私の実家のある長野にも、「犀川」が流れていて、千曲川と犀川の合流するあたりで行なわれたのがあの川中島の合戦ですが、ここ金沢にも「犀川」があります。
故郷と同じ名前の川が流れていることで、金沢に来た当初は、ちょっとした親しみをもって川を眺めたものでした。
金沢には二つの大きな川が流れています。「大きな」といっても相対的にはそう大きい川ではないのですが、市内を囲むように浅野川と犀川が流れています。かつては城下の外堀としての役目を担っていた二つの川。その流れの様子から、浅野川は「女川」、犀川は「男川」と呼ばれています。
浅野川を「女川」と呼ぶようになったのは、泉鏡花がその小説『由縁(ゆかり)の女』のなかで浅野川のことを「俗に女川だと言う」といった表現があるところからだ、ともいわれています。
藩政期の文献には、逆に犀川を女川、浅野川を男川と呼んでいるものもあるくらいです。(その史料によると、犀川は流れが荒いので「女川」だといっています。それを書いた人は、よっぽど女性が恐かったのでしょうか・・・)
きょうも日和が良かったので、いつもは車で行っている川向こうのスーパーへ、自転車で出かけました。
カルガモが気持ちよさそうに泳いでおり、ヒヨドリと思われる鳥が、川原を元気に飛び回っています。
ふと、「ケーン、ケーン」という甲高い声が聞こえて、川原の草地を目で追ってみると雉がいました。写真に撮りたかったのですが、少々遠くて無理でした。(こんなとき、一眼レフがあればなあ、と思ったりもしますが、おそらく使いこなせないでしょう。)
川原には、一面に白い花が咲き乱れていました。
川沿いには果物畑(梨かリンゴだと思うのですが)が広がっていて、春の日差しを受けて真っ白な花を今が盛りと咲き誇っていました。
よーぜんさんは「犀川」にご縁があるんですね。前から犀川のサイって何だろうと思っていたのですが・・・動物の犀がいるわけもないし(^^;
こちらはやっと晴れて自転車日和になりました。
ちょっと検索してみたら、「犀川」、長野と金沢だけでなく、秋田や京都、岐阜などにもあるようです。
「犀」の字には堅いとか鋭いとかの意味があるようですが、水の流れとはあまり関係なさそう。(どの川も「犀」の字をあててるのも不思議です。)
金沢の犀川は、佐奇神社(さきじんじゃ)の近くを流れる事から佐奇川となり訛って「さいがわ」になったらしいですが、私がその語感からイメージしているのは「賽の河原」。川ってこの世とあの世とを隔てるものという考え方がありますよね。
金沢の犀川は「菊水川」という雅名があって、白山から流れる「聖なる川」のイメージがあるそう。(本当の源流は白山ではないのですけど)白山信仰とのかかわりもあって、この世とあの世を隔てる川というイメージから生まれた名前かな、と。これはあくまで私個人の拙い妄想なのですが^^;
なるほど、頷けますね。
私も今、検索してみたら
語源として古事記に「狭井河(サヰガハ)」というのが登場していて、「サヰ」とは山百合のことをさしている 川辺に山百合がたくさん咲いていたのでは
というのがありました。これはロマンティックですね。けれども何故「犀」の字を当てたのかはわかりません。案外、適当なのかも?(^^;
サイといえば妻女山のサイもミステリーですし(笑)
山百合が咲き乱れている川原なんて、素敵ですね。
「犀」の字は、やはり適当なのかしら?
>サイといえば妻女山のサイもミステリーですし(笑)
ですね。
あれもかなり当て字っぽいです。