この1年ぐらいで“老い”ということを考えるようになった。
そう考えるようになった一番のきっかけは、膀胱がんだと分かったことだろう。
膀胱がんということが昨年の8月に大学病院に行って分かり、9月に1回目の手術を受けた。
そして11月に2回目の手術をして、12月からがんの再発を抑えるためにBCG注入療法を6回受けた。
しかし、腫瘍が再発したので4月に3回目の手術をした。
そのあと再びBCG注入療法を7月15日まで8回受けた。
これまでの1年間は、つらかった。
いろんな病気になり苦労している人はたくさんいると思う。
私のがんの治療は、そういう人たちの中でどのぐらいの位置になるか分からない。
ただ、私としては、これまで生きてきた中で一番つらかった。
といって、まだ終わったわけではなくて、次は8月19日に大学病院に診察に行く。
そのあとどのようになるのか?
がんの治療を優先するために今年の1月15日で仕事を辞めたことで、
“老い”をいっそう自覚するようになった。
仕事をしていれば、それなりの面目が立つ。
現在の私という存在は、世の中のためになんの役にもたってない。
生きていたってしょうがない、と思ってしまう。
いや、私の妻は、「あなたがいなかったらつまんない」とは言ってくれる。
今の私は、そのぐらいの存在です。
なので私は、一所懸命女房が喜んでくれることを毎日している。
朝、5時半に起きてコーヒーを淹れ、雨戸を開け、曜日ごとのゴミを捨てる準備をする。
6時に妻を起こし、食事をして6時半過ぎに女房を送り出す。
そのあと部屋が汚れていれば掃除をし、洗濯物がたまっていれば洗濯機を回す。
このような暮らしをしていると、自分の“老い”をしみじみと感じます。