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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

33日目 年末年始は西へ その5~鞆の浦

2013-01-14 00:08:41 | 山陽
2012年12月29日(土)


降りたのは「鞆の浦(とものうら)」という停留所です。
かねがね来たかった景勝地・鞆の浦、ただ、曇りという天気が恨めしい。

↓鞆の浦の概要はここから引用します。
『広島・鞆の浦 - 日本でもっとも癒される港町 - 【鞆物語】』
「万葉の昔から栄えてきた瀬戸内海の要港・鞆の浦(広島・福山)。広島県福山市の南・沼隈半島の先端に位置するこの町は、「潮待ちの港」として、江戸時代にも大いに栄えた国際商業都市でした。朝鮮通信使や千石船の寄港地として日本経済の要を担ったこの鞆の浦(広島・福山)には、江戸時代から残る常夜燈などの港湾施設や寺社・町家が、見事に保存されています。
また、坂本龍馬がメンバーであった海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖(広島・福山)で沈没させられたとして賠償金交渉を行った舞台にもなった事で知られています(いろは丸事件 1867年。沈没したいろは丸は1989年に発見され、その後沈没場所が水中遺跡に指定されました)。」

さらに付け加えますと、わが国で最初に指定された国立公園(瀬戸内海国立公園)の一翼を担い、最近では「鞆の浦埋立て架橋計画問題」で話題となり、また映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった場所でもあります。

まぁ、昔の町がそのまま残っているので、とても道は狭いです。
それだけならいいのですが、車も結構走っているので、非常に危険極まりないです。
だから「鞆の浦埋立て架橋計画問題」があるわけなんですが・・・
町並みが昔のままのため、インフラ整備が難しいらしく、帰りのバスの運転手さんが言っていたのですが「この町は上下水道が整備されとらんけん、未だにどこの家も汲み取り式なんよ。」と。
さらに続けて「若いのは出て行ってしもうて、もう年寄りしかおらん。」と嘆いていました。
観光地として注目が行きがちですが、それとは裏腹に難題を抱えた町でもあります。

↓とりあえず、ブラブラしてみます





←鞆の津の商家

高い所からこの町と海を見渡してみたいので、高台にある「鞆の浦歴史民族資料館」に行ってみます(ただし、資料館は御多分に漏れずお休み)。

↓鞆の浦歴史民族資料館(歩きながら撮ったので超ピンボケ・・・)


↓晴れていれば最高なんだろうけどなぁと、重ね重ね曇天が恨めしい



↑パノラマだと、こんな感じ
←晴れていればこのように四国まで見えるらしい・・・

鞆港に行きます→
目の前の階段みたいになっているのは、雁木(がんぎ)。江戸時代からそのままの姿で残っています。
左側の古い建物は「太田家住宅朝宗亭(ちょうそうてい)」。
この裏側に「太田家住宅」の母屋があります。これらは国の重要文化財となっています。
幕末の七卿落ちの際に、彼らはここを宿泊地としました。

とうろどう(常夜燈)→
現存する常夜燈で日本一の高さを誇っています。
このすぐ右に横に、「いろは丸展示館」があるのですが、何故か写真に撮っておらず。。。

渡船場に来ました→
ここから仙酔島(せんすいじま)へ行く船が出ています。
所要時間は5分程度なので行ってみます。

↓「平成いろは丸」と船内



出帆しました→

弁天島→

↓穏やかな海を心地よく進みます



仙酔島着岸目前です→

↓仙酔島の桟橋あたりから見渡す



仙酔島は「仙人も酔ってしまうほど美しい島」という意味だそうですが、今回は曇りに加え、時間ももう暮れようとしています。
その美しさを体感することはできませんでした。
鞆の町も含めて、またいずれ何年後かにゆっくりと観光しなくてはいけません。今日はその時のための下見ですな。

↓帰りの船とバス



さて、今日の宿泊地はここ福山、ではなく、隣の尾道市です。
福山から20分ほどで尾道へ。

尾道駅に到着→
実質1日目はようやく終了です。

夜は瀬戸内の幸を堪能→
シメは勿論、尾道ラーメン→
「尾道ベッチャーらーめん」(¥580)安いし、とってもおいしかった!

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33日目 年末年始は西へ その4~福山

2013-01-12 22:57:18 | 山陽
2012年12月29日(土)


府中駅から電車で福山駅へ。
福山駅は福山城のお堀を埋め立てた所にあり、ホームからお城が見えます。


実は先ほど府中市に行く際、福山で乗り換え時間が20分位ありましたので、その僅かな時間を利用してお城を見てしまっていたのです・・・

駅北口を出てお城に向かいます→

今度は登った所から駅を見る→

↓伏見櫓



筋鉄御門→

伏見櫓・筋鉄御門の案内板→

↓かつての福山藩主で老中だった阿部正弘さんがひっそりと佇んでいます



福山城→

私が学生の頃に学芸員資格取得のための博物館実習で福山に来まして宿泊もしています。
これまでその時にお城に行っていないものと思っていました。なぜなら、外から見た記憶も、お城の中に入った記憶もないし、写真1枚すら残っていない・・・
当時私は日記をつけていまして、どうだったかな?と、この旅からの帰宅後、押入れに眠っている日記を引っ張り出し、その日の記述を見てみました。
すると、バスでの移動中に見ているわ、泊まったホテルはお城のすぐ近くだったわ、驚いたのはちゃんとお城の中に入って天守閣まで登っており、しっかりとした筆致で「市内を一望」と書いていました(汗)。
何せ、相当昔の事ですので・・・

博物館実習ではこの近くにある広島県立歴史博物館を見学したのですが(こちらの記憶はきっちり残っています)、そこでは中世の幻の町、草戸千軒(くさどせんげん)をメインテーマで展示していまして、今回また見学したかったのですが、あいにく年末年始で休館。来る時期悪すぎる・・・
同じ福山の松永地区には世界で唯一の履物をテーマにしたその名もズバリ「日本はきもの博物館」という博物館もあります。


~以下、再び戻ってきた福山駅~

↓福山駅のホームから見た駅前通りと南口



五浦釣人像→

↓駅前に残る福山城の遺構



↓駅周辺の通り




元町通りアーケード→

広島県第2の人口(約46万人弱)を擁する福山市ですが、駅周辺の人通りとしては今一つ。
まぁ、年末という特殊な時期に来ましたので、普段はもっと賑わっているんでしょうけど。

(177)広島県福山市役所

駅に戻ってきた私は、市内某所に行くため、バスに乗ります。

バスの車中→

芦田川→

↓海が見えてきました



ここで降ります→

目の前ではカモメが飛び交っています→

続きは次回に。


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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

33日目 年末年始は西へ その3~府中

2013-01-11 23:34:06 | 山陽
2012年12月29日(土)


府中市に来ました。

おや?さっきまで岡山にいたのに、いきなり東京ですか?!
と、お思いの方もおられるかも知れません。

笠岡市の後はさらに西に向かい、広島県福山で福塩線というJR線に乗り換え、西北に進路を変えてやってきたのがこの広島県府中市です。


話しは突然脱線しますが、昔、日本に国が置かれていた時代の事、その国の中心となる役所が置かれ、それを国衙(こくが)といいました。今でいう都道府県庁みたいなものです。
国衙のあった場所を国府(こくふ)といいます。

その国府が地名として現在まで続いている例が全国にたくさんあります(「こう」と呼ばれる場合もあります)。
国府という呼び名以外には府中という地名で残っている場合もありまして、まさに今私がいるこの広島県府中市は備後(びんご)国の国府だったわけです。
東京の府中は武蔵国の国府があったということになります。
ちなみに同じ広島県には広島市にすっぽりと囲まれた府中町というのがあります。こちらは安芸国の国府です。
さらに、国府の近くには国分寺・総社といった寺社も置かれたのですが、それらの地名もまた全国に多いです。

長らく府中市は日本に2箇所存在していて、同じ市名の組み合わせは唯一これしかなかったのですが、平成18年に福島県に伊達市が誕生し、すでにあった北海道伊達市とのペアで2例目ができました。
あ、そうそう、東京の府中市は6月17日に早々と訪問を済ませております。

↓府中駅と駅前



↓いきなり廃墟に近いビルとシャッター商店街がお出迎え


1時間、この町では時間が取れましたので、ゆっくり散策してみます。

↓人が入っているのかどうなのか分からない薄気味悪いアパート


←覗き込んでみます

取り壊し中の病院→

↓踏み切りを渡ります
←駅の方向
←その逆側
架線はここで終了しています。
JR福塩線は福山駅と広島県三次(みよし)市の塩町駅を結んでいる路線ですが、電化されているのは福山と府中の間で、残りは非電化の区間となっています。

↓なかなか立派な古民家(庭は草ボーボー)


国道486号線(福山方向)→

(176)広島県府中市役所
やたら駐車場の広い役所でした。

たまたま見つけた備後国府址の碑→

↓芦田川
←下流方向

府川新橋→
高さ制限1.8メートル。当然ですが、それ以上の身長の人はダメって事ではないです。

橋から上流方向を見る→

天満屋に入って少し休憩→
得てしてこういった地方都市の町中にある大型店舗は客がいなくてひっそりとしている場合が多いのですが、このお店は案外客が来ていて、賑わっていました。
やはり正月に備えての買出しのためでしょう。

駅に戻りまして、福山に引き返します。


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33日目 年末年始は西へ その2~岡山井笠地域

2013-01-09 23:52:37 | 山陽
2012年12月29日(土)


↓小田原駅にやってきた、「ムーンライトながら」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓早朝6時少し前、「ムーンライトながら」は大垣駅に到着

駅では例のごとく「大垣ダッシュ」が始まります。
要は次に乗る電車に座ろうと隣のホームまで運動会さながら全力で駆けていくのです。
まぁ、見ていて非常に滑稽で浅ましい光景です。
それに座れないと数時間立ち通しとなるのならともかく、米原まで行けばだいたい座れるんだし、それまでの30分を我慢すればいいだけの事ではないか。
私は端から座ろうという気はさらさらないので、周りがドタバタ走るのを尻目に悠然と歩きます。

大垣から乗った電車→

米原では新快速電車に乗り換えますが、やはり余裕で座れました。

琵琶湖→

大阪を過ぎたあたりから、帰省客で次第に混んで来ました。
新快速で兵庫県の相生駅まで行き、そこで岡山行きに乗り継ぎます。
ずっと座っていると腰に悪いので、混んでいたのもありますが、岡山まで1時間ほど立ちます。

外はモヤがかかっています→
岡山駅に着きました。

さらに西へ行く左の黄色い電車に乗ります→
右の行列は山陰へ行く特別急行電車に乗ろうと並んでいる人達。

乗った電車も混んでいまして、30数分間立ち通しのまま、やっと11時半頃目的の駅に来ました。あきれるかもしれませんが、小田原から11時間も電車に乗り詰め状態だった訳です・・・今日に限っては私もいい加減電車は乗り飽きました。

鴨方駅→

↓(173)岡山県浅口(あさくち)市役所

金光教の本拠地の町です。

役所からの風景→

↓駅から役所までの通り
←駅方向
←その逆


僅かの滞在の後、隣の駅の里庄駅へ。

里庄駅→

↓(174)岡山県浅口郡里庄(さとしょう)町役場


↓道端にあったお堂と何だかよくわからん石碑


里庄町歴史民族資料館→
開いていないようでしたので、建物だけ見て終わり。


次の下車もその隣の笠岡駅→

ホームに飾ってあるカブトガニ→
笠岡駅のある笠岡市はカブトガニの生息地で、カブトガニ博物館というのもあります。

↓駅前の時計台



↓駅前通りと商店街




(175)岡山県笠岡市役所

↓役所の前にある「笠岡代官所跡」と「小田県庁跡」



時間にして13時少し前です。
淡々とこなした3市町でした・・・

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