初めて門前町の総持寺祖院を訪れたのは、NHK大河ドラマ『利家とまつ』が放映されている頃でした。(その頃は門前町はまだ輪島市との合併前で、「門前町」という名称で呼ばれていました。)
総持寺は、加賀藩祖前田利家の帰依を受けて以来、加賀藩とは深い結びつきのある寺であり、ことに利家夫人芳春院は、菩提所として「芳春院」を建立しました。
三樹松関(さんじゅしょうかん)という小さな門を入ると、やや右手にどっしりとした山門が見えてきます。
禅寺特有の静謐とした雰囲気に囲まれたお寺です。
今回の地震で、特に被害の大きかった地域が、ここ輪島市の門前地区。ということを聞いてはいましたが、町に近づくにつれて次第に増えていく押しつぶされた家屋を目の当たりにするにつけ、地震の被害の恐ろしさを見せつけられた気がしました。
お寺の門前のすぐ脇に門前高校があって、その向こう側が駐車場になっています。その駐車場の入り口の角の家が、上から巨大な鉄板か何かで押しつぶされたようにぺしゃんこになっていました。本当に見事なくらいに、です。
道路もあちこちに亀裂が入ったり、波打っていたりで、本当に痛々しい状況でした。
山門は特に被害らしいものは見受けられませんでしたが、手前にある赤い橋のたもとがひび割れていました。
山門を通ってぐるりと回廊が巡っているのですが、かなりやられていて、中はもちろん入って回ることはできません。写真の中央部、壁が庭のほうに飛び出るようになっているのがおわかりでしょうか。
伝燈院は総持寺を開山した瑩山禅師の霊廟であり、いわばお寺の最重要部分である建物。明治期に大火があって、総持寺は横浜鶴見へ移転しますが、その火災のときもこの伝燈院は難を免れたそう。今回の地震でも、建物こそ、それほどの被害はないように見受けられましたが、まわりの石塔や背後の斜面が崩れてしまっています。
法堂に至っては、ご覧の有様です。
お寺の方によると、地震当時、雲水さんたちは皆托鉢に出られていてお寺にはいなかったそう。ただ、雲水さんたちが寝起きしている建物が壊れてしまい、被害の無かった建物のほうで生活されているとのこと。拝観を再開したけれど、地震の跡を見てもらうだけです、とおっしゃっていました。
今回の地震は、規模の割りに死傷者が少なかったといわれています。
実際、お亡くなりになったのは1名だけ。倒壊した家屋の状況を見て、人的被害が少なかったことは本当に奇跡といえるのかもしれません。
ですが、たとえ1名でも犠牲になられた方がいるわけで、これは数字の問題ではありません。何より被災されて、不便な生活を余儀なくされている方がいることを思うと、被害の大きい小さいは問題ではありません。
1日も早く人々の生活がもとのようになりますように。
私に出来ることはそうして祈ることぐらいですが。
山門の脇に植えられた桜の花が、今は盛りと咲き誇っていました。地震のあった日は、まだ蕾を固く閉ざしたままだったのでしょうが、春の日を浴びて、おそらくは去年と同じように花を咲かせたのでしょう。何事も無かったかのように。
さすが遊さん、すでにこのお宿を訪問されていたのですね。
>地域の連携
そうですね。町のよさが生かされていますね。
今朝の「朝ズバッ!」に石川県の谷本知事が出演されていましたが、今能登を訪ねることが能登を勇気付けることともおっしゃっていました。
本当に1日も早く普通の生活に戻れることを祈っています。
結婚20周年おめでとうございます!!
カワイイ浴衣でお肌もつるつる、美味しいものを頂いてお幸せでしたね~~
温泉が良いからと、数年前お昼を頂いてお風呂に入ってきましたがキレイなお宿でしたね。
被害報道が先行して観光客が減るのを危惧していましたが、今能登を訪ねて上げるのが一番の激励になりますね。
しかし門前町は矢張り酷い事になっているようでお気の毒です。
親戚が総持寺の隣で家は大丈夫だったようですが離れと蔵が傾いたそうです。
4軒隣のお寺はぺちゃんこだったらしいが、先日のTVで7人助かった話は此処なのだ~と思って見ました。
地域の連携が良かったのは普段のお付き合いの良さでそこが都会と違う所でしょうね。
「唯でさえ過疎の町がこれからどうなるのか」心配ですが早く普通の生活に戻れますよう祈るばかりです。