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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

110日目 海のギャングの生まれた町

2015-03-04 22:28:04 | 九州北部
2014年12月29日(月)


明日、というか、あと1時間半もすれば、不肖私めの誕生日でございます。
昨年は銀座でお祝いしてもらいましたけど、今年はどうかなあ?
思うに、一年経つのは実に早いもんですなあ(シミジミ)。

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たびら平戸口駅から再び列車に揺られ、40分ほどかかる松浦駅を目指します。

電源開発松浦火力発電所と黒潮湾→
隣にある九州電力松浦発電所と併せ、日本でも最大級の火力発電所。

海の駅松浦海のふるさと館→
平成17年にオープン。海に近いので海産物が買えるのは分かるのですが、それ以外にメロンの最高品種のアールスメロンも特産品。

松浦駅→

↓駅から少し歩いた所にある駅前通りと国道204号線との交差点

この国道とそれに通じる路地に商店が立ち並んでいます。

↓交差点から西側の界隈
  
風になびく千切れてボロボロの懸垂幕があはれ。

↓住んでいそうだし、お店もやっていそうだけど・・・。傾いているよな?、大丈夫なんかいな?


↓品数は充実のしもた屋。意外とマニアが大ヨダレ垂らしそうなお宝あるかも。




東側はさらに輪をかけての寂れっぷり→

上の写真奥に見える標識の交差点にある看板→
知りませんでしたが、サバも日本一であるといいます。
青魚には目がない私にとっては非常に魅力的な町でありますなあ。

(467)長崎県松浦市役所
平戸の時にも触れた源平合戦や蒙古襲来時に活躍した松浦(まつら)党の発祥地がここ。
そして明治時代には石炭採掘で繁栄するも、戦後には衰退。

さて、ここ松浦市観光は車がどうしても不可欠。
伊万里湾に浮かぶ、元寇の折りの元軍の終焉地と云われる鷹島(場所は下の地図を見てね)では、最近元軍の船底が見つかった我が国初の海底国史跡「鷹島神崎遺跡」がありますし、モンゴル遊牧民の生活を味わえる「鷹島モンゴル村」があります。
同じく福島には「日本の棚田百選」の一つ、土谷(どや)棚田があり、田植えの頃の黄昏時がとっても素晴らしいらしい。
「どや」だけに、どや!って感じの風景なんだろうな、きっと。
そういう訳で、今回はトコトコ歩きによる市街地巡りで松浦市は終わりにします。

志佐川の「庄野橋」下流側→

橋より市街地を見る→
歩いている人に稀にしか会わなくても、走っている車はイヤでも絶対に会える。
地方へ行くと、これが寧ろ当たり前の光景。なんとも嘆かわしいことではないか・・・。

↓また列車に乗り、伊万里湾を眺めながら佐賀県に突入。


伊万里市の楠久(くすく)駅→
こんな田舎駅に降りて、ドーすんだ? とうとう血迷ったかワレ・・・!?。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

110日目 タイミング最悪、エキゾチックフィランド平戸(2)

2015-03-01 23:56:50 | 九州北部
2014年12月29日(月)


聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(正式には、平戸ザビエル教会という)の前を通りますので、中に入ってみましょう。ただ、私はクリスチャンではないので、単に建物鑑賞するだけ。

昭和6(1931)年に建設された教会堂→

↓ちょっとの咳払いですら憚られる様な、静かで厳かな教会の中

見学の心得に、「脱帽し、喫煙・飲食などはダメ」とありましたが、撮影禁止とはなかったハズ・・・。ミサの時は、当然マズイんだろうけど。
入るや否や、私の脳内では「主よ人の望みの喜びよ」が渦巻き始めましたので、ここに立ったとたん思わず「アーメン」と唱えそうになりましたが(笑)。

山はこれまでで、下に降ります。

樹齢数百年といわれる大ソテツ→

↓写真奥の階段を登ると、松浦史料博物館があります。

ここは元々明治26(1893)年に松浦氏の邸宅として建てられたものを、昭和30(1955)年に)博物館として開館したもの。旧藩主松浦家に伝わる秘蔵品を数多く展示しているというので、これは是非観覧しないと・・・。
なんですが、入館できるのは12月29日~1月1日以外であるのを知ったのは、階段の下にあった休館を知らせる看板を見てであったのを白状しないといけませぬ。

↓近くには「平戸温泉うで湯・あし湯」があります。

珍しい「うで湯」。でも興味ないのでいつものとおりパス。

↓さっきまでふらついていた商店街に通じる「浦の町商店街」を歩きます。

観光客が大喜びしそうなお店が建ち並んでおります。

↓その中で見つけた、ちゃんぽん屋さん。
   
ちゃんぽんの発祥は長崎市の「四海樓(しかいろう)」 というお店ですが、具が野菜は別として、他は海鮮系だけのを最初にやり始めたのがここって事なんでしょう。
ちょうどお昼時でもありますし、それならばと敬意を表して、大地震が来たら倒壊しないか心配だけど、入る事にします。

注文したのはもちろんコレ→
具のこのボリューム! め、麺が見えん・・・。海鮮ものは、定番のイカ・エビなどの他、アサリと何とサザエが入っていたりする。お味もとっても美味でございました。
あごだしラーメンは食べられなかったけど、これにありつけられたし余は満足じゃ。

話しのついでですが、昨年の「ふるさと納税額」の日本一はここ平戸市で、1万円以上納税すれば、地元で捕れた魚介類などが貰えるという、大盤振る舞いのしすぎじゃないかと思える位のオマケ付き。

麺をすすっていると、関西から来たという客とお店の人との会話が聞こえてくる。
今の経営者は2年前から営業という。「海鮮チャンポン」発祥店はウソかい?と思ったのですが、お店自体はかなり以前からやっていたらしい。
そしてお店の人は、「せっかく平戸に来てもらったのに、資料館もお城もやってなくて申し訳ないねぇ」と恐縮している。全くだぜ。

「親が死んでも食休み」がモットーの吾輩ですが、時間も迫っているので腹ごなしに蘭の薫りプンプン(植物じゃない)の場所を散策。

オランダ塀→
後で登場しますが、オランダ商館の目隠しとして作られたという。

オランダ商館で使用された井戸→

オランダ埠頭→
左の建物が「平戸オランダ商館1639年築造倉庫」。寛永16年に完成した我が国初の西洋式石造建造物ですが、寛永18年に幕府の命により商館は取り壊されてしまいました。今あるのは4年前に復元されたもの。
中には入れるんですが(有料)、あまり興味なし。興味ない施設がオープンとは誠に皮肉なり。

平戸城、丸見えー→
美しいな。
かの作家・司馬遼太郎氏が、「景観の中の城として 日本で最も美しいのは平戸城だと思う。」 と仰せになっていて、それがどこからの景観か分からないけど、納得の風景。

商館の前にある「常燈の鼻」→
オランダ船入港時の目印となった灯台。

平戸観光もとうとう終わりを迎えました。

平戸桟橋バス停を13時頃発ちます→

ことごとく失敗した平戸、再訪はケテー的。でも、そうじゃなくても何度も訪れたくなる町であります。が、問題は次回がいつになるかということだけ。

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110日目 タイミング最悪、エキゾチックフィランド平戸(1)

2015-02-28 00:58:58 | 九州北部
2014年12月29日(月)


↓実は初めて平戸島には上陸でございまして、「平戸市役所前」バス停で降ります。

ここは「海岸通り」という道路。
天気はいいし、眺めもよかよか。平戸大橋からの眺めといい、幸先いいと思ったのですが・・・。好事魔多し

(466)長崎県平戸市役所
役所は左の工事中の建物ですけど・・・、形しか分からん。
橋は「幸橋(さいわいばし)」、別名「オランダ橋」。
寛文9(1669)年に木造で架けられ、元禄15(1702)年に石造に架け替えられた国指定重要文化財。
平戸は遣唐使の寄港地で、中世になると海賊・松浦(まつら)党の根拠地となり、南蛮貿易で繁栄。
17世紀に入ると、イギリス・オランダ商館ができたものの、オランダ商館が長崎市・出島に移転されてしまうと衰退してしまう。

役所入口手前にある「英国商館遺址之碑」→
昭和2(1927)年に在日英国人有志によって建てられたもの。
この後、少し離れた商店街を歩いていたら、「英国商館跡碑」もあったし、どうやらかなり敷地がデカイ商館だったようです。

↓役所前から山を登っていく階段があり、それを通って平戸観光の目玉の一つである平戸城へ乗り込むでござるよ~。


意気込んでエッチラオッチラ登って、だいぶ上に来た所に設置されていた看板を見たとたん、脳天を何かで思いっきり叩かれた気分になり、頭がクラクラしてしまう。

しばしボ~ゼン
昨年12月1日~今日(2月28日)までの僅か3ヶ月のピンポイントにぶち当たるとは・・・(絶句)。
わざわざ、遠い平戸に来た甲斐もなし。しかもガイドブックには12月30・31日は休館とあるので、焦ってこの日に来たというのに・・・。
この悪運ある種の強運?がクジにも及んでくれればいいんだけどなー。
これに懲りず、また平戸に来てねー、っていう天の御告げなんだろうか・・・。

↓それでも、お城の姿は見たく、宝永4(1707)年築の北虎口門(きたこぐちもん)から入ってみます。


亀岡神社の正面から見えたお城→
でもこれで満足はできないのは当然。

↓魚の棚町という所に移動し、そこからの町の中心っぽい商店街を歩くことにします。


↓ここで、平戸唯一の手打ちそばであるという、「あごだしラーメン」も楽しみの一つでした。

話しの成り行きからして、休みでしたとなるのでは?となるのでしょうが、実際休みでした。・・・。
年末だし、営業しているとは思っていませんでしたけど。

木引田町(きひきだちょう)商店街にあるお店→
右のお店はレンタル屋さんではありません。
文亀2(1502)年創業と伝えられる超スーパーウルトラ老舗のお菓子屋さんで、「カスドース」という南蛮菓子が有名らしい。お店のHPはコチラ
三浦按針(みうらあんじん、ウィリアム・アダムス)が住んでいたので、「按針の館」と名付けられています。
イギリス人である彼はリーフデ号の水先案内人で、英国商館設立に尽力し、平戸にて死亡。
「按針の館」から少し離れた場所に「終焉の地」の石碑があります。

同じく木引田町商店街→
右に「カメラのたかた」というお店が見えます。これは「ジャパネットたかた」本家本元ともいうべきお店。
最近社長職を退いた高田明氏(といっても例の甲高い声でまだメディアに登場していますが)のご実家で、しばらくここで働いていたという。

みやんちょ一番街商店街→

↓ここで商店街を離れ、また山登りをし、「平戸を象徴する」という場所へ。

案内があるので、目的地はお分かりかとは思いますが。

↓瑞雲禅寺・光明寺と聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の、いわゆる「寺院と教会の見える風景」

これまで異国情緒漂う史跡が全くなかったのですが、ようやくお目見え!
確かに珍しい風景なのかもしれませんが、個人的には、名所とするほどのものかなーというのが正直な感想でございます。
ま、ヨーロッパでは絶対ありえんものだとは思いますけど。

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110日目 松浦鉄道でぐるりと巡る北松浦半島

2015-02-24 23:56:49 | 九州北部
2014年12月29日(月)


この日は、MR鉄道こと松浦鉄道沿線廻りと、前日とは一転、鉄分満載の日となります。

佐世保市と佐賀県有田駅を結ぶこの鉄道、「MR」というくらいだから、鉄道の「顔」たる偉大な路線なのか?
と言うとそうではなく、かつては松浦線という国鉄路線で、廃止対象路線としてノミネートされてしまったほどのローカル線。でしたが、しぶとく生き抜いて、「Matsuura Railway」は現在では、第三セクターとして運営されています。

この日巡る北松浦半島の各都市は、18世紀以降は炭鉱の開発で栄えたものの、戦後の石炭不況によって閉山したのを受け、著しく衰退した地方であります。九州はこういうのが多いですな。

↓佐世保駅7時36分発の列車で出発でございます。


そして、あっさり8時20分に佐々(さざ)駅に到着→

こちら線路に沿って伸びる商店街「栄町通り」→

と、ここで一大事発生!
この通りを歩いていたら、急に腹の具合がおかしくなってしまった。コマッタゼ(+o+)。
そう遠くない所にある役場まで行けば、ひょっとしたら敷地にトイレがあるのではないかと、とりあえずそこへ急ぐ。

(465)長崎県北松浦郡佐々町(ちょう)役場
周りの町が次々に佐世保市の軍門に下る中、一人頑張っている人口1万3千人余りの町。
あたかも佐世保市に包囲されてしまった感じですが、海側に僅かに逃げ口?を確保しております(なんのこっちゃ)。
皿山という所には、磁器造りのための古い窯元があって、その秘法が今の愛知県・瀬戸市に伝わったとされています。ここもかつては大小13もの炭鉱がありました。

さてさて、ノンキに町の紹介をしている場合ではなく、一大事の方が大事!
だけど、そう都合よくトイレやかある訳もなく、役場の中のを借りようにも当然空いていない。
仕方ないので、駅前に公衆トイレがあったので、そこへマッハで戻ります。
得てして、こういうトイレは酷く汚いか、案外綺麗かのどっちかであるけど、もし汚くても贅沢は言ってられん。

~駅に戻り、体重を落としにかかります~

スッキリして再び町の散策開始。
ただでさえ、佐々町滞在時間は超短めにしか設定していないので、とんだ誤算でございました。
えっ、トイレですか? 意外に綺麗でした。
ただ、散策再開とは言っても、たいして見るべきもないんだけど・・・。

国道204号線→

国道から「栄町通り」を結ぶ商店街→
正面の山は「城辻山(標高216m)」。

その商店街にて→
屋号を見たとたん、思わず吹き出してしまった(苦笑)。でも「フェニックス」が正しいようだけど、どう見ても「○゛ス」だと思うよなあ~?
でも「○゛ス」の屋号の方が、いっぺん入ってみようかと思ってしまうのではないかな?
実は案外、美人やら可愛い人やらが多かったりして・・・。
ま、こんな田舎町でそういうのは想像しづらいけど。

再び列車に乗ります。
佐々駅の隣は、一時期甲子園で一世を風靡した高校が目の前の「清峰高校前駅」。

何橋だったか忘れた→
この鉄道には、国の登録有形文化財であるコンクリート橋梁が3本ありますが、その一つ。

ちらちら見える海が綺麗でござる→

↓そんなこんなでやってきたのは、たびら平戸口駅。

幟にもあるとおり「日本最西端の駅」。 でございました
平成15年に那覇空港駅ができてからは、その座を奪われてしまったこの駅ですが、指宿枕崎線の西大山駅同様、ちょっとした名所と化しているよう。駅舎の中には鉄道資料館があって、無料で見学可。

たびら平戸口駅のある、平戸(ひらど)市田平(たびら)地区はもう一つの売りとして昆虫がありまして、「たびら昆虫自然園」では多種多様な昆虫が観察できるそうな。

なので、駅にはこんなのがあります→
網を持ってカマキリを捕らえようとしている姿を見ていると、大東亜戦争末期、日本軍が竹槍でアメリカ軍をやっつけようとしたのを思い出す。

高台にある駅から歩いて低地に降ります→
正面は「平戸大橋」。

平戸瀬戸市場→
地場野菜からその日に水揚げされた鮮魚から、だいたい想像つくと思いますけど、そういう物が売られておりまして、2階では抜群の景色を見ながら食事もできます。
入りたいんだけど、乗るバスの時間が迫っておりまして・・・。

↓市場の正面には「平戸口桟橋」バス停のあるターミナルがあります。


平戸大橋からの眺め→
すんばらすぃー、の一言に尽きる!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

109日目 町並みと虫がもてなしてくれた小値賀島

2015-02-22 23:47:54 | 九州北部
2014年12月28日(日)

昨日、急にインターネットに繋がらなくなってしまいましてね。
たまたまその時は仕事中で、ほんの少しだけ抜き・・・おっとっと、「息」抜きしをようと、お子ちゃまはダメよなサイトにアクセスとたんだったので(くどいようですが、あくまで息抜きだけです)、「あ゛っ、ウイルスにやられた!!」と非常に焦った訳です。
困ってChromeにアクセスしてみたら、あれ?、こっちは繋がるじゃん・・・。??
ヤフーニュースを見ると、『「ノートン」更新でIEに障害 PCセキュリティソフト』とあるじゃないですか!
私も確かに普段インターネットエクスプローラー(IE)に繋いでいて、おまけにノートンを使っておりましてね、ま、そういう事でした。
他のブラウザはピンピンしているみたいだし、もしかしたらノートンとIEは相性悪いんですかね?
盲点だったわ。そんな事がこれからもあると困るので、Chromeをメインにしよっかな・・・。
当然のように2ちゃんでも大騒ぎしてました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小値賀町(おぢかちょう)、この町を知っている人は、この日本に果たしてどれくらいいるんでしょう?
全く聞いたことないよ、という人がほとんどかと。
私も全国市町村巡りを始めるまでは全く知りませんでした。
そういう町なので、かなり前からとてもどんな場所なんだろと非常に興味を持っておりまして、ついに念願叶ったりという事でございます。

さて、町のメインをなす小値賀島とは火山島で、面積は約12平方キロですが、かつては東西2つに分かれていたのを、埋め立てで一つの島に。遣唐使の寄港地で、牧牛が盛んだったらしい。

円形の陥没状の海食地形「ダキ(この地方の断崖を意味する方言らしい)」が見られ、特に「太古の火山が織り成した特異な形状と松林、白砂が呈する「五両ダキ」は、旅人の心を癒す秘密のスポット(あるサイトから引用)」であるとか。
そこで小値賀島は「東洋のガラパゴス」「日本のガラパゴス」との異名もあるようです(ガラパゴスは小笠原だけじゃないんだぞ)。どういう風景かは「五両ダキ」で画像をググッてみて下さいね。

ただ、「ダキ」は港から相当離れている上に、滞在時間も1時間しか確保できず、誠に残念無念であります。
なので、本ブログでは、フェリーターミナルのある、町の中心地「笛吹地区」だけのご紹介です。

↓フェリーターミナルから5分程歩くと漁港の近くに。

この先が漁港。

漁港の様子→

↓笛吹本通り



町のメイン通り。味わいありますな~。

↓クロネコがシンボルの某社の取扱店となって「マンセイ」の石碑を建ててしまうんだから、相当の喜びようだったみたいです。「おもてなしの島」の面目躍如。


信号を右に曲がると役場→

(464)長崎県北松浦郡小値賀町役場
町のHPでは人口は約2,700人。
それより、「おぢか国際音楽祭」というのが近々開催されます。詳しくはコチラ
予約が必要なコンサートもあるので、今からでも間に合うかなあ・・・?ですけど。

↓年明けまで晒し者にされてしまうのだろう、町のゆるキャラ・ちかまるくん

昨年は、クリスマスが終わるや否やすぐ仕事納めでしたからね~、ここまで手が回らんかったのだろうね。

メイン通りがあんな素朴な感じだったから、ウラ通りは恐らくもっと素晴らしいものでは?と、期待大。
↓やっぱり期待にはしっかりと応えてくれました! 素敵な集落でございます。

島では珍しい格子戸の家。左の家は「先小路」という古民家貸し切り宿(だったと思う)。

  


下の写真真ん中上の奥の建物は「万日堂」。五島列島で最古の木造建築物。

そのお堂から→
このお真下には、あるヤツらがウジャウジャおりまして(小さすぎて写真には写っていない)。
突っ込みたくはないんだけど、その塊に突入しないと先に進めない迷惑な集団。そのヤツらとはウンカ
多少まとわり付くくらいならまだいい方で、お呼びじゃないのに時に目・鼻・口に入ってくるとっても厄介な連中。口や鼻なら閉じて息を止めるなどの手を打てるけど、目を閉じながら歩くのはちと危ない。本当に困ったもんだ。

この島に来て、ウンカ雲に突っ込むのはこれで一体何度目なんだろう?
ウンカが多いという事は自然豊かって事?
ま、よく分からんけど、自分としてはそういう風に解釈しておきます。

さて、ここを去る時間が来ました。もっといたい気満々だけど。

乗る船は、九州商船のフェリー→

私の大好きな船での見送りの光景→
見るたびにセンチな気分にさせてくれる。

じゃあね、小値賀島→

17時頃、佐世保港に到着→
やれやれ、ようやく宿泊施設で落ち着くことができます。これよりしばらく佐世保に張り付きまっせ。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

109日目 五島列島の島々と海

2015-02-19 23:42:56 | 九州北部
2014年12月28日(日)


博多から乗ってきた「太古丸」は、福江に着いて2時間後の10時10分、再び博多に向けて出航します。
そして私もこれより五島列島と周辺の島々を眺めながら、再びの船旅です。

知名度ある五島列島は西海国立公園の一部で、一般的には福江島、久賀(ひさか)島、奈留島、若松島、中通島を中心に指すようですが、宇久島、小値賀(おぢか)島を加えることもあるみたい。そして、142ある島のうちの2割ほどに人が暮らしています。

↓地図がないとよう分からんと思います(地元民は除く)ので載せときます。


江戸時代から明治時代初期のキリシタン弾圧を避けるため、五島列島に多くの信者が逃れたため、キリシタン文化の香りがきつ過ぎるプンプンの所。
そしてここの教会群は「世界遺産暫定リスト」に登録されているんだそうですが、もし世界遺産になったら、世界遺産マニアの人には嬉しいやら、旅費がかかって悲しいやらかな?

真面目なお話はこれまでにして・・・。

さすがに折り返し便はガラガラ→
なので、優雅な航海を満喫。
のハズなんですが、初めて来た所ですし、今後来るかどうかも分からんので、体調が悪いというのに、寒風の中、ムダに撮りまくりでした。
おまけに、海と島だけの写真だらけになったので、どこの場所を、どこの島を写したのか全く分からんようになってしまいました。
♪ 私、バカよね、おバカさんよね~(バカなのは知ってはいるけどさ・・・)。

じゃあね、福江島→

久賀島(長崎県五島市)→

多分、奈留島(長崎県五島市)→
※違っていたらどなたかご指摘を・・・。

若松島(長崎県南松浦郡新上五島町)→
この島には、最近注目度ドアップという、明治時代のキリシタン弾圧から逃れて船でしか行けない断崖の洞窟に隠れて信仰を続けた「キリシタン洞窟」がありまして、今でも船でないと行けないんだそうです。

↓いよいよ若松島と中通島(長崎県南松浦郡新上五島町)を結ぶ若松大橋の下を通ります

島と島の間が狭いので、大きな川を進んでいるようだ。

長さ522mの橋→

あっけなく通り過ぎ、そして遠ざかる・・・→

↓リアス式の入り組んだ海岸線を眺めながら、中通島の青方港に接近。




青方港にある洋上石油備蓄基地→
しかも、洋上式は世界初! すげえぞ、日本!

↓「十」の字の形をした中通島に沿ってひたすら北上


近づいてきました、小値賀島→

接岸中→

13時10分頃到着し、吾輩は下船します→
おもてなしの島」がキャッチフレーズの小値賀島。
何かの「ウラがある」怪しい島という意味じゃありません。
もちろん、東京五輪誘致で世界中に大々的にアピールした「日本の心」の方です。
で、実際に島にやって来て、もてなしてくれたのは・・・。

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109日目 最果ての城下町、福江へ(2)

2015-02-17 23:56:18 | 九州北部
2014年12月28日(日)


福江港から歩いて10分もかからない所にアーケード街が広がっています。
どうやらここらが福江の中心街のよう。

↓「本町通り名店街」を歩いていると、否でも応でも視界に入ってくるコレ、ナニ?

五島チャンココとはコトバンクによれば、
「頭に花笠(はながさ)または陣笠、腰にビロウの腰蓑(こしみの)を着け、腰太鼓を打ちながら円形で踊る。楽器は2人持ちの重鉦(おもがね)と小鉦で、チャンココの名はチャンが鉦の音、ココは太鼓の音だともいわれる」という初盆の頃に見られる念仏踊り。
こんな格好をして、家の前とお墓で先祖の御霊を鎮めに廻るというんですが・・・。

なんでも、近年は電話も背負って踊るらしい・・・→
んな訳ない。
それにしてもこの公衆電話をたまに見かけますが、使う人いるんでしょうかね?

↓サンシャインしんえいアーケード




↓おっ、見つけちゃいました! 懐かしい!涙が出てきそうだ・・・。

看板、結構キレイですよ? まさかやっているとか?

年末で、しかも早朝のせいか、ちと寂しい商店街でしたが、普段の様子はどうなんでしょう?
でも孤島列島五島列島にかくも立派なアーケード街があるとは。
人が今よりも多かった頃はさぞ・・・、と思いたくなる。

二つ上の写真の赤信号の所を右に折れると、

お城好きには恐らく萌えの光景→
石田城(福江城)の内堀でございます。左奥の門は「蹴出門(搦手門)」。
市の観光サイトによれば、
「五島藩主の居城跡で、第30代盛成公の時に黒船の来航に備えて造られました。お城は寛永2年(1849)8月から15年の歳月と二万両の公費を使って文久3年(1863)6月に完成。城郭は東西291メートル、周囲1346メートルで、城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城です。江戸幕府最後に築かれた我が国で最も新しい城ですが、まもなく明治維新となり築城9年にして解体されました。」という哀しいお城。

蹴出門→
城壁の四角い穴は矢を放つための狭間で、三角のは監視用、そして、広い範囲に攻撃できるよう、外側に向かって開いています。
ところでだ、なにやら工事中というのが気になる・・・。

野面積みによる石垣が続きます→
ブルーシートがかかっている手前が、二の丸跡に残っている「五島氏庭園」という国の名勝の入り口。
ですが、イヤな予感は大当たり。現在工事中につき拝観できず。

現在は高校で、昔は本丸→

↓ちと、お城から離れて「武家屋敷」という地名の場所へ


↓近くにはそれらが軒を連ねる「武家屋敷通り」があります。





心穏やかに散策するのにもってこいの場所。
塀の上にはたくさんの丸石が積まれています。
「こぼれ石」といわれるこれ、防犯用に、或いは武器として使われたよう。ただ、相手方の武器となる可能性もあるんだけど。

↓北の丸跡へ



左は五島観光歴史資料館、右が五島市立図書館。

ここで、時間切れ~。
今回はホンのかすり程度しか福江を感じ取ることがでませんでした。
もし今度来る事があれば、2泊ぐらい滞在し、車を借りて島中を巡り、海の幸を味わいたいですねえ。
あちこちにたくさんあるという教会は、全く興味がないからどうでもいいけど。

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109日目 最果ての城下町、福江へ(1)

2015-02-14 23:42:58 | 九州北部
2014年12月28日(日)


博多港を出た船は、長崎県・五島列島の島々を結ぶ23時45分発福江行き「太古丸」。
昨年7月に就航したばかりの真新しいピカピカのフェリー。そして、帰省・旅行シーズンだけあって、満員御礼。

↓通路を潰しての即席ザコ寝室にまわされた、ゆっくり乗船した人たち(私含む)。


我々よりももっと遅く船に乗り込んできた人たち→
いかにも帰省って感じの船内。

宇久島(長崎県佐世保市)の平港→
4時頃ですが、下船する人かなり多し。

奈留島(長崎県五島市)の港→
ようやく夜が明けた7時半頃。

↓8時すぎ、長い航海の末ようやく福江島が目の前に。



五島列島最大の島・福江島は、面積が約326平方キロメートルで、島としては国内第15位の大きさ(北海道・本州・四国・九州も含む)。
二つ上の写真右に見える、色褪せた山は、島のシンボル「鬼岳(標高315m)」。

↓地元では「おんだけ」と呼ばれているこの山、見かけは単なるハゲ山。

上空からの写真を見ると、○ルシンドのおつむ(古っ!)のような面白い姿の火山
でも何だかずっと見ていたくなる、癒しの山。きっと山頂からの眺めはかなり素晴らしいかと。
小さい頃、川の堤防でダンボールをソリのように滑ってよく遊びましたが、この山だったらそれができそうな(笑)。もしそれができたら、さぞ楽しかろう。

福江島に上陸!→

福江港ターミナル→

私にはゆるく見えない「ゆるキャラ」→
寧ろゆるいどころか、ちと怖いかも。着ぐるみはどうかは知らないけど。
昨年のゆるキャラグランプリでは総合459位と、全国的知名度にはまだまだっ。
ターミナル写真のネコの横にあるのは「バラモンちゃん」。
さらには「ごとりん」というの萌え系キャラもあって、どれも半端な感は否めない。いっそのこと、一つに集中投下した方がいいような気がする。

ターミナルの中(これは帰りに撮影)→

長時間・高費用をかけて遥々ここまで来ながら、滞在時間はあまり確保していないので、さっそく散策開始。
鼻風邪は相変わらずヒドイですが、喉の痛みは引っ込んでくれました。温泉パワー(だと思う)、さすが!

港の岸壁、福江川の河口付近→
右には福江港のシンボル「常灯鼻」。

拡大してみます→
市の観光公式サイトによると、「第30代藩主五島盛成公が福江城(石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたものといわれています。防波堤としての役割のほか、灯台としての役目も持っていました」という。

町の中心街を通って、六角井へ→
これまた観光サイトでは、「天文9年(1540)、当時明国の王直は通商を求めて福江に来航しました。築城後間もないので窮迫した財政を再建するため、領主宇久盛定公は通商上の黙約を結び、現在の唐人町の高台に居住地を与えました。その際、王直ら中国人が飲料用水、船舶用水として造ったのがこの六角井(戸)といわれています。」
中心街の様子は次回にて。

(463)長崎県五島市役所
平成16年に福江市と5町が合併してできた市。
人口は4万7千人あまりであると、写真右に見える合併を記念したモニュメントに書かれていますが、今では4万人を割ってしまいました。たった10年で15%以上も減ってしまうとは・・・。
地方創生、もう待ってられません、安倍さん、石破さん!

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105日目 北部九州・史跡巡り(15)~飯塚

2015-01-29 22:51:42 | 九州北部
2014年10月12日(日)


再び中心街に戻ってきました。

吉原町商店街を歩きます→
飯塚の歓楽街らしく、飲み屋とても多し。
でもひっそり。誰もいません。まだ夜じゃないしね~。夜の姿が気になるぅー。

↓この通りを進んだ先には、こんな建物があります。

嘉穂(かほ)劇場。昭和6(1931)年に開設された芝居小屋で、国の登録有形文化財。
奈落は必見らしく、他にも芝居の小道具やポスターなども見られるという。
ではでは、入ってみましょう!
と思ったら、この日は公演の日、そんな日は見学できません。ガックリ・・・。本当に呪われたが如く、タイミングの悪い事が重なりすぎ(泣)。

ふと視線を嘉穂劇場の前の飲み屋にやると、一人の若い女の子が倒れている。
そして、その周りにその子の知り合いらしき男数人が介抱している(みたい)。
じーっと見ている私に気づいた彼らに「あっち行きな!」と言われる。
本当に介抱だったのか、それとも・・・。

一応アーケード街?→
廃れ感たっぷり。

こちらは立派なアーケード街→
「東町商店街」の「歌人白蓮想」前。個人でせっせとお集めになった柳原白蓮に関する資料が見られるらしい。
立派なアーケードだけど、人が歩いていないのはどこも同じ。

天井→
東京駅のドームの天井みたい。

ここで郊外に出ます。

実はこの日はお昼をロクにとっていません。「道の駅うすい」でパンをかじった程度。
普段から旅の最中の昼食は極めて軽いのですが、特にこの日はハラペコ状態。
というのも、飯塚・嘉穂は嘉飯(かはん)地域というらしいのですが、それをもじった「kahanライス」と呼ばれるご当地オムライスがあって、それを食べたかったから。

神仙楼→
屋号や外見からしていかにも中華料理屋っぽいですが、実際、中華料理屋さんです。
ここに来たのは、普通のケチャップご飯に卵を被せたものではない、中華風オムライスが気になったワケでありまして。

嘉飯ボタ山天津飯→
これでも一応オムライスなんだと。
かなりピリ辛ではありましたが、とってもおいしい!
でも、やっぱりどう見ても天津飯だよな~。一体オムライスの定義とは何ぞや?

オムライスの他にも「ほるホルめし」という、どこぞの民族がホルホルしそうな名前のホルモンめしも気になっておりまして、もし嘉穂劇場のリベンジがある時には、是非味わってみたい。

再びアーケード街へ→
本町商店街。このアーケードは旧長崎街道なので、周辺には史跡が多いです。
そして黒田官兵衛ゆかりの史跡も多い、飯塚。
朝ドラとのダブル効果で観光客を呼び込むまたとないチャンスではあったのですが、あまり人が来ているようには感じません。非常に残念なことです。
ここはネット民に人気があるらしい副総理、もっと飯塚などの筑豊地域をアピールする発信をしないと!

からくり時計→
10分遅かりし・・・。

台風の影響がジワジワ出始めたか、雨がとっても強くなってきました。
なので、予定していた隣の小竹町は行く気がカンペキに萎える。

さよーなら、遠賀川に飯塚に筑豊→

↓相変わらず人でごった返す博多駅に戻ってきました。


台風がいよいよ迫っているんだなー→
「8号」ではなく、「19号」。かなりいいかげん。

こちら福岡空港→
南の方はヤバイ状態に突入したみたい。
一番上、14時発の成田行きが6時間遅れなんて、ヒドス(笑)。やってくれるね、LCC。

夜の空港は美しすぎ→
雨が降っていると、さらに美しく感じる。

帰りの飛行機も、折しも昨日民事再生法の適用を申請したスカイマークで、026便21時10分発。空港に着いたのは19時頃だったから、時間潰しだけで疲れる。

さて、機内では気流が不安定につき、ずっと安全ベルト装着ランプが点灯。
終始グラグラガタガタ。生きた心地がしないよ・・・。だから飛行機はイヤなんだ

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105日目 北部九州・史跡巡り(14)~飯塚

2015-01-27 23:50:54 | 九州北部
2014年10月12日(日)


結果的になんですけど、本旅最後の訪問地となったのは飯塚市。

↓筑豊線の電車に乗ると、やがて右側に接近する飯塚シンボル「忠熊のボタ山」、別名「筑豊富士」。

ボタ山には石炭カスも積まれているので、自然発火することもあるらしい。
一種の火山? なるほど、火山顔負けの優美な形。

14時すぎ、新飯塚駅に到着→

そして何はさておき町訪問の証しとしての役所へ。

(457)福岡県飯塚市役所
いわゆる筑豊三都の一つ。
江戸時代は長崎街道の宿場町として、明治以降は炭鉱都市として栄える。
首都圏在住の人にとって東京銘菓として知られている「ひよ子」は、実は発祥の地は飯塚
これを聞いてショックを受ける東京人が少なからずいそう。

役所前のガソリンスタンド→
値段、高すぎ・・・(笑)。
それはともかく、下の政党広報板には、こっそりと副総理のお名前が表示されています。
そう、飯塚市とその周辺はこの先生の地盤。
ただ、このスタンドの会社と先生とは関係があるのかは知りませんが。

↓市役所前をまっすぐ行くと、新飯塚橋。

遠賀川(おんががわ)に架かる橋。昔、採れた石炭を川で洗っていたので水が黒く濁ってしまい、「ぜんざい川」と呼ばれていたらしいです。

下流の方向→

そんで、国道211号線を南下→

↓雨降りとなった中、「飯塚」停留所(臨時)でバスを待ちます。

本来停留所のある所は、バス停奥に写っている工事中の建物である「飯塚バスセンター」内。
停留所名は「飯塚」。JRにも飯塚駅はあるものの、「こここそが飯塚の中心だ」と言わんばかりの命名。

さて、バスに乗って降りた所は「幸袋(こうぶくろ)」停留所。
この近くには多くの騒々しいオバサン共人たちで大賑わいの通り道があります。

↓古い建物が並ぶこの道は、昔の長崎街道。

おや? 「村岡・・・」と書かれている幟がチラリと見える。村岡? 村岡と言えば、あんお方の事?
そうです、アンお方。
ここは例のドラマでは嘉納伝助のモデルとなった筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門旧邸がある通り。
ということは、蓮子姉さま、つまり柳原白蓮の一時のお住まいだった所でもあります。
ドラマ効果は抜群! ミーハー多すぎ(私も含む)。

じゃあ、炭鉱王の豪邸に入ってみましょうか!
入館料は300円ですが、ジャフの会員証を見せたので2割引の240円。

玄関→
入れないから、たむろってないで早くのいてくれないかな?

お屋敷→
明治30年代後半に建てて以後、幾度かの増築を経て今に至る。

回遊式のお庭→
敷地面積は2300坪、この庭園は国指定の文化財。

1階の大広間→
ここから庭園を見渡せます。ゆっくりと寛ぐのにもってこいの場所。
寛ぐどころか、横になってただただ眠りたい。

2階の座敷→
白蓮のお部屋でございます。明治44年に増築された数寄屋造りの建物。
お屋敷写真の、丸い電球がぼんやり付いている手前のお部屋がここです。

トイレ→
大富豪の家とはいえ、さすがにトイレはボットン式みたいだね~。
と思いきや、九州でも最初の水洗式のものなのである。

柳原白蓮と伊藤伝右衛門との10年間を、ちょびっとでも偲ぶことのできたお屋敷でございました。

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105日目 北部九州・史跡巡り(13)~嘉穂郡

2015-01-24 23:57:10 | 九州北部
2014年10月12日(日)


篠栗線に乗っていると、強い雨が降り出したのが分かる。
しかも、風もそこそこ吹いていそう。やれやれ、どうしたものか・・・。

↓でも、桂川(けいせん)駅では降っていませんでした。

助かった、と思いきや、たちまちパラパラやってくる。まさに雨男の本領発揮です。
ただ、すぐ止んでしまったのでラッキー! そんな中を桂川町役場に向かって歩きます。

何てことない田舎道→
ですが、これは昔の長崎街道。
そう言われてみると、何となく古道の趣きを感じてしまうのがまた不思議なところ。

長崎街道を横切って、道なりに行きます。

↓ここ桂川だけに限らないけど、九州ではやたらレンガ塀が目に付きます。

白壁などとはまた違った美しさ。

↓(455)福岡県嘉穂(かほ)郡桂川町(まち)役場

かつては炭坑があり、大いに栄えたようです。まあ、筑豊の町はどこもそうですが。

↓役場に来てすぐ、乗る予定のバスの時間が迫っています。

奥の方向へ進むバスに乗りたいのですが、常識的に反対側の車線に停留所があるはず。
ところが、見渡してもそれらしきがないじゃん。どうしたものか・・・。
仕方ないので、この反対側で待つ事に。

↓「ときめきウォークinけいせん」のゴールが役場

参加人数がほとんどいないのか、待っている数分のうちに会場は片付けられてしまいました。
ひょっとして、参加者は右端に座っているじいさま一人だけ?

さて、バスの来る方を見ていると、交差点があってさらにその先(待っている所から約100メートルほど)で停車。そこだったか・・・、離れすぎだわ。
結局、手を挙げて乗せて貰いましたが、「お客さん、乗り場はここじゃないよ!」と怒られてしまう。

降りたバス停はここ→

(456)福岡県嘉麻(かま)市役所
従いまして、難なくクリア。
平成18年に1市3町が合併してできた市。ここもかつては炭鉱都市。

タイミング悪いな→
最近こんなのばかりだわ・・・。

↓近くには「道の駅うすい」がありますので、早速行ってみましょう。

ま、建物は地場野菜などを売っていたり、軽食屋さんがあったりと、よく見られるタイプの道の駅です。
ただし・・・。
お○○タレント・おすぎがレシピを考えた「嘉麻の釜めしの素」というのが売られております。
嘉麻=カマという地名を、自虐的ですが過疎に苦しむ町を少しでもPRしたいがための、涙ぐましいお話し。

自販機に描かれていたもの→
全然可愛くないな、いくら「ゆるキャラブーム」とはいえ、とにかく作れりゃいいってもんじゃないだろと思ったものでしたが・・・。
実際着ぐるみの画像を見てみると、思いのほか愛嬌があってカワイイ。

雨は降っていませんが、幟を見て分かるように風はムチャクチャ強くなってきました。
↓そんな中、右にゆるくカーブしていく道を歩いてみます。



この道路、昭和63(1988)年に廃止されたJR上山田線の廃線跡で、歩いているのは臼井-大隈駅間の臼井駅方向。

怪しいな、ここ→

↓臼井駅ホーム跡が残っていました。


大昔の様子(YAHOO画像より)→
本当にこんなんだったの?ウソみたいな昔。

↓再びバスに乗り、12時40分頃桂川駅へ。


一番上の駅の写真でも左端に出ていますが、「王塚古墳」とやらが非常に気になりまして。
なので、行ってみました→
前方後円墳のこれ、何だい、ただのハゲ山じゃん、などと馬鹿にしてはいけません。
これは国特別史跡。「特別」ということは、そんじょそこらのとは格がまるで違う、姫路城や厳島神社などと同格の史跡なのであります。
では何が特別なのか?
古墳の中にある石室と呼ばれている部分の壁全体に、それはそれは様々な文様が実にカラフルに描かれているのです。いわゆる装飾古墳といわれ、有名な高松塚古墳とはタイプの異なるもの。

こちら「王塚装飾古墳館」→
ここで装飾古墳のお勉強ができます。私もしっかり学習しました・・・と言いたいところですが、今ではすっかり忘れてしまっています。

出る際に受付のお姉さんに「来週18・19日に石室を公開しますので、是非お越し下さい」と言われる。
どうしてこの3連休にそれをやってくれないかな? ことごとくタイミングが悪すぎるわ。

「古墳館」から見る古墳→
階段を登った右に見える柵がそれの入口です。

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105日目 北部九州・史跡巡り(12)~糟屋郡

2015-01-22 22:36:24 | 九州北部
2014年10月12日(日)


九州最終日は曇り空です。心配していた台風19号の影響か?
その台風は前日には沖縄本島付近に接近、この日は奄美諸島の西側を通り、翌日に九州上陸しそうとあって、どうやら最後まで予定を全うできそう。

ホテルは6時前にチェックアウトし、地下鉄に乗って博多駅に行き、JR篠栗(ささぐり)線で長者原(ちょうじゃばる)駅へ。

長者原駅→
これより篠栗線沿線の町巡りの開始です。

仲原(なかばる)炭鉱竪坑跡→
明治21(1888)年に設立された「粕屋採鉱会社」の炭鉱。
昔は社宅が建ち並んでいたというこの周辺は、残っているのはこのレンガの竪坑のみ。
これは一応文化財ではあると思うのですが、前にはリサイクルボックスが置いてあるのみならず、横にはゴミが置かれてあったりと、最早どうでもいい、古いだけの建物という扱われ方。

↓(452)福岡県糟屋(かすや)郡粕屋町(かすやまち)役場

長者原駅は博多駅から10数分という近さもあって、福岡のベットタウンとして人口も増加の一途で、市昇格も視野に入ってきたところまで来た4万5千人ほど。
町の表記は「粕」だけど、郡名は「糟」でややこしいな・・・。「白」の方が画数が少なくて楽だけど。

近くの「賀与丁(かよいちょう)公園」→
看板の「YOSAKOIかすや祭り」は毎年第二土日に開催され、旧来のお祭りに代わる住民参加型のお祭りとしてスタート。なので、歴史はまだ浅くこの時で14回目。

公園の池→
見ての通り、自然を見ながら歩く走るもよし、ボーッとするもよしの公園。

↓次に篠栗駅へ行き、バスに乗って久山町へ。


篠栗駅を出てすぐのバスの車窓→
目の前は田んぼで、周囲は比較的長閑な場所でありながら、山の上はニョキニョキ生えたベンタナヒルズというらしいマンション群。極めて強烈な印象を残す光景であります。

8時15分、久山役場前バス停で下車→

バス停近くでは早朝から清掃→
そのそばをブラブラほっつき歩いているのは申し訳ない気がする。

(453)福岡県糟屋郡久山町(まち)役場
人口は8千人あまりの、山に囲まれた町。
そして、鉄道は走っていながらも、駅のないかわいそうな町。新幹線だから仕方ないんだけど・・・。

役場から北東方向の山の方へ歩いてみる→
「山の神」がいるのは箱根だけじゃないぜ!

↓バス停近くにあるこれ、最初遠くから見た時は、何で子供たちはこんな狭い所で大勢固まって遊んでいるのかと思ったワケですが。


↓久山町は今だに牛を使って田んぼを耕しているようです。


シブガキ?を狙うガキんちょ→
などと、あちらこちらにこうした人形が置かれています。

再び篠栗駅に戻ってきました。

(454)福岡県糟屋郡篠栗町(まち)役場
こちらも久山町同様、福岡のベッドタウン。
その一方で写真右にあるように、「森林セラピー基地」として宣伝しています。
ま、森林浴ですな。興味のある方はコチラをどうぞ。

それはそうとこんな小さな町に堂々世界一のものがあるというので、見に行かない手はない。

↓という訳で、城戸南蔵院前(きどなんぞういんまえ)駅へ。


駅前の橋→
欄干には鉄琴みたいなのが付いていて、キンコンカンコン鳴らせます。

↓世界一は、この篠栗四国八十八箇所の第一番礼所・南蔵院にあります。

お腹がやたらピカピカでメタボな大黒様。皆がナデナデするからですが、確かに撫でたくなるお腹をしています。
ところで、ここの住職は宝くじで当選を連発させていることで有名らしく、それにあやかりたいという人も相当数いると思われ。

怖っ!不動明王様→
夢でうなされそうだ。

でかっ!→
ゆったりと穏やかなお顔をしてお休みになられている世界最大の釈迦涅槃(ねはん)像、高さは11メートル、幅41メートル。ホント、「でけぇ」の連発しかないです。
胎内参拝といって中に入って参拝でき、御御足に触ると金運が良くなると言われているようですが、私には毎年行っている富士山・新屋の山神様がいます。浮気はいくないよな~、悩ましいぜ。せいぜいさっきの大黒様をお腹を撫でる程度でお許しを!

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104日目 北部九州・史跡巡り(9)~うきは

2015-01-11 00:27:08 | 九州北部
2014年10月11日(土)


前に降り立った時はまだ新幹線の工事中であった久留米駅では、しばらく駅周辺を散策。

駅の隅にこっそりPR→
あたかもバツとして立たされているかのよう。

↓これから乗る久大線の列車は、ホーム端っこのこんな寂しい場所から12時すぎに出発。

ですが、列車は立ち客がいるほどの満員。

↓揺られること30分、下車した駅は筑後吉井駅。

私の大チョンボで観光時間縮減のツケを払わされたのは、この駅のある「うきは市」。
パッと見、うきわ(浮き輪)に見間違えそうなこの地名、元々「浮羽」という立派な漢字があるのですが、今の流行に乗っかっちゃった訳だな。

↓駅前通りを真っ直ぐ歩いて、ぶつかった道(筑後街道・国道210号線)を右折すると橋に来ます。

ここを越えると、古い建物が多く見られるというのですが・・・。
ま、橋を渡ってすぐ左に曲がっていつも通りのノルマをこなして後、その古いという建物たちを見て廻ろう。

↓まさか古いとは言っても、こういう古民家が立ち並んでいる訳じゃないと思いますが・・・。


(449)福岡県うきは市役所
平成17年に浮羽郡の浮羽町と吉井町が合併してできた市ですが、人口は緩やかに右肩下がりで、約3万2千人。

↓この役所の敷地には行政にしては珍しい足湯のサービスがあります。

吉井地区には温泉があるらしく、これも本当に温泉のお湯らしいです。
が、私は足湯には全く興味ないので、どうでもいいですけど(中途半端に足だけが浸かるのがイヤなのである)。

住宅が密集する中を歩いていくと、それは徐々に見えてきます。

↓吉井観光の案内拠点・観光会館「土蔵(くら)」

この写真でどういう町か分かったようなものですが、詳しくは市の観光HPにお任せします。
「筑後吉井は江戸時代に久留米有馬藩と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として栄えました。(中略)明治2年(1869)の大火を機に、火災に耐えられる白壁土蔵造りのほぼ現在の町並みになりました。(中略)平成8年(1996)に国の重要伝統的建造物群地区に選定され(以下略)」。
こういう町なので、できるだけ長く観光していたかったのですが、そうも言っていられなくなりましたので急いで見て廻ります。

南新川(みなみしんかわ)→
江戸時代初期、地元の庄屋さん5人が私財を投じて開削した川。
吉井地区は元々水が無くて穀物があまり採れない所であったみたいで、それで庄屋さんがお殿様に水を引き入れる嘆願をしたらしい。その結果、川ができてからは吉井はたくさん収穫できるようになってウハウハ状態に!
ですが、工事中に何と5人の「はりつけ台」が立てられ、これを見た人々は老若男女問わず子供までも工事に参加したのだという。
無慈悲なお殿様。それとも、こうでもすれば何が何でも川を完成させるであろうとの深い思慮だったのか?
右には「祇園さま」の名前で親しまれている、素盞嗚(すさのお)神社があります。

↓上の写真奥には「居蔵の館(いぐらのやかた)」があります。

公開されているのですが、入る時間はもちろんありません・・・。

↓上の建物の前の曲がり道の行った先には・・・、


白壁通り→
鮮やかな白壁の美しい商家が、これでもかというくらい軒を連ねています。

↓この通りの突き当たりには、さっき途中まで歩いた筑後街道で、「蔵しっく通り」と呼ばれています。



名前のとおり、多くの骨董品屋さんが建ち並んでいます。

そんな中、一際目立つお店→

えっ? 「カッパのへそ」ではなく?→
店名は「あけぼの 河童菓庵」で、「雷さんのへそ」はここの名物饅頭らしいです。

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104日目 北部九州・史跡巡り(8)~鳥栖

2015-01-08 22:58:52 | 九州北部
2014年10月11日(土)


この年末年始はいつものごとく旅に出たのですが、2日に帰ってきてから左ふくらはぎが痛い状態が今日まで続いています。
腫れていて押すと痛いし正座もできないしで、おまけに赤いアザまで・・・。
どうやら肉離れを起こしてしまった(あくまで自己診断)みたいです。
歩くのには支障はないけれど痛いので、どうにも痛みが引かないようであればお医者さんのお世話に・・・。
新年早々、本当にロクなことがありません・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

鹿児島線に乗って前日と同様南下します。

↓博多の隣・竹下駅にて初めて目の当たりにする「ななつ星」

この連休は書き入れ時だと思うけど動かないのね。
お蔭で実物を見ることができた訳ですが。
ただ、ほとんど興味がないので、乗りたいとまでは思いませんけど。

↓予定より遅れて乗り込んだ鳥栖(とす)駅

この駅舎は古く、明治22(1889)年に完成したもの。
でも、古いのはこれだけではないのだ。

舶来の線路を使って屋根の支柱にしています→

↓ホームからは巨大な「鳥栖スタジアム」が丸見え。


駅前通り→

途中から轟木川という小さな川に沿って北方向に歩きます。

(448)佐賀県鳥栖市役所
道路・鉄道などの面から見て九州で最大の交通の要衝地。
それゆえ、いろいろな業種の工場が集まってくる極めて恵まれた自治体。
昭和29(1954)年、鳥栖町など2町3村が合併して市制を敷きました。
ここにもあった昨年還暦の自治体。
ただ、昔から思っていることなのですが、佐賀県の市であることに違和感ありあり。

↓今度は轟木川を南下すると、長崎線の高架線が行く手を阻みます。

高架線をくぐる道路へ迂回しますが、その道は旧長崎街道。

再び出会う轟木川に架かる境橋→
「境」と付いてくらいなので、何らかの境となっていたのは容易に察しできます。
この川は佐賀藩と対馬藩との境に当たり、この橋の先には番所跡(検問所)の目印が建っており、かつては宿場町(轟木宿)でありました。

↓鳥栖のパワースポット、日子(ひこ)神社

慶長2(1597)年、時の佐賀のお殿様が豊前・英彦山(ひこさん)神社から勧請した神社。
ここでシーボルトが天測して轟木の位置を測定したと言います。
鳥居横には池がありまして(分かりづらいですが)、それは願いを叶えてくれると言われている、その名も「叶池」。

いかつい姿した吽狛犬→

長崎街道を駅の方向に戻ります。

↓数軒ですが、昔ながらの商家が建ち並んでいる所。


途中で脇道(ウラ道といった方がいいかも)にそれます。

素晴らしいしもた屋に遭遇→
この建物がある辺りはちょっと怪しげだけど、それがまたいい雰囲気を醸し出している飲み屋街をでありまして、そこをウロウロして駅前通りへ向かって歩くと、またもありました!

↓中央市場



木の骨組みのアーケードが覆い、昭和的な廃れた感じのお店が並んでいます。
とってもいいではないか!
ただ、一軒も営業していなかったのは、残念至極。

↓開いていれば、ここのアイスキャンディーを買ったのに・・・。


などと、余裕を噛ましていたのはここまでで、鳥栖11時10数分発の電車に乗ればいいはずだと思ってホームに行き、何げに時刻表を見るとそんな電車はないではないか!
その11時10数分発は実は、久留米駅から乗る久大線の時刻でありまして、気がついた時には、当然それには間に合いません。
ある町の観光に時間をたっぷり確保していたのですが、泣く泣く縮小するしかなくなりました。
何をやってもダメな日は、本当にどうにもなりません・・・。

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104日目 北部九州・史跡巡り(7)~福岡中央区

2015-01-07 23:41:36 | 九州北部
2014年10月11日(土)


明けましておめでとうございます。
本年どうぞよろしくお願いします。
という訳で早速ですが、しばらく放りっぱなしにしていたブログを再開します。


この日は何故だかやたらとボケボケしていた日でありました。
起きてすぐに予定表をどこかにやってしまったのが判明し、目覚めから慌てふためいたのがケチの付け始め。
どうにも見つからん! 
諦めて7時前にホテルを出ます。大雑把にスケジュールは頭に入れていたので何とかなるだろう、という安易な考えを持って・・・(結局夜になって、よく使っているメモ帳に挟んであったのが判明する)。

ホテル近くの「昭和通り」→
お目覚め感は今一つの通り。

大濠公園を散歩します。

大濠(おおほり)池→
周囲約2キロの、福岡市民の憩いの場。
公園のあるこの場所は、元々博多湾の入り海で、昨年の大河ドラマで相当世間に名が知れ渡ったであろう福岡藩初代藩主・黒田長政が、福岡城を築いた時にここを堀にしたという。
そして大正15(1926)年に福岡県が堀の改良工事に着手、昭和4(1929)年に大濠公園として開園。

↓道路は閑散としていても、公園は早朝から健康的な人たち多し。

11月14日に記念すべき第1回の市民マラソン(福岡マラソン)の開催が迫っているのもあるみたい。

池の中の島にて→
ま、そういうことです。

↓ホテルから持ってきた地図を見ると、この辺は「如水隠居」とあります。

今も昔も、ここは「お隠れ」の場であるらしい。
キョトンとした様子のワンが可愛らしい。

公園近くの福岡城跡へ→

目指せ、本丸→
ただし、跡ですが。

↓グルッと見渡す。

福岡城は、黒田長政が慶長6(1601)年から7年をかけて築いたお城で、別名「舞鶴城」。

↓お城の眼下には柵に囲まれた丸い原っぱがあります。

鴻臚館(こうろかん)跡、今で言うところの迎賓館で、7世紀には既に存在していたらしい、かなり古い施設。
時を最近まで進めると、かつての平和台球場でもあります。
ここで野球を見たことはありませんが、目を閉じると、当時の歓声・球音が聞こえてきそう。

明治通りを東に歩きます。

〔37〕福岡県福岡市中央区役所

珍しい水のデジタル時計→
どうせ凝るなら、小便で時を刻むようにして欲しかったところ。

福岡市の中心・天神へ。

渡辺通り→
右にあるは西鉄福岡(天神)駅で、駅の真上はバスセンター。

(447)福岡県福岡市役所
言わずと知れた人口約150万人の九州最大の都市。
市名を決める議会で投票をした結果、「福岡市」と「博多市」が同数となったので、最後は福岡出身の議長が「福岡市」に票を投じたという。
もちろん政令指定都市で、東・博多・中央・南・西・城南・早良の7つの区に分かれて・・・えっ!?8つあるって?一体どういうこと?
カワイイ区
名前からして女性限定の何らかの区?
或いは、他の都市に比べて、独身男性より独身女性が圧倒的に多いという福岡市が、「多くの可愛い女性がこの区に登録しています。男、カモン!」といった、婚活の一環として作った区?
ではなく、市のHPによれば「福岡の魅力や特性を、カワイイというコンセプトで発信し、交流人口の拡大や、産業振興などにつなげていくことを目的としています。」とある仮想区
趣旨に賛同できれば、来る人拒まずらしいです・・・。

↓人影は写っていませんが、実は周りでは準備でてんてこ舞い。

博多駅前も会場となっており、そこも同じく大わらわでした。
この日(10月11日)から3日間、「アジア太平洋フェスティバル福岡2014」が開催されますが、ただ、台風が近づいているのが悩ましい。

博多駅8時53分発の電車に乗るつもりですが、天神からバスでも駅へ行けます。
しかも100円と、地下鉄に比べて安い!

これを使わない手はないじゃん→
ところが、あちらこちらで渋滞が始まっておりまして、挙げ句、乗る予定の電車には乗れずじまい。
あ~あ。地下鉄なら余裕で間に合ったはず。やっぱり安かろう悪かろうだな・・・。

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