ひだまりの家 2

2000年11月03日 | 家族

 翌日(10/29)、友人と別れて、また「ひだまりの家」に行った。
 ハンドルを握りながら行こうか行くまいか迷った。昨日のような母なら、会
いたくないというのが本音だった。
 国道50号線を真っ直ぐ下館方面に行ってしまえば、あんな母を見ることも
ない。しかし、前日兄に行ってくれるようにと、いわれていた。それに、所沢
からそう頻繁に来られそうにないことを考えれば、ちょっとでも顔を見ていく
べきだ、と覚悟を決め、大和村への矢印の書いてある看板の小さな交差点を左
折した。
 前日もそうだったが、15台は置ける駐車場には1台も車は停まっていなか
った。時間は午前10時前だった。午後にでも来る家族はいるのかどうか…。
 自動ドアをゆっくり力を込めて開け、中に入った。受付のカウンターの上に
置いてあるノートに名前その他を記入した。
 トイレがあったので入った。私は、朝必ずトイレにじっくり坐らないと一日
が落ち着かない体だ。友人宅で朝食を食べ、トイレに入ることは入ったが、そ
の日も仕事があるという友をあまり待たせるわけにもいかず、急いで切り上げ
た。そのため、まだ私の体は不満足だった。そのトイレは、洗浄器付だった。
坐りながら目の前の説明文を読むと、「立ち上がると、水が流れます」と書い
てあった。すべてが終わり私が立ち上がると、水が流れた。当たり前のことな
のだろうが、そのとうりになったことに軽いショックがあった。歳を取ると用
をすませたあと、流さないでトイレをあとにする人がいるんだな、としみじみ
思った。自分もいつかそのようになるのか…、と考えると、やるせない気持ち
になった。
 食堂兼娯楽室のテーブルに向かって、5、6人の老人がいた。男性は1人だ
った。
 母はと探すと、テレビの前に坐っている5人の中にいた。母は、椅子の背も
たれに寄りかかり、首をかしげ眠っていた。小さかった。
 そっと母の肩に手を乗せ、
「かあちゃん、かあちゃん」
 と揺り動かした。
 目が覚め振り向いた母が、
「ひさし…、来たのが…」
 とうれしそうな笑顔になった。
「いまがら、所沢に帰んだ」
「そうが…。そんなに急がねで、ここで昼ごはん食べでげな…」
「そうもしてられねぇんだ」
「あっちに行くべ」
 と、母はテーブルを指さす。母は立ち上がり、ゆっくり歩き出した。私は、
椅子を持って、母のネームプレートの貼ってある前に椅子を置いて母を坐らせた。
「そごに坐ったらいがっぺな」
 と、母は、隣の椅子を指す。そこには別な人のネームプレートがあった。
「いいよ、そこの人が戻ってくっかもわがんねがら」
 そういって、私は中腰になり、母の背中にいた。
「あんちゃんは、どごにいんだ」
「今日は、ねえちゃんたちと旅行に行ったんだ」
「ほうがァ。UとKは元気なのが…、Eちゃんは?」
「みんな、元気だよ」
「かあちゃん、こごにはいれでいがったよ。みんないるし、寂しぐねぇよ」
 ほんとに母がそう思ってくれているなら、うれしかった。
 それにしても、昨日の母と今日の母、どっちがほんとうの母なのだろう、と
思った。
 まわりに目をやると、介護をしている若い女の子が、ホワイトボードの前に
老人たちを集めていた。半円形に椅子や車椅子が置かれ、そこに老人たちが坐
っていた。
 ホワイトボードには「10月の誕生会」と書かれていた。
 こんなコとお酒でも一緒に飲めたらいいな、と思ってしまうような可愛い介
護士の女の子の話を聞くと、月の最後の日曜日に毎月「誕生会」をやってるよ
うだ。といっても、ケーキが出るわけではなかった。その月に生まれた人の名
前をホワイトボードに書き、みんなで「おめでとうございます」というだけの
ようだ。
「かあちゃん、あっちに行ってみっぺ」
 家族が来ているので気を使ってくれたのか、介護の女の子は、母には声をか
けなかったのだ。
 私は、半円の列の一番端に椅子を持っていき、母を坐らせた。
 介護の女の子が、
「それでは、これから体操をしましょう」
 といった。
 誕生会は終わりになり、体操の時間になったようだ。
「みなさん、両手を上げて、開いて下さい」
 といって、両手を上げて手のひらを広げた。
「こんどは、グーにして下さい」
 といい、それを繰り返した。老人たちは、めいめい好き勝手に手を上げて、
握ったり開いたりした。真上に上げられない人がいる。開きっぱなしの人もい
る。わけがわからなく、手も上げないでまわりをキョロキョロ見ている人もい
る。
「かあちゃんも手を上げて」
 と、私は後ろから母の両手を掴んで上に上げた。
「こんなごど、まいんちやってんだ」
 と、母はうれしそうに私を見る。
 そんなことをしながら、私は、ホワイトボードの裏のドアの開いた部屋の中
に視線を移した。そこには、おじいちゃんがいた。携帯の便器に用をたそうと
していた。ズボンを下げようとしているが、思うように下げられないようだっ
た。ふらふらしていて、立っているのがやっとという感じなのだ。
「こんどは、みなさん、私とジャンケンをしましょう。私が出したものに勝つ
ものを出して下さい」
 介護の女の子は、グーにした右手を高く上げた。それを見て老人たちは、パ
ーを出したり、女の子と同じグーを出したりしていた。母は、わかっているの
かいないのか、パーを出していた。そのあと、女の子がチョキを出しても、パ
ーを出しても、母は、パーを出していた。長い間百姓をしてきて曲がった指の
パーを出していた。
 あのおじいちゃんは、やっとズボンを下げられた。しわしわのお尻が見えた。
おしっこが、うまく便器に命中したかどうかはわからない。自分の何十年後か
を見ているようで、哀しくなってきた。
 体操が終わって、お茶の時間だ。それぞれが、自分のネームプレートの前に
坐った。
 母の前にお茶が来た。
「ひさしも、もらったらいがっぺな」
 と、いうと、お茶を運んでいた男性の介護士が笑っていた。
「いいよ。かあちゃん、おれ帰っから」
「そうが、帰っちゃうのが…」
「まだ、来っから。かあちゃん、元気でな」
 母の背中を軽く叩いて、私はそこから離れた。母の顔を見るのが辛かったか
ら、振り向かなかった。
「ひだまりの家」を出てから、携帯電話で兄に電話した。長岡でバスに乗り換
えるところだといった。
「今日は、かあちゃん機嫌よかったよ」
 というと、
「ひさし、ありがとう」
 と、兄がいった。
 ケータイって便利だなと思った。

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