名こそ惜しけれ

2016年02月14日 | 健康・病気

「司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産」(NHK総合21:00~)を観た。
今の日本を作ったのは、鎌倉時代に生まれた坂東武士の精神だと、司馬遼太郎は書いている。
坂東武士はもともと百姓から生まれた。
> 私利私欲を恥とする“名こそ惜しけれ”の精神だった。
> それは、武家政権が拡大する中で全国に浸透、
> 江戸時代には広く下級武士のモラルとして定着したという。
> そして幕末、司馬が「人間の芸術品」とまで語った志士たちが、
> この精神を最大限に発揮して維新を実現させた。
と、この番組のホームページに書いてある。

「名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな」
私もこの言葉を大切にして生きていたいと思う。
とはいうものの、私はこれまでずいぶん恥ずかしいことをして生きてきてしまった。


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2 コメント

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Unknown (KANDA)
2016-02-16 18:22:22
九想さん、今日は。部屋の改造、庭造り、雪生活、素晴らしい限りです。確かに、「名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな」は、誇り高い武士精神の一半をしめてきましたが、これを長所としてきたこともまた問題ではなかったでしょうか。

この最大問題の一つが、日米開戦です。陸軍にとって、対ソ戦略が全てであり、日ソ中立条約のもとソ連と開戦しないで大陸利権を維持すること、これが全てです。陸軍は対米戦は海軍にまかせたといわんばかりです。しかし、その海軍は、「到底アメリカには勝てないので、太平洋防遏戦略で米国海軍を迎え撃って撃退するというにとどまり、米国本土を攻略するなど言う戦略はありません。当時、日本海軍は図上作戦を何度やっても米国海軍が優勢となって、米国海軍に負けていました。

では、何故、対米勝利戦略なく、負けると分かっていて、あんな悲惨な戦争をしたのでしょうか。それこそ、「名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな」、これです。立派な負け方、恥ずかしくない負け方をして、敵米国に日本精神の高邁さを思いしらしめてやる、この精神です。これは会津を始めとする奥羽越列藩同盟の精神構造そのものです。優勢な官軍に負けるのがわかっていても、立派な死に方をして、武家の名分を敵に見せつける、これです。当時の軍首脳、東条(旧朝敵盛岡)、山本五十六(旧朝敵長岡)など、旧朝敵奥州出身者がすくなくありませんでした。特攻戦略を指揮した大西瀧次郎は会津白虎隊の名分論を強調しました。

こんな武家名分で、300万日本人が死んだのです。日米開戦時にも臥薪嘗胆論もあり、日本も力をつけてから、日米開戦すべしという意見もありました。しかし、米国の「奴隷」となって辱しめをうけるより、堂々と負けて武士の名分を見せつけて、敵を阻喪驚嘆たらしめてやるべしという幼稚な議論が優勢になったのです。愚かにも山本五十六は、米国太平洋艦隊を壊滅させ、戦意喪失させるために、真珠湾奇襲などの「子供だまし」の作戦をやりました。あの程度の打撃で、米国人が戦意阻喪などしないことは、アメリカの歴史を学んでいれば、一目瞭然です。

こう言う面では、司馬遼太郎という人物には眉唾と思えてなりません。「日本のかたち」など、よくもここまで大事なことを俗的にのべられたものです。九想さんの方が、司馬などより、はるかに色々と教えられますよ。
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勉強します (九想)
2016-02-17 01:33:34
今の私は、KANDAさんの書かれたことに何もいえません。
そのあたりの歴史のことに自信がありません。
勉強します。
返信する

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