第51回芥川賞受賞作「春の庭」(柴崎友香著)を読んだ。
文藝春秋9月号に掲載されたものです。
文章が読みにくく、途中で何度かやめようと思った。
ただ、このところ芥川賞受賞作をいくつも読了していない自分に嫌気がさしていたので意地でも読み続けた。
読み終えて、いったいこの小説は何を読者に伝えたかったのだろう?と首をかしげた。
私には何も残らなかった。
2階のベランダから女が何かを見ていた。
最初は大家の家を見ていたと思ったが、その隣の水色の家を見ていたことに、1階に住む太郎が気づく。
築31年の「ビューパレス サエキⅢ」というアパートは、大家が息子にかわり、取り壊しの計画が決まったから、
定期借家契約の終了する来年の7月までに出てほしいと太郎はいわれていた。
離婚するまで太郎は美容師をしていた。
元妻の父親が経営する美容室の支店で店長をしていたので、離婚と同時に職も失った。
現在は、高校の同級生の兄の起業した会社で、販促ツールや展示館のブースを作ったり、
PR業務を請け負う従業員5人の会社で働いて3年になる。
ある日、“辰さん”(部屋の名前が干支で、辰の部屋に住んでいたから)が、ブロック塀によじ登ろうとしていた。
それを太郎は助けた。
その夜、2人は居酒屋で飲んだ。
辰さんは、自分を西といった。
私は、このいきなり出てきた(読み返すといきなりではなかった)西という人を男だと思ってずーっと読んでいた。
これまで私の小説のなんていうか習慣では、女性は下の名前で表記されていたことが多い。
「西」と書かれていると、どうしても男と思ってしまう。
このへんがこの小説を読みずらくしていることですかね…。
西は、ビールを飲んで、「春の庭」という写真集を太郎に見せた。
写真集は、20年前、ある家に住む夫婦の日常生活を撮影したもので、夫は35歳のCMディレクター、妻は27歳で小劇団の女優だった。
ほとんど夫婦の家を撮った写真が載っているもので、その家がアパートの前の水色の家だという。
そのあと、いろんなエピソードがずらずら書いてあってエンディングになる。
それなりの「ビューパレス サエキⅢ」というアパートに住む人々の暮らしと、
太郎とかかわる人の生活は知らされたが、それがなんなんだ、という思いです。
こんなどうでもいい、なんでもない生活を知りたくて私は小説を読んでいるんではない。
このような小説が芥川賞を受賞することが理解できない。
> 『春の庭』には、不穏さが満ちていて、その不穏さはこの作者の作品にはいつもたゆたっていたものでありますが、
> たくらみを凝らして見せよう、というものを作者が試してみたことが面白いと思ったのです。
> ただ、今回はなぜだかわたしは、この作品の文章を読むのを、少し難しく感じることがありました。
> 読みにくい、ということではないのです。
> 読みにくさは小説にとって決して欠点ではないので。
> そうではなく、難しい、と感じたのです。
> それがこの作品にとってどういうことなのか、わたし自身も考えてみたく思います。
これは、私の昔の句会の仲間であった川上弘美の評です。
と書いている自分がサビシイですね。
ただ、「芥川賞選考委員川上弘美」と書けばいいものを、どこかで九想はこの人の近くにいたんだといいたいばっかりに…。
人生が終わりに近づき、何も誇ることがない人間の貧しさが出てしまいました。