2012年12月29日(土)
降りたのは「鞆の浦(とものうら)」という停留所です。
かねがね来たかった景勝地・鞆の浦、ただ、曇りという天気が恨めしい。
↓鞆の浦の概要はここから引用します。
『広島・鞆の浦 - 日本でもっとも癒される港町 - 【鞆物語】』
「万葉の昔から栄えてきた瀬戸内海の要港・鞆の浦(広島・福山)。広島県福山市の南・沼隈半島の先端に位置するこの町は、「潮待ちの港」として、江戸時代にも大いに栄えた国際商業都市でした。朝鮮通信使や千石船の寄港地として日本経済の要を担ったこの鞆の浦(広島・福山)には、江戸時代から残る常夜燈などの港湾施設や寺社・町家が、見事に保存されています。
また、坂本龍馬がメンバーであった海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖(広島・福山)で沈没させられたとして賠償金交渉を行った舞台にもなった事で知られています(いろは丸事件 1867年。沈没したいろは丸は1989年に発見され、その後沈没場所が水中遺跡に指定されました)。」
さらに付け加えますと、わが国で最初に指定された国立公園(瀬戸内海国立公園)の一翼を担い、最近では「鞆の浦埋立て架橋計画問題」で話題となり、また映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった場所でもあります。
まぁ、昔の町がそのまま残っているので、とても道は狭いです。
それだけならいいのですが、車も結構走っているので、非常に危険極まりないです。
だから「鞆の浦埋立て架橋計画問題」があるわけなんですが・・・
町並みが昔のままのため、インフラ整備が難しいらしく、帰りのバスの運転手さんが言っていたのですが「この町は上下水道が整備されとらんけん、未だにどこの家も汲み取り式なんよ。」と。
さらに続けて「若いのは出て行ってしもうて、もう年寄りしかおらん。」と嘆いていました。
観光地として注目が行きがちですが、それとは裏腹に難題を抱えた町でもあります。
↓とりあえず、ブラブラしてみます





←鞆の津の商家
高い所からこの町と海を見渡してみたいので、高台にある「鞆の浦歴史民族資料館」に行ってみます(ただし、資料館は御多分に漏れずお休み)。
↓鞆の浦歴史民族資料館(歩きながら撮ったので超ピンボケ・・・)

↓晴れていれば最高なんだろうけどなぁと、重ね重ね曇天が恨めしい



↑パノラマだと、こんな感じ
←晴れていればこのように四国まで見えるらしい・・・
鞆港に行きます→
目の前の階段みたいになっているのは、雁木(がんぎ)。江戸時代からそのままの姿で残っています。
左側の古い建物は「太田家住宅朝宗亭(ちょうそうてい)」。
この裏側に「太田家住宅」の母屋があります。これらは国の重要文化財となっています。
幕末の七卿落ちの際に、彼らはここを宿泊地としました。
とうろどう(常夜燈)→
現存する常夜燈で日本一の高さを誇っています。
このすぐ右に横に、「いろは丸展示館」があるのですが、何故か写真に撮っておらず。。。
渡船場に来ました→
ここから仙酔島(せんすいじま)へ行く船が出ています。
所要時間は5分程度なので行ってみます。
↓「平成いろは丸」と船内


出帆しました→
弁天島→
↓穏やかな海を心地よく進みます


仙酔島着岸目前です→
↓仙酔島の桟橋あたりから見渡す



仙酔島は「仙人も酔ってしまうほど美しい島」という意味だそうですが、今回は曇りに加え、時間ももう暮れようとしています。
その美しさを体感することはできませんでした。
鞆の町も含めて、またいずれ何年後かにゆっくりと観光しなくてはいけません。今日はその時のための下見ですな。
↓帰りの船とバス


さて、今日の宿泊地はここ福山、ではなく、隣の尾道市です。
福山から20分ほどで尾道へ。
尾道駅に到着→
実質1日目はようやく終了です。
夜は瀬戸内の幸を堪能→
シメは勿論、尾道ラーメン→
「尾道ベッチャーらーめん」(¥580)安いし、とってもおいしかった!
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降りたのは「鞆の浦(とものうら)」という停留所です。
かねがね来たかった景勝地・鞆の浦、ただ、曇りという天気が恨めしい。
↓鞆の浦の概要はここから引用します。
『広島・鞆の浦 - 日本でもっとも癒される港町 - 【鞆物語】』
「万葉の昔から栄えてきた瀬戸内海の要港・鞆の浦(広島・福山)。広島県福山市の南・沼隈半島の先端に位置するこの町は、「潮待ちの港」として、江戸時代にも大いに栄えた国際商業都市でした。朝鮮通信使や千石船の寄港地として日本経済の要を担ったこの鞆の浦(広島・福山)には、江戸時代から残る常夜燈などの港湾施設や寺社・町家が、見事に保存されています。
また、坂本龍馬がメンバーであった海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖(広島・福山)で沈没させられたとして賠償金交渉を行った舞台にもなった事で知られています(いろは丸事件 1867年。沈没したいろは丸は1989年に発見され、その後沈没場所が水中遺跡に指定されました)。」
さらに付け加えますと、わが国で最初に指定された国立公園(瀬戸内海国立公園)の一翼を担い、最近では「鞆の浦埋立て架橋計画問題」で話題となり、また映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった場所でもあります。
まぁ、昔の町がそのまま残っているので、とても道は狭いです。
それだけならいいのですが、車も結構走っているので、非常に危険極まりないです。
だから「鞆の浦埋立て架橋計画問題」があるわけなんですが・・・
町並みが昔のままのため、インフラ整備が難しいらしく、帰りのバスの運転手さんが言っていたのですが「この町は上下水道が整備されとらんけん、未だにどこの家も汲み取り式なんよ。」と。
さらに続けて「若いのは出て行ってしもうて、もう年寄りしかおらん。」と嘆いていました。
観光地として注目が行きがちですが、それとは裏腹に難題を抱えた町でもあります。
↓とりあえず、ブラブラしてみます






高い所からこの町と海を見渡してみたいので、高台にある「鞆の浦歴史民族資料館」に行ってみます(ただし、資料館は御多分に漏れずお休み)。
↓鞆の浦歴史民族資料館(歩きながら撮ったので超ピンボケ・・・)

↓晴れていれば最高なんだろうけどなぁと、重ね重ね曇天が恨めしい



↑パノラマだと、こんな感じ

鞆港に行きます→

目の前の階段みたいになっているのは、雁木(がんぎ)。江戸時代からそのままの姿で残っています。
左側の古い建物は「太田家住宅朝宗亭(ちょうそうてい)」。
この裏側に「太田家住宅」の母屋があります。これらは国の重要文化財となっています。
幕末の七卿落ちの際に、彼らはここを宿泊地としました。
とうろどう(常夜燈)→

現存する常夜燈で日本一の高さを誇っています。
このすぐ右に横に、「いろは丸展示館」があるのですが、何故か写真に撮っておらず。。。
渡船場に来ました→

ここから仙酔島(せんすいじま)へ行く船が出ています。
所要時間は5分程度なので行ってみます。
↓「平成いろは丸」と船内


出帆しました→

弁天島→

↓穏やかな海を心地よく進みます


仙酔島着岸目前です→

↓仙酔島の桟橋あたりから見渡す



仙酔島は「仙人も酔ってしまうほど美しい島」という意味だそうですが、今回は曇りに加え、時間ももう暮れようとしています。
その美しさを体感することはできませんでした。
鞆の町も含めて、またいずれ何年後かにゆっくりと観光しなくてはいけません。今日はその時のための下見ですな。
↓帰りの船とバス


さて、今日の宿泊地はここ福山、ではなく、隣の尾道市です。
福山から20分ほどで尾道へ。
尾道駅に到着→

実質1日目はようやく終了です。
夜は瀬戸内の幸を堪能→

シメは勿論、尾道ラーメン→

「尾道ベッチャーらーめん」(¥580)安いし、とってもおいしかった!
