◎人を見る目の拠って立つところ
(2008-12-19)
採用では、今も昔も人物を見るのが基本で、それは変わらないところがある。
呂氏春秋にある六験では、
1.之を喜ばしめて以てその守るを験す
人を喜ばせて、会社の立場など、人として守るべきところを守れるかどうかを見る。
2.之を楽しましめて以てその僻(へき)を験す
人を楽しませてそのかたよった好みを見る。楽しんでいい気分になると人はその好みを見せるもの。変な嗜好はそんな時に明らかなる。
3.之を怒らしめて以てその節を験す
人を怒らせて、感情を爆発させて、どの程度抑えるべきところを抑えられるかを見る。かっかとして我を忘れるようではだめ。
これは面接の時にいやみをちょっと言う手で、よく使われるもの。
4.之を懼れしめて以てその特(独)を験す
人は恐れると、びくびくして何かにすがりたくなる気分に陥るもの。窮地にあっても、どの程度しっかり独立した行動ができるかどうかを見る。
5.之を哀しましめて以てその人を験す
人は悲しい目にあうと、その人のすべてが現れるもの。正面からその悲しみを受け入れられる人、他人のせいにする人、酒などに溺れる人、さまざまとなる。
6.之を苦しましめて以てその志を験す
就活の面接ごときでは、苦しむ場面はないだろうが、艱難辛苦の場面でこそ、その意志力の堅固であるところが試される。組織の成員にとってはとても貴重なファクターである。
(参考:人物を修める/安岡正篤/竹井出版)
私も昔は、人相や手相も含め、こういうのに非常に関心を持っていた時期があったが、所詮こうしたものは、小手先の技術、枝葉末節ではある。幹たる部分がしっかりしていないとどんな悪事もやる。組織に役に立つ人間であるかどうかと、人間としてまともかどうかは全く別の問題であることは、昨今のいろいろな痴漢や万引などの軽犯罪事例が示している。