昭和45年、私も高校3年だった

2015年07月09日 | 健康・病気

「ちゃんぽん食べたか」第6回「母の涙」の録画したのを観た。
高三の雅志は、芸大の音楽科へ進むことを希望しているが、それでいいのかという不安があった。
自分は一流のバイオリン弾きになれるのだろうか?
思い悩んだあげく、雅志はバイオリンをやめる決意をする。
このドラマは、さだまさしの自伝的小説を原作にしている。
私はさだまさしと同じ昭和27年生まれです。
彼は4月で私は5月に生まれた。
高校3年の私は、吹奏楽部の部長でした。
吹奏楽コンクールに出るために8月までがんばっていた。
手工ギターの工房に弟子入りしたいという手紙を書き、9月に面接に行き許された。
11月に失恋をした。
3月、卒業式の何日かあとに私は東京のギター工房へ行った。
そのとき吹奏楽部の仲間と後輩たちが駅で華々しく見送ってくれた。
私は「日本一のギターをつくる人間になる」と宣言して列車に乗り込んだ。
その私は、5月に挫折してギター工房をやめて茨城に戻った。
それからの私の暮らしは…。

私は、何かと、さだと自分を比べてしまう。
ムダなことなんですがね。
彼の現在の地位と私の生活の状態は、笑っちゃうほどかけ離れている。
さだまさしはエライ。


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