薪能

1999年03月17日 | Weblog

 先日の日曜日、息子たちを駅に送って実家にいたとき、友人から電話がかか
ってきた。
「ノウの練習をしてっから、来ねが」
 私は、「ノウ」を「農」と思いこみ、農業のなにかをやっているのかと勘違
いした。
 場所は、磯部神社だという。行けば分かるだろうと、女房を誘って出かけた。
 ところが、教えられたあたりに車で行ったが、さっぱり見当がつかなかった。
「分かんなかったら人に訊けばいいじゃない」
 と連れ合いがうるさい。私は、他人にものを訊くのが苦手なんです。特に道
を訊くことが…。訊くにも、田舎は人がいない。
 車が停まっていて人が乗っていたのを見て、
「あの人に訊けば」
 と女房がうるさい。私がぐずぐずしていると、脇でギャァギャァわめく。し
かたなしに停車している前に車を停めて、その人に訊いた。
 だいたい分かって教えられた道を行く。
「訊いてよかったじゃない。あそこで訊いてなかったら、通り過ぎてたよ」
 連れ合いは自慢げにいう。
 しかし、それからも道に迷った。それでも、なんとか友人がいると教えてく
れた磯部神社にたどり着いた。
 車を降りて神社の建物に近づくと、男性の張り上げた声が聞こえてきた。何
してんだろうと思った。なにしろ私は農業の講演会かなにかをしているんだろ
う、と考えていたので、その浪々とした「声」と友人が結びつかなかった。
 神社の境内で佇んでいると、連れ合いがまたゴジャゴジャいう。
「中に入ってみようか」
 彼女が催促する。私は、根っから人見知りをするタイプで、初めての人とか
場所が苦手です。
 玄関の扉を開けてみたが、中で何かしているようで、気の小さい私はまた閉
めてしまった。
「おう、来たが。入れ」
 しばらくすると、エラの張った四角い顔の友人が出てきた。私はほっとした。
 案内された広間には、高さ10センチほどの木製の台で作られた舞台があっ
た。広さは、縦横6、7メートルほどある。その上に二人の扇を持った男の子
がいて、女の人に教わっていた。舞台の袖には、地謡の人が二人いた。
 友人に訊くと、女性は観世流の能をやる人で、地謡の人は地元の謡を勉強し
ている人だという。ここで私は、「ノウ」は「能」だということにやっと気が
ついた。
 友人がパンフレットをくれた。「桜川の郷に文化の華を育てよう」と大きく
書いてあり、その横に能面をかぶった写真がある。裏を見ると、4月18日に
やる薪能の説明が書いてあった。
 観世流 能 「桜川」
 和泉流 狂言「柿山伏」
 観世流 能 「猩々乱」双之舞
 友人は、「桜川の郷に文化の華を育てよう」実行委員会に入っていて、舞台
を準備する担当になっているという。
 男の子二人は兄弟で、当日は兄のほうが出演するらしい。声を出すところで
は照れていた。動きもぎこちなく、その様子が可愛い。友人は今年で4回目で、
「子どもはすごいよ。今はあんなふうでも、本番にはきちんとやるんだよ」
 といっていた。
 練習が終わって、みんなで薪能をやる場所に行った。神社から200メート
ルほど離れた「磯部桜川公園」というところだった。
 そこに行って心が熱くなった。すり鉢状になっていて、すり鉢の底のところ
に石畳のように御影石が敷き詰めてあり、そこを囲むように山桜が沢山植えて
あった。4月18日頃は山桜が満開になるだろう。午後5時に「火入れ式」が
あり、薪能が行われる。もうその様子を想像するだけで感動的だ。観てみたい。
しかし、日曜日の夜では来られない。非常に残念だ。
 友人たちは、舞台を作る打ち合わせなどして別れた。
 能「桜川」は、この辺が舞台のお話らしい。東国方の人商人が、九州日向で
子どもを買い取り、母親は、わが子桜子との別れを悲しみ、行方を尋ねてあて
もなく迷い出る。3年後、桜子を連れて、常陸の国磯部寺の住僧が桜川に花見
に出かけ、「流れる花を掬って面白く狂う女物狂」となっていた母親と会う。
という話で、世阿弥作の代表的な親子物狂能だそうです。
(パンフレットの解説をまとめたけど、正確かな?)
 私の生まれた町が、能になっているなんてこの歳になるまで知りませんでし
た。
 会社経営が忙しいのに、あいつはなかなかいいことしてるな、と見直した。

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