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スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

これぞ短編小説

2016年11月18日 | 雑感
先日、シドニィシェルダンのベストセラー小説 『ゲームの達人』 を読んでいた。 

(内容は・・スコットランドに生まれたジェミー・マクレガーは16歳の時、一攫千金を夢見て、ダイヤモンドラッシュに沸く
 南アフリカに単身旅立つ。そこでバンダミアという人物に会い、だまされて無一文となり、復讐を誓う・・・)

これほどに面白い小説も無い、と夢中で上巻を読んでいたが、復讐後ジェミーが他界する上巻の後半からは
どうもその後の展開について行けず、下巻を読むのを早々断念したほどです。
 

集中力に欠くせいもあるのだが、どうも私には長編は性に合わないようだ。

さて短編だが、黒虫俊平という人の書いた短編のひとつに 『 ね こ 』 というのがある。 

『 空の蒼く晴れた日、ねこはどこからかやって来て、庭の山茶花(さざんか)のしたで居眠りしている。
  洋画をかいている友人は、ペルシャでないか、と私に聞いた。 私は、すてねこだろう、と答えて置いた。 
  ねこは誰にもなつかなかった。
  ある日、私が朝食の鰯(いわし)を焼いていたら、庭のねこがものうげに泣いた。
  私も縁側へでて、にゃあ、と言った。  ねこは起きあがり、静かに私のほうへ歩いて来た。 
  私は鰯を一尾なげてやった。  ねこは逃げ腰をつかいながらもたべたのだ。 
  私の胸は浪うった。  わが恋は容(い)れられたり。
  ねこの白い毛を撫でたく思い、庭へおりた。 
  すると 脊中の毛にふれるや、ねこは私の小指の腹を骨までかりりと噛(か)み裂いた。』


ねこを人間に、いや いかなるものにおきかえることができるのだろうか。
たったこれだけの文章。  これぞ短編。  鋭い。  詩・短歌・俳句の如くだ。
  
黒虫俊平という名は、あの太宰治が太宰治であるまえのペンネームという。 

       

湯たんぽ

2016年11月16日 | 雑感
実家は七飯町・横津岳の麓にある。 

札幌でマンション住まいの私には実家の夜の寒さはどうにも耐えがたい。
木造で築年数のせいもあるのだが、厳冬期には暖房つけっぱなしや帽子をかぶって寝たこともあるくらいだ。

と言ってしまえば、酷い所に母一人住まわせている親不孝息子と思われるが、ん~ いえる。

今はまだ初冬だが訪ねた初日に雪が降った。
  
        
            ≪ 故郷や 湯たんぽ抱き 夢ん中 ≫ 
          
” ○○、湯たんぽ 入てあげる  ”   ” いや そんなのいらない! ”

そんな母とのやりとり。   いつの世も 幾つになっても、母の愛は強制なのである。 

沸騰させたお湯を入れ、それを切れ布で幾重にも包みしっかり結び、就寝前に寝床に入れておく。
これがまた実にいい。 足元から腿へと引き上げる様は心地よさを通り越す。 しかも朝方まで温かいとくる。

(カラーものや専用ケースもあるらしいが、この昔風ブリキものがいいのだ)

翌朝には ” 母さん 湯たんぽ 最高だわ! ”   こんな逆介護の日々、これからも続きますように。

ここで一句

2016年11月09日 | 雑感
最近、凄いなあと感じた詩歌 一編と短歌二首を紹介する。

  二 人 デ 居 タ レ ド マ ダ 淋 シ 、
  一 人 ニ ナ ツ タ ラ ナ ホ 淋 シ 、
  シ ン ジ ツ 二 人 ハ 遺 瀬 (ヤルセ)ナ シ 、
  ジ ン ジ ツ 一 人 ハ 堪 ヘ ガ タ シ 。


桜木紫乃 (釧路出身・直木賞作家) に 「氷の轍(わだち)」 という小説がある。
先日テレビドラマ化もされていたようだが、この北原白秋の詩 「白金ノ独楽」 ≪他ト我≫ が挿入されていた。


  あらそひたまへあらそひたまへとわが呟くいのちのきはも争ひたまえ 

前ブログで紹介した松川洋子が心酔し、師と仰いだという歌人・葛原妙子(1907~1985)。
大震災・太平洋戦争・そして終戦を短歌ひと筋に懸け抜けた凛とした姿には恐れ入る。


  泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて

東直子という現代女流歌人にもこんな歌があった。 鋭い歌ですね。 ≪ 詩集・愛を想う ≫ より

歌には構図とか破調や韻律なんてのがあるらしいが、 勿論私のレベルには到底解らない。
でも 命をふり絞って生み出す歌や詩は、やはりどこかが違う。                               
さてスノーマンここで一句。  いい句ができた! ・・・・・・・
≪ 紙とペン 探してる間に 句を忘れ ≫  ~ この川柳、盗作です(笑)。

巷では本日アメリカ大統領が決まるので大騒ぎ。 私はといえばまた母の用で明日から七飯町に向かう。 

挽 歌

2016年10月30日 | 雑感
今年8月に発刊された歌人・松川洋子の私的なエッセイ集。

『 大戦末期、挺身隊員として徴集されていた時のこと ・・・ 隣り町、江別で列車が爆撃を受けたり敗戦の
  日が近かったある日、隊員が忘れた弁当を届けようとある駐車場を駈けていた、そこへ偵察機が急降下。
  射たれると思ったという。 その一瞬、兵の顔が見えた。 機は一転して走り去った。
  見える筈が無いと言われるが確かに見えた。』 
                           

歌人らしい人間へのひと筋の救いを描くが、戦争への憎しみには一歩も譲らず、こうも断ずる。
         
『 戦争とは大義名分をもって人間が人間を殺させる、殺せる、殺す野蛮な行為をいう。
  人の性は善か悪かと折に触れ論は出るが、そんなものは現実に何の役にもたたない。』


戦時下をくぐり抜けてきた歌人の文章はさすがに鋭く美しく、腹の据わったエッセイ集だ。

       

この方、函館生れの札幌育ち、戦争・病気・数々の不幸をも体験した短歌ひと筋の人生
のようで、もう高齢と推察するが、凛としたその姿には恐れ入る。 


『 みどり児の 姉の柩を 運びゆく 函館本線 あかねにかすむ 』

初子を亡くし、葬儀の為函館から祖父のいる札幌へ柩を運んだ時の挽歌だ。

父母の悲しき声を胎内(五ヶ月の)で確かに聴いたという。  歌人の感性とは科学を越えるものなのかも。


微生物探索

2016年10月28日 | 雑感
人間の体内には、微生物(主に細菌)だけでもなんと100兆個を超える数が住んでいるという。

最近これら体内に陣取っている微生物・細胞・寄生虫とかに興味を持ち始めている自分がいる。 
ガンを患ってからなのか知れないが、どうも気になって仕方がない。  男のロマンなのか。(笑)


ある本で紹介されていた亀谷了(カメガイサトル)著 『寄生虫館物語』 というのを読んでみた。 
                 (亀谷了(1909-2002)・医師で、世界的著名な寄生虫研究者)
 
     

他者に食も住もどっぷり頼って生きる、これを寄生虫というのだそうですが、実に人間らしいじゃないですか。

細菌やウイルスなど、人と互いに依存しあい、絶妙のバランスを保ってきたさまざまな微生物たち。

体内に入るやいなや必要無くなった目を自ら除去してしまうもの、しかも徐々にではなく一気に。
胃や腸も持たず身体全体で栄養を吸収する寄生虫などもいるそうです。

昨今の環境からか、寄生虫はその体内からは急激に減ってきており、その弊害もあるときく。
アレルギー疾患(サナダムシはアレルギー防御の特効薬)や自己免疫疾患、さらにはメタボリック症候群、
心臓病、がん、発達障害、うつなど現代病の増加をも引き起こしている一因でもあるようだ。


数メートルものサナダムシが出没していた時代が懐かしい。
清潔ばかりを追い求める現代人よ、寄生虫や微生物・細菌、侮っちゃいけません。

厄介ものの ガン細胞 にしても生きる権利はあるのです。 そんな声も聴こえてくる。
 
医師・世界的な寄生虫研究者でもある著者が設立したという<目黒寄生虫館>はJR山手線目黒駅
西口から徒歩15分大鳥神社すぐそばにあるようです。 03 3716 1264 念の為電話してみました。 

休館日は月と火曜日。 入館無料。  こんど行ってみようっと。  スノーマンの微生物探索は続く。


キラキラキララ

2016年10月19日 | 雑感
どうも読めない常識から外れた最近の名前の数々。  ≪キラキラネーム≫ と呼ぶらしい。

心愛 (ここあ)・咲愛(さくら)や 空詩(らら)・結夢(ゆめ)など素敵な名前もあるが、
手真似(さいん)・陽夏照(ひげき)・光宙(ぴかちゅう)・苺苺苺(まりなる) ・・・


どうも首を傾げざるを得ない いわゆる ≪DQNネーム≫ を含めると、あげたらきりがない様相を呈している。

最近の ≪キラキラネーム≫ が見られるようになったのは、当用漢字第三世代(団塊ジュニア時代)という。
この伊東ひとみの書は ≪キラキラネーム≫ の実態と その変遷を歴史的側面からも詳細に追っかけた本だ。   

        

「 近きころの名には、ことあやしき字、あやしき訓有りて、いかにともよみがたきぞ多くみゆる ・・・ 」
                                             本居宣長 『玉勝間』
≪ 日本語の歴史は漢字とやまとことばの相剋と融合の歴史でもあった。≫ と著者はいう。
訓読みからして当て読みであり、造語を繰り返して現代に至っているとのこと。

漢字じゃなくまさに感字と言った方が、こと名前に関してはピッタリなようです。
今に始まったことではないと理解はするが、それにしても名前・言葉・常識ってなんなのでしょうね。

日本のみならず、中国でも名前に <@> や <-A> をつけたりしているようです。 
英米の <Al Kaholic (アルコール中毒)> や、ニュージーランドの <Lucifer(悪魔)> とか 
< ・ と記して (フルストップ)と読ませる> それに <Anal (アナル)> と 笑える名前もあると聞く。 

        ( もっともこれらの内には申請時点で内務省から却下された名もあるようですが )

そういえば日本にも <悪魔> 騒動がありました。 結末は却下されたようですが、あの時の悪魔くん、
もう成人になっている年頃ですよね。 「悪魔くん」で良かったのではと思ったりもする、無責任ですかね。 


余談ですが、山折哲雄著『日本人と「死の準備」』によると、あの釈迦も我が子に「ラーフラ(悪魔)」
と付けていたという。 釈迦の9番弟子になったあの「ラーフラ(インド名)」です。 不思議ですね。

それを思うと ≪DQNネーム≫ ではありますが、ちょっと残念な気もします。

この本、≪キラキラネーム≫や≪DQNネーム≫ を通して日本文化を語る力作ですが、数々の名も紹介されていた。

そのなかで、雪の結晶の六角をイメージした これぞ ≪キラキラネーム≫ という素敵な名があった。 

「 六 花 」 と書いて 「 ゆ き 」 と読むのだそうです。   だれか この名 つけません ? 

風に吹かれて

2016年10月14日 | 雑感
2016年のノーベル文学賞が 「フォークの神様」 ボブ・ディラン氏に決まった。

反戦や人種差別への抵抗など、半世紀にわたり社会と時代を映し出してきた数多くの歌詞
によって 「米国音楽の偉大な伝統の中に新たな詩的表現を創造した」 との理由だという。


オリンピック開催とか世界遺産もそうですが、このノーベル賞も各国の政治的意図が見え隠れするものだが、
≪風に吹かれて≫ はそんなことを越えた名詩ですよね。   村上春樹さんも納得するはず。


ボブ・ディラン の曲 「風に吹かれて」 (壺齋散人訳)

    どれほどの道を歩かねばならぬのか
    男と呼ばれるために
    どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
    砂の上で安らげるために
    どれほどの弾がうたれねばならぬのか
    殺戮をやめさせるために
    その答えは 風に吹かれて
    誰にもつかめない

    どれほど悠久の世紀が流れるのか
    山が海となるには
    どれほど人は生きねばならぬのか
    ほんとに自由になれるために
    どれほど首をかしげねばならぬのか
    何もみてないというために
    その答えは 風に吹かれて
    誰にもつかめない

    どれほど人は見上げねばならぬのか
    ほんとの空をみるために
    どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
    他人の叫びを聞けるために
    どれほど多くの人が死なねばならぬのか
    死が無益だと知るために
    その答えは 風に吹かれて
    誰にもつかめない


Blowin' In The Wind : Bob Dylan (原詩)

    How many roads must a man walk down
    Before you call him a man?
    Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
    Before she sleeps in the sand?
    Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
    Before they're forever banned?
    The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    The answer is blowin' in the wind.

    How many years can a mountain exist
    Before it's washed to the sea?
    Yes, 'n' how many years can some people exist
    Before they're allowed to be free?
    Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
    Pretending he just doesn't see?
    The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    The answer is blowin' in the wind.

    How many times must a man look up
    Before he can see the sky?
    Yes, 'n' how many ears must one man have
    Before he can hear people cry?
    Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
    That too many people have died?
    The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    The answer is blowin' in the wind.


歌もいろいろ

2016年10月13日 | 雑感
今注目されているこの二人、お笑いの人って凄いですねぇ。  あなたはどっち派?  

ピコ太郎 ≪Pen-Pineapple-Apple-Pen≫  ピコ太郎
なんとも言えぬ明るさ。  世界的にも凄い事になってるようですね。  これ いいですねぇ!
でも この視聴回数 なんと今現在で 42,093,628 回 ってどういうこと?

                          (ユーチューブ1億3千4百万回で世界一になったようですよ)

オール巨人 ≪男の子守唄≫ オール巨人歌
男の嘆きは、やっぱり暗い でも これもいいねぇ。 
< ♪ 忘れたつもりの面影は せつなき女のほつれ髪 ♪ > ・・・・・ か。
嗚呼 恋かぁ!  そういえば < 恋いかなと 思っていたら 不整脈 > という川柳もあったっけ(笑)

銀河の彼方へ

2016年10月07日 | 雑感
女流時代作家 ・ 宇江佐 真理 が他界して (2015年11月7日) 早いもので もうすぐ1年になる。
 
宇江佐 真理 Wikipedia  

             
  「髪結い伊三次捕物余話」はTVドラマにも。  函館在住・自宅は江戸情緒を醸し出す平屋だ。 
 
青い時の同級生。 当時から文芸誌に投稿するなどの才女、クラスのマドンナだったと記憶している。

2015年 『文藝春秋』 2月号の闘病記 「私の乳癌リポート」 を読み、初めて彼女が病気と闘っている
ことを知ったのですが、実は私もその数年前にがんを患い、手術と療養を余儀なくしておりました。

他人事とは思えない気がし、少しでも励ましになれればと文藝春秋編集長宛に「手紙」を出したところ、
早速本人へその書を転送していただき、まもなく本人から著書四冊と三枚の手紙とが送られてきました。 


人への思いって通じることもあるのだなぁと正直嬉しく、人の出会いの不思議を感じたものです。
懐かしい同級生のその後や思い出、病の状況とそれへの思い、などが綴られておりました。 

       
   この四冊は当ブログでも紹介。 ウエザ・リポート笑顔千両  読書三昧(24)宇江佐真理著三冊

訃報を聞いたのはその数カ月後。  月刊誌 『オール讀物』 に髪結いシリーズが連載され続けられ
てもいたので、少し病状も安定しているのかなぁ・・・・なんて思っていた矢先でした。

エッセイ ≪ ウエザ・リポート 『 見上げた空の色 』 ≫ に こんな <あとがき> が書かれていた。
  ~ エッセイ第二弾(文庫本)。文藝春秋の闘病記 「私の乳癌リポート」 も併せて収録されている。

        

『 同級生が手紙をよこしてくれた。
  もしもの時には、函館山山頂から午前零時発の銀河鉄道に乗って、皆で向うへ行こうと書いてあった。
  妙なことを考えているものだと苦笑したが、次第にそれもいいかも知れないと思うようになった。


      ( そういえば手紙に 「 その時が来たら銀河鉄道に乗り、酒でも酌み交わしながら
        皆で往こうか、なんて気の合う仲間とよく話をしているんですよ。」 って書いたからかな。)


  すてきだね。 眼下に函館の夜景が拡がっていて、花火なんて揚がっていたら、もっと賑やかだ。
  夢という言葉を口にしなくなって久しいが、それが今の私の夢になっている。

  日一日と時間が過ぎれば、当然、病状も悪化の傾向を辿るだろう。

  一日を大事に生きるなんて大袈裟なことは言わないけれど、毎朝目覚める度に思うことは
  昨日と同じ今日でいい、というささやかなものだ。

  昨日と同じ今日などないとわかっていても、そう思わずにはいられない。
  大きな変化はいらない。 舞い上がるほどの幸運もいらない。 生きているだけでいいと思う。 』 
                 
この単行本化への 「あとがき」 が書かれたのは < 2015年の 夏 自宅にて > とあった。

その同じ年の 秋 病状が急変、銀河の彼方へ旅立ったのです。  

遠からず仲間を引き連れてそっちに行きますから、その時はワインでも飲んで語り合いましょう !
「 いやいや 一人で行ってくれ 」  なんて そんな冷たい仲間もおりますがね。

  
               ≪ 銀河鉄道始発駅 ・ 函館山山頂≫

第21回吉川英治文学新人賞受賞作 『深川恋物語』(短編集)や蒼井 優主演で映画化された
『雷桜』 などがある。   もう一冊当ブログで紹介したこんな本もあった。
 寂しい写楽                                                 

2016年秋 ランの花

2016年10月04日 | 雑感
長閑な秋日和の一日。  札幌・百合が原公園・ラン展より。 
 

  

  

  

  

  

  

また秋がきました。 でも札幌はあっという間にまた白い季節がやってくる。 
公園内で見つけた「ハロウィン」。  コスモスも ≪凛≫ と咲いておりましたよ。

  

  


こんな本もあった

2016年09月25日 | 雑感
山本七平の紹介・論評した本の中から、吉田 満 著 『 戦艦大和ノ最期 』 という一冊。
                                         
沖縄特攻作戦に参加して撃沈された巨艦 「 戦艦大和 」 の出撃から終焉までの経緯を、
副電測士として乗組んでいて、奇蹟的に生をうけた吉田氏がその体験を通してまとめた手記だ。


        

出撃前夜のこんなやりとりも ・・・。
 「 貴様ハ特攻隊ノ菊水ノ 「マーク」 ヲ胸ニ附ケテ、天皇陛下万歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ 」
 「 ソレダケヂヤ嫌ダ モツト、何カガ必要ナノダ」 
  
  遂ニハ鉄拳ノ雨、乱闘ノ修羅場トナル 
 「 ヨシ、サウイウ腐ツタ性根ヲ叩キ直シテヤル 」
  臼淵大尉ノ右ノ結論ハ、出撃ノ直前、ヨクコノ論戦ヲ制シテ、収拾ニ成功セルモノナリ

死という文字が幾度も出てくる。  死を目前にした若者の息づかい。
出港・待機・開戦・出撃前夜・激戦・撃沈・漂流・巨大戦艦での生々しい様子が手に取るようでした。
 
林房雄氏(作家)の論評にこうあった。
 ≪ 一つの戦争をまともに生き抜いた者のみが次の戦争を欲しない。
                     然らざる者は「終戦」の翌日から、再び戦争を開始する。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   この慟哭を知れ。 この慟哭の彼方には、再び地上の戦争はない。
                     アメリカの友よ、この一文を読め。 友である。 敵ではない。≫ 
と。

この本初稿は終戦直後に書かれたが、占領軍・GHQの検閲で全文削除、講和条約発効年
(昭和27年)に改めて刊行されたという。  佐藤優氏が言うように≪魂の苦悩を描いた傑作≫です。
GHQによる削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)

夢まぼろしの二百名山

2016年09月24日 | 雑感
一昨日までBSで放映されていた 「 グレート トラバース 2 」 が終了した。 

田中陽希の日本二百名山山行のドキュメント番組で、百名山の時から欠かさず観ていた。

二百名山全国一筆書き踏破、と簡単に言うが 海はカヌー、あとは全て徒歩での全国横断。
しかも名だたる二百名山を登るという二年がかりの挑戦・冒険でした。 


番組で観ていた限りでは、二百名山は百名山に優るとも劣らずの困難・危険を伴う山々と推察した。

まずは ≪ 達成 おめでとう ・ おつかれさま ≫ と言いたい。

日本百名山といえば、あの随筆・名文家の深田久弥だが、番組で紹介される深田さんの名文と
田中陽希のコメントの落差(失礼)が絶妙に面白かった。 これも陽希さん人柄の成せるワザですかね。


      
      名の如く陽気な人柄だ            佐田岬ゴールの瞬間の画像(2016年元旦という)

わが仲間の一人に <百名山> 山行を成し遂げた御仁がいる。 

この御仁、いつ二百名山に挑戦を始めるのかと、我が仲間達も固唾を飲んでみているのだが
日々ワインを飲んでいるばかりで、一向に始める気配がない。 


最近は尾崎方哉なる ぐうたらな俳人 に恋し、小豆島まで追っかけを企んでいるという始末だ。
   御仁のブログ

田中陽希 最後だけ いい言葉 を発していた。 
≪ かたちはどうであれ、誰しも 何かに挑戦できる と思うんです。≫ ・・・と。 

さて 御仁、 始めましょうよ 二百名山。   私は やめときます(笑)。





カリール ・ ジブラン (パートⅠ)

2016年09月21日 | 雑感
あの山本七平の今年春に刊行された本に、カリール・ジブラン著「預言者」というのが紹介されていた。
 山本七平(別名 イザヤ・ベンダサン、その著書「日本人とユダヤ人」 はつとに有名だ。)

この本『 精神と世間と虚偽 』では、100冊前後の著書を紹介し解説・論評している。
私もどちらかと言うと読書好きで、結構読んでいる方だと自分では思ってはいたのですが、
読んだことのある本はほとんど無し。 正直に言ってしまえば一冊も無かった。 撃沈です。


ピレッリの <イタリア抵抗運動の遺書> ・ 吉田満の <平和への巡礼> ・ ヒッティの <アラブの歴史上下巻>・
今田洋三の <江戸の本屋さん> ・ 戦場に持っていった一冊というスピノザの <倫理学> 等々・・。

キリスト教史関連本も多かったのですが、ジャンルの幅もさすが元山本書店店主。 レベルが違った。

           

そのなかでの一冊がこのカリール・ジブランの『預言者』だ。

カリール・ジブラン(1883~1931)はレバノン生れのアメリカ育ちで詩人・作家・画家にして世界的な思想・哲学者。 
この本数十ヶ国で2000万人以上の人に読まれ、アメリカの知識人家庭には必ず一冊はある超ベストセラーという。


この本には、なんとも美しい詩的な文章がたくさんある。 

<愛について> ・ <善と悪について> ・ <自由について> ・ <死について>  など生きる為の諸問題
について【詩的】 に書かれている本で、30ヶ国に翻訳されて今なお世界で読み継がれているようだ。
 

パートⅡに続く ( 『預言者』 より抜粋 )

カリール ・ ジブラン (パートⅡ)

2016年09月21日 | 雑感
著書 『 預言者 』 からさわりを少し抜粋します。

≪ 子どもについて ≫ 

  あなた達を通して生れてくるが、あなた達から生れてくるのではない。
  あなた達とともにいるが、あなた達のものではない。


≪ 罪と罰について ≫ 

  正しい人と正しくない人、善人と悪人を区別することなどできない。
  どちらも太陽の前に立てば同じ。 黒い糸と白い糸を織り合わせるようなものだ。


≪ 死について ≫ 

  人の願いと望みの深みのなかにこそ、あの世についての、静かな知識がある。
  ・・・・・・・・・
  死ぬとは、風のなかに裸で立ち、太陽に溶け込むことでなくてなんだろう。

  息をしなくなるのは、その休みない満ち引きから、命を解放してやることでなくてなんだろう。

≪ 善と悪について≫ 

  人には数えきれないほどの善がある。  しかし善でないことが悪なのではない。

≪ 喜びと悲しみについて≫ 

  人は哀しみと喜びのあいだに吊るされた天秤のようなものだ。
  じっとバランスがとれているのは、なにも乗っていないときだけ。

  そこに金銀が乗り、財宝系が重さを量ろうと天秤を持ち上げるからこそ、
  喜びや悲しみが上下に動くのだ。


≪ 時間について ≫ (全文掲載)

  天文学者がたずねた ~ 時間とはなんでしょう。   アルムスターファ(本書の主人公)が言った ~
  
  人は時という、尺度のないもの、測れないものを測りたがる。
  時間や季節にしたがって行ないを修正し、心の道筋までも合わせようとする。
  時間という小川を作りだし、土手にすわって流れを見ようとする。

  けれど、人の内側には時間のない存在がある。 そしてそれは、生命に時間などないことを知っている。
  きのうがきょうの記憶にすぎないこと、あしたがきょうの夢にすぎないことを知っている。

  人の内側で歌い、じっと考えながら、
        いまも、宇宙に星がばらまかれた、あの最初の一瞬の世界で暮らしている。

  感じない人がいるだろうから。 そんな“彼”の愛する力が無限だということを。
  感じない人がいるだろうか。 
        まさにその愛が、無限でありながら、その存在中心から決して外れてこないことを。

  愛の思いから愛の思いへも、愛の行ない愛の行ないへも、揺れ動いたりしないことを。
  時間も愛と同じで、分けることも歩き回ることも、しないのではないだろうか。

  しかしもし、どうしても時間を測って季節に分けたいというのなら、
  そのときは、ひとつの季節が、ほかの季節をも包み込むようにしよう。

  きょうという日のうちに、過去の思い出と未来への憧れの、両方があるようにしよう。


訳者・船井幸雄氏はこの本を読んで感動・感涙したというが、スノーマンはそこまでには至らず。

歳のせいか確かに涙腺は弱くなってきてはいるが、いつも核心に迫るところでは泣けない自分もいる。
良く言えば冷静沈着。 悪く言えば、心根が冷たいせいなのか、それとも 修業が足りぬのか。  

でもこの本、良本であることは確かなようだ。  お薦めの一冊です。





老々 なにがし

2016年09月17日 | 雑感
なにがしとは介護のこと。  とはいっても 私の場合は <介護もどき> ですが。

母の住む実家(七飯町・横津岳麓)へ最近幾度か通ってはいるが、時間を見つけては付近の散策三昧。
   8月(函館の裏夜景)    7月(山麓の散歩道)    5月(亡き父の散歩道)

今回は旧友と函館ロイヤルHでのランチタイムを満喫後、別用の帰り道函館・生家近くを散策した。

   

  (左) 生家より数分のところに、懐かしき思い出が残る我が母校(小学校)があった。 
  (右) あの頃の 「二宮金次郎」 の像がそっくりそのまま残っていた。 感涙の出会いでした。 
   
  

  (左) 野球少年時代思い出のグラウンド。  当時はネットはなし。  近所の窓ガラスをよく割ったものだ。 
                             < ○ ○ ご飯だよ~ > 母の声が聴こえて来るようだ。 
  (右) 校舎体育館のこの壁をめがけてのピッチング。  半世紀も修理せずのまま残っていたのには驚いた。

こんな写真ばかりだと <介護もどき> も疑われる。

実家は山麓でもあり、特に夜になると辺りは静寂極まる。  母につられ、夕方6時すぎると早、布団の中。 
テレビで日本ハム観戦するも7時すぎ頃にはもう大差がつき敗戦は決定的。  もう寝るしかないのである。

目が覚めたと思いきや真夜中の0時。  この時間に目が覚めると結構辛いものがある。 
コロ コロ コロ  と虫の鳴き声が聴こえる。  コオロギ?に話しかけられ さぁ もう眠れない。

もどきとはいえ目的意識は忘れておらず。 本日のすることが気になり、忘れないうちに紙切れにメモる。 

1. 居間と台所・トイレの清掃
2. 壊れている椅子の修理
3. 冷蔵庫の賞味期限確認・整理
4. ハンディタイプ消火器・一人用やかんの購入
5. 生ゴミの確認
6. 調味料の入れ替え
7. 冬支度・ストーブと灯油量の確認
8. 錆びてきた包丁を研ぐ
9. 新聞を切り抜いて渡す
  (北海道に百歳の方が三千人との記事があり)


などなど ヘルパーさんを先月から週2度ほどお願いしてはいるが、やることは盛りだくさんだ。
まぁ数十年も世話になったのだからと、10番目に <肩もみ> と付け加える。


春から施設も探し回っているが、本人はなかなかその気にならず。 
夏には何件か一緒に同行施設見学し、「いいところだねぇ」 といいつつ、入居の誘いは拒否。
雪が真近かだよ、と冬の厳しさ訴えるも なかなかどうして。 自分の説得力不足に意気消沈。

でも 夏に訪ねた時より暑さが和らいだせいか少し元気な様子なのでひと安心でした。 

いずれにせよ 万人共通 ≪ 老いるとは ≫ 大変なことなのですね。