唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

マレーナ

2008年05月18日 | 映画 ま・や・ら・わ行
マレーナ

日活

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なんて言っていいか・・・
なんかひきずっちゃいます。
すっきりしない。
悪意に満ちた街の人。この人たちひどい人たちだけど、ばちがあたるとか、反省するとか、そういうことではなく、何も解決もしてないしそのまんまです。何が変わったかと言えば、戦争が終わったということです。

民衆の狂気は戦争のせいともとれるけれど・・・そういうことが言いたかったのか・・・どうなのか・・・この場合、民衆が被害者ということはありませんね。でも、個が殺されていく社会の中では、民衆の感情も単純化されて行動も極端化するのかもしれません。自由が制限されたり、生きるのが大変だったりする不満とかイライラを攻撃の対象を他に置き換えてイライラをぶつけるというのはあるかもしれません。

男どもの行動は、主人公やマレーナの視点から見ると本当に憎いんだけれども、同時に、自分自身がその場にいたらどうなるか。そういうものを突きつけられる気がします。

マレーナは生きていくために仕方なく・・・というのもあるだろうし、あれだけいろんな視線が浴びせられる中では、一人でがんばり続けることはできないし、頼りたい気持ちが利用されてしまったというのもあるんでしょう。
だから今度はそれを利用しようとどんどん自分を傷つけるほうに持っていくわけですけれど・・・

マレーナの気持ちというのは、説明はありません。第3者から見た形をずっととっているので、主人公と同じように、見て考えるしかありません。主人公が見ている視点以外での登場もありませんから、映画を観ている人は主人公と同じように見て、それでマレーナをどう思うかって事になるのかも。とはいっても、主人公の気持ちはわかるから、当然マレーナを応援してしまうわけですが・・・

主人公がまったくマレーナと接触がないというのもおもしろいですね。妄想でしか彼女と向き合えない。子どものころのあの性に対する貪欲さというか、わかるなあ・・・

最後のリンチのところはひどいです。
何で誰も止めに入らないのかが不思議だったけれど、みんなかわいそうと思いながらも何かがそうさせなかった。周りの目なのでしょうか。主人公も傷つけられていく彼女をただ悲しく見つめるだけです。いや、そう考えていったら、最初から最後まで、傷ついていく彼女を見つめ続けるだけの物語です。
ここでも、お前なら止めたのかよ!というのが問われます。

そして、帰ってきただんなさん。だんなさんとマレーナが再会した時のやり取りは想像するしかありませんが、それを表現したのが、2人で街に帰ってくるということなのでしょう。大変な決意がいることです。

想像といえば・・・弁護士との車でのやり取りや、そもそも何で結婚までの話になったのか、あの兵隊さんとの関係は?など、想像するしかないこともいっぱいあります。へたすると少年の思い込みにつき合わされただけになってしまうかもしれません。

最後まで主人公を全然知らない人で終わるところがいいですね。「お幸せに」の言葉も、主人公には重い言葉でも、彼女にとっては、何の重みもありませんからね。切ないですね。

モニカさん・・・きれいです。裸も見れて・・・いい映画ですね。

応援したいいい心と、、それを利用しようとする醜い心。観ながら自分もそうなってました。