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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

81日目 まさかり半島ひた走り(5)~佐井

2014-06-09 23:57:08 | 北東北
2014年5月3日(土)


早朝の「道の駅かわうち湖」→
夜は全然分からなかったけど、こういう道の駅だったのね。

かわうち湖→
本州最北のダム・かわうちダムにより堰き止められてできた湖。
モヤっていて全容が分からん。

7時前にここを出発し、県道253号線から途中で国道338号線に入り、車内のビール臭に悩まされながら、時には山の中をクネクネしたり、時には海岸線に沿ったりしてひたすら北上します。

↓佐井(さい)村の牛滝地区の牛滝漁港に寄ってみます。


港そばの通り→
青い空、さざ波の静かな音、カモメの鳴き声、漁船のカタカタエンジン音、風雪に耐え続けているボロ小屋、早朝の小さな集落の港はいいな~。
♪港は~ いつも魚の あぶらのにおい~ 『シーサイド・コーポラス』という曲の歌詞がピッタリな港(勿論、口ずさんでしまいましたが・・・)。

↓牛滝地区を出るとすぐに景勝地「仏ヶ浦(ほとけがうら)」へ行ける駐車場があります。

約15分山を降りれば、そこへ行けるのですがねぇ、やめときます。
例のアイツだ、二の足を踏む理由は(写真、右)。それに後で船で行きますから。

ちょっと離れた「仏ヶ浦駐車帯」から→

磯谷漁港→

左のでっかい岩は「願掛岩」(の一部)→
さらに左にもう一つ岩があって、その二つの岩が男女が抱き合っているように見えるらしいです。なので縁結びの岩として信仰の対象されているみたいです。

↓8時40分、「津軽海峡文化館アルサス」に滑り込みます。

ここは佐井村観光の拠点ともいうべき施設。
9時発の仏ヶ浦への観光船に乗る予定ですが、その時の事は次回にて。

↓中の様子
 
佐井村はウニが名物で今月14・15日に「うに祭り」が開催され、無料で試食できるという。ウニに目のない方、是非どうぞ!

↓以下、素朴な感じの、でもそこがとても良い、村の様子です。






箭根森八幡宮→

三上剛太郎生家→
氏は日露戦争の折、軍医として従軍。
まさにロシアから攻撃を受けんという時に、仮包帯所に手縫いの赤十字を掲げて、敵味方なく多くの負傷者の命を救ったという。

↓無料で中に入れます。



その手縫いの赤十字のレプリカ。
家々に「土」の字みたいなのが書かれている幟を掲げているのを見て、最初は何かと思っていましたが、これだったのね。
下の「-」部分には「手縫いの赤十字旗」と書かれています。

↓生家近くでネコを撮ろうとしたら、決めポーズをしてくれた。

最近、動物を写そうとすると何らかの格好をしてくれるので有り難い(笑)。

(377)青森県下北郡佐井村(むら)役場

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80日目 まさかり半島ひた走り(4)~むつ

2014-06-07 15:08:13 | 北東北
2014年5月2日(金)


恐山を見た後は、この日はむつ市の各地区を廻るだけにします。

まずは、13時半頃大湊地区へ。
第二次世界大戦までは日本海軍の要港で、現在は海上自衛隊の基地が置かれています。
終戦の6日前に大湊が空襲を受け、その時に日本海軍は組織だった戦闘をし、事実上の最後の海戦と言われているようです。

大湊駅→

駅前の通り(国道338号線)→
昔ながら商店が並んでいます。

陸奥湾に沿って南西方向を走り、そして途中から北へ進路を変え、山間部へ。
旧川内町の川内川渓谷の大滝休憩所に15時ちょっとすぎに到着。
恐山で取り憑かれてしまったかもしれない?悪霊を豊かな自然の中で退散させるためにね。

↓大滝(セキレイ橋より上流方向)
 

川の右岸側にある遊歩道→
今回は一部しか歩きませんが、全長4.4キロに渡って整備されています。

あじさい橋より下流方向→
まだ新緑前でしかも曇りなので、景色は今ひとつ。
恐らく秋の紅葉シーズンが一番いいのでは?と思いますが。

案内板に例のごとく「クマ出没注意」とあるので、さっさとここを後にし、続いて下北半島南西部の端っこ・旧脇野沢村へ。

16時、「道の駅わきのさわ」に到着→

ここでは密かなる楽しみがありました。
それは、焼き干ししたイワシの粉末を直接麺にした脇野沢名物のその名も「焼き干しラーメン」。
ところがレストランは15時で閉店・・・。

道の駅の前にあるバラックのような食堂へ→
ここはもっと早い14時でこの日は店じまい・・・(苦笑)。

仕方ないのでそばにある「野猿公苑」へ→

↓ここでは国の天然記念物の北限のサル(ニホンザル)が飼育されています。




↓子ザルが金網をよじ登ろうとしている。ウンショ、ウンショ・・・。


↓ひっくり返ってしまった。まだまだ練習が必要だな(笑)。

どの大人の猿も地面で何かを拾って一所懸命食べるのに専念している。はて?何を食べているのだろう?

脇野沢港フェリーターミナルへ→
青森などへ行く船が一日何便かあるだけ。この時には既に終便が出て行った後でした。

海を眺める→
沖合いにポツンとあるものを拡大してみると・・・。

脇野沢のシンボル・鯛島→
その名のとおり、鯛のような形をした島。
灯台にツバみたいなのを付ければクジラにも変身できそう。

マリンハウスという土産屋さんに入ってみて、焼き干しラーメン食べられるお店はないか聞いてみたら、何と2~3時くらいで全部閉まってしまうという。そ、そんなあ・・・。失礼ながらいくら田舎とは言え、それは早すぎだろ、オイ!

いよいよやる事がなくなってしまったので、ちょっくら町の中心部を散策してから、風呂に入りに行こう。

脇野沢地区の商店街→

道の駅の近くにも銭湯があるのですが、川内川渓谷で見つけた「ふれあい温泉川内」にします。どっちか選ぶのなら温泉の方がいいでしょ。
という訳で、とんぼ返り。

ふれあい温泉川内(18時すぎ)→

ここでさっぱりしてから、川内地区中心部にあるスーパーで夜を過ごすための飲食物を買い込み、「道の駅かわうち湖」へ。

かわうち湖畔にある道の駅→
11月下旬から4月上旬まで閉鎖されるこの道の駅。ということは、山深い所にあるという訳で、事実建物がボンヤリ見えるだけの本当に真っ暗闇の中。
それでも同業者は他に6台いる。1台もないよりは心強い・・・。
さて、どんな道の駅かは夜が明けてからのお楽しみ。

ナイター聞きながら飲み食いしていたら、焼き鳥のタレをこぼしてしまい服はタレまみれ。
さらにはビールをひっくり返し、車内はタレの臭いに加えビール臭も加わり最悪な状態に。消臭剤を撒いてみましたがどうにもならん・・・。
ラーメンも食べられなかったし、やっぱり恐山の悪霊が張り付いていたのかなあ?、川内川渓谷で完全に退散できなかったみたい。

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80日目 まさかり半島ひた走り(3)~恐山

2014-06-04 22:30:19 | 北東北
2014年5月2日(金)


前日(5月1日)に山開きしたばかりの恐山に霊界体験をしてまいりましたので、そこでの一部始終を。

山を降りてきて左に宇曽利山(うそりやま)湖が見え、視界が開けたと思ったらいきなりインパクトあるこれ。

三途川に架かる太鼓橋→
罪人は渡ることができないとされている橋。
難なく渡れましたので、わたしゃ罪人じゃないって証し?(笑)。

11時45分頃、硫黄の臭いが香ばしい駐車場に到着。

↓駐車場前の総門



ほとんどの小さい子は門に来るなりギャーギャー泣き出し、泣く子も黙るどころか、泣く子と地頭には勝てぬ状態になっていて、親が一所懸命なだめている。
そりゃそうだろうな、大人でさえ異様に感じるんだから。

ここで、軽く恐山について。
正式には「恐山伽羅陀山菩提寺(おそれざんきゃらだせんぼだいじ)」で宗派は曹洞宗。
日本三大霊場(他は高野山・比叡山)、口寄せのイタコで知られています。
貞観4(862)年に、天台宗・慈覚(じかく)大師によって開山、一時廃れたものの14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されました。

ではでは、しばしの間、来世へ行ってきます。

山門→

地蔵堂→

薬師の湯→
男女交代制の温泉。こんな霊場で温泉とは意外ですが、身を清めるためなのかな?
恐山にはいくつか温泉があり、中には混浴風呂もあるといいます。あ、因みに無料です。

実は大学生時代に友人と一度ここに来たことがありますが、その時の記憶はほとんど吹っ飛んでおり、唯一風呂小屋しか覚えていない。
その小屋は周りには何もない所にポツンとあったように記憶していた(つもり)ので、どうもこの小屋ではないような気がする。

↓いよいよ荒涼とした地獄?にご案内しましょう。




カラカラ風車→
風車にどんな意味があるかは分からん。
何らかの風景を見て思わず歌いだすという私の恥ずかしい癖?があるのですが、
今回のそれは、♪誰か伝えてよ 風にのせ~ カラカラまわる~ 風見鶏~ 『お引越し・忘れもの』。

↓高い所に建っていてひときわ目立つ延命地蔵尊


英霊に合掌→

下へ降りてきました→

↓エメラルソグリーンの湖と白浜の極楽浄土を思わせる美しい風景が見られるのを楽しみにしていたのですが・・・


新しい慰霊塔→
東日本大震災で亡くなった方を追悼するために建立、こちらも合掌。

地獄谷へ→
こんな所にもマムシがいるのね。逞しい生命力だこと。

絶対に召されたくないね、ここ→

見物(我が家の宗派と違うので参拝ではない)が終わり、小腹が減ったのでふと見ると食堂がある。でも、ここでご飯はあまり食べる気にならないよなぁ。

そこで名物という霊場アイス→
バナナ・よもぎ・ブルーベリーの三色盛り、¥300。

恐山を13時前に出て、「かまふせパノラマライン」で下北半島の最高峰・釜臥山頂の展望台へ。そこからの眺めが素晴らしいという。
ところが、雪崩の危険があり山頂へは行けなくなっているので、行ける所まで。

恐山展望台→
ガスが充満して、ご覧のとおり。

↓恐山展望台のすぐ近くの「むつ湾展望台」。この先は通行止め。

ここは一転いい天気。海はもちろん、尻屋崎まで見渡せる。いい眺めじゃ。
また夜景も抜群なようで、市街地の灯りがアゲハチョウに見えるよう。
なるほど、昼間は白い蛾だな。

↓下北の観光総合情報サイト「ぐるりんしもきた」より


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80日目 まさかり半島ひた走り(2)~むつ

2014-06-02 23:50:29 | 北東北
2014年5月2日(金)


↓下北半島の中心都市・むつ市の田名部(たなぶ)地区のここに9時20分頃滑り込みます。

「むつ下北観光物産館まさかりプラザ」、下北半島観光の拠点ともいうべき施設。
ブログのタイトルにも使っています「まさかり半島」とは、下北半島の別名。
形がちょうど「鉞(まさかり)」に似ているからです。

ここ田名部地区はむつ市の中心部。
よって、いつものごと、街を散策します。

すぐ近くにある「むつ労働福祉会館」→
ここは平成13年に廃止された下北交通の田名部駅。

今、構内はこんな感じ→

むつ労働福祉会館を背にして写す→
正面に伸びる旧駅前通りは「たなぶ七福通り商店街」。
これをまっすぐ行きます。

本州最北にあるという百貨店→

↓商店街は国道279号線に突き当たり、そこを南に。




国道338号線と合流します。

↓その合流地点には田名部川に架かる「大橋(という橋名)」があります。

昭和7(1932)年竣工の、わりと趣きが感じられる橋。

橋から見える釜臥(かまふせ)山→
鯉の吹流しはまさに「おもしろそうにおよいでる♪」哉。

↓橋を少し南に進んだ左手には、円通寺(奥にちっぽけにしか写っていないけど)

前日の三沢市巡りで触れた斗南藩の藩庁が置かれた所。
その時には見には行きませんで、後で写真を見ましたが、かなりポンコツなお寺さんの印象。

右手は新町商店街→

田名部神社→

↓この田名部神社周辺には飲食店がたくさん並んでいます。





狭くて薄暗い裏道に、恐らくタバコの煙モワモワの店内、とても標語どおり「明るく健康的な」飲食店街とは言いがたい。

まさかりプラザに戻って、遅い朝食。

↓陸奥(むつ)湾産カレイを使った煮付け定食が目に入り思わず注文。が、しかし・・・。

所詮こういう所で出てくるものなので、さほど期待していなかったんですけど。
にしても、ツユが魚に全く染み込んでおらずおいしくなさすぎ。大失敗・・・。

それと、ここでご当地グルメ・大湊海軍コロッケが売られているのを期待していましたが、あいにく土日のみ販売・・・。売られているお店はそこそこあるものの、販売日が決まっていたり、販売時間が限られていたりで、案外入手困難。

(376)青森県むつ市役所
やたら広い敷地で、おしゃれな建物のお役所。道の駅っぽい。
人口約6万人。今では珍しくなくなった平仮名の市名ですが、むつ市は日本初の平仮名市
昭和34(1959)年、旧田名部町と旧大湊町が合併してやたら長ったらしい大湊田名部市となり、その翌年に今の市名に変わったということです。
書く時も、話す時も楽でいいな!

釜臥山を背景に、むつ運動公園の桜→
この翌日(5月3日)、ここをメイン会場として「第67回憲法記念下北駅伝」が行われる予定。

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80日目 まさかり半島ひた走り(1)~横浜

2014-06-01 15:19:14 | 北東北
2014年5月2日(金)


横浜と言えば神奈川県のそれであるというのが、たいていの人の認識。
でも、青森県にも横浜という自治体があります。
同じ地名ではありますが、共通点と言えば海に面している以外思い当たらず、両者には全くの関係性はなさそう・・・。
という訳で、この日は下北半島の港横浜?からスタート!

早朝の「道の駅よこはま」→

市街地へ早朝散歩しに行きます→

↓JR大湊線の陸奥(むつ)横浜駅



さすがに「横浜」駅を名乗るのは畏れ多かったようだ。

(375)青森県上北郡横浜町(まち)役場
人口約5千人。人口云々よりも、現時点では終わってしまったのですが、毎年開催される「菜の花フェスティバル」というこの町の目玉となっているイベントがあります。
マラソンがあったり、菜の花大迷路があったり、ステージショーがあったりなどなど。

道の駅に貼ってあったポスター→
写真では黄色い絨毯が広がる綺麗な風景。後でこの菜の花畑へ行ってみることにします。

↓県道179号線に沿って伸びる商店街



昔は国道279号線だったと思われます。

道の駅を7時40分頃出発!

↓稲荷平(いなりたいら)地区だったか?、国道279号線から見る海岸線


↓さてさて、菜の花畑へ。




ところが・・・。

↓「フェスティバル」はここらへんで開催されるのかな? というか、ひとかけらの黄色すら見えず、一面緑色だぞ・・・。



はて?、「フェスティバル」って2週間後だけど、その時にならないと菜の花って一気に咲かないの?
近くで野良仕事をしていた若い兄ちゃんに聞いてみるとやっぱりそうでした。
ちょびっとでも咲いているものかと思っていましたが・・・。

↓しょうがない、開花前でも写しておこう。



丈は20センチくらいか・・・。でも、菜の花ってこんなに低かったっけ?
因みに今年は5月9日に開花宣言が出て、それ以降もさらに一日約20センチも!伸びるんだそう。
まるで筍だな(笑)、てか、菜の花ってそんな植物だとは知らなんだ・・・。
それにしてもたった一週間後だよな、早まりました・・・残念至極、痛恨の極み。

まだ今も咲いているのかどうかは知りませんが、来年是非行ってみたいという方はコチラ↓を参考にして下さいな。
2014菜の花フェスティバルinよこはま→http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000166.html
横浜町HP菜の花情報→http://www.town.yokohama.lg.jp/index.cfm/7,891,19,html

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79日目 時計の針は1か月逆戻り(5)~野辺地

2014-05-28 23:49:13 | 北東北
2014年5月1日(木)


日没がせまってきたので、この日は野辺地(のへじ)町に行って終了です。

国道4号線と279号線との分岐点→
早く右折できないかな~。

まずは野辺地町のサクラの名所、愛宕公園へ。

↓駐車場にて。クジラのような面白い模様をしたもの、ナニ?

実はこれ雪。除雪してせっせとここに盛っていたのであろうものがまだ溶けきっていないとは。
恐るべし、野辺地の豪雪地帯。

↓満開でございます。




鯉の吹流しと桜→
花笑みとは対照的にしょんぼりとしょげた感じの鯉。

上へ登ってみます。

花鳥号銅像→
明治天皇の東北巡幸中に、野辺地で斃れた御料馬。

お馬さんの所から下へ→

↓雨が降ろうと槍が降ろうと飲みさえできればいいんだよ!、って感じ。

陽気な笑い声が、シ~ンと静まり返った中に響き渡っていました。
楽しそうで羨ましっス・・・。

山の方→

もっと上に登れば、より見晴らしはアップするんでしょうが、雨でそんな気が起こらず。

(374)青森県上北郡野辺地町(まち)役場
かなりボロっちくて、くたびれている・・・。まるで秘境の中の村にあるような役場。
野辺地はかつては南部藩と弘前藩の国境として軍事的に重要だった場所で、また、津軽・下北・南部の三方面への、さらには北前船の寄港地として交通の要衝地だったんですけど・・・。

飲食店がちょこちょこと立ち並ぶ通り→

↓国道279号線の商店街




暗い中、国道279号線を北へ。

↓この日は横浜町の「道の駅よこはま」で車中泊。



目と鼻の先にはローソンがあり、飲み食いの調達には誠に都合のよい道の駅。

横浜町は菜の花で知られる町で、この道の駅の愛称も「菜の花プラザ」。
夜はさすが菜の花の町にある道の駅だけあって、その愛称通りの菜の花色に、いや寧ろド金ピカでハデに輝いて・・・。
実は、デジカメが無駄に電灯の光を取り入れたためか、こういう写りになってしまったんですけど、かえって「菜の花プラザ」に(少しは)相応しい写真になった感じ(笑)。

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79日目 時計の針は1か月逆戻り(4)~七戸

2014-05-26 22:58:07 | 北東北
2014年5月1日(木)


車を西に走らせます。

ん?→
これはどう見ても鉄道廃線跡にあらずや。

↓という訳で、15時15分、南部縦貫鉄道の旧・七戸(しちのへ)駅。


ここで南部縦貫鉄道について。
野辺地(のへじ)-七戸間約20キロを結んでいた私鉄で、平成9年に休止となり、平成14年に正式に廃止されてしまう。
レールバスが走っていたことで知られていました。
私はそのレールバスにはついぞ乗らなかったのですが、走っている姿は何回か見たことがあります。

駅構内→
本当にこれ、廃止してるの?

完全なる廃止という事でもなさそう→
これは町の市街地に貼ってあったポスター。
残念ながらこの日は動いている姿は見られません・・・。平日だし当たり前田のクラッカー。

駅事務室を覗く→
当時の時刻表や運賃表が残っています。
1日僅か5往復というのが末期的状態であったことを如実に示しています。
それに町はずれに駅があり、さぞ利便性が良くない鉄道だったのだろう。

市街地へ。

旧七戸町役場前にある重要文化財の建物→
郵便局だったと思いますが、忘れた・・・。

この裏側には、14世紀後半に築かれ、16世紀後半に廃止となった七戸城址があります。
ここも行ってみましょう。

えんやこらと、坂登り→

↓登りきると、



そこはあたかも桃源郷のような世界。
柏葉公園と呼ばれているここ、雨降りの中で静かにサクラの花びらがハラハラ舞う光景もなかなか風流なもの。

↓七戸中央商店街




↓お店ごとに独自の幕が店頭に飾られています。


七戸川→

橋の袂に絵馬が飾られています→
そう、七戸は絵馬の町。
お店で絵馬を買って、数ある神社のうち願い事にあった神社(それぞれご利益が違う)に奉納すると願い事が叶う?らしいです。
これ、何かのきっかけで有名になればかなり強力な町おこしになるのでしょうが、悲しいかな、知名度が低い以前に、公共交通機関が不便なのでこういう類が大好きな女性を呼ぶには不利すぎ。

市街地を北上し、「道の駅しちのへ」へ→
馬二頭は七戸生まれのダービー馬、ヒカルメイジとコマツヒカリの像。
どっちがどっちだったか忘れた(苦笑)。

売店にて→
これは奉納絵馬かどうかは分からん・・・。

↓道の駅から東北新幹線・七戸十和田駅が見えます。

ちょこっと行ってみます。

↓駅に来るや否やナイスタイミングで、16時53分発の「はやぶさ28号」東京行きがやって来た。


さらに北上。

(373)青森県上北郡七戸町(まち)役場
かつての天間林(てんまばやし)村役場。
平成17年に旧七戸町と合併して今の七戸町が成立しました。

↓ここは昔、天間林駅があった感じっぽい場所・・・(多分そうだと思う)。


17時半、ここを後にします。

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79日目 時計の針は1か月逆戻り(3)~三沢・東北町

2014-05-23 23:04:32 | 北東北
2014年5月1日(木)


もうちょい三沢に居座ります。

↓市街地から車で10分程走らせた所にある「青森県立三沢航空科学館」。

でっかく綺麗な建物。
お上の力の入れようが分かるけど、不良資産化してはいないでしょうね?

ここは文字通り航空と科学をテーマとした博物館。
入場料は¥920(イベント企画の見物代(¥410)込み)。

↓航空ゾーン

ライト兄弟が飛ばした飛行機の模型(だったと思う)。

↓これは私のような飛行機音痴でさえも知っている国産旅客機の大スター、YS11(本物)。


2階から眺める→

科学ゾーン→
校外学習中の児童たちでいっぱい。
どちらかと言うと航空ゾーンはそっちのけで、科学ゾーンの方で遊んでばかり。
ま、そうだよな。航空ゾーンより面白いもん・・・。

大空ひろば→

↓イベント会場にて

十和田湖に沈んでいたのを引き上げた「旧日本陸軍一式双発高等練習機」。

こちらは張りぼての零戦→
見たことはないけど、映画「山本五十六」の撮影のために作ったものらしい。

たったこれだけのものを見るだけで410円とはかなり高すぎ。
まんまとボられたわ・・・。

立ち寄ってみた三沢空港→
駅みたいな小ささのビル。

「道の駅みさわ」(5月4日に再び三沢上陸)→
別名、斗南(となみ)藩記念観光村。
斗南藩とは、戊辰戦争に敗れた会津藩を再興するために、会津よりさらなる北方のこの青森県で立ちあげた藩。
会津から陸路での移動は、晩秋という時期も重なってとても厳しかったらしく、入植先でも飢餓地獄に等しい生活を強いられたよう。
なのに明るい希望を目指してやってきたにもかかわらず、たった1年余で廃藩置県となってしまい、また絶望のドン底に突き落とされてしまう。
ここまで苦労してやって来たのは一体何だったんだろうね。
いつの世も負のスパイラルから抜け出すのは大変ということか・・・。

道の駅にある「先人記念館」→
日本初の近代様式牧場がここ三沢に旧会津藩士・廣澤安任(ひろさわやすとう)によって開設され、彼ら先人達の功績を展示しています。
ちょうど「斗南藩の再興と消長」なるテーマの企画展がやっていました。

これで三沢市はおしまい。

↓青い森鉄道に沿った県道8号線を進み、13時、東北町の「道の駅おがわら湖」に到着。


しじみラーメン(¥700)→
しじみは小川原湖の名物で、全国第三位の水揚げ高を誇ります。
それを使った(であろう)あっさり塩味のラーメン。でも、飽きがきやすい味かもしれない。

↓小川原湖公園へ。

日本で11番目に広い湖沼。ここは夏、湖水浴場として賑わうみたい。


ここは2キロにわたって「湖畔の千本桜」と呼ばれる桜並木があります。

(372)青森県上北郡東北町(まち)役場
青森の田舎町でありながら、大胆不敵にも堂々と広大な一地域を名乗っている。
東北町が誕生したのは昭和38(1963)年、その時には東北の市町村から文句は出なかったのかな?

↓最寄り駅の上北町(かみきたちょう)駅までの約1キロを歩いてみます。





みんなー、東北町は首を長ーくして待っているよー。

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79日目 時計の針は1か月逆戻り(2)~三沢

2014-05-21 23:54:15 | 北東北
2014年5月1日(木)


三沢で楽しみにしていたことがありました。
それは、「ほっき丼」。
火を通したほっき貝がご飯の上にのっかたものと言えばいいのかな?

↓駅前のここで食べたかったんですわ、でもまだオープン前。


とりあえず、あたりを散歩しましょ。

駅の目と鼻の先には、超有名な古牧(こまき)温泉があります。

奥はに見えるは元湯→
廃止された十和田観光電鉄が温泉の中を通っていました。

10年前に経営破たんして以後、長野県の星野リゾートが立て直した温泉。
なので、以前は「古牧第○グランドホテル」と呼ばれていたホテルは今では「星野リゾート青森屋」。

この高い建物は西館かな?→

↓ここでは廃線の砂利すらも剥がそうとしています。


まあ、広いです。
ですが、ここにいるといろいろと見るところ満載らしく、うっかりすると半日を浪費するハメになりそうなのでさっさと出よう。

わざわざ三沢駅に来たのは青い森鉄道の駅を見たかったから。
な訳なく、十和田観光電鉄の方はどうなっているかな、と思ったからです。
ここは廃止される直前の2年前・3月17日に、十和田市駅から電車に乗り三沢までを往復しており、その後が見たくなったわけですよ。
あの時、廃止が目前にもかかわらずガラガラだったなあ(苦笑)。

ボロっちぃ駅舎は健在。

駅舎の中→
今にも窓口が開いて、営業開始しそうな感じ。

↓プラットホームも一応残っています(線路はないけど)。


うどん・そば屋もやっていました→
ということで、「ほっき丼」はあっさりあきらめ(笑)。

↓ホーム先に見える頭上を跨ぐ工事中の道路

今度来る時にはできているかな~?

駅から少し離れた市街地へ。

(371)青森県三沢市役所
(註)前回の役所と今回の到達順位数が同じになっています。
   これは4月5日に栃木県下都賀郡岩舟町が栃木市に呑み込まれて消滅したためです。
   因みに栃木市・岩舟町ともに平成24年6月30日に既に行っています。
三沢市は航空自衛隊・米空軍共用の三沢基地(空港も兼ねている)があるので、上空から爆音が頻々と鳴り響いてうざったい。けど、市民は慣れたものなんでしょう。

↓役所前にある中央公園



風が適度に吹いていて、サクラ吹雪がハラハラ舞う舞う!
1か月前に身近に見た光景がまた見られるなんて妙な感じですけど、南北に長いわが国を有難く思いますねぇ。

市役所通り→

中央通り→
市中心の商店街。
でも、人っ子一人二人いる程度。
平日午前だからこんなものなのか、普段からこうなのか判断つきかねますが。

市街地で最も標高の高い所にある公園→
といってもたった50メートル・・・。
活性化などなどの理由で作られたようですが、公園一つで問題が解決できるのならどこも苦労せんと思う次第。

↓上の蓋が取れたとたん、パッと明るく開放的な感じになり、ほんの少しは人が増えた印象。

今では逆にアーケードは暗い印象を与え、それで人の足が遠のくのかもしれない。

↓飲食店街へ。





品数は豊富、でも誰~もいない(当たり前ですが)。
しかし、昼間の飲み屋街ってどうしてこう薄気味悪い場所に見えるんだろうね。

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79日目 時計の針は1か月逆戻り(1)~三沢駅まで

2014-05-19 23:58:55 | 北東北
2014年5月1日(木)


0時55分に国見SAを出て以降は、パラパラ雨程度の宮城県内をただただ気持ちよく爆走(仙台を過ぎた辺りから単調になるのもあるし)。
ところが岩手県に入ったとたんバケツをひっくり返したような大雨に見舞われ、スピードダウンを余儀なくされる。
まさに水を差されるとはこの事・・・。

前沢SA(岩手県奥州市)、2時53分着・4時45分発。
やや眠くなったので仮眠zzz。

↓日の出ビフォーアフター




↓岩手山SA(岩手県八幡平(はちまんたい)市)、5時49分着・6時18分発。

何となく立ち寄ってみただけのSA。

↓晴れていればここから雄大な岩手山が見えるはず・・・。

でもサクラが見られたので、許してやろう(笑)。

安代(あしろ)JCTで東北縦貫自動車道八戸線(八戸自動車道)に入ります。

↓折爪(おりづめ)SA(岩手県九戸郡軽米(かるまい)町)、7時12分着・8時29分発。

ここでもまた仮眠。

上り車線側→

冬の名残り、いまだ健在→
かと思いきや、あたりにはサクラの花びらがたくさん落ちている変な光景。

青森県・八戸JCTで百石(ももいし)道路、さらには第二みちのく有料道路を進み、
三沢十和田下田ICでようやく有料道路区間から開放。

ここで右折し、県道10号線を走ります→

三沢駅到着9時11分。やれやれ・・・。
千葉を出てから実に約15時間半、716キロ。ただし、時速僅か約45キロ(笑)。
そうです、今回の目的地は青森県。
♪思えば遠くへ来たもんだ~
でも具体的に広~い青森県のどの地域が今回の旅行の本来の目的地か、この日の宿泊地に着くまで察しはつかないと思いますので、意地悪ですがそれまでは内緒にしておきます。

青い森鉄道・三沢駅→

↓2年前に廃止された十和田観光電鉄・三沢駅。



まだしぶとく残っていましたよ!

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53日目 復興を祈る~陸前高田

2013-08-07 23:39:22 | 北東北
2013年7月12日(金)


忘れる事のできない、あの日。
テレビに映し出された衝撃的な光景の数々。
各地の状況が伝えられる中で、私が一番ショックを受けた言葉が、「岩手県陸前高田市は津波でほぼ壊滅状態」という総務省消防庁の発表でした。
このご時世に「町が壊滅する」なんてあるのかと。

あれから2年4ヶ月・・・
その陸前高田市に来ました。

旧市街地をざっと見渡したのですが、去年来た時とほとんど変わっていないなというのが第一印象。
残念ながら復興を感じられるものは何一つありませんでした。
竹駒駅から旧市街地に向かう途中に、新しいお店やら建物が集中して建っている箇所があって、復興が進んでいると感じる事ができた唯一の場所でした。

さて、「奇跡の一本松」を見る人のために設けられた駐車場に車を止め、そこから約500メートル離れている松を見に行きます。

が、しかし・・・
↓折からの雨で歩道はぬかるんでいて、歩くのに非常に難儀しました。

ここまでお金をかけられないんだろうな、きっと。
仕方ない・・・

↓去年はガレキ(木材などに混じって服の切れ端や日用雑貨など人の生活が感じられるものもたくさんあり、この言葉を使うのはどうかなとも思いますが)が大量に積み上げられている山を尻目に、同じくぬかるみになっていたここを突っ切って歩いて来ました。


↓ゲートが閉じられていて、近くへは行かれず。




←橋から左の方向を見る

以下、行った所です。

↓道の駅高田松原



ここだけは時間が止っているかのような感覚になります。

←建物の前にある追悼施設

この近くにあった「キャピタルホテル1000」は既に解体されていました。

↓陸前高田駅
←大船渡方向

←竹駒方向

駅前通り→

道の駅の追悼施設に貼ってあった写真→
ここに写真のような街があったのがウソみたいな現在の状況です。

市役所や多くの犠牲者が出た市民会館があった場所も、とうとう更地になってしまいました。
←旧市役所の跡地
←その真向かい

↓去年はまだそれなりに建物は残っていましたが、そのほとんどは解体されてしまったので、上の写真にある建物がやたら目立っていました。

建物上の青い部分、津波到達の高さを示すものだそうです。

すでに時刻は19時近く。
今度来る時は、だいぶ復興したなと思える状態になっていて欲しい、そう思いながら陸前高田を後にし、宮城県に向けて走ります。

気仙沼市の「道の駅大谷(おおや)海岸」にやって参りました→
この日はここで車中泊です。
海鳴りがゴーゴー大きい中、眠りにつきますzzz

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53日目 別天地の涼しさ岩手(5)~気仙地区

2013-08-06 23:36:11 | 北東北
2013年7月12日(金)


遠野を出て、国道340号線で南下します。

JR釜石線・平倉駅近くの踏み切り→

住田(すみた)町に到着しました。

(280)岩手県気仙郡住田町(ちょう)役場
人口6千人ほど、昭和30(1955)年に世田米(せたまい)町・上有住(かみありす)村・下有住村が合併して成立した町で、役場は世田米地区にあります。
この町の西方にある種山高原は眺めがいいらしいです。

少しだけ町を散策します。

↓昭和橋



「せうわばし」の表記が、この橋の古さを物語っています(昭和6年竣工)。
実際に車がすれ違いができない狭さ。
なので、一台が渡っていると、それが渡りきるまで待っていないといけない有様です。
川は「気仙川」。長さは約45キロで、このまま陸前高田の広田湾に注ぎます。

橋からの眺め→←上流側
ここから約100メートル先には鮎釣りで人気の場所があるそうです。

↓左岸側には古い建物が多いです。
 

商店街→

20分ほど住田町に滞在して、17時頃に出発。
そのまま国道340号線を気仙川に沿って走ります→

いよいよ東日本大震災の被災地に入って行きます。

ところで、この旅に出るにあたって私はある重要なものを持ってくるのを忘れてしまいました(最悪)。
それがないとどうにもならないかと言われれば、必ずしもそうではないのですが、あるとないのとではそれはそれは雲泥の差であります。

それは何か?
↓被災地を廻るのに欠かせないもの(これは自宅で撮った)

浸水域が一目で分かるし、私はカーナビを付けおらず(カーナビが嫌いで地図を見てあちこち行くのが好き)、大まかな地図しかないので、特に市街地は被災前の町の状態も含めて詳細に大きく載っているこの地図は、とても有り難いものなのです。
まあ、これから行く陸前高田ならば昨年の3月にも来ており、道路はおおまかに覚えているので何とかなるかなという気もしますが・・・

↓JR大船渡線の竹駒駅
←陸前高田の方向

←上の写真とは逆方向
この駅は海から約4キロの所にあるのですが、津波はここからさらに2キロ程内陸部まで浸水しました。

駅前のガソリンスタンドの2階には「津波到達点」が示されています→

(281)岩手県陸前高田市役所
見てのとおり仮庁舎で、旧役所から内陸よりの高台に設置されています。
役所前の道路は人や車の往来が激しく、かなり錯綜していました。

↓役所に併設されているBRT(バス高速輸送システム)の仮設駅と観光案内所

17時過ぎているというのにラッキーな事に観光案内所が開いていましたので、そこで市内の案内図を貰う。
これは助かった!

↓次に「奇跡の一本松」の駐車場に来ました。
 
チラリと見えます「奇跡の一本松」、去年来た時にも見ましたけど、その時は既に枯れていたとはいえ、一応本物だったんですよねぇ。
でも、今あるものはレプリカ
観光案内所で地図を貰ったときに、確か「奇跡の一本松保存募金」と書いてあったハコにお金を入れたのですが、「保存」という表現に違和感が。
「維持管理募金」ではないんじゃないのかなぁ?
ま、どうでもいいけど・・・。

↓今夏限定でこの翌日(7月13日)より開業するBRTの「奇跡の一本松駅」

ラジオで言っていたのですが、これはこの日に設置工事がされました。
なので、造りたてホヤホヤです。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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53日目 別天地の涼しさ岩手(4)~遠野

2013-08-04 15:49:00 | 北東北
2013年7月12日(金)


遠野市、以前から来てみたかった所(列車で通り過ぎた事はありますが)。
柳田國男の説話集「遠野物語」の舞台で、これぞまさに日本と言うべき里山の自然や民話的な世界の広がる町。
そんな「日本のふるさと」ともいうべき町を廻ってみたいと思います。

南部曲り家千葉家(国重要文化財)→
200年前に建てられた南部曲り家です。
「曲り家」とは、L字型の家の事で、母屋と馬小屋を直角に繋げた家。
映画「遠野物語」の撮影にも使われました。

←左部分が馬小屋、右部分が住居です



↓続いて「続石」と「五百羅漢」に行ってみる。
 
「続石」とは「遠野物語」91話に出てくる奇石で、かの弁慶が持ち上げて作ったといわれ、「五百羅漢」とは、大飢饉の際、お坊さんが犠牲者の冥福の為に花崗岩に500もの羅漢像を彫ったもの。

ところが、両方とも入口に来ただけで退散・・・

というのも、これを見てヘタる→
相変わらず度胸のない私であった・・・

↓卯子酉様(うねどりさま)
 
これは女性が大喜びする縁結びの神様。
祠に置いてある赤い布(100円)に願い事を書いて、左手だけで木に結べれば、縁結びのご利益が得られるという。

そこで、私もガラにもなくやってみる。
幸い?私は左ききなので、さほど苦労なく結わえられました、これで縁が結ばれる!
さて、何を書いたかというと・・・
「仕事がいっぱい来ますように」、つまりだ、仕事の縁を祈願した訳です。
これもある意味縁結びであろうから、問題ないんじゃないかな?
いや、やっぱり違う?
色気のない話しで、スミマセンです・・・

↓風車がシンボルの「道の駅遠野風の丘」
 

(279)岩手県遠野市役所

伝承園・カッパ淵駐車場にやって来ました→

隣は伝承園→
昔のこの地方の農家の暮らしぶりを再現した博物館

でも、私が見たいのはこれではなく、もう片方で、駐車場から少し離れた所にあります。

常堅寺→
この裏手にあります。

↓カッパ淵
 
カッパについての民話が多い遠野を象徴する場所です。

↓うん、本当にカッパが出てきそうな風景
 
左の写真に釣竿が垂れているのが見えます。
ここでカッパ釣りができるんですね。
ですが、この日は残念ながらカッパは姿を見せてくれませんでした(笑)



以上のこれらを見て、遠野観光はこれにて終了です。
市町村巡りというお題目がある以上、ここだけ時間を費やす訳にはいかない。
というより、遠野はほんの2~3時間いただけではとてもとても見切れず、最低でも2日はないとね・・・
遠野市立博物館・遠野ふるさと村その他数多くの観光施設や駅周辺の城下町の名残りの残る佇まいも見たいし、遠野市は「どぶろく特区の許可」を受けているので、どぶろくも味わいたい、「遠野ジンギスカン」や伝統食「ひっつみ」を食べながら、ね。
そして今度は晴れた日に来て、レンタサイクルに乗りながら「河童のクゥと夏休み」に出てくるのような情景に触れ、童心に帰ってみたいもんです。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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53日目 別天地の涼しさ岩手(3)~一関から遠野へ

2013-08-03 23:56:16 | 北東北
2013年7月12日(金)


幽玄洞を10時過ぎに出て、またまた2時間ほど運転に費やします。
目指す地は民話の里・遠野。

↓小さな集落や山の中をひたすらひたすら・・・





車の中ではNHKラジオを付けていたのですが(当然東京中心の放送が多くなる)、この日も関東から西は焼け死にしそうな暑さらしく、一様に「あっちぃ、あっちぃ。カンベンしてくれ・・・」と悲鳴を上げているような感じで各地の中継などをしている。
まぁ、前日まで私もその中で過ごしていたのでどういう様子か分かるのですが、いざこのような気温の中にいるとピンとこないというか、とても違和感を覚えます、不思議なもんですな。
そして半袖でいても全く寒さを感じないのも、これまた不思議なところ。

県道8号線を走っている途中で見つけたもの→
この新旧並んでいる鳥居はどういうことであろう?
それに肝心の社殿は?
ついでにこの辺りを見廻しましたが、何だかあまりいい雰囲気を感じない。
それは、写真の左にある標語の看板の小学校名 「人首」 という薄気味悪そうな地名に関係があるのか?
とっても興味を持ったので、千葉に帰ってから調べてみる。
まず、読み方。
何と「ひとかべ」というようです。
絶対読めないよな~。
八つ墓村を連想したくなるような不気味さです・・・

さらに伝承がある事も分かりました。
今から1200年前、征夷大将軍・坂上田村麻呂の率いる朝廷軍がここを攻めに来たの時の事。
蝦夷(えみし)の総帥アテルイが惨殺されて以後、その子である人首丸は山に立て籠もって僅か20人(!)で抗戦をしましたが、味方はどんどん減っていき、いよいよ手勢が3人となり、最後の決死の斬り込みを敢行、人首丸は捉えられ斬首されました。
その抗戦は4年間も続いたといいます。
人首丸は15歳位のかなりの美少年だったようで、現在でもお墓は手厚く供養されているということです。

それにしても2基の鳥居、標語の通り、我々には見えない神の手でつなぎあって、支えあっているようにも見える(笑)。

人首小学校付近→

「日本昔話」に地主として出てきそうな家→

田瀬湖というダム湖の畔に来ました。

いかにも小さな集落の郵便局って感じ→

↓田瀬湖と田瀬ダム


←ダムの上



ようやく遠野市の「道の駅みやもり」に到着→

↓ここは何といっても「めがね橋」が間近に見られるのが売りです。



橋をJR釜石線が走っています。
宮沢賢治はこの橋をモデルに「銀河鉄道の夜」を書いたといいます。
金土日曜の夜になるとライトアップされるらしいですよ。
芝の所が「恋人の聖地」、真っ昼間には「聖地」というには全く程遠い感じですが、夜にライトアップされればガラリと雰囲気が変わるんだろうな。
それと「奇体な石」とは何ぞや?

これの事ですが、みなさんはどのように見えますか?→
向こう岸にあるものをアップして撮ったので、本当はもっと小さく見えます。

一応、解説も載せておきましょう→

↓道の駅にある「レストラン銀河亭」の「どばそば」(\750)

山のように大盛りのそばというので注文してみましたけど、物足りない量しかなかったな・・・
これは並盛りであるよ、私にとっては。
この周辺はわさびの産地で、なるほど丸ごとのわさびが付いてきた。
わさびソフト(\250)というのも売っているのですが、残念ながらわさびが大の苦手でございます、私は・・・

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53日目 別天地の涼しさ岩手(2)~一関

2013-08-01 23:44:04 | 北東北
2013年7月12日(金)


一関中心街を軽く散歩してみます。

一ノ関駅→
市名は「一関」なのに、なんで駅は「ノ」が入っているんだろう?
個人的には「ノ」入りの方がしっくりくる。

駅前通り→

商店街→

商店街で見つけた飲み屋→
ツギハギだらけ、しかも原付バイクが上に置かれていて、思わず見入ってしまう。
これだけ目立つと、全く「秘密基地」ではないな(笑)
でも、入りたくなるような、入ったら楽しそうな感じのするお店ですな。

↓世嬉の一・酒の民俗文化博物館の「ご試飲直売所(左)」と「徳蔵」
 
この博物館では大正時代の酒蔵を活用し、酒造りの道具の一部を展示したり、酒造りを紹介したりしているそうです。
その酒蔵は、東北一の規模らしく、左の方のチラリと写る赤いポストの辺りから見えるのですが、写真に収めるのを忘れてしまった・・・

↓旧沼田家武家住宅
 

↓日本キリスト教団一関協会
 

磐井(いわい)川の土手に上がる→

市街地を出て、北東の方向に車を走らせ、やってきたのは猊鼻渓(げいびけい)。

JR大船渡線が砂鉄川を跨いでいます→
先程行っていたのは「げびけい」、こちらは「げびけい」。
近くにありながら、非常に紛らわしすぎる!
日本百景の一つである猊鼻渓では、2キロに渡って高さ100メートルの絶壁に、奇奇怪怪な形をした岩々を舟下りで楽しめるという。
乗ってみてみたいんですけどね~、90分もかかるというし、第一こんな天気だし、今一つ乗る気になりません。

↓ならばと、天気には全く左右されない猊鼻渓の近くにある幽玄洞へ



昭和55(1980)年に発見された日本最古の鍾乳洞。
3億5000年前は水深50メートルの海底であったらしく、ウミユリ・三葉虫などといった当時の化石が見られます。

いよいよ入りまーす→
なぜ、入口をこんなに立派にしているんだか・・・

↓どんどん下へ



それでも、しょっちゅう頭をぶつけてしまう・・・

↓以下こんな感じです。

泉は真ん中下よりの、モスグリーン色をした部分だったと思うんですが・・・
よく覚えていない(汗)





幽玄洞を見終えたのが10時。
ちょっと一関で時間を浪費しすぎたかも・・・
さて、次はどこへ行こうかな?

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