録画しておいた「西郷どん」第31話を今日観た。
吉之助は、久しぶりに薩摩に戻ってきた。
そのとき坂本龍馬を連れてきた。
龍馬は、吉之助の家を見て驚く。
日本中で知らない人はいないほどの人気者である西郷の家が、
ボロボロなのが信じられなかった。
吉之助は、周囲の人が貧しく雨漏りする暮らしをしている中で、
自分だけが豪邸に住むことが性格的に無理だというと、
龍馬は吉之助のことを一気に好きになる。
吉之助が、「雨漏りの修理をしよう」と龍馬にいう。
「この家のか?」と龍馬がいうと、「日本のじゃ」と吉之助が笑う。
このシーンを安倍総理と麻生財務大臣の2人が、
もしビールなどを飲んで観ていたとしたらなんというか・・・?
いやいや、おれはへんなことを考えてしまった。
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大久保市蔵も西郷吉之助も徳川幕府打倒までは同じ大志で行動していますが、留守政府時代あたりから、西郷はまず第一に同郷の薩摩士族の立場に立脚して、秩禄処分、中央集権化、内治優先に反対して、徴兵令反対・秩禄温存、征韓論、東京府警察の薩摩士族独占をうちだします。
薩閥は世界対抗的視点にたつ大久保利通と、あくまで同郷士族救済を重視する西郷隆盛とに分岐し、最後は西南戦争で大久保が西郷に勝利します。隆盛は城山に篭って抗戦しますが、別府晋介にそろそろよかといって、敵が注視できるところまで出てきて、切腹場所をさがし、そこで深い尊崇の眼差しを向ける官軍総見の中で見事に自陣しまし。晋介は首は持ち去って埋葬しますが、後に官軍将校に発見され、墓地に埋葬されます。敵味方にこれほど愛された将軍はいなかったでしょう。逸話ですが、石川士族官軍某は西郷を尊敬するあまり、迅速にかけよって隆盛の「急○」を切って大事に保存したくらいです。
以後、大久保は紀尾井坂で石川士族に殺され、鹿児島では銅像、顕彰碑などが一切ない時期が続きます。大久保は郷土の英雄西郷を死に追いやった人物として鹿児島では忌み嫌われます。しかし、以後の日本の方向としては、大久保利通が正しかったというべきでしょう。この微妙な関係をどう描いてゆくか見ものです。
なお、坂本竜馬が生きていれば、岩崎弥太郎ー三菱のでるまくはなく、坂本商会が日本海運界・海軍の御用商人を勤めたでしょう。役者はそれぞれことなりますが、日本の方向は誰が担おうと、概ね同じだったということです。個人より歴史の大流が大事でしょう。
私は、明治維新のことにくわしくありません。
(他のことにもくわしくないですが…)
こんどあらためて勉強してみます。
それにしても、今の政治家の“志”の低さに呆れています。