小説 太宰治

2008年07月27日 | 健康・病気
檀が太宰と会ったのが、昭和8年、太宰25、檀22歳だった。
檀と太宰の主な交友の期間は、昭和8年から12年までのようです。
“狂乱、汚辱、惑溺の毎日を繰りかえしたのは十、十一年の大半だ。”
と檀は書いている。
昭和11年、檀の下宿に太宰の奥さんの初代さんがやってきた。
太宰が熱海で仕事をしていてお金がないといってきたから、
なんとか工面してきたお金を届けてくれないか、という。
ところが、お金を持っていった檀を身代わりにして、
太宰は東京に帰ってしまう。
しばらく熱海には戻ってこなかった。
檀が心配で東京の井伏鱒二の家に行ってみると、
井伏と将棋を指していた。
そのとき太宰は、
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」という。
この熱海でのことが、「走れメロス」になったらしい。
この本を読んでいて、2人のつきあいが羨ましかった。
私が22歳から26歳まで、何をしていたのだろう。
その頃私は大学生協で働いていた。
26歳で結婚し、27歳になる直前に大学生協を辞めた。
私は20代の頃、太宰の小説をかなり読んでいて、
太宰の小説にのめりこんでいた。
「津軽」を読み津軽半島を旅し、太宰が泊まったという旅館に泊まった。

10年前(1998)の10月2日の九想話「太宰治」にそんなことを書いている。

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