無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

またまた、マスメディア批判です

2009年04月17日 | Weblog
昨日、書きたかったことを思い出した。

それは、マスメディアが現在のように“国民洗脳報道”を続けていると、日露戦争の講和時に起きた「日比谷焼打事件」のような事件がまた起きてしまう、と言うことでした。

マスメディアの国民に対する大犯罪が進行中なのだ。

「日比谷焼打事件」はご存知のように、東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を撃破して、マスコミが「勝った、勝った!」と報道している時に、アメリカのルーズベルト大統領の仲介でポーツマスにおいて和平交渉が行なわれ、
講和条約が結ばれたのだが、その内容は戦費の為の増税で苦しんできた国民(むしろ瀕死状態にあったといえる国民)が考えていた条件とは大きくかけ離れるものであった。

「坂の上の雲」の中で、司馬遼太郎が「戦争準備の大予算そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった」と書いている。それほど、国民は重税に耐えていたのである。

マスコミによって「ほしがりません、勝つまでは!」「贅沢は敵だ!」の精神を植付けられ、困窮生活をつづけていた国民。

今の「もったいない」とか「節約」がマスメディアによって特集され、もてはやされている世相を想像しながら、この焼打ち事件を考えると理解しやすい。

先の日清戦争では、それまでの戦費負担を補って大いにあまりある賠償金が獲得できた。

マスコミは日清戦争の勝利時に「戦争は勝てば儲かる」という発想を国民に植付けてしまっており、日露戦争当時の新聞報道にも「日露戦争を起こすことで収益が上がる」と軍事行動を支援するような論説が多く見られた。

こういった、それまでのマスコミの報道の仕方によって、「バルチック艦隊撃破」の戦勝に湧きかえる国民(50億円程の賠償金が取れ、いままで生き延びてきた甲斐があった、やっと楽になれる、と喜んだ国民)が目にした現実は、「賠償金は払わない」云々と言った思いもよらない条件での講和条約締結であった。

マスコミは「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」と書きたてた。

(注;小村=この条約に調印した日本の全権大使、小村寿太郎氏)

これでは何のために戦費負担の重税に耐えてきたのか?と今まで我慢に我慢を重ねて国に重税を払い続けてきた国民の怒りは爆発し、「講和条約の破棄とロシアとの戦争続行を求める決起集会」が日比谷公園で開かれ、暴走した群集によって「日比谷焼打事件」が始まってしまった。

暴徒化した民衆は内務大臣官邸、国民新聞社、キリスト協会、市電、警察署、交番などを襲って破壊した。

これにより東京は無政府状態となり、翌日、日本政府は戒厳令を敷くことでようやくこの騒動を治めたのである。(参考:戒厳令は10日間敷かれた)

国民は、政府・マスメディアの報道=情報操作によって「戦争を続けようにも国力が限界に達しているという事実」を知らされていなかったのであり、この暴動は、せめて白いおまんまが食べたいじゃないか、そういう切実な国民の気持ちが起こさせたものである。

(余談)
新聞の社説を書く人が「ねじれ国会で分かる通り、民衆の感情・行動は簡単にその場の状況で(正しい判断をせずに)左右に揺れ動く」として、この日比谷焼打事件の民衆の例を挙げていた。その記事は続いて、「社説は論説委員(エリート)たちの英知の結晶である。」と民衆は碌な考えをしないで行動に出る、我々の意見が正しいのだ、少しは読んで勉強しろ、とした記事が書かれていた。それで自衛隊の海外派遣を恒久法化しろ等の戦争賛成の社説では呆れてしまう。

私に言わせると、この日比谷焼打事件を起こさせた第一の要因は“マスメディア”の世論操作である。続いて言わせてもらうと、第二の要因は国民の目を「戦争」(敵国)に向けさせて重税を取り立てていた当時の政府・軍部にある。
今と何か似通っている、と思いませんか?(余談終わり)


前にも言ったように、人生の伴侶を無くして以来、何をする気もしない。
出かけることも、食べることも、これを書くのも、全て億劫に感じる。
従って、まとまり無く、チョコマカと書き込んでいる。今日はここまで、またね。