無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

戦争への道1

2008年01月28日 | Weblog
タイトルについて話す前に、前回の日記をまとめておく。

生命は誰もが「生存本能」を持っている。
それゆえ、社会の中で生きる為のルール=「私を殺すな」即ち「人を殺すな」が成立する。
戦争は人殺しである。従って、人の生きる道に反している。

人が今の地球で他の動物と違う「文明」「文化」を創造できたのは「考える力」と「言葉」によってである。

昨年載せた吉永小百合氏の言葉…。

人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。
その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく―――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが、『言葉』を持つ私たち人間の使命だと思います。


戦争とは、国が人に人殺しを命ずること。
命じられた人間は、選択の余地も無く、人を殺さなければなりません。…引用終り

人間が、考えることと話して相手にわかって貰う努力(相手を理解する努力)を「面倒臭い」と怠ると、そこから人類の退化が始まり、文明は衰退し崩壊していきます。相手を理解する努力を怠ることになり、「戦争」という事態も起こります。

今の政府・マスメディアにより洗脳された日本人は、「考える」ことを怠り「言葉」による話し合い(=相手を理解しようという努力)を面倒臭いと放棄してしまっている。価値観が多様化して「何でもあり」の感覚人間となり、自己チュウの自分さえよければ『良いこと』であり、それを妨げようとする人間を否定する。
いくら価値観が多様化したとは言え、人の道として正しいことと間違った悪いことは歴然として存在する。
今の日本人は、正義感とか、それから出る行動を持ち合わせていない、ように思えてくる。

昔は、立派な大人とは「弱きを助け、強きをくじく」と言った「正義感」を持った人だ、と教わってきた。
親から「弱いものいじめはするな」「悪いことはするな、見過ごすな」と言われて育ってきたのだが、子供のホームレス襲撃の例のように今は全く逆になってしまった。

直近の例では昨日の大阪府知事選の橋下氏の圧勝が挙げられる。
橋下弁護士は自分の公式ブログで、

詭弁を弄してでも黒いものを白いと言わせるのが論理的な交渉の醍醐味

身に付けていった交渉術が「合法的な脅し」と「仮装の利益」――これが僕の交渉方法の8割から9割を占めます。

*「合法的な脅し」とは、法律に反しないギリギリのラインで相手側にプレッシャーをかけることです。(無風注:ホニャララ団[=きっこ流表現]のやり方と同じです。)

*「仮装の利益」とは、「こちらの要求に従えば、これだけの不都合が避けられますよ」と、実在しない"上乗せ"を示し相手を得した気分にさせて要求を通すというもの。(無風注:人の心理をついた騙しのテクニックです。)…橋下氏のブログ引用終り

以前、大衆心理の購買心理について議論したことがある。この大衆心理を学んで、人はこういった心理傾向に陥るので騙されないように啓蒙するのも一つの道。逆に、大衆心理を掴んで(いわば催眠状態で)買わせてしまうテクニックを身につけることも購買心理学で可能だ、君はどちらを正とするか?というものだった。

私は大衆ヒステリー現象がどうして起こるか、等を学びたいと前者の考えを支持したのだが、橋下氏は、後者を支持しているようである。

例えば、あなたは場所をどこか借りてそこでバザーを開催し、卵10個入り1パック1円の破格値で主婦を集め、数日で親しくなって「お友達」になる。
卵10ケ1円の訳が無い、主婦は数日で友達になった店員(あなた)に悪いと思い、他のものも買ってあげようという心理になってくる。一週間の開催の後半に、あなたは主婦に「羽毛布団を格安で提供できる。120万円するのだが、あなたには60万円で売ってあげます。お得ですよ。」と、その場の断り難い雰囲気(友達・損させているという後ろめたい気持・等)で、買わせてしまうという人間心理を悪用した商法がある。

橋下氏の考えは、この買わせてしまうテクニックを行使して、上手くいくと「やったぜ」とほくそ笑んでいる、この例と同じで、自分がよければ「何でもあり」の考え方、強者の理論である。(「醍醐味」という表現に現れている)

この「平気で嘘をつくことを自慢する」考え方には、人の為、大衆・民衆の為、府民の為といったことは一つも入らない。

「所得税50万円以上払っている女性は何を言ってもいいが、それ以外の女性は子供を生め」

こんな考えの人が、マスメディアの大衆心理誘導により作り上げられたイメージで大阪府知事選に出馬、圧勝してしまう、こんなところまで大衆は「愚民化」してしまった。

これが、今日のタイトルになった一因である。

以前、インターネットにイラクで人質になって殺された香田さんの首を切られる場面が流された。(当時の世論誘導「自己責任」も大いに問題だが今回は省く)
私は途中で見るのを止めてしまった。
そして「誰にも見せたくない」と思った。こういった残酷な場面を多く見ていると、感覚が麻痺して「(自分がやっても)当たり前の(皆がやっている)出来事」になってしまう、と思ったからだ。

テレビもそうである。民放で、自衛隊の長距離砲だったか何かの武器(今まで演習が禁じられていた兵器)の実射演習を地域住民の立会いの下に行なった映像(戦闘場面)を流し、住民の『普段の演習より静かですね』(問題なし)とのコメントをとり、今後もこの演習を続けていく、と放映していた。

そのあとで、NHKを見た。

新テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣される補給部隊の護衛艦「むらさめ」が24日午前、海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)を出港した。昨年11月、旧テロ対策特措法の失効で部隊が帰国してから約2カ月ぶりの新たな船出となった
石破茂防衛相が「日本の国益を守り、世界に対する責任を果たすために、頑張って欲しい」と訓示。
指揮官は「憲法違反と言われた一国民として、我々にも意地と誇りがあります」とあいさつした。
約250人の家族らが、見送りに訪れた。涙を流す家族もいた。

上記記事を映像で放映したのだが、石破茂防衛相の訓示と、そのあとの「全員が無事に帰国します!いってまいります!」と敬礼で対応し、それが「軍艦マーチ」の曲が流れる中で放映、家族の「無事で帰ってこいよ~」の悲痛な叫び声も入っていた。

もう一度強調していう。
テレビで軍艦(護衛艦)が映し出され、軍艦マーチの流れるなか「日本の国益を守るために…責任を全うせよ」の訓示と、「行って参ります!」との最敬礼の姿、家族の「無事帰ってこいよ~」の泣き声、正に戦時下の光景である。

国民は、こういった光景を政府・マスメディアに刷り込まれて「当たり前の出来事」と考えるようになってしまう。
「戦争」は日常生活の中で「当たり前」と思えるよう、洗脳が行なわれている。

毎日の様に、ニュース・トピックスで流される「防災」「防犯」「災害避難訓練」「災害救助訓練」は国民の国防(軍事)訓練=隣組制度復活への布石であるが、これは次の機会に回す。

海外ジャーナリストに、日本入国の際、指紋と写真を撮られて「日本は戦時下の国か」と皮肉られ、茶の間では「新宿御苑に核ミサイルを配備する訓練」が行なわれたニュースを流す。(両方とも天木直人氏のブログより)

(ミサイル配備ニュースについての引用開始)
1月15日夕刻7時のNHKニュースは、米国から買わされた迎撃ミサイルを新宿御苑に訓練配備したというニュースを流していた。
夕食をとっている家庭が多い平和な日本の茶の間に、まるで非常事態でも起こったようなニュースを流す。正気の沙汰とは思えない。しかも今後も代々木公園ほか都内の要所に実地調査のための配備を繰り返すという。
しかし正気の沙汰でないのはNHKではない。

NHKはそれを流せと命じられているのだ。

正気の沙汰でないのは、そのような訓練を平気で命ずる政府であり…以下略、引用終り

(新入管制度について、引用開始)
この新しい入管制度は「テロリストの入国を水際で防ぐ」という理由で来日した外国人に等しく指紋採取と顔写真の撮影を義務づけるという制度である。
我々は外国人ではないからその異常さに気がつかない。この国のメディアの書き手も大部分は日本人だから気づいていないと見える。だから人権や個人の自由を規制するあらたな制度については書き立てるメディアも、外国人のみに適用されるこの新しい入管制度についてはあまり熱心に取り上げる事はない。

しかし、この記事を読んで、私はあらためてこの新外国人制度の異常さに気づいた。
およそ先進国の中でここまで行う国は少ない。イスラエルや米国でもこれほどではないだろう。
日本を訪れる外国人はさぞかし腹立たしい思いをしているに違いない。

記事引用:「・・・長年の居住実績を持ち、厳しい審査を経て永住資格を認められた外国人も例外ではない・・・指紋採取と顔写真を始めた直後に日本に戻ってきた私は、空港の空気の異常さに閉口した。
入管職員が物々しく外国人を誘導する・・・指紋を採取され、顔写真を撮られながら私は理解に苦しんだ。
平和憲法を掲げる国なのに、なぜ自国以外の国の人間『すべてを敵』と見てしまうほど警戒しなければならないのか・・・もしかしたら新幹線への乗車の際にも外国人はこうした待遇を受ける時代への心構えを今から持たなくてはならないかもしれない・・・
成田空港の入管職員の襟に『ようこそジャパン』というバッジがあった。『ようこそ戦時下の日本へ』に書き直した方が正確ではないか・・・」…以上、引用終り

タイトルに書いた「戦争への道」は、遠い将来の話ではない。数年後の憲法改正で「出来上がり」(完了!)なのである。

…続きます。