アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

第二次大本教事件と日本の将来

2024-07-30 03:42:51 | 時代にFace it

◎日本の立替は外国の手による

 

昭和11年3月十日綾部署は二代教主出口すみを連行し、教団の綾部の土地処分の委任状に捺印をせまった。「土地は神のもの信者のもの、大本には一切を清算しなければならぬような悪事のおぼえはない」とつっぱね、出口すみは一貫して「大本は日本のひな型、大本でおこったことは必ず日本に、世界に写る。この神苑を手渡すことは、やがて日本が外国に奪(と)られる型になると神さまがいわれますのや。それでも(土地売却委任状に)捺印せいというのなら、私を殺してからにしなはれ」と抵抗した。

ところが、結局教団の土地は、二束三文で綾部町、亀岡町にそれぞれ2万数千坪が売却されてしまい。日本が外国に奪(と)られる型を作ってしまった。

(参照:出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口和明/みいず舎P265)

 

大本教への二度の弾圧は雛型経綸であって、やがて日本の行く末に反映していくとされる。

最初の弾圧は、第一次大本教事件であって、大正十年に指導者出口王仁三郎らが逮捕収監された事件。これが日本の姿で言えば最初の敗戦である太平洋戦争での敗戦に当たる。戦後はA級戦犯が東京裁判にかけられ戦敗国の悲哀をなめ、国民も貧困と飢餓に苦しんだが、たまたま朝鮮戦争が勃発したことにより日本は、西側の東アジアにおける要石として未曽有の経済発展を遂げることができた。

第一次大本教事件で、教勢的には一時大打撃を受けたが、大本教はそれをバネとして逆に教団の規模を急拡大していき、昭和十年には全国で8百万人とも言われる信者数を誇っていた。

二度目の大本教への弾圧は第二次大本教事件であって、昭和十年十二月八日聖師出口王仁三郎が、逮捕収監され、信者3千人が検挙された他、教団資産の接収、教団建築物のダイナマイトによる破壊など、地上の上から教団の痕跡をなくしてしまおうというほどの破壊が行われた。

大本側でもこれを予期した動きがあり、昭和十年十二月の弾圧前夜、道士笹目秀和が教団のご神体を崑崙山中に返還することを出口王仁三郎らに託され、ここにスピリチュアルな大本教の使命は終わったとされる。

出口王仁三郎の収監期間は6年8か月の長きに及んだ。

 

これが日本の姿で言えば二度目の敗戦にあたるはずだが、それはまだ日本には起きていないものの、戦前の日本国官憲は、日本が外国に奪(と)られる型を作ってしまった。

それやこれやで、日本の立替は外国の手によるなどという、予言が出てくるわけである。日本は、第二次世界大戦で“負ッカサー”れた、と嘯いたのは出口王仁三郎だった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天国体験から見神体験へ | トップ | 超熱帯夜のバランスと歩行改... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

時代にFace it」カテゴリの最新記事