無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ショートショート⑪テレビは洗脳装置

2019年01月09日 | Weblog
テレビが発明されて地上に登場してきた時に、アメリカでは、

と言われ、

――――――新・霊界物語 第二十一話より

上の様に、それまで殆んど無名だった大統領候補者がテレビを通じてアメリカ全土に知れ渡り大統領選に勝利することが出来る時代になった訳です。

この箱(テレビ)の普及により、日本でも「あなたの情報源は?」の質問に86%の日本国民が「テレビ」と答える時代になりました。

そして今では「テレビ」は、日本の某テレビ局TBS会長(副社長→社長→会長)が明言しているように、

「洗脳装置」であり、「日本は我々の手によって白にでも黒にでもなる」(2010年入社式訓示)世の中になってしまったのだ。

(参考)某テレビ局では、「国民には低俗番組だけ流しておけばよい」とトップ命令が出されており、まさに「よらしむべし、知らしむべからず」の権力者側の思想・主義だったという。(そのテレビ局OB談)


テレビ・大新聞が「正しい」と判断しなくなり、「一部野党が反対している」、「誰々が批判している」、と他人事報道しているおかげで、安倍政治がやっている事の本質が国民に伝わらず、

「野党は安倍さんのやることに何でもケチを付け反対している。ケチを付けるだけでは何事も進まない(対案を出さない等)。そんなケチばかり付けている野党を応援する気にはならない」

「安倍さんは何でもどんどん通していく(実力がある)から好き。今までの総理はなかなか物事が進まなかった。」


これが、テレビ・マスメディアが作り出した今の日本国民を代表する?意見である。

前に何回も載せたが、大東亜戦争後3~4年経って作られた「文部省作成」教科書から引用しておく、

について。

民主政治の落し穴

しかし、それにしても、民主政治を運用して行く根本のしかたが多数決であることには変わりはない。
国民の間から国会議員を選ぶにしても、最も多くの投票を得た人が当選する。
国会で法律を作る場合にも、多数でその可否を決する。
内閣総理大臣を指名するのも、国会での多数の意向によるのである。
したがって、民主政治は「多数の支配」である。
多数で決めたことが、国民全体の意志として通用するのである。

しかるに、前に言ったように多数の意見だからその方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言いえない。
中世の時代には、すべての人々は、太陽や星が人間の住む世界を中心にしてまわっているのだと信じていた。
近世の初めになって、コペルニクスやガリレオが現われて、天動説の誤りを正した。
その当時には、天動説は絶対の多数意見であった。
地動説を正しいと信じたのは、ほんの少数の人々にすぎなかった。
それと同じ様に、政治上の判断の場合にも、少数の人々の進んだ意見の方がおおぜいが信じて疑わないことよりも正しい場合が少なくない。
それなのに、何でも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないというふうになれば、それはまさに「多数党の横暴」である。
民主主義は、この弊害を、なんとかして防いで行かなければならない。

多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。
なぜならば、多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにたてまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができるからである。

もう一度、ドイツの場合を引き合いに出すことにしよう。

第一次世界大戦に負けたドイツは、ワイマールという町で憲法を作って、高度の民主主義の制度を採用した。
ワイマール憲法によると、国の権力の根源は国民にある。
その国民の意志に基づいて国政の中心をなすものは、国会である。
国会議員は男女平等の普通選挙によって選ばれ、法律は国会の多数決で定め、国会の多数党が中心となって内閣を組織し、法律によって政治を行う。
そういう仕組みだけからいえば、ワイマール憲法のもとでのドイツは、どこの国にもひけを取らない立派な民主国家であった。

ところが、国会の中にたくさんの政党ができ、それが互に勢力を争っているうちに、ドイツ国民はだんだんと議会政治に飽きて来た。
どっちつかずのふらふらした政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに国民を引っ張って行く、強い政治力が現われることを望むようになった。
そこへ出現したのがナチス党である。
初めはわずか7名しかなかまがいなかったといわれるナチス党は、たちまちのうちに国民の中に人気を博し、一九三三年一月の総選挙の結果、とうとうドイツ国会の第一党となった。
かくて内閣を組織したヒトラーは、国会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも与える法律を制定させた。(全権委任法=今回の憲法改正の目玉?緊急事態条項と同じ)
政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思う力ままに行うことができる。
議会は無用の長物と化する。
ドイツは完全な独裁主義の国となって、国民はヒトラーの宣伝とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戦争へ、そうして、まっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。

多数を占めた政党に、無分別に権力を与える民主主義は危険である。
独裁主義が民主政治の巣ともいうべき国会の中に卵を生みつける。
そうして、初めのうちはおとなしくしているが、一たび多数を制すると、たちまち正体を現わしすべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。
民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる。
ドイツの場合は、まさにそうであった。
こういうことが再び繰り返されないとは限らない。
民主国家の国民は、民主政治にもそういう落し穴があることを、十分に注意してかかる必要がある。



もう半世紀以上前の警告が、今の日本にそっくり当てはまっている。

今日は、テレビ・大新聞により、成立した法律の中身の是非が報道されないままに、何でもどんどん通す安倍、野党はケチ付けて反対するだけで対案も出さない(建設的でない)、といった国民感情が作り出されてしまい、いざ軍事大国へ、積極的紛争介入主義へ(政府は積極的平和主義とごまかす)と「いつか来た戦争への道をまっしぐら」に進んでいる。

日本のテレビ・大新聞の手によって、日本国は独裁国家になってしまっているということに気が付いて下さい。

「はい、次の質問」

書きたい事と完全にずれっぱなしで今日はおしまい。次回からが本題です。

下は、現実はそんなにのんびりした状況にはないのだが、気を取り直して「汽車ポッポ」の替歌を載せておく。(作者不詳)

一強国会

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード まっしぐら
審議も とぶ とぶ 答弁もとぶ
走れ 走れ 走れ
採決だ 強行だ たのしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
汽笛をならし
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
ちからだ 多数だ ほら 成立だ
走れ 走れ 走れ
暴走だ 脱線だ 気にするな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆこうよ ゆこうよ けちらして
強い お国が 目の前だ
走れ 走れ 走れ
改憲だ 強兵だ まっしぐら