私は、何回も引用している「天木直人のブログ」で色々勉強させてもらっているのだが、最近、“人気ブログランキング”を(数多く見ているにも拘らず初めて)クリックして驚いた。
昔、戦時中に「軍国主義」国家に反対する(赤化)分子を陰で・暴力で弾圧する(国家の)後押しをした『右翼』の理論をそのまま持ち出して書いているのだが、そんなブログが上位を占め、天木氏のような政治(政権政党)批判のブログはトップ10にわずか2ブログであった。
政治ブログランキングでズッと1位を続けているらしい「博士の独り言」も他のブログと違い大人しい言葉使いをしているが、内容は他と変らない。
政府を批判するNHKや朝日新聞を偏向報道とし、朝鮮・中国を差別的に敵視する。…標題「真実と正論を共有するために!」
「賢明なる読者諸君はお分かりのことと思うが…」とか「自明の理」といった心地よい表現で、朝日新聞を『抗日新聞』と決め付け“アサヒる”と批判する。
表現が柔らかいだけで、3位の「この国は少し変だ!」の標題「在日が裏支配し左翼がニヤニヤする国、鬼畜左翼マスコミ、鬼畜左翼政党、鬼畜カルトが存在する限り日本の再生は無理!」と発想は同じである。
ついでに、他の上位ブログの標題を上げておく。
*「厳選!韓国情報」=「マスコミの韓国報道美化はもういらない。韓国の真の姿を次々に暴露します」
*「反日議員を落選させる会」=「国民の良識ある選択を!支那・朝鮮と結託する小沢民主党をはじめ反日議員の落選を目指せ」
上記の様な政治ブログを週に十万人以上の人が見ているかと思うと、私がタイトルにした言葉『戦争への道』は、もう相当進んでいると見て間違いないだろう。
その証拠に、先日大阪府知事に当選した橋下徹氏の言葉を載せる。
橋下徹大阪新府知事の発言:
「天皇中心とする神道が日本の基本だと思う。僕も昭和天皇のお言葉を重視する立場。だが、今、『天皇は象徴だ』とか言ってる人たちが、天皇の言葉に政治的に左右されるのおかしい」
「靖国神社に参れば軍国主義の復活だと中国は言いますけど、中国は核兵器を持ってるんですよ。それにね核兵器を持ってる国に軍国主義だなんて言われたくない。」
「原爆の恨みはあるとしても、いま日本は日米同盟の核の傘に入っている。だったらアメリカの核兵器を批判するばかりではなく、日本も核の傘から離反して核を持つべきだ。親のすねをかじっている子どもと一緒だ」
「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないことだ」…引用終り
大阪府民は、「自分勝手に戦争が出来ないのは、情け無い」といっている“戦争したがっている”人をトップに選んでいる。特攻隊賛美映画を作った知事をもつ東京都民も同様である。
日本の二大都市の住民が「戦争肯定派」の知事をトップに選んでいるのである。
衆院で2/3以上を占める与党しかり、改憲派の民主党議員しかりであり、これで「戦争への道」を歩んでいない、という人がいたらあきれてものが言えない。何を見ているのか?!
第二次世界大戦が終了したときに、この「戦争」を肯定した日本国民は皆無であった。「負けても尚我に正義あり」などと今の無知な人が言うようなことは、それまで正義の戦争と思っていた人達の中にも見出せなかったであろう。
その先人・ご先祖様の尊い犠牲・努力の上に築かれてきた今の日本の平和を壊そうとしている日本の支配者層と、それを選んでいる「愚民」達。
もう一度、「戦争」行為そのものが人の生きる道に反する行為だ、との認識を持つべきだ。
もし、仮に海外派兵した自衛隊員の人が「駆けつけて、巻き込まれて」友国軍と一緒に相手と戦って(戦争をして)、戦死したとする。政府・マスメディアは、それを大々的に取り上げ国民の敵愾心を煽る。(おそらくそれ一色の報道で染まるだろう)
泣き悲しむ家族の姿、マスメディアは、その家族にインタビュー「悲しいでしょうね!夫を(お父さんを)殺したXX国が憎いでしょうね!」とその家族から「絶対に許せない!」との言葉を引きずり出そうとする。
これで戦争の相手国は出来上がり、それに反対する人を「同邦人が殺されているのに、何もしないのか!それでも日本人か!」と、テロ分子とか共産分子とか、非国民といって批難、戦争への道をひた走ることになる。
これは取越し苦労などではない、既に日本が経験してきた「いつか来た道」である。
従って、『駆けつけて、巻き込まれて戦争参加しようと思っていた』という憲法違反行為を、公然と確固たる態度(日本の法律で裁かれるのなら喜んで裁かれてやろうと発言)で言い放った、法を作りそれを守る立場の国会議員が「法を破ること」を平然と言ってのけ、それでも国会議員でいられる、今の日本。
それも、実施されていたら前述のような展開が予想される重大な問題発言であるのに、である。
この発言を容認することは、まさに戦争と平和の分岐点で国民が「戦争」を選んだことに相当する。
今までの新聞報道の仕方を纏めてみると、
*ねじれ国会で民主党が反対しているためテロ特措法の期限切れが「懸念される」。
*新テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣される補給部隊の護衛艦「むらさめ」が24日午前、海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)を出港した。昨年11月、旧テロ対策特措法の失効で部隊が帰国してから約2カ月ぶりの「新たな船出」となった。
*指揮官の「憲法違反と言われた一国民として、我々にも意地と誇りがあります」との出港時のあいさつを引用し「時限立法では、又来年このような気持(憲法違反の自衛隊)にさせてしまう。早急に自衛隊の随時海外派兵を恒久法化しないといけない」と言った社説を載せている。
どうしてこうも日本国一丸となって「戦争への道」を突き進むのか?
戦争肯定派は、今の戦争概念を誤っている。
小学生の頃、仲間で議論した中に「力の均衡理論」「核抑止論」は正しいか?というのがあった。相手の防御を打ち崩せる大陸間核弾道ミサイルがソ連で開発されたらどうなるか、世界は征服されてしまうのではないか。いやアメリカはそれを完全に撃ち落とす核迎撃ミサイルを直ぐに開発するさ、といった子供の議論であった。
現実はとめども無い核開発競争・軍備拡大競争となった。どんな盾も突き通す矛と、どんな矛もとおさない盾の理論と同じで矛盾だらけの理屈である。
さて、冷戦後のアメリカは全世界の軍事費の4割を使っている軍事大国である。
そのアメリカがイラクで勝利したか? 昔でいえばベトナムで勝利したか?
否!である。
地球を何十回と破壊しつくす量の核をもっているため、日本に投下して以来、使用されない核兵器。それをいくら持っても、ジュノサイド(これはハ(ア)ルマゲドンに通じる)を考えない限り、征服は困難になっている。更に、もし仮にジュノサイドを行なっても、その国はこの国際社会で生き残ることは困難である。
ゲリラ・テロ(自爆テロ含む)が今の闘い方であり、いくら強力な軍隊を持っていても国民を守ることは出来ない。特に日本は小さな島国で攻撃しやすく守りにくい。それこそ敵は不沈空母一隻を沈める気持でよいのであり、いくら巡航ミサイルを持っても(3基で1兆円)、国民が死に絶えた後に敵国に発射しても国民の安全保障から考えたら無意味なことである。
つまり、第二次世界大戦以降の「戦争」は変容しているのだが、今の戦争肯定派は古ぼけた昔の理論を信じ、「核を持て、軍備を増強して敵に備えよ」と騒ぎ、逆に国民の安全を脅かしている。「恐いから先に潰してしまえ」と思われる国になってしまう。別に占領を考えるわけではない、資源も何も無い島国である戦艦一艘と同じ感覚で沈めてしまえ=無くしてしまえ、である。この場合ジュノサイドになろうが、国際社会で言い訳が出来る。「危険な国だったので」(正当防衛論)である。
先制で核攻撃を受けたら…、細菌をばら撒かれたら…(昔の風船爆弾のようなものでも効果はある)、原発に一人のテロリストが自爆テロを仕掛けたら…。
今の国民を守る体制(安全保障)は一つも整っていないのだ。
隊員・戦車・戦闘機・核ミサイル・核迎撃ミサイル・アメリカの軍事基地・等に毎年10兆円(維持関連費含む)といわれる莫大な経費を費やしても、国民の安全に少しも寄与していないのである。毎年毎年そんな無駄な金を捨てておいて、防衛庁を防衛省へと昇格させ自分で予算を分捕れる体制を作り海外派兵を可能とした。軍隊は人殺しの機関であり、暴力装置である。各省の中で強い立場をとれ、文民統制が取れなくなるキッカケがもう出来てしまった。今後どんどん防衛費は増大していくことになるだろう。
書き始めたときに書こうと思っていたことと全く違う展開となった。思いつくまま書いたのでまとまりが付かなくなったが、次回に続きます。
昔、戦時中に「軍国主義」国家に反対する(赤化)分子を陰で・暴力で弾圧する(国家の)後押しをした『右翼』の理論をそのまま持ち出して書いているのだが、そんなブログが上位を占め、天木氏のような政治(政権政党)批判のブログはトップ10にわずか2ブログであった。
政治ブログランキングでズッと1位を続けているらしい「博士の独り言」も他のブログと違い大人しい言葉使いをしているが、内容は他と変らない。
政府を批判するNHKや朝日新聞を偏向報道とし、朝鮮・中国を差別的に敵視する。…標題「真実と正論を共有するために!」
「賢明なる読者諸君はお分かりのことと思うが…」とか「自明の理」といった心地よい表現で、朝日新聞を『抗日新聞』と決め付け“アサヒる”と批判する。
表現が柔らかいだけで、3位の「この国は少し変だ!」の標題「在日が裏支配し左翼がニヤニヤする国、鬼畜左翼マスコミ、鬼畜左翼政党、鬼畜カルトが存在する限り日本の再生は無理!」と発想は同じである。
ついでに、他の上位ブログの標題を上げておく。
*「厳選!韓国情報」=「マスコミの韓国報道美化はもういらない。韓国の真の姿を次々に暴露します」
*「反日議員を落選させる会」=「国民の良識ある選択を!支那・朝鮮と結託する小沢民主党をはじめ反日議員の落選を目指せ」
上記の様な政治ブログを週に十万人以上の人が見ているかと思うと、私がタイトルにした言葉『戦争への道』は、もう相当進んでいると見て間違いないだろう。
その証拠に、先日大阪府知事に当選した橋下徹氏の言葉を載せる。
橋下徹大阪新府知事の発言:
「天皇中心とする神道が日本の基本だと思う。僕も昭和天皇のお言葉を重視する立場。だが、今、『天皇は象徴だ』とか言ってる人たちが、天皇の言葉に政治的に左右されるのおかしい」
「靖国神社に参れば軍国主義の復活だと中国は言いますけど、中国は核兵器を持ってるんですよ。それにね核兵器を持ってる国に軍国主義だなんて言われたくない。」
「原爆の恨みはあるとしても、いま日本は日米同盟の核の傘に入っている。だったらアメリカの核兵器を批判するばかりではなく、日本も核の傘から離反して核を持つべきだ。親のすねをかじっている子どもと一緒だ」
「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないことだ」…引用終り
大阪府民は、「自分勝手に戦争が出来ないのは、情け無い」といっている“戦争したがっている”人をトップに選んでいる。特攻隊賛美映画を作った知事をもつ東京都民も同様である。
日本の二大都市の住民が「戦争肯定派」の知事をトップに選んでいるのである。
衆院で2/3以上を占める与党しかり、改憲派の民主党議員しかりであり、これで「戦争への道」を歩んでいない、という人がいたらあきれてものが言えない。何を見ているのか?!
第二次世界大戦が終了したときに、この「戦争」を肯定した日本国民は皆無であった。「負けても尚我に正義あり」などと今の無知な人が言うようなことは、それまで正義の戦争と思っていた人達の中にも見出せなかったであろう。
その先人・ご先祖様の尊い犠牲・努力の上に築かれてきた今の日本の平和を壊そうとしている日本の支配者層と、それを選んでいる「愚民」達。
もう一度、「戦争」行為そのものが人の生きる道に反する行為だ、との認識を持つべきだ。
もし、仮に海外派兵した自衛隊員の人が「駆けつけて、巻き込まれて」友国軍と一緒に相手と戦って(戦争をして)、戦死したとする。政府・マスメディアは、それを大々的に取り上げ国民の敵愾心を煽る。(おそらくそれ一色の報道で染まるだろう)
泣き悲しむ家族の姿、マスメディアは、その家族にインタビュー「悲しいでしょうね!夫を(お父さんを)殺したXX国が憎いでしょうね!」とその家族から「絶対に許せない!」との言葉を引きずり出そうとする。
これで戦争の相手国は出来上がり、それに反対する人を「同邦人が殺されているのに、何もしないのか!それでも日本人か!」と、テロ分子とか共産分子とか、非国民といって批難、戦争への道をひた走ることになる。
これは取越し苦労などではない、既に日本が経験してきた「いつか来た道」である。
従って、『駆けつけて、巻き込まれて戦争参加しようと思っていた』という憲法違反行為を、公然と確固たる態度(日本の法律で裁かれるのなら喜んで裁かれてやろうと発言)で言い放った、法を作りそれを守る立場の国会議員が「法を破ること」を平然と言ってのけ、それでも国会議員でいられる、今の日本。
それも、実施されていたら前述のような展開が予想される重大な問題発言であるのに、である。
この発言を容認することは、まさに戦争と平和の分岐点で国民が「戦争」を選んだことに相当する。
今までの新聞報道の仕方を纏めてみると、
*ねじれ国会で民主党が反対しているためテロ特措法の期限切れが「懸念される」。
*新テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣される補給部隊の護衛艦「むらさめ」が24日午前、海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)を出港した。昨年11月、旧テロ対策特措法の失効で部隊が帰国してから約2カ月ぶりの「新たな船出」となった。
*指揮官の「憲法違反と言われた一国民として、我々にも意地と誇りがあります」との出港時のあいさつを引用し「時限立法では、又来年このような気持(憲法違反の自衛隊)にさせてしまう。早急に自衛隊の随時海外派兵を恒久法化しないといけない」と言った社説を載せている。
どうしてこうも日本国一丸となって「戦争への道」を突き進むのか?
戦争肯定派は、今の戦争概念を誤っている。
小学生の頃、仲間で議論した中に「力の均衡理論」「核抑止論」は正しいか?というのがあった。相手の防御を打ち崩せる大陸間核弾道ミサイルがソ連で開発されたらどうなるか、世界は征服されてしまうのではないか。いやアメリカはそれを完全に撃ち落とす核迎撃ミサイルを直ぐに開発するさ、といった子供の議論であった。
現実はとめども無い核開発競争・軍備拡大競争となった。どんな盾も突き通す矛と、どんな矛もとおさない盾の理論と同じで矛盾だらけの理屈である。
さて、冷戦後のアメリカは全世界の軍事費の4割を使っている軍事大国である。
そのアメリカがイラクで勝利したか? 昔でいえばベトナムで勝利したか?
否!である。
地球を何十回と破壊しつくす量の核をもっているため、日本に投下して以来、使用されない核兵器。それをいくら持っても、ジュノサイド(これはハ(ア)ルマゲドンに通じる)を考えない限り、征服は困難になっている。更に、もし仮にジュノサイドを行なっても、その国はこの国際社会で生き残ることは困難である。
ゲリラ・テロ(自爆テロ含む)が今の闘い方であり、いくら強力な軍隊を持っていても国民を守ることは出来ない。特に日本は小さな島国で攻撃しやすく守りにくい。それこそ敵は不沈空母一隻を沈める気持でよいのであり、いくら巡航ミサイルを持っても(3基で1兆円)、国民が死に絶えた後に敵国に発射しても国民の安全保障から考えたら無意味なことである。
つまり、第二次世界大戦以降の「戦争」は変容しているのだが、今の戦争肯定派は古ぼけた昔の理論を信じ、「核を持て、軍備を増強して敵に備えよ」と騒ぎ、逆に国民の安全を脅かしている。「恐いから先に潰してしまえ」と思われる国になってしまう。別に占領を考えるわけではない、資源も何も無い島国である戦艦一艘と同じ感覚で沈めてしまえ=無くしてしまえ、である。この場合ジュノサイドになろうが、国際社会で言い訳が出来る。「危険な国だったので」(正当防衛論)である。
先制で核攻撃を受けたら…、細菌をばら撒かれたら…(昔の風船爆弾のようなものでも効果はある)、原発に一人のテロリストが自爆テロを仕掛けたら…。
今の国民を守る体制(安全保障)は一つも整っていないのだ。
隊員・戦車・戦闘機・核ミサイル・核迎撃ミサイル・アメリカの軍事基地・等に毎年10兆円(維持関連費含む)といわれる莫大な経費を費やしても、国民の安全に少しも寄与していないのである。毎年毎年そんな無駄な金を捨てておいて、防衛庁を防衛省へと昇格させ自分で予算を分捕れる体制を作り海外派兵を可能とした。軍隊は人殺しの機関であり、暴力装置である。各省の中で強い立場をとれ、文民統制が取れなくなるキッカケがもう出来てしまった。今後どんどん防衛費は増大していくことになるだろう。
書き始めたときに書こうと思っていたことと全く違う展開となった。思いつくまま書いたのでまとまりが付かなくなったが、次回に続きます。