩長)に天下をとられたのを悔しがる庶民の声も相当あったようだ。

西郷が下野し西南戦争が勃発した頃には、官庁は ≪薩長に非ざれば人にあらず≫
という風潮のなか、明治政府への失望と不満が底流をなしていたようです。

西郷さん人気は相当だったようで、当時の江戸っ子は西郷さんに勝たせたいという声ばかり。

西南戦争にからむ面白い話がある。  これも 『おんな二代の記』 より。

 『 西南戦争は八カ月で片づきましたが、あれしきりの暴動を、比較にならないほど
   十分な装備をもつ近代的軍隊の官軍が、鎮圧するのにあんなに長くかかるはずはなく、
   まったく三菱が私腹をこやすため、軍隊や軍備品の輸送に必要以上に時間をかけ、
   戦争を長引かせたものだと世上で取沙汰され、実際このときはじめて強大な三菱王国
   の基礎がしっかりとつくりあげたことは否めません。 西郷は三菱の福の神だ、
   西郷が命を捨てて三菱を太らせた とまでいわれました。』


そういえば、彰義隊の急進派であった副頭取・天野八郎は、若者たちが潔く上野戦争で命を
落したにもかかわらず、当人は戦場から逃避し見つけられ殺害されたとの話も聞いた。


さきほどの明治政府に寝返った?高位高官の人達もさることながら、人も組織も自らの
利益や都合のみで動いて庶民のことなど蚊帳の外。 どれもこれも≪世の常≫なのでしょうか。 


<為政者>とは やはり人、にんべん(偽)がつく <偽政者> という字がピッタリなのかも。


● 山川菊栄(1890年 - 1980年)は評論家・近代日本の女性解放運動のシンボル的存在。
   大日本史編纂に携わっていた水戸藩士・青山延寿の孫娘。 著書多数あり。
   『おんな二代の記』 は、母の見聞を元に菊栄がまとめたものとして貴重な歴史資料でもある。

           

幕末・維新散歩 (パートⅢ)

2016年08月28日 | 雑感
安藤優一郎氏の著書 『幕臣たちの明治維新』 にこんな話が載っていた。 

当時(明治初期)の東京の街にウサギ(兎)があふれたというのである。

               
                          ♪ うさぎ おいし かの山~ ♬  

食いつめた幕臣士族が牧畜業に参入する者も多かったようで、当時荒れ地となっていた江戸各地の
武家屋敷を活用し、牛よりも楽で安いとの理由で政府の奨励も相まって繁殖に勤しんだという。


ところがそこは<士族の商法>。 肉や皮の利用法も知らず、政府も奨励しっぱなしで無計画。
エサ代にも事欠き一気に増え続け、空き地や土手に捨てる始末。 
当時のお茶の水の渓谷や土手に、白いウサギがピョンピョン飛び跳ねている姿がかなりみられたようです。

帰商・帰農などを選んだ士族だったが、計算も商才もなく、殖産興業にも失敗した士族のはけ口
は、各地での佐賀の乱や萩の乱、西南戦争に士族の反乱として繋がっていった様子だ。


西南戦争も西郷の敗北で終わり、淡い期待は露と消えた。

いよいよ幕臣たちの割り切れない感情は言論に向かっていくことになる。

        
     

幕末・維新散歩 (パートⅣ)

2016年08月28日 | 雑感
『佐幕派論議』 という本の 「海舟と南州」 という章にこんな話があった。 
 
勝海舟と西郷隆盛とのあの歴史的会談についての裏話だ。 裏話というか、これが真実なのかも知れない。

江戸城の無血開け渡しは、勝と西郷の美談として語られているが、実はその裏にはパークスという当時の
イギリス駐日特命全権公使の存在(イギリスの思惑)があったというのだ。


 < 官軍の江戸攻撃は、停留地に関係するのに日本から何ら正式の通知がない。
   それは無政府の国である。> 

                        パークスは厳しい内容文を突き付けたという。

また、慶喜が進退に窮して亡命を求めた際のイギリスの態度を問うと、

パークスは < 亡命を受け入れることは、「万国公法にある」と言明。>
 
                        親薩派のパークスの態度に西郷はしばし愕然としたとあった。

勿論この話は勝海舟自らの著書『氷川清話』にもパークスとの交渉も一切伏せて出てこないし、
文部省の『維新史』においてもこれに一言も触れず、国際関係をまったく黙殺しているとあった。


先日も当ブログで記しましたが、日本では歴史と物語(作り話)はまったく違うと解釈しているが、
ドイツでは、≪歴史≫ も ≪物語≫ もどちらも同じ単語で ≪Geschicte≫ と書く ・・ と。

歴史というのは、やはり物語(作り話)なのでしょうかね。
幕臣のその後や下野後の西郷さんについては、もう少し探りたいとは思いますが、今回はこんなので。

        

この本の著者・大久保利謙(としあき)は大久保利通の孫にあたり、日本近代史研究者で数々の
歴史書の編纂に携わった人物。 当該著書も薩長がいかに薩長主体に人脈・軍閥を形成したかを
詳細にしかも裏話をも網羅しながらの、まさに日本近代史の力作でした。




読書三昧 (31) 瀬谷ルミ子著 『職業は武装解除 』

2016年08月19日 | 雑感
先日某テレビでゲストコメンテーターとして出演されているのを見て ≪瀬谷ルミ子≫ という名を初めてを知りました。

「武装解除」 ・・・ これも初めて耳にする職業でしたが、紛争が終わったあと兵士たちから武器を回収して、
一般市民として生活していけるように職業訓練などをほどこし、社会復帰させる仕事だそうだ。

彼女は1977年生れ、NPO法人日本紛争予防センター(JCCP)理事長。 国連や外務省、NGOの職員などの
職歴を経て、ソマリア・スーダン・ルワンダ・アフガニスタンなどの紛争地域を仕事場として活躍している人のようです。 


          

紛争地域最先端で働く人ならではの言葉が続く。

『 現地を訪れるまで、「和解」とは良いことだと信じて疑わなかったが、民族浄化などと凄惨な殺戮
  が行われた加害者と被害者間には、その問いかけさえもその言葉さえ「言葉の凶器」になることもある。』
  ・・・・・・・・・・
  皆が手を取り合って仲良しでなくとも、殺しあわずに共存できている状態であれば、
  それも一つの 「 平 和 」 の形で有り得るのでは。』


アフガニスタン武装解除の現場で、兵士たちにこう言われたという。

『 日本が言うから、信頼して武器を差し出すんだ。 アフガニスタンの民を無差別に空爆しているアメリカや
  イギリスに言われたら、撃ち殺してやる。』 
・・・と。 

その時、 『 日本もインド洋でその連合軍に給油している。』 
と言うのをためらい、そのことを伝えることが出来なかったとも語っていた。
 
彼女の半生もさることながら、今なお内戦中の地域を知る上でも是非お薦めの一冊(文庫本)です。

世の中凄い人もいるものですね。 ≪ 紛争は二人いれば、起こり得る ≫ ・・・・ なるほど。

2010年・あるテレビ番組で語った言葉です。 瀬谷ルミ子が語る(クリックしてみて下さい)

 
                             

読書三昧 (30) Osho 著 『 究極の旅 』

2016年08月16日 | 雑感
バグワン・シュリ・ラジニーシ(1931- 1990)の著書 『究極の旅』 (禅の十牛図を語る) を読んでみた。

欧米で再評価され、再びベストセラーとなっている名著のようだ。 
(十牛図とは、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの) 

Osho とも呼ばれるインドの神秘思想家の講話集のひとつだが、なんともその題材の豊富なことに驚愕する。
 
仏典・禅の逸話・インド瞑想や詩文ウシャニパッド・老子や荘士・スーフィー物語・イエスの言行・イスラムの秘話
・チベットの奥伝・ニーチエなどにも及ぶ。 

牛を真の自己にたとえ、その自己を探す旅にでる。  さてその行きつく先は。

       
    (この表紙とは異なる1978年の初版本で読んでみた) 

【一】 尋牛 ≪ 牛 の 探 索 ≫ 冒頭 こんな意味の漢詩で始まる。

    この世の草原に  
      私は牛を尋ね  
       果てしなく、高い草を書く分ける

     名もない川に従い  
       遥かな山々の入り組んだ路に迷う   

      力尽き元気も涸れ  
        求める牛は見つからない

        聞こえるのはただ  
          夜の森に鳴く蝉の声ばかり


 『 我々はみな 白と黒で考えがちだ。 善と悪 夜と昼 神と悪魔 ・・・ 。
   全生命はカラフルだ カラーで考えなさい 白黒で考えてはいけない。』

 『 自我というのは あなたがたが自分について他人から集めた意見全部の総計だ。
   自我はつねに問題をかかえている。』

 『 あなた方は神ご自身の姿に似せて創られた。 それなのになおかつ彼らは完璧になれ!
   と教え続けている。  この馬鹿馬鹿しさは、あいた口がふさがらない。
   神は不完全に違いない。』

 『「 私は誰か? 」 というのを誰かに聞くなんてなんと愚かなことだろう。
    どこの誰にそれが答えられる?
    内に入っていきなさい。 それが牛の探索だ。』


などと なるほど・ザ・ワードが続く。  とにかくインドの思想は深淵だ。 

十牛図は12世紀の中国・廓庵禅士が描いたらしいが、もともと禅もインドが発祥。 
宇宙不変の原理やら、人間のもつ「因果応報」、ヴェーダなどの宗教哲学の奥儀書等もみなそうだ。
 

とても手に負えるしろものではないと自覚せざるを得ないが、生きるとは、死ぬるとは、宗教とは、
争うとは、誰しもが考える領域でもあるのも事実。

結構面白く読ませていただいた。

最後にこう締めくくっている。

 『 もし あなたが不幸であれば  あなたは不幸な世界に生きる。 

    もし あなたが悟っていれば  あなたは悟った世界に生きる。

     もし あなたのエネルギーが  内部で祝っていれば  全体がお祝いの交響曲となる。

      あなたが世界なのだ。    enough for today ?  』












      

8月15日

2016年08月14日 | 雑感
一昨日の道新紙上に なるほど と頷けるコラムがあった。

直木賞作家・高村 薫氏の寄せた 「8月に思う」 (変質し始めた戦争の記憶) というコラムだ。

 『 5月のオバマ大統領の広島訪問、原爆資料館をわずか10分ほどで通り過ぎ、原爆投下について
   の遺憾の意を表明することも無く、世界に向けて核兵器廃絶の理想を語っただけではないか。
   ・・・人類史上初の原爆投下に対する被爆地の怒りは、すでにこの国から消えてしまった。 』

 『 私たちが「戦争の記憶」と呼んでいるものは、爆弾の雨も、その下の阿鼻叫喚も、ちぎれ飛ぶ
   肉片もない、どこまでもあいまいな記号でしかない、 いわば精巧なバーチャルリアリティである。 』 

                                
と一刀両断。   夏の風景になった 「戦争の記憶」 に疑問を投げかけていた。

        

先日ドイツ在住の作家・川口マーン惠美氏が 「 歴 史 」 についてこんな事を書いていた。

日本では歴史と物語(作り話)はまったく違うと解釈しているが、
ドイツでは、≪歴史≫ も ≪物語≫ もどちらも同じ単語で ≪Geschicte≫ と書く ・・ と。


歴史は作り話だということを日本人は認識していないのかも知れませんね。 

高村氏が言うように、過去の戦争も憲法の条文もそのバーチャルリアリティとして再生・消費され、
それを自然に受け入れる国民が大勢となっていくのでしょうか。

私たちはどう向き合うべきなのか 明日また、あの ≪8月15日≫ がやってくる。  






夏まつりの風景

2016年08月13日 | 雑感
≪ 病人に 八十五度の 残暑かな ≫ とは子規の句。  

残暑どころか東京では猛暑真っ只中のようです。


私も東京・大阪と住んだことがあるのですが、あのジットリとした暑さには降参です。

私にも一応あった二十代の頃、大阪某会社の寮に住んでいたのですが、当時エアコンもない部屋でしたので、
寮母さんの作る夕食を済ませ同僚と一目散、近所の喫茶店で寝る時間ギリギリ迄夕涼みの毎日を思い出します。

盆踊りの音が聞こえてくる季節には、一時の涼を求めてフラッと祭りを見に行ったものです。

    
      盆踊りの風景っていいですよね              会津八葉寺・空也上人の念仏踊り

その踊りの風景を眺め、祭りの音を聞いているだけなのですが、古(いにしえ)の不思議な空間
とでもいうか、なんともいえない哀愁・哀切に触れる思いでした。

 
盆踊りのルーツは平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき
鎌倉に入り一遍上人により全国に流布、死者供養のための行事として定着していったようです。

前回当ブログ 七夕・万葉の夢 も、この夏まつり風景も消える事のないよう祈るのみです。

札幌でももう少し暑い日々が続くようです。  でも朝夕はだいぶ涼しくなってきましたよ。

麻雀の思い出

2016年08月12日 | 雑感
麻雀といえば、亡き父のことを思い出す。  

私の父は麻雀のみならず、賭け事が大好き人間であった。
祖父には酒屋へ、父には競馬・競輪場へと、よく手をひかれ連れて行かれたものだ。


父の同僚・友人たちが私の家に集まるのはしょっちゅう、あのガシャガシャという麻雀独特の音。
母の苦労を子供ながらに思いやっていた記憶が蘇る。 


ここまで書けば極道一家みたいに思われそうだが、父はそれとは真逆の人でした(弁解)。

友人に勧められ、林田明大著 『雀鬼と陽明』 という本を読んでみた。

雀鬼と呼ばれ二十年間無敗を誇る伝説のプロ雀士・桜井章一。 あの「卓球の鬼」と呼ばれた平野早矢香が
教えを請いに訪ねたほどの人。 私は麻雀はしないが、道を究めるその生き方には恐れ入る。


           

王陽明は中国明の時代に活躍、日本幕末の志士に多大な影響を与えた陽明学の思想家・兵法家・詩人。 
「行なわずんば これを知というに 足らず」 いわゆる ≪知行合一≫ を唱えた人物である。


私も以前その入門書といわれる「伝習録」を読んだことはあるが、知行合一には至らずでした(笑)。

この陽明学や麻雀道もしかり、剣道・華道など世に「道」とつくものには共通する何かがあるようだ。
鬼気迫る修羅道の中に、静かに揺るぎない平常心というか、感性を観る。

この本はニーチェやゲーテ・スピノザ・エックハルト、四書五経や仏典まで引用し、哲学的で難解だが面白い一冊。

人生に、幸と不幸・苦と楽・陰と陽・善と悪・上と下・自由と束縛・男と女・・等々多くの差異を見い出し
我々は生きているが、どちらかを肯定するところに余分な葛藤が生じ、その苦痛は倍加すると指摘する。


言葉では二つに区別できるが、実は一体なのだと。

人間が作った言葉に惑わされず ≪主体性を持って生きよ≫ ということなのかな。


函館の裏夜景

2016年08月08日 | 雑感
函館の裏夜景って知ってますか ?  

世に知られる表夜景は函館山からだが、この裏夜景は東山や七飯横津岳中腹からなど数か所あるという。

  
 いわゆる世間で知られる函館山からの表夜景        これがあまり知られていない裏夜景だ  
                                                     (画像ネットより)
実家が横津岳麓にあるものだから、物好きにも夜遅く、車でその場所を探しにいってみた。
15分ほど走っただろうか、横津頂上付近にあるスキー場手前5分ほどのところにそのビューポイントはあった。

       
 写真撮ってはみましたがピンボケ(画像クリック)

この場所で30分程ひとり佇み絶景を堪能した。 横に拡がる夜景は写真以上の素晴らしさでした。

その間車はもちろん、辺りだれ一人としていない真っ暗闇。 闇の恐ろしさと絶景への感動とが入り混じる。 
帰り道時々車を止めライトを消してみたが、車やライトが故障するものなら一歩も進めないだろうほどの闇だ。

できれば複数人、予備ライト持参で入山すべきと闇の恐怖と闘いながら恐る恐る山を下りた。
物好きもほどほどにしなければ ・・・と取りあえず反省。