朝起きたとき、「女房は今日は家でのんびりしようか」といった。
私としては明日から仕事なのでどこかに行きたかった。
上田城に行こうと思った。
上田城に5月に行こうとしたが、桜が満開で混んでいて目の前で諦めたということがあった。
紅葉の上田城もいいのではないかと思った。
上田城までは、カーナビにセットするとほぼ30キロだった。
1時間で行ける。国道18号を道なりに行けばいい。
朝は雲が多かったが晴れてきた。
気持ちよく運転できた。
上田城の近くに行き駐車場を探した。
行きつ戻りつしたがない。
車を停め街角の地図を見るとお城の中にあった。
そこに行ってみると1・2台分空いていて停められた。
車を降りて中に入るとこんなのがあった。
女房の命令で全部に顔を入れて写真を撮らされた。
3枚だけ公表します。(バカなことをしている夫婦です)
櫓の中が資料室になっていた。
そこと博物館など全部に入れる入場料が250円だった。
それなりに見て読んで回ると上田城のことが少し分かってきた。
真田氏が治めていたのは40年間、そのあと千石氏が85年間、松平氏が166年間。
上田城というと真田と私は思っていたが、一番短いんですね。
あちこちに真田家のことをNHKの大河ドラマに、という署名用紙があった。
真田神社を過ぎて公園内を散歩していると山本鼎(なかえ)記念館というのがあった。
上田市で育ち、東京美術学校(現・東京芸大)に入り、木版画の代表作「漁夫」を発表。
これは日本近代版画の夜明けを告げる作品となった、とパンフレットにある。
北原白秋の詩集の挿絵を描き、島崎藤村と親交があった。
北原白秋の妹と結婚している。
版画はわるくないが、油絵はいいと思わなかった。
上田市立博物館に入る。
山極勝三郎という人の資料がいろいろあった。
「幻のノーベル賞」ということが書いてあった。
この人は、地道な反復実験を行い、1915年についに人工癌の発生に成功した。
それ以前に、デンマークのヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功していた。
ノーベル生理学・医学賞はこの人に贈られた。
ところがフィビゲルのは癌ではなかった、ということがあとで分かった。
現在、人工癌の発生、それによる癌の研究は山極の業績に拠るといえる、らしい。
私は、この2人のことを知り、複雑な気持ちになった。
いや、真田昌幸、信之、幸村(繁信)の生き方を考えてもそう思う。
9月にNHKの歴史ヒストリア「真田一族 戦国最強の絆~真田昌幸・信之・幸村 父と子の物語~」というのを観ている。
女房は、上田城のパンフレットに書いてある柳町の通りに行きたいという。
城を出て歩いたがよく分からなく戻った。
女房は、真田井戸も見たいという。
これもパンフレットの地図を見たがよく分からない。
真田神社の横のほうにある。
西櫓から急な階段を降り城の外に出た。
真田井戸はそのへんにもなかった。
大きな真田城の地図を見ていると「どこに行きたいのですか?」といってくれた初老の男性がいた。
女房が「真田井戸です」というと、
「それは真田神社の中ですよ」と教えてくれた。
「こっちに行くとけやき並木があります」という。
私たちはその男性と一緒に歩いた。
「私は上田で生まれたのですが、どこから来たのですか?」
「軽井沢です。女房は東京から来たんですが…」
「私は明日、姪の結婚式が軽井沢であるので行くんです」
どうも話を聞いていると軽井沢高原教会でやるようだった。
「これで私は失礼します」と男性は去っていった。
けやき並木は素敵だった。
昔、そこに鉄道があったと男性は説明してくれた。
なるほど線路があってもおかしくない景色でした。
上に登って城の外に出た。
お土産屋に入ったが何も買わなかった。
少し街を歩き地図を見ると柳町の通りが書いてあった。
私たちは疲れ切っていたが歩いた。
どうせ柳町の通りなんてたいしたことないのだろうと思っていた。
20分ほど歩いてそこに着いた。
ところが柳町の通りは素晴らしいところでした。
ここは旧北国街道なんですね。
柳町の通りを歩いていて疲れがとれました。
最後にどうしても女房は、真田井戸が見たいというので、また上田城に入りました。
するとガイドの人ではないと思うが、そのへんの観光客に真田城の説明をしている人がいた。
真田石がどうのこうのと流暢に説明していた。
女房が「真田石はこれなんだ」といって写真を撮っていると、またいろいろ説明してくれた。
真田石は、真田信之が松代移封のとき父の形見だから持っていこうとしたが重くて諦めたそうだ。
当たり前だ、そんなこと見ただけで分かれよ、といいたくなった。
「上田城に来たならここで記念撮影をしたほうがいいという場所がある。ここです」
とガイド風おじさん。
女房からカメラを取り上げ私たちをその場所に立たせ写真を撮ってくれた。
そして女房の念願の真田井戸にたどり着いた。
この井戸からは抜け穴があって、城の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説がある。
今日は上田に行ってよかった。
いろいろ勉強させられました。
午後3時過ぎに上田をあとにした。
来年の桜の咲くときに電車で行きたいと思った。
駐車場は混んでいるし、それにビールが呑めます。
真田石 真田井戸
昨夜の九想話は時間がかかった。
写真を加工することが大変です。
トータルで3時間ほどです。
こんなことをしていたんではいけません。
だめなオレです。
ありがとうございます。
さっきふと思ったのですが,
これらの信州の記録は,もし九想さんが
信州を離れる時が来たら,
大変価値のある記録になるのではないでしょうか。
昔だったら・・・
(1)写真屋にフィルムを出して,
写真をアルバムに収める。
(2)その写真の脇に「解説」を記入する。
というかなり労力をかけて思い出を保管したものですが,
今は便利な時代になったもので,
やる気になればパソコンで同じようなことが,
いやそれ以上のことができるのですから。
そしてまた,それを即時に
日本中,世界中の人に公開もできる・・・。
日々の暮らしにはいろいろ嫌なこともありますが,
このようなことができる時代になったということは
とても素晴らしいことですね。
九想さん夫婦のお陰で、私も楽しい時間を共有
して居るようです。
・・・三枚のお写真には、思わず笑ってしまいました。すみません!でも朝から笑えて、幸せですよ。
でも夫婦が健康で一緒に出かけたり、お喋りしたり
出来るって最高に幸せなんですよね。
私達も今日は買い物ランチです。
何気ないごく当たり前の日々に感謝の毎日です