無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

貧困と平和について語らないマスメディア…その1

2009年04月24日 | Weblog
最初に毎回載せておく、と言っていたことを今回も…。

◎権力は集中したり、長期化すると腐敗する。

この基本的な考え方に基づき、三権分立・任期制限・定期的な選挙等の「権力の分散」「政権交代」といった制度が考え出された。日本は60年近く、本格的な政権交代が行なわれなかったために、政官財界は腐敗してしまった。
消費期限4日乃至8日の鮮魚が60日経ってしまった状態を想像して下さい。
政権=権力の座が安泰であれば(政権交代が無いと)、政府は国民の方を向く必要がないのです。

◎官僚制の欠点=官僚組織は自然と肥大化し、凡俗化する。

実際にこなさなければならない仕事量に関係なく、官僚の数はどんどん増え続けていく。
官僚が増えれば、その分仕事がなければならないが、それは実際に必要ではない仕事を創造することで賄われる。
つまり、無駄な仕事ばかりがどんどん増えていく。
 
官僚は獲得した予算(国民の税金)を何としても使い果たし、次年度に、より多くの予算を獲得することが至上命題である。
より多くの予算を獲得して、役職ポストを増やし、天下り先を増やしていく。これが60年近く続いてきた。

国民が選んだ政治家が内閣を組織して官僚を指揮・監督するはずの制度(行政)が機能しなくなっている。

政官が癒着してしまったため、政治家と官僚が『同じ穴のムジナ』『悪代官と越後屋』であり、相手の悪を指摘し糾弾することは、自分の悪も世間に晒される、所謂『一蓮托生』なために、それが(政権政党として)出来ず、国民が選んだ政治家が巨大化し複雑化した官僚の言いなりにならざるを得ず、その為、日本は官僚支配の国・官僚国家といわれるようになってしまった。…以上、毎回掲載しておく項目終わり。



「今日、海賊対処法案が衆議院本会議で賛成多数で可決されました。これでこの法案は参議院で否決されるか60日ルール(みなし否決)によって、衆議院で再可決され、本会期中に成立することが決定しました。」

マスメディアは淡々と上記のように報道し、その後、SMAP草さんの酔っ払い事件を長々と報道。
「公園で酔っ払いが大声を上げて騒いでいる、との通報で警察官が駆けつけると、そこで、草さんが全裸になって胡坐をかいて座って大声をあげていた。服はその横にきちんと畳んでおいてあった。(散乱していた、との報道もあるが…)警官に対し『裸でいて、どこが悪い!』とか『こらア~!』とか大声で喚いていた。」
「彼はお酒は良く飲みますが、仕事とお酒は分けていて、仕事期間中はお酒を飲まなかった。云々」

マスメディアは「この草を公然わいせつ罪で逮捕。大臣は『最低の人間』と怒り「地デジ」大使を剥奪、事務所は草の出演を無期禁止した。」といったようなことを延々と報道。

この草さんの酔っ払い行動は、普通の人が楽しいことがあったり、また、ストレスが溜まっていたりしていて飲んで酔っ払った時に誰でもが起こし得る、普通の酔っ払い行動である。幾ら有名人とはいえこのバッシング的報道(「最低の人間だ」発言⇒あとで“最悪の行動”と訂正)はひど過ぎる。

「交通巡査が酔っ払い運転で捕まった」という重大な事件とは違うのである。

それにしても、恐ろしいのはマスメディアの一番最初に書いた海賊法の報道の仕方である。

政府の手によって日本の議会制民主主義の破壊行為が行なわれているのに「(暫定税の時のように)憲法の規定に従い衆院で再可決されました。」で済まそうとしている、何事か!

ジャーナリストはじめ、日本国民はみんな、もう一度、文部省作成教科書を見直してほしい。

(引用開始)
■何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数(党)といえども、民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。

民主主義そのものを否定するような決定=再可決

■多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。

なぜなら、多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにたてまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができるからである。

■昔、地動説を正しいと信じたのは、ほんの少数の人々に過ぎなかった。
それと同じように政治上の判断の場合にも、少数の人々の進んだ意見の方が大勢が信じて疑わないことよりも正しい場合が少なくない。
それなのに、なんでも多数の力で押し通し、少数の意見には耳もかさないというふうになれば、それは正に「多数党の横暴」である。

民主主義は、この弊害を何とかして防いで行かなければならない。


もう一度書く、「多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。」…引用おわり

民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥る=再可決


もともと国会が「二院制」を採ったのは、その時の支配層の権力の温存の為だけではなく、議会制民主主義を取り入れたときに、民衆が選挙で選んだ“民衆の代表者”(代議士)が必ずしも政治・経済に精通している人物とは言い難いので、それらが集まった“衆議”院(素人集団)で法律を作っても不備な面が出るやも知れない、従ってそれをチェックする意味で当時のエリートである“貴族”院を設けた。
その貴族院には当時の貴族の他に政治学者・経済学者等の学識者・知識人・有識者が選ばれた。
戦後になっても、その学者・有識者等が民衆の代表者(素人)のやることをチェックする機能として残った。それが参議院である。
従って、従来は「この法律(法案)はマズいんでねえの」といった専門家(参議院)の意見が通ったら、また素人集団の衆議院で「良く議論・再検討」するのが筋であり、憲法は「議論しつくし、再検討を重ねた結果、それでも民衆の大多数がその法案成立を支持するのであれば、民主主義の原則から民衆の意見(衆議院の決議)を優先させましょう」という考えの二院制なのである。

憲法では、“良識”の参議院で否決された法案に対しては、再可決のハードルを「思い切り高くしたつもり」であった。

「再可決には衆議院の三分の二以上の賛成が必要」との条項がそれであり、まさか今の衆議院のように国民がマスメディアのB層狙いの洗脳宣伝に引っかかって一党が圧勝してしまい、この2/3という厳しいハードルを越してしまうとは、この規定を憲法に盛り込んだ人は夢にも思わなかったのである。

本来の憲法の精神からすれば、参院の否決は、裁判の「差し戻し判決」と同じほど重く受け止めなければならないことなのだ。

多数(党)の数の暴力で、参議院で否決された法案をその日のうちに再可決する、などという行為は憲法の精神を踏みにじる、即ち、民主主義そのものの根底を破壊する行為なのだ。

一番最初に書いたマスメディアの報道の仕方や「憲法の規定により衆議院の2/3以上の賛成多数で再可決されました。」という報道こそ、権力者の狗に成り果てたマスメディアの、国民に対する大犯罪行為なのだ。

本当に取りとめなく少しずつ書いていくことに方針転換した。今日はここまで、またね。


物事の重大性の尺度が狂ってしまった日本社会

2009年04月24日 | Weblog
ブログを見ていたら、私が感じていたこととピッタリのブログがあったので、そのまま載せておく。(M:…)が私の補足です。

ヤメ蚊さんのブログなのだが、流石に弁護士さんらしく鋭い見方をしている。

(盗転載開始)

【タイトル】
■草剛クンの逮捕、CM降板は行きすぎだ!~どうにも たまらないとき ってあるさ

【本文】
草剛クンが深夜の公園で全裸で騒いでいたからといって逮捕までしたが、そんな必要は全くない。

(M:弁護士さんの立場から「逮捕する必要は全く無い出来事」と主張している)

警察署まで連れて行き、関係者に引き渡せばそれでよかったはず。

しかも番組やCMの降板までされているといい、鳩山邦夫総務相は「事実であれば、めちゃくちゃな怒りを感じている。
なんでそんな者を(地デジの)イメージキャラクターに選んだのか。
恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と明言したという。

バッカじゃないの。

誰だって辛くてたまらんときあるでしょう。

飲み過ぎて、分けわかんなくなって、裸になって騒いだ。

それが逮捕されたり「最低の人間だ」などと批判されることだろうか?

人に暴力をふるったとかいうならあかんよ。

でも、そうじゃないんだから、警察署に連れて行って説教するだけで充分でしょう。


そもそも、逮捕するには、証拠を隠滅したり、逃亡したりする危険がなければならないが、全裸でいるところを複数の警察官に目撃されているのだから、証拠を隠すことは出来ないし、草薙クンが逃亡するわけがない。

したがって、逮捕する必要性なんてない!

そのことをむしろ批判するべきだ。(M:弁護士の立場から逮捕は不当、としている)

テレビの番組では芸人が全裸になって、面白おかしく放送し、インターネットでは無修正画像が氾濫している。

それは、営利のために、意図的にしてるわけだ。

草剛クンの場合、彼もバカじゃないんだから、よほどのことがあったから、あのようなことをしでかしたのでしょう。

それは意図的でもなければ、計画的でもない。

単に、辛い気持ちの爆発だったに違いない。

それなのに…。

日本の社会って、ものごとの重大性の尺度がソートー狂ってない?


〔追記〕
なんと自宅を家宅捜索したという。

はっ、なぜ?自宅に公然わいせつと関係のある証拠があるのか?

裁判所も安易に強制捜査を認めすぎじゃないか?警察の狙いは明らかに別件だ。

それを簡単に認めるなんて…。裁判所は警察の僕なのか?あきれはてる…。

(M:さすがに法治国家の弁護士さんである。素人の私達が気が付かない、今の狂った世の中を鋭く指摘してくれている。)

(M:草剛クンの出来事は「検察は政権政党の僕なのか?」と同じく、ものの見方が狂っている今の“世の中”の一現象なのだ。)

またね。