まったく

1999年05月12日 | 家族

 今、Uが帰ってきた。居酒屋にいたみたいだ。
「呑んできたの?」
「あまり」
「ワリカン」
「ううん」
「おごってもらったの?」
「いいや…」
 いったいどうしたっていうんだ。はっきりしろ、とおれはいいたい。
 Uはこうなんだな。おれにいうとき、あいまいにいう。いや、はっきりもの
いう男だとは確信している。おれはそういうふうに育ててきた。
 しかし、おれに話すとき、こうなんだなァ。
 昨日、Kはまだ帰っていなく、女房とUと3人で晩飯を食べたとき、Uがこ
れまでにはなく、食べ終わってからも食卓に坐っていて、いろいろ話してくれ
た。
 おれも女房も、息子たちの行動を知りたくてしょうがない。しかし、あいつ
らは話してくれない。女房は、けっこうまめにいろいろ訊いてるが、おれはな
んとなく訊きづらく、話しかけない。なのに、女房に息子たちこと根ほり葉ほ
り質問している自分がいじましい。
 Kは今日、明日、友人のアパートに泊まる。昨日そういってた。
 今週末、Uはクラブの合宿だそうだ。あいつはなにを考えてんのか、グリー
クラブなんかに入った。あの歌の下手な奴が。漫画研究会に行ったら、「みん
な、オタクみたいな奴らなので入らなかった」といってた。じゃなぜ、グリー
クラブなんだ。おそらく、酒を呑ませられて誘惑されたんだ。ああ…、酒好き
なおれと、同じじゃないか。
 Kは、軽音楽部に入ったようだ。もう、エレキベースは学校に持っていって
家にはない。
 2人とも、学校が面白くて面白くてしょうがないという。
 ああ…、うらやましい。

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筍の皮おしゃぶり

1999年05月12日 | 暮らし

 あれは、確かにむいたばかりの筍の皮でした。
 父が、筍を掘ると必ず私が皮をむき、それであれを作りました。
 私が思うに、先日私は失敗したと思ったのですが、実は、子どもの頃に作っ
たものもあんなもんだったろう、と今は思っています。
 思い出の中の「筍の皮おしゃぶり」を、私は30数年心の中で暖めていて、
懐かしさのあまりに美化してしまったと思うのです。
(しかし、この文章はだめですね。「思う」ばかりがでてくる。岩波新書「日
本語練習帳」大野晋著を読んで、「思う」「思ってる」ばかりをよく使う自分
の文章がいやになる)
 作ったそれを舐めてみると、昔の懐かしい味がしました。しかし、どんなに
持ち上げてみても、ただ素朴にしょっぱいだけの味で、これだけおいしいもの
があふれてる現在、なにもあんなものを作って舐めることはない。
 ある意味で、あれほど大切に舐めていた昔がよかったのかな、なんて思う。
豊かになることで失うものがあることを、実感しました。
 思い出したんですが、「筍の皮おしゃぶり」は、梅干しの代わりに味噌を入
れたこともありました。味噌だと、筍の皮が紫色になるんですよね。
 来年、筍の皮を手に入れて、もっと丁寧に作ってみよう。
 今回作ったものを、デジカメに撮ってかしの木亭にUPしようと思ったので
すが、あまりの粗末さにその元気をなくしました。
 この前、ラジオを聴いてたら、料理の本を書いてる人が、今の若い人は、筍
の皮をむかないで茹でる、と嘆いていた。最近の料理の本にそう書いてあるそ
うです。で、その人は、
「筍は、皮をむいて茹でたほうがいい。そうしなかったら、筍の皮で梅干しを
包んで舐めるなんてことできないじゃないですか」
 ああ…、この人も昔そんなことしたんだ、と思い、親近感がわきました。

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