今、Uが帰ってきた。居酒屋にいたみたいだ。
「呑んできたの?」
「あまり」
「ワリカン」
「ううん」
「おごってもらったの?」
「いいや…」
いったいどうしたっていうんだ。はっきりしろ、とおれはいいたい。
Uはこうなんだな。おれにいうとき、あいまいにいう。いや、はっきりもの
いう男だとは確信している。おれはそういうふうに育ててきた。
しかし、おれに話すとき、こうなんだなァ。
昨日、Kはまだ帰っていなく、女房とUと3人で晩飯を食べたとき、Uがこ
れまでにはなく、食べ終わってからも食卓に坐っていて、いろいろ話してくれ
た。
おれも女房も、息子たちの行動を知りたくてしょうがない。しかし、あいつ
らは話してくれない。女房は、けっこうまめにいろいろ訊いてるが、おれはな
んとなく訊きづらく、話しかけない。なのに、女房に息子たちこと根ほり葉ほ
り質問している自分がいじましい。
Kは今日、明日、友人のアパートに泊まる。昨日そういってた。
今週末、Uはクラブの合宿だそうだ。あいつはなにを考えてんのか、グリー
クラブなんかに入った。あの歌の下手な奴が。漫画研究会に行ったら、「みん
な、オタクみたいな奴らなので入らなかった」といってた。じゃなぜ、グリー
クラブなんだ。おそらく、酒を呑ませられて誘惑されたんだ。ああ…、酒好き
なおれと、同じじゃないか。
Kは、軽音楽部に入ったようだ。もう、エレキベースは学校に持っていって
家にはない。
2人とも、学校が面白くて面白くてしょうがないという。
ああ…、うらやましい。
あれは、確かにむいたばかりの筍の皮でした。
父が、筍を掘ると必ず私が皮をむき、それであれを作りました。
私が思うに、先日私は失敗したと思ったのですが、実は、子どもの頃に作っ
たものもあんなもんだったろう、と今は思っています。
思い出の中の「筍の皮おしゃぶり」を、私は30数年心の中で暖めていて、
懐かしさのあまりに美化してしまったと思うのです。
(しかし、この文章はだめですね。「思う」ばかりがでてくる。岩波新書「日
本語練習帳」大野晋著を読んで、「思う」「思ってる」ばかりをよく使う自分
の文章がいやになる)
作ったそれを舐めてみると、昔の懐かしい味がしました。しかし、どんなに
持ち上げてみても、ただ素朴にしょっぱいだけの味で、これだけおいしいもの
があふれてる現在、なにもあんなものを作って舐めることはない。
ある意味で、あれほど大切に舐めていた昔がよかったのかな、なんて思う。
豊かになることで失うものがあることを、実感しました。
思い出したんですが、「筍の皮おしゃぶり」は、梅干しの代わりに味噌を入
れたこともありました。味噌だと、筍の皮が紫色になるんですよね。
来年、筍の皮を手に入れて、もっと丁寧に作ってみよう。
今回作ったものを、デジカメに撮ってかしの木亭にUPしようと思ったので
すが、あまりの粗末さにその元気をなくしました。
この前、ラジオを聴いてたら、料理の本を書いてる人が、今の若い人は、筍
の皮をむかないで茹でる、と嘆いていた。最近の料理の本にそう書いてあるそ
うです。で、その人は、
「筍は、皮をむいて茹でたほうがいい。そうしなかったら、筍の皮で梅干しを
包んで舐めるなんてことできないじゃないですか」
ああ…、この人も昔そんなことしたんだ、と思い、親近感がわきました。