朝日ネット銀座スタジオ

2001年05月23日 | 暮らし

スタジオは、本社から並木通りを歩き
晴海通りを越えてちょこっと入ったところににあった。

それにしても銀座には人が多いですね。
所沢とは比べものになりません。アタリマエダ
外は快晴で、九想はこころウキウキでした。
日頃汚れた作業服で肉体労働している私が、
土曜日の午後、銀座なんかを歩いている。
Tシャツにジーンズと、着てるものは冴えないが、
朝日ネットの首脳陣や名だたる書き手をしたがえて、
じゃない、くっついて歩いているだけでも、
晴れがましい気分でした。
A沙さんが声をかけてくれた。
「九想さん、この頃いい句をつくってますね。
 あの句は4月の句会の中で最高点でしたね」
「いやあ…、そのまぐれです。
 でも、うれしかったです」
優勝することの多いA沙さんに、
お世辞でも褒められるのは、
わるい気がしませんでした。
前を歩く句会を主催しているG亭さんと話す。
「今もあの落語会は聴きに行きますか?」
「行ってますよ」
スーツを着たG亭さんと私が歩いているのは
不似合いです。
一昨年の夏、私はG亭さんにその落語会に招待された。
涙がでるほどうれしかったことを覚えています。
そうこうしているうちに、スタジオに着いた。

入口にあった腰ほどの高さの看板に、
「朝日ネット銀座スタジオ」と書いてあった。
地下への階段を降り、
クリーム色(だったかな)の鉄の扉を開けると、
まわりの壁はコンクリートの打ちっ放しの
ほぼ正方形の空間があった。
この場所を、
「ASAHIネットの会員はいろんなことに利用して欲しい」
とQ六さん(朝日ネットの会長)がいう。
絵の個展でもいい。1人芝居もいい。オフに使ってもいい。
私は、女房のフラメンコの発表会でもやれたらいいな、
と思った。
確か100坪ほどの広さだと、聞いた。
扉から入った正面の、
白いテーブルクロスを敷いたテーブルには、
ビール(なんとビールです。ビーシュではない。アタリマエダ)、
日本酒、ソフトドリンク類があった。
左の壁際のテーブルには、
ちらし寿司やオードブルにサンドウィッチなどが
ところ狭しと置いてありました。
Q六さんの話では、
「これらの料理は、サンケイグループの会社に頼んだ」
ということです。
朝日に関係する会社からの注文を、ことのほかよろこんでいた、
と楽しそうにおっしゃっていた。
(って、こんなこと書いていいのかな…)
この日も私は、Q六さんとたくさん話しました。
そのうち、「九想、クソー」と呼びつけにされ
Q六親分のほんとうの子分になれたようでうれしかった。
最初はビールをやってましたが、すぐに日本酒にした。
秋田の酒でした。うまかった。
グラスのお猪口でチビリチビリ楽しんでいたら、
「こっちがいいよ」
とQ六親分がコップについでくれた。
ああ…、このときから私は、
自分をコントロールすることを忘れてしまった。
いろんな朝日ネットのスタッフの方と話しました。
なんとなく覚えていますが、
文章にするほどには、はっきりしないのでやめます。
18日の深夜、ASAHIネットにアクセスできなかった話で
盛り上がりましたね。
それをどのように復活させたか、なんていうことも聞いた。
その人たちの日夜の苦労で、
私はバカな九想話をUPできるんだ、
とあらためて感謝しました。

食事をし、酔いもそこそこになった頃、
スタジオの右半分にセットされた机に集まるようにいわれた。
いよいよ、九想のつるし上げか。そんなこたァない。
ASAHIネットが特許を出願している
句会ネットの説明がされた。
大きなディスプレーにその画面が映し出され、
U介さんが説明してくれた。
これだと気があった少人数で、
句会がインターネットで開ける。

しかし、のべつまくなし飲んでいる九想は、
時間の感覚がなくなっていました。
中締めがあり、かなりの人が帰った。
私は帰るはずがありません。
まだまだ残っている酒を未練たらたら飲んでいた。
何時だったのだろう、とうとうお開きになった。
これがつらいんです。
さびしい気持ちでいると、
Q六さんが喫茶店に行こうといってくれた。
U介さん、Tさん、O-ジンさん、
それに九想がついていきました。
楽しい話が聞けました。
しかし、それを今の私はよく覚えていない。
いつもこうなんです。
酒のばか。いや、九想のばか

所沢の家に着いたのは、12時前だった。
12時過ぎると、エレベーターが各階停まりになるんです。
5階まで上がる私は、これイヤなんです。

コメント
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