フエフキ峠に、いっぴきのおにがすんでいた。
それがとんでもねえへんな顔で、ゲジゲジまゆ毛が八の字におっぴらいでいでどんぐりまなこ。
そのうえいっつもデローンとべろが垂れ下がっているベッカンコづら。
あつい夏のさかりにおには、里の娘ゆきに出会った。
目のみえねえゆきは、墓場の、死んだおっ母に話しかけていだんだ。
「おっ母がいねえから、おら、村のわらしどもにいじめられてばかりだ。
もうおら、里にもどりたくねえ。おっ母の墓もりして、ここにいてえだよ」
それをきいたおには、「うおーッ!」とさけぶと、ゆきをかかえて走りだした!
山のもんと里のもんはいっしょにすめねえのが、山のならわし…。
好かれようと思えば思うほど嫌われる、悲しいおにの恋心。
おにはきれいな花をもってきた。
おもしろい話もたくさんした。
青く澄んだ秋の大空…、燃えるようなもみじの葉…。
いつかふたりの心はかよいあい、おにとゆきは夫婦になった。
ふたりは幸せだったが、ゆきには一つだけ切なく思うことがあった。
「おめえさまのベッカンコ面をみたことねえのが、さびしくてさびしくて」
おには、どうにかしてゆきの目をあけてやろうと思った。
山の主の山母さまは、谷間にたった一本だけあるリュウガン草の話をした。
その草の根っこの汁を目にぬれば、みえぬ目はなおるんだ。
「だが、その草には、のろいがかかっていて、草をみつけたばかりに、命をなくすやつもいる。それでもよいか?」
「おらかまわね、山母さま!」
そのころ、ゆきのお父うの猟師は、おにをさがして山んなかを何日も、あるきまわっていた。
ゆきがいなくなった墓場のあたりに、おにの足あとが、ドカドカついていたので、
さらったのはおにだとわかったのだ。
「ちきしょう、ゆきのかたきをとってやる!」
猟師は心にちかった。
命をかけて、おには娘の目を開けるために森をさまよった。
そしてやっとリュウガン草を見つけたときにゆきのお父うに見つかる。
漁師が鉄砲を撃つ。
鉄砲に撃たれたおにがなんとか家にもどる。
そしてリュウガン草の根っこの汁をゆきの目にぬった。
するとゆきの目がひらいた。
ゆきの目がこの世で初めて見たのがおにの死に顔だった。
ゆきに子どもが産まれた。
きれいな顔の子どもだったとか…。
11月30日と12月1日にやった演劇祭の中でこれにはまいった。
横っ面をひっぱたかれたようだった。
劇団レクラム舎代表鈴木一功の一人芝居「ベッカンコおに」だ。
さねとうあきらの創作民話の世界を鈴木一功が演じ、語った。
竹楽器奏者の遠藤健二が音楽を担当した。
それを1人芝居で観られるとは,素晴らしい。
私もその感動を「おすそ分け」していただきました。
ありがとうございます。
しっかりした原作のある芝居はほっとします。
お茶室をステージにしました。
小さい場所ですが、大きな芝居でした。
尺八や竹を素材にした打楽器が良い効果をそえてくれました。
とても、とても、いい表情の舞台。
素晴らしいの一言です。
公演の成功、おめでとうございます。
(生の和楽器ですって! 凄過ぎ!、いいなあ)
私が担当した演劇祭であのような芝居を観られたことはよかったです。
尺八と竹の打楽器、素晴らしかったです。