のみたや

2008年01月28日 | 健康・病気

 むかし、おれが住んでいた東京の駒込に、「のみたや」というス
ナックがあった。駒込駅の東口から出て、不忍通りのほうに向か
って歩いて10分ほどのところにあった。

 マスターはおれと同じアパートに住んでいた友人だった。
 マスターといったって、スナックのオーナーに雇われていただけ
で、彼は、そのスナックに勤めるまでは、山谷で日雇いの仕事を
探し肉体労働をしていた。
(九想庵の小説のページにある「二十歳のころ」に、彼との出会い
のことが書いてある)
 しかし、冬に向かって日雇いの仕事が少なくなり、生きるために
見つけたのが「のみたや」だった。

 のみたやは24時間営業で、昼間はオーナーがやり、夕方から
翌朝まで、友人がやっていた。
 彼がのみたやで働くようになってから、おれは毎日、会社から
帰るとのみたやに行くようになった。

 その頃、建築設計会社にいたおれの高校の同級生が会社を辞
め、会社の寮を出て駒込に引っ越してきた。
 彼は、会社に行きながら建築設計の専門学校の夜間部を卒業
したが、大学の建築科に行く受験勉強をするためにバイトで暮ら
そうとしていた。いろいろ仕事を探していたが、結局彼も、のみた
やで働くようになった。

 駒込には、おれと一緒の会社で働いていたボクサーくずれもい
た。彼のことは何回か九想話に書いた。
 その頃彼は、フォーク歌手に憧れていて、いつもギターを持って、
のみたやに来ていた。

 のみたやには、毎日のようにいろいろな客が沢山来た。
 漫画家になりそこねて、仕事もせずに人に小遣いをせびって暮
らしていたヒビさん。
 美大に行っていたマスターの幼なじみのダイゴさん。
 親父さんが高校の校長をしているという可愛い女子大生。彼女
はいつも黒いファッションでキメていたので、のみたやの常連は“か
げろう”と呼んでいた。
 “かげろう”に恋い焦がれ、いつも自分が仕事をしているレモン
というスナックが閉店してからやってくる男がいた。
 のみたやに1台のゲーム機がおいてあった。その前で酒を飲み
ながら寡黙に100円玉を突っ込んでいたやくざもいた。

 おれはあの頃、毎日深夜までのみたやにいた。週に何回かは
朝までいた。いつも文学、音楽、美術、政治、社会、愛のことを、
酔っぱらって熱く語っていたな。なので会社にはたま~に遅刻し
ていた。
 マスターが、店のとは別に、おれたちの酒をおいてくれていた。
だからおれは、酒代は気にしないで飲んでいられた。

 のみたやは、おれにとって素晴らしい“人生大学”だった。


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