カメラ青年J

2013年01月20日 | 健康・病気

同窓会で会ったもう1人のことを書きます。
彼の本名はJではありません。
便宜的に、Jにします。
彼とは同じ高校だったがクラスは別だった。
私の高校は、2・3年は音楽、美術、書道、進学クラスに別れていた。
私のいた1組は音楽専攻で、彼は美術だったと思う。
Jとは中学3年のときに同じクラスだった。
高校のころどのようにつきあっていたかよく憶えていない。
おそらくそんなに親密につきあっていなかったと思う。
ところが私がギター工房を辞めて田舎の金物屋に勤めていたころ、彼の家によく行っていた。
彼のお兄さんはトタン屋、正式には板金業というかな?
それでメシを食っていたが、仕事は仕事として趣味に生きていた。
でもあれは趣味じゃないだろうな。
あれはプロヘェッショナルといってもいい。
お兄さんは、昆虫写真家で、ハチの写真集の本を出版していた。
お兄さんの影響といっていいのだろうか、Jもカメラが大好きだった。
彼の家の仕事場の隅に、写真の現像をする暗室があった。
そこで私も写真の現像などを教わった。
Jはそのとき、なんの仕事をしていたのだろう。
近くの工場にでも勤めていたのかな。
彼にはカメラマンになる夢があった。
そして彼とつきあっているうちに一緒に上京しよう、ということになった。
彼は夜の写真専門学校へ、私は夜の予備校に行くことにした。
2月のある日、Jと私はアパートと仕事を探しに東京に行った。
最初は同じアパートに住もうということだったが、それはやめた。
やはり同じアパートに暮らすことは難しいと考えた。
私は上野駅で降りてから山手線に乗り、
駅前に大きく「アパート」などと書いてある不動産屋の看板が多かった駒込駅で下車した。
そして駅から歩いて15分ほどかかる3畳のアパートを見つけた。
Jは高円寺にアパートを借りた。
4月からそれぞれに写真の専門学校と予備校に通い始めた。
私は、1・2ヶ月に1回ぐらい高円寺に行った。
そのうちJは女の子と同棲を始めた。
高円寺に行くと酒を飲み、私は彼のアパートに泊まって翌日勤務する会社に行っていた。
そのうち私も仕事が忙しくなったりして高円寺に行かなくなった。
そのとき同棲していた女性と結婚し、同窓会が終わるころ彼女が車で迎えにくるとJが話してくれた。
縁がなく子どもは生まれなかったそうだ。

Jと同窓会で会ったのは37・8年ぶりだった。
彼は、夢を実現させて写真家になっていた。
おもに風景や動物の写真を専門に撮っているようだった。
これまでにイギリスの雑誌社のコンテストに応募して賞をもらったことがある、ということだった。
イギリスまで行って授賞式に出られたときは、カメラマンになってよかったと思った、という。
そんな彼を見て高校時代とまったく変わっていないと私は思った。
私は予備校を途中でやめて、大学にも行かなかった。
私の夢だった教師にもなれず軽井沢なんぞで1人で暮らしている。
ちょっと忸怩たる思いが私にはあります。


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